20.嵐の前の静けさ
レオポルドとは長い付き合いだ。あいつは芸術をこよなく愛し、私財を投げ打って多くの芸術家のパトロンとなっている。
そして、美術商でもある。
好き嫌いではなく、売れる、売れないと言った価値をつけることができる。
彼に価値を認められた美術品は必ず売れ、貴族達の自慢のタネとなる。
画壇や展覧会を仕切る事で、貴族社会に絶大な影響を与える。
芸術・文化界の王。
逆に嫌われれば芸術の世界で生きていられないとも言われている。
価値はマイナスになり、資金援助は打ち切られ、爪弾きにされるのだ。
彼の審美眼は、それほどまでに厳しい。
その彼の目が、エミリアの絵を見初めた。
これはまずいことになった。
彼は尊敬するアーティストの事を"先生"と呼ぶ。エミリアの事も"先生"と呼んでいた。
レオポルドは女性の事も美しいものとして称えるが、それ以上に美術が好きだ。
普通の女性よりも特別な存在となってしまった。
めちゃくちゃ執着される、あれは。
しかし、エミリアもエミリアでおかしい。
(男性が苦手なのではなかったか…?)
普通の顔をして話をしていた。むしろにこやかでさえあった。
「アルブレヒト、私はやはりエミリアから嫌われているのだろうか…」
執事のアルブレヒトが驚愕の眼差しで私を見た。
「な…!そんなわけございません!なぜそのような気持ちになったのですか?!」
「私と最初に会った時とは全然違った。年の差が原因で威圧感を与えたかと思っていたが、あいつも32だ。私が悪かったのかと…」
「違います!えぇっと、あ!奥様は旦那様を通して男性に慣れたのです!そうに違いありません!」
「いまだに私に対しては緊張しているようだぞ」
「そ、それはっ…!」
アルブレヒトは焦ってあーでもない、こーでもないと言っている。
(そうだ、最初に会った時に何も関与しない。自由にしろと言ったのは私だ。それに、他の男性との付き合いも覚悟していた。だからレオポルトの事をエミリアが好きになったとして……)
「いや、あいつは既婚者だからダメだ。あいつの妻が許したとて、私が許さない」
それに、なんかレオポルトに負けるのは釈然としない。
格好いいのは認める。だが、うまく言い表せないがエミリアにあいつは似合わない。適当に言いくるめられて、手を出される気がする。
「エミリアの相手に適当な男は認めない」
「フリードリヒ様は、エミリア様の夫ですよ!」
*
私は部屋で最近のフリードリヒ様に思いを馳せていた。
思えばここ四ヶ月、一日一回はフリードリヒ様の顔を見ていた。
その上ピクニックへ行ったり街へ、デ、デートへ行ったり。
輝くフリードリヒ様をずっと間近に見られて、最高の気分だ。失神したり動悸が起きたりしているので、寿命が縮まっていたとしても本望。
いや、フリードリヒ様が健康に悪いはずがない。絶対に寿命が延びている。
「ローゼンベルグ大公のこと言えないなー。私もフリードリヒ様を前にしたら語彙力なくなるもの。綺麗とか素敵とかヤバいしか出てこない」
「私、エミリア様がパーティ以外で男性と話すところを初めてみましたが、おかしくなるのは本当にフリードリヒ様の前だけなんですね」
「ローゼンベルグ大公はかっこいいけど、カッコいいだけなの。それに比べてフリードリヒ様は、笑顔が素敵で、目元が優しくて、声がヤバくて、とにかくこう、全てがヤバい。ヤバくないところがない」
私が大興奮してリカと話をしていると、手紙を渡された。
(あれ?この字見たことが……)
ぞわりと嫌な予感がした。心臓が嫌な音を立てる。
『親愛なる エミリアお姉様へ』
「……ニコラ」
結婚して初めて来た、妹からの手紙だった。
*
