5.奥様の得意なもの
私は庭でお茶をしながら絵筆をとっていた。
「エミリア様、そろそろ勉強のお時間です」
「…はい」
溜息を吐きそうになるのを堪え、渋々勉強部屋へ向かう。私は勉強が苦手だった。
リーベンタール家の人間として恥ずかしくないようちゃんと勉強しろ、とお父様から言われていた時は必死にやっていたので何とか平均点は保持していたが、それもギリギリだった。
今や勉強するモチベーションはない。ヴァルトブルグ家の妻として恥ずかしくないようにしたいが、積極的に社交の場に出ることも無いだろう。
つまり、お飾りなのだからニコニコと当たり障りのない話をしていればいい。そもそも前に出たところで私が役に立てるとは思えない。
「エミリア様、この辺りは学校で学んでいるはずでは?」
「一夜漬けだったから、忘れてしまいました…」
はぁ、とリカがため息をついた。すみません、テストさえパスできれば良かったので日ごろからちゃんと勉強していませんでした。
「エミリア様は何が得意でしたか?」
我が国の貴族の子女にとって基礎的な教育と言えば、読み書きと歴史、日常の礼儀作法。
しかし私の通った貴族学校の教育のレベルは高く、基礎教育に加え外国語に修辞学、幾何学、天文学、算術、弁証法、文法、音楽なども勉強させられた。
エリーゼ姉様は当たり前のように全てにおいて優秀な成績を修めていたが、そんな人は稀で、ニコルに至っては基礎以外はほとんど落第。
私は基礎教育は平均だったけれど、その他は何とか落第を免れていたレベルだった。
基礎だけできていれば卒業できたので私もニコルも卒業することは出来たけれど…
「得意科目はありません…」
「エミリア様の通っていたアーヘン宮廷学校は国内で一番の教育機関ですよね…?」
リカはやれやれといった顔をすると、算術の教科書を開いた。
「期待していたのですが、基礎から教えないとダメなようですね」
「リカは学校で勉強を習ったの?」
「貴族でもない人間が学校など通えるはずがないでしょう。ましてや私は異国人ですから。読み書き以外はメイド長のマリー様から習いました」
マリー様何者?
「さて、では1ページ目から始めましょうか」
「お願いします…」
*
結局その後にやった乗馬もエミリア様は上手くなく、私、リカはがっかりしてしまった。
全てにおいて貴族の子女としてみれるレベル。
良くも悪くも目立たない。
「エミリア様、少し休みましょうか」
「えぇ…お願いするわ」
芝生の上に敷物を敷いて、お茶と軽食を他のメイドに持ってこさせる。
「何だかごめんなさい…」
「…いえ、全ての基礎は出来ています。貴族としては問題のないレベルですので、そこまで落ち込まなくても大丈夫です」
そうは言ったものの、公爵家の妻としてはもう少しできてほしいと思っていた。
しかしあまりにも良いところがないので、この毒舌と言われる私もフォローに回ってしまう。エミリア様はそれを察したのか、更にどんよりとしてしまった。
屋敷に戻ると私はマリーメイド長へ呼ばれたので、エミリア様を別のメイドに任せてメイド長室へ行った。
「どう?奥様の教育は順調?」
「えぇ、はい。まぁ…」
いつもハッキリ言う私が歯切れ悪くそう言うと、メイド長は「珍しいわね」と少し驚いた様子だった。
「どの科目も特段悪くはありません。可もなく不可もなくという感じです。ただ、ヴァルトブルグ家の妻として相応しいレベルかと言われると…」
「可もなく不可もない」
ふぅむ、とマリー様は少し考えこんだ。
「メイド長?」
「良くも悪くも目立たないという事?」
「そうですね」
そう、あまりにもイメージ通りだった。
目立たず自信のないエミリア様が何かを卒なくこなすとは思っていなかったが、一つくらいは抜きんでるものがあるのではと思っていた。
しかしなかった。
「まぁ、現在最低限の事が出来ているのなら、これからそれを洗練させていけば良いでしょう。パーティまで2週間はありますから」
