22.結婚①
翌日、ニコラは帰って行った。
隙を見ては私をチクチクと馬鹿にしてきたが、だんだん家にいた時と同じ気持ちになり、私は心を閉ざしてやり過ごした。
けれど、閉ざしたところで完全に心を守れるわけではない。
だから実家では寝る前に必ず、不鮮明なフリードリヒ様の写真を見て心を慰めていたのだ。
私は絵を描くことに精を出し始めた。
何かに没頭することで、痛みを忘れようとしていた。
「エミリア様、この枚数は旦那様に選んでもらうにしても多すぎます。もうやめましょう」
ニコラが帰って三日後、私は筆を置いた。
「そうね。今日あたりにフリードリヒ様に見てもらいましょう」
リカにも申し訳なかった。何も言い返してあげられなかった。
リカにそのことを謝ると「慣れてますので」と一言言われただけだった。
*
「どうでしょうか……」
私が恐々と絵を持って行くと、フリードリヒ様は嬉しそうに笑った。
「こんなにたくさん描いてくれたんだね、ありがとう。色々と聞いても良いかな?」
「はい、何なりと!」
「まず全体的に同じモチーフが多いね。全部庭の茉莉花かな?」
「はい」
白い小さな花がポツポツと咲いている。
「この茉莉花は赤だね。赤色はないと思うけど、どうして?」
「夕陽に染まって赤く見えました」
「こっちはすごく明るいけど、こっちは薄暗いね。どうして?」
「薄暗いのは、曇りの日のものだからです」
「こっちのさらに暗いのは?」
「影がかかっていたからです」
全部茉莉花の絵だ。しかし、フリードリヒ様は退屈している様子はなく、あれこれ私に聞いた。
そうしていくつか質問した後彼は言った。
「エミリアの絵の色は明るいね!見てて和やかな気持ちになるよ」
「えっ……」
「暗いものもあるけれど、基本的には明るくて落ち着く。やっぱり好きだな」
(好き……)
キャンバスを愛しく撫でる。作品に向けられた愛が、私に向けられたのではないかと錯覚しそうになった。
(そんなわけ、ないのに……でも)
フリードリヒ様はこんなにも嬉しそうな顔をして下さる。
絵を描くことで、私はフリードリヒ様を喜ばせている。
美術に関して疎い実家には理解できないだろう。だが、こうして絵が大好きな人がいて、フリードリヒ様にとってこの絵は価値があるのだ。
「ありがとう、エミリア」
(嬉しいです、あなたのお役に立てて。あなたのお役に立てるのなら、馬鹿されても平気です)
*
私はだいぶ元気を取り戻し、ルルとの文通を始めた。
ルルは相変わらず元気そうだったが、ある日、切羽詰まった様子の手紙が来た。
そこには一言こう書いてあった。
『ごめんエミ!そっちでしばらく匿って!!!』
「えぇ?!」
*
急に来たエミは泣きながら私に縋り付いてきた。
「どうしたの?おうちの躾が厳しいの?」
「それは全然気にしてないんだけど」
「気にして下さいませ、お嬢様……」
従者はメイドのマグノリアしかいなかった。
「結婚させられちゃうの!!!」
「えっ?結婚?!」
「うん!よく分からない熊の辺境伯と!!!」
熊の辺境伯?!?!