ニコラとは基本的にずっと仲が悪い。別に私は好きでも嫌いでもなかったのだが、彼女は人を見下す癖があった。
特に、彼女は人の男を取るのが好きだった。
私と男性が良い雰囲気になったり付き合ったりしてから間に入ってきては、その男性を掻っ攫ってゆく。
好きなら仕方がないと諦めがつくが、別にそうではなく、一月もしないうちに掻っ攫った男性と別れていた。
「お姉様が好きな男性なんて、大したことないもの。私は見合う男性とお付き合いしたいわ」
そう言うものの、他の男性とも長続きしていなかった。
いや、さらなるハイスペックな男性と付き合おうと転々としていたのだ。
そんなことを続けても恋人ができていたのは、圧倒的な顔と外面の良さ。
ニコラとなら遊びでも良いと言う男性もいたし、ターゲットにした男性には優しかった。
そんな性格が悪い事をしていたのに、ニコラはいじめに遭わなかった。
なぜなら、ニコラをいじめれば男性が味方につき、いじめた女性が窮地に追い込まれるからだ。
そして、そんな状況では女性達もニコラについていかざる負えない。
右腕のような気に入った子にはアクセサリーをあげたり、好きな男の子のアシストをしてあげることもあった。
だが、それも全て彼女の気分次第だ。
気に入っていた子でもニコラが嫌な思いをすれば、簡単に切り捨て、下だとみなし弄ぶ。
翌日からいじめられたりもした。
ニコラは学校で完全に敵なしであった。
*
そんな恐ろしい妹から手紙が来た。
ニコラはフリードリヒ様のことを「おじさん」と言い興味なさげだったので、接近してこないと思ったのだが。
(侯爵家との結婚は、私より下だと思って納得できなかった?)
だが、今の状態は学校とは違う。公爵家に楯突くことなど難しい。そんなことをすれば嫁ぎ先から離縁されても文句は言えない。
離縁された女が実家に帰るなんて、針の筵だ。そんなことをニコラが許すと思えなかった。
とりあえず、手紙を開かなければ始まらない。
『遅くなりましたけど、ご結婚おめでとうございます。
大公様はお元気?
以前お祝いを頂きましたけれど、こちらから返しておりませんでしたので直接伺いますわ。
日時はいつがよろしいかしら?
……
泊まる予定なので、きちんと大公様にお話を通しておいて下さいね。
ではお姉様、よろしく。
ニコラ』
簡素な手紙だった。そして、こちらの事情を全く考慮していない。
私はニコラの要求を突っぱねたことが一度もないので、何を言っても良いと思っているのだろう。
「エミリア様、大丈夫ですか?」
(昔はこんなの全然平気だったのに。この家で随分甘やかされて、耐性がなくなってしまったんだわ)
この明るく煌びやかな屋敷に比べれば、あそこは薄暗く、私にとって嫌な人間しかいなかったのだと気づいた。
(嫌な人間しかいなかったからあれが普通だと思ってた。けど、冷静になるとニコラの態度は酷いし、お母様もお父様も役立たずと罵るばかり。お姉様も出来損ないの私を睨んでいたし)
あれは普通じゃなかった。
あのおかしな空間に戻ると思うと吐き気がする。
(でも、私がニコラのところへ行くのではない。ニコラがこちらへ来る。しかも、お父様もお母様もお姉様もいない。敵は妹ただ一人。何が問題だと言うの?何も問題ない。ただ少し耐えれば良いだけ。変に逆らわず、笑っていれば良いだけ。パーティと一緒……)
それでもなぜか、私は妹一人にひどく怯えていた。
レオポルド・ローゼンベルグ:公爵家の一つである、ローゼンベルグ家の当主。国の要職では文化・芸術の保護を担当している。女好きだが、それ以上に美術や芸術が好き。エミリアの才能に惚れ込む。
ちなみに、フリードリヒと違い二つ名(バーデン大公のようなもの)はない。
次はニコラが出てきます。