「そうなのですが…言いにくいのですが、奥様はあまり要領が良くありませんので、ギリギリかと思います」
「リカ」
窘めるように言われる。仕方ないじゃないか、事実なのだから。
「貴方の教え方の問題かもしれませんよ?少し工夫なさい。そこまでできて、ヴァルトブルグ家のメイドです」
「承知しました」
*
リカが去って行ったあと、私…マリー・ミュラーは手帳を取り出した。
これは新しい奥様のために新調したものだ。
そこに新たなメモを書き加える。
「全て可、ね」
懐から出したメモの内容もすべて統合する。これで奥様の人となりが更に見えてくるはず。
姉妹は二人。出来の良い姉と愛らしい妹。
両親からは格差が付けられたでしょうね。旦那様のお父様へ着いていき、一度、奥様のお父様と会っただけだけれど、あまり大切にされているように思えなかった。
学業の成績や社交界での噂も目立ったものはない。
「出来の良い姉の妹」「可愛い妹の姉」そういう噂ばかりだった。
…辛かったでしょうね。
こんな状況では自信がない、あぁいう性格になるのも無理はない。
とはいえ、勉強やファッションセンス、運動、そういうもので秀でたものがないのはまごう事のない事実。それと、一つの事をやり続ける努力、みたいな物もあまり。
特出した才能がなく、努力も出来ない。いや、努力できること自体が才能みたいなところもあるから、そういう才能がないとも言える。
「最後にこれに期待していたのだけれど…」
私は先ほどリカが置いて行った一枚の紙を取り出す。
そこにあったのは、奥様が描いた絵。
「…私にはこの絵の良さがさっぱりわからないわ…」
そこにあったのは、精密でも、丁寧でもない、雑ともいえる筆遣いで描かれた花の絵。
頑張って褒めても前衛的、としか言えない。
絵は写実的でないと一般的に褒められないし、もっと崇高なテーマを用いたものでないと教養が感じられない。
工房の職人達のような素晴らしい物を期待してはなかったけれど、それにしても雑過ぎる。半日以上かけて描いた絵がこれというのは、なんとも不器用だ。
外で絵を描くのがいけないのではないかしら?アトリエを用意して集中して描けば良い作品が出来るのではない?そもそもなぜ外で描くの?室内で描けばいいじゃない?
…絵については私の判断するところではないわね。芸術という分野が私は得意ではないし。旦那様は絵が好きだから、話のタネにしようかとも思ったけれど…
こうして奥様の才能を検討した結果、才能とは言えないけれど、一つの長所を見出した。
“目立たないこと"
目立たないことは貴族社会で良い風に働くこともある。
まず、基本的に男性より目立ってはいけないし、目立たないというのは敵を作りにくいとも言える。
容姿端麗であることや教養があるのは良いことだけれど、敵を作りやすくもある。
そういう意味で、旦那様の仕事の邪魔にはならなそう。
そうそう、奥様は人間関係で悪い噂を聞かないの。誰にも嫌われていないのよ。どこかの派閥に属しているわけではない、中立派。
最早「あのパーティにいたっけ?」とか言われていたけれど…ちょっと目立たなすぎとも言えるけれども。
それでも私は、目立たないことは良いことだと思う。
目立って危険な目に遭ったり衆目に晒されるくらいなら、奥様には穏やかに過ごしてほしい。
今まで目立って酷いことをされた人を何人も見てきたし、フリードリヒ様のお母様はとても無理をして辛そうだったから。
別に凄い女性になんてならなくても良いの。幸せであるかが重要。
さて、奥様を幸せにするためにフリードリヒ様と面会の場を作らなくてはね!
ダメダメなエミリア。
だけど、学校の勉強では計れない、彼女の才能があります。
登場人物
マリー・ミュラー:えげつない手腕のメイド長。笑ってるけど目が笑ってない。