泣きながら「ひどい!あんまりだよ!」と言うルルを宥め、私は来客室へルルを連れて行った。
ある日、父親がどこからか縁談を持ってきたそうだ。ルルは寝耳に水。
どんな相手かも分からない。社交界での噂を聞いてみると、どうやら身長が2メートル近くある三歳年上の黒い熊のような男らしかった。
「熊はあんまりだよぉ!!人間がいい!!!」
「いや、さすがに人間だとは思うけれど……」
とは言え同情する。見た事も聞いた事もない相手だ。私の情報にもない伯爵だった。
というか、辺境伯と呼ばれる家の人とあまり会ったことがない。辺境にいるため、パーティへ参加することが少ないのだ。
ルルは貴族の最下層の男爵家なので断ることはできないだろう。伯爵なんて玉の輿みたいなものだ。
だが、辺境へ熊のような大男のところへ嫁ぐとなると……
「いつ嫁ぐことになっているの?」
「ひとつきご。なぜかお相手があたしの事気に入ったんだって……会った事もないのに」
意味わかんないよぉ……と情けなく言うルル。
せめて良い情報をあげて安心させてあげたい。熊のような大男という情報のみで嫁ぐ日を迎えるのは可哀想だ。
「フリードリヒ様がその方をご存知ないか聞いてみましょう」
*
ルルとお茶をしていると、挨拶のためフリードリヒ様が来客室へやって来た。
「ルル嬢、また来てもらって申し訳ない。今日もゆっくりして行ってくれ。何日でも泊まってくれて構わないよ」
「フリードリヒ様、少しお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
「ん?何かな?」
フリードリヒ様もソファに座る。
「ルルが結婚するそうなんです」
「そうなんだ、おめでとう」
「その方がブランデンブルグ辺境伯と言うのですが」
「え!」
フリードリヒ様がひどく驚いた顔をした。
「お知り合いですか?」
「知り合いもなにも……うちと懇意にしてくれている家だよ。アルブレヒド様かな?」
「そ、そんなこと言っていたような……」
「そうか……ルル嬢があそこへ嫁ぐのか……」
「どのような方ですか?」
「気の良い方だよ。背が高くて、がたいも良くて。彼には本当にお世話になっていてね……」
私とルルはポカンとしてしまう。
どうやら、フリードリヒ様はブランデンブルク辺境伯にひどく好感を持っているようだった。
「社交界であまりいい噂を聞かないらしいのですが……」
「あぁ……口がうまいわけでは無いからかな。アルブレヒド様は社交の場が苦手でね。辺境に住んでいることを理由によく欠席されているんだよ」
「見た目が熊のようという噂は本当でしょうか?!」
ルルが意を決して聞いた。
「熊か。そう言われれば似てるかもね」
ルルはショックを受ける。
「ルル嬢は背が低いから、アルブレヒド様とはすごい身長差になってしまうね」
呑気に言うフリードリヒ様に私は必死に言う。
「フリードリヒ様、アルブレヒド様の良いところは他にありませんか?ルルは結婚が不安でこの家まで来たのです!」
「そうだな。筋骨隆々の武道に長けた人だね。しかし、むやみやたらに暴力を振るったりはしない。忍耐強く優しい方だよ。あ、そうだ」
フリードリヒ様は思い出したかのように言った。
「好きなものは小動物と仰られていたな。ウサギを飼っているとか」
ウサギ……?それって食用ではなく?
「ルル嬢はウサギに似ているね。それで好かれたのかも」
「食べられちゃうっ!!!!」
ルルが叫んだ。
震えているのを見て、フリードリヒ様は「あれ?」と言った顔をした。
「そんなことをする人ではないよ、ルル嬢。アルブレヒト様は本当にお優しい方だから。安心して良い。そうだな、趣味はチェスだったはず……」
「チェス?」
「うん。やっぱり辺境の防衛をしているからかな。もっぱら強いんだ。私なんて一度も勝った事がない」
「チェス……一緒にやりたいな」
ルルの瞳に希望が灯った。ルルはゲームが好きだ。男兄弟の中で唯一の女で、刺繍や恋愛小説などとは縁遠い。
小さな頃は外で遊んでいたらしいが、大きくなってからはゲームばかりしていた。
「あの、辺境伯ってどういった地位の方なのでしょうか?」
「あれ?そっか。ここは比較的王都に近い国境から離れたところにあるから知らないか」
辺境にいる伯爵、というイメージしかない。
「辺境伯は、侯爵以上の地位だよ」
「そうなんですか?!」
「うん。辺境の防衛を頼んでいて、我が家の軍事力のメインだ。特にブランデンブルグ辺境伯は辺境伯の中でも重要な地を守ってもらっている。有事の際は私と同じ指揮権を持つ」
思ったよりすごい方だった。ルルがポカンとしている。
「でも辺境に嫁ぐのは緊張します…」
またしょんぼりしたルルを見て、フリードリヒ様は「それなら」と言った。
「うちの近くに別荘を建ててもらって、定期的にこっちへ来たら良いよ」
「え」
「ブランデンブルグ家なら、別荘の一つや二つ建てられるよ」
別荘の一つや二つ。
しかも街の近くに。
「それくらいの褒賞はあげているはず。領地経営もしているだろうし。土地は安く売ってあげるから」
不安は金で解決。
大貴族は違う。
「ブランデンブルク辺境伯が了承するでしょうか?」
「私も口添えしてあげる。まぁ、そんなことしなくても奥さんから強請られたらあっさり買いそうだけどね」
辺境伯:この話の設定では公爵未満、侯爵以上くらいの身分です。軍事力を有し、国境の防衛をしてくれる辺境伯には公爵とはいえ下手なことをできず、上司でありながらフリードリヒは結構気を遣っています。




