12.湖のほとりで
やっとのことで私達は湖のほとりに着いた。
長かった。緊張と喋り倒しで何度水を飲んだだろう。水筒はもう空だ。
従者が敷物を敷いたり、バスケットを用意する。フリードリヒ様と私はそこに腰を下ろした。
ついにやって来てしまった。中距離での強制会話タイム。
先ほどの馬車の中の方が近かったから問題ないだろう?いいえ、あれは何だかんだ一時間もなかったし、景色を見てやり過ごすことができた。
しかし、これは景色ばかり見てはいられない。ピクニックで顔を見て会話しないなんてありえない。
きちんと向き合って、そこそこの距離でフリードリヒ様と会話を…
「エミリア、料理人が準備してくれたし、頂こうか」
「そうですね」
直視はしないように心がけるが、そっぽを向いて会話はできないだろう。失礼だ。
今回のメニュは、フリードリヒ様のお好きな物以外は私の好きな物を入れてもらう事にした。なるべく食事に意識を逸らすためである。
「とても美味しいですね」
「本当だね」
目の前で料理人が野菜やハムを切って出来立てのサンドイッチを提供してくれるし、果物を剥いてくれる。
こういうピクニックは社交として他の貴族を呼んでやることは多い。
しかし、おもてなしでもなんでもない私的なピクニックに、メイド3人と料理人まで連れてやるというのは豪華だ。
ちゃんと従者や御者にも食事を提供できる様にしておくのも贅沢だし、フリードリヒ様のお優しいお心遣いでもあった。
(美味しいリンゴ。甘い。幸せ!)
じゅわりとした甘みを噛み締める。高級リンゴに違いない。
フリードリヒ様はワインを飲んでいた。
「エミリアはリンゴが好きなのかな?」
「はい。実家でもよく食べておりました」
「そうか。他に好きな果物はないかな?取り寄せよう」
「えっ、そんな」
「試しに、うちの温室でできたオレンジはどうかな」
「オ、オレンジ…!」
温室で育てたオレンジなんて目が飛び出るほど高いに決まっている。
食べたことない。食べてみたい。
「良いのですか…?」
「うん」
皮を綺麗に剥かれたオレンジは、瑞々しく、宝石のようにキラキラとしていた。
どんな味がするのだろう。
顔の近くに寄せると、レモンに似た良い香りがする。ずっと嗅いでいたい。
「い、いただきます……」
オレンジの水分で唇が濡れた。果汁を零しそうになり焦る。
(なにこれ。レモンに似た食感だけど、甘いし苦くない!オレンジってすごい…!)
「とても、美味しいです…!」
リンゴだけでも十分美味しかったし、たくさん食べれて満足だった。
実家での私の優先順位は、当たり前に低い。
まずはお父様とお母様。次にニコルとエリーゼ姉様。家の役に立つ順、偉い人間順だ。
どう考えても私はあの家で何も貢献できていなかったから、最後なのは当たり前だった。
なので、果物を食べるときは一番たくさんあって残っていたリンゴしか食べたことがない。しかも、傷がついていたり、色の悪いものばかり。
「こんなに美味しいものを、ありがとうございます」
「もう食べないの?」
「一房で十分です。あとはフリードリヒ様どうぞ」
「いいよ、エミリア。私は何度も食べているから」
「とても美味しいので、フリードリヒ様にもぜひ食べて欲しいのです」
そう言って、私はとある事に気づいた。
(私は残り物をもらっていたことに傷ついていたわけではなかった。だって、リンゴは美味しかったもの。美味しい気持ちを共有できなかったことが悲しかったんだ)
2人はお父様とお母様に好かれていた。だから、2人から別の果物を分けてもらっていて「美味しい」と言い合って食べていた。
(リンゴでも良かった。誰とも分け合えなくて孤独だった)
「2人で食べたいのですが、だめでしょうか?」
「じゃぁ、半分づつにしようか」
そうは言ったものの、フリードリヒ様は二房食べると「ワインを飲んでいるから、私はもう十分」と言ってほとんど私にくれた。
「良い出来のオレンジだね。とても甘くて瑞々しい」
「はい。本当に」
私の乾いた心を、優しさが潤していった。
*
エミリアはとても美味しそうにサンドイッチやチーズを食べていた。マリーやリカに彼女の好きな物を聞いて料理長にお願いしておいて良かった。
……なぜかみんなとても嬉しそうでどこか違和感を感じたけれど、気にしない事にした。
エミリアは食べている間はあまり話をしなかった。時折「とても美味しいです」だとか「フリードリヒ様楽しんでいますか?」だとか言っていたがそのくらいだった。
「またルル嬢以外の友達も呼んでも良いよ」
「ルル以外にそこまで仲の良い方は…」
「ソフィア嬢は?」
「彼女とは話すことはありますが…仲が良いと言うほどではございません」
「以前情報を提供してくれた他のご令嬢も?」
「はい…」
意外だった。
先日のパーティでエミリア嬢について話をした時、これと言って特別な話は聞かなかったが「娘と仲良くしてくれている」という言葉をあらゆる貴族から聞いた。
ずいぶん顔が広いんだなと思っていたが、エミリアはどのご令嬢とも仲が良いと言うほどではないと言う。
相手は友達だと思っているが、エミリアはそうではないと言うことか?
