29.エミリアとニコラ
出立の日、マリー様は念入りにドレスを着付けてくれた。
「服や化粧は令嬢の戦闘服です。きちんとしたものを身につけるだけで、勇気が出るものですよ」
いつも淡い色のドレスばかりだが、今日は少しはっきりとした色の物を身につけた。
「ホラ!奥様、とてもお美しい。それと、これもお忘れなく」
マリー様から渡されたのは、指輪だった。
「旦那様から頂いたものですよね?」
「へ?!?な、なんで知って……?!?」
うふふ、とマリー様は笑った。
従者が鞄を持ち、私とリカは門に向かって歩いてゆく。
振り返ると、ドアの前で多くのメイドが手を振っていた。
庭を管理していた庭師も「頑張れ!」と言う風に手を振っている。
「奥様、行きますぜ」
初めてここに来た時の御者が、こちらを見た。
「お願いします」
会談があって見送りに来られなかったフリードリヒ様を想って、私は指輪に触れた。
馬車は静かに走り出した。
*
私はリカを伴い、馬車で3日かけてリーベンタール家に辿り着いた。
屋敷の門の前には待ち構えるようにニコラが立っていた。
「来るって聞いて驚きましたわ、お姉様」
「お父様から一人で実家に帰って来るようにと手紙があったの」
「ちゃんと来れた事にびっくりしているんですの。メイドと二人で」
ニコラもメイドと二人だった。空気のようなメイドが後ろに控えている。
「今日お父様から何を話されるか分かっている?」
「……お金のこと、よね」
「そう。私からもお願いするわ。お母様を助けてあげて欲しいの」
「……」
「できるわよね?いくらお姉様が寵愛を受けていないと言っても、少しくらいならお金を引き出せるでしょう?」
「うちも少し出してあげたんだけど、ケチなの。端金だったわ。
それに比べてお姉様の旦那様は大公様。湖や森のある敷地を所有していて、街には宮殿みたいな建物があるらしいわね。しかもそこにはお金になる宝石がたくさんあるとか。別荘もいくつも持っているし。
それだけお金があるんだからすぐ融通できるわよね?素敵な旦那様で羨ましいわ」
ニコラの羨ましがるポイントはフリードリヒ様のお金だけだった。
「いくらくらいなら出してもらえそう?お姉様」
「今日はそれをお断りしに来たの」
「ハァ?」
一気に氷点下まで下がるニコラの機嫌。
「自分の役割が分かっていないのね。お姉様はこういう時のために存在しているのよ」
「違うわ」
「忘れているようだから、教えてあげる」
「お姉様は私みたいに可愛くないし、エリーゼお姉様みたいに賢くもない。そんなお姉様がこの家のためにできることは何?」
何もない。だが、それで良いのだ。別にもうこの家の役に立たなくても……
「私は、公爵家の妻になったの。だからこの家には……」
「お姉様に公爵家の妻が務まっていると思っているの?」
ドキリとする。自信を持って務まっていると私は言えなかった。
「パーティでバカにされ続けているそうね」
ニコラは私にゆっくりと近づく。
「公爵家の恥晒し」
耳元で言われて足が震えてしまった。私は完全にニコラの空気に飲まれていた。
はっきりと言おうと思っていたのに。
強気に、公爵家の妻として堂々としようと思っていたのに。
なぜ声が出ないの?
(役立たずであることを指摘されたからだ)
図星だと思ってしまった。
フリードリヒ様が役に立つかなんて考えなくて良いと言ってくれたのに。
マリー様がそのままでいいと言ってくれたのに。
リカだって、一生懸命色々と教えてくれて、期待してくれたのに。
レオポルド様は私の絵を素晴らしいと誉めてくれた。
屋敷のみんなが応援してくれている。
それなのに、私はなんでろくに言い返すこともできずに立ち尽くしているの?
18年間刷り込まれた落ちこぼれという烙印は、この屋敷とニコラによって呼び起こされていた。
私のドレスをヒールでぐりぐりとニコラが踏み締める、ビリ、と嫌な音がして裾が裂けたのを感じた。
「さ、さっさと屋敷に入って。雨が降りそうだわ。昨日も降って、道がぬかるんでいるのよ」
ルカが跪いて破れたドレスをピンで繕う。
情けない、なんて情けないの私は。
そう思っていた時だった。
ニコラがリカの背中を足で蹴った。
「あぁ、それは連れてこないでね」
スローモーションだった。リカがバランスを崩して倒れてゆく。
(あ、嘘。だめ)
バシャン!と嫌な音がした。
泥水の中にリカが頭から倒れた。
「……」
髪から水滴が滴り落ちる。顔を泥で汚しても、リカは何も言わない。
「汚いわね」
それを聞いた瞬間、私は何も考えていなかった。
気づくと、ニコラの頬を思い切り引っ叩いていた。
*
私が5歳の頃だったと思う。
その頃からお姉様は冴えなくて、バカにされるのが当たり前の存在だった。
走るのも、勉強もパッとしなくて、服やアクセサリーも似合わなくて全然可愛くないから、私が全部もらってあげた。
お姉様をバカにするのは楽しかった。
5歳の私にとって逃げ回る小鳥を追いかけて追い詰めるようなものだった。バカにして良い存在だった。
学校に入ったお姉様はある日友達を連れて来た。
良い機会だと思って、その友達の前で散々バカにした。
きっとお姉様は恥ずかしい思いをするに違いない。それはとても愉快だった。
怒るにしても顔を赤くしてブルブルと震えて耐えるだけで、どうせやり返してきたりしないもの。
「お友達も冴えないのね。さすがお姉様のお友達。ダサいドレス!」
あははは!と笑った時だった。
お姉様は、思い切り私の頬を平手で打ったのだ。
私は地面に倒れた。
ちょうど、今みたいに。
その時のお姉様の顔は――
「謝りなさい」
地の底から響く声。
「ニコラ!!!謝りなさい!!!やって良いことといけない事があります!!!」
「なんで、私が……」
「私のメイドは私のものです!!!あなたが手を出して良い相手ではない!!!やるなら私にやりなさい!!!」
ドレスが汚れるのも構わず私の目の前に跪いたお姉様。
「ちょ、何」
もう一度反対の頬を叩かれた。
バランスを崩して顔から地面に倒れる。
「謝りなさい」
「いや……」
「謝りなさい。謝らないなら、リカのようにそこの泥水につける」
「おやめ下さい、太公夫人!」
私のメイドが何かを言っている。
しかし、メイドが言ったところでお姉様は止まらない。
こうなったお姉様はもう止まらないのだ。
なぜ忘れていたのだろう。
「分かった!ごめんなさい!!!ごめんなさい!!!お姉様!!!」
「私のメイドにも謝って」
「そ、それは……」
お姉様が私の髪を掴もうとして、急いで謝った。
「メイドさんごめんなさい!!!これで良いでしょ?!?!」
お姉様は私を蔑んだ目で見た。
あの時は、お父様とお母様言いつけてお姉様を折檻してもらった。夕食を抜きにして、物置に閉じ込めてもらった。
でも、もう今のお姉様には後ろ盾があって、大切な人がたくさんいる。
(この家は終わるかもしれない)
ドレスは破れ、泥で汚れていても全く気にする様子もなく、お姉様はリーベンタール家の門をくぐって行った。
ブチギレたエミリア。
次はついに屋敷内へ。父と母と姉が待っています。