この話は、彼女にとって楽しい物ではなかったらしい。話題選びを間違えてしまったようだ。
喜んでもらおうと、私は果物を勧めた。
エミリアは美味しそうにリンゴを食べていた。果物が好きなのかもしれない。
「エミリアはリンゴが好きなのかな?」
「はい。実家でもよく食べておりました」
「そうか。他に好きな果物はないかな?取り寄せよう」
「えっ、そんな」
「試しに、うちの温室でできたオレンジはどうかな」
果物が好きなのであれば、オレンジはどうだろう。うちで作ったものだから新鮮だし、私も好きな果物の一つだ。
「オ、オレンジ…!」
剥かれたオレンジに目を見張るエミリア。オレンジは貴重だ。貴族でもあまり食べられないから、彼女は初めてかもしれない。
「こんなに美味しいものを、ありがとうございます」
エミリアは一房しか食べなかった。
「もう食べないの?」
「一房で十分です。あとはフリードリヒ様どうぞ」
「いいよ、エミリア食べな」
「とても美味しいので、フリードリヒ様にもぜひ食べて欲しいのです」
そう言われて私は断れなかった。
一つの物を分け合う楽しみを思い出したからだ。
私にとってオレンジは潤沢にある。他の貴族と分け合うなどしなかった。
それに対してなんとも思ったことはなかった。欲しいと言われれば新しく持って来させれば良かったからだ。好きなだけ与えた。
もらう方もあまりありがたいと思っていないように見えた。「さすが大公様」「さすが公爵様」と言われ私の財力を褒めた。
(フリードリヒ、これあげる)(いいです。母様が食べて下さい)(美味しいからぜひ食べて欲しいのよ。半分こしましょうか)
懐かしい感覚だった。久しぶりに分け与えられた気がした。
「2人で食べたいのですが、だめでしょうか?」
「じゃぁ、半分づつにしようか」
そうは言ったものの、やっぱりエミリアにあげたくなってしまった。本当に美味しそうに食べるから。
「良い出来のオレンジだね。とても甘くて瑞々しい」
「はい。本当に」
彼女の優しさは、私が忘れていた大切な気持ちを思い出させてくれた。
感謝の気持ちでエミリアに微笑む。今度はちゃんと目が合った。
エミリアも嬉しそうに笑って……
「エミリア?!?」
エミリアは後ろにひっくり返りそうになっていた。リカが咄嗟に支える。
「日差しが当たっていたから、体調が悪くなってしまったかな?!ワインは飲んでいなかったはずだよね」
「えぇっと、奥様は…」
素晴らしい反射神経でエミリアを支えたリカは困った顔でをしながら、歯切れ悪く言った。
「その、男性に慣れていないのです。ですので、長時間一緒にいて恥ずかしさと緊張で倒れてしまったのでしょう」
「そんな…急にピクニックなど連れて行って悪いことをしてしまった」
そうか。だからエミリアは私と2人きりで話さないようにしたり、長時間一緒にいないようにしていたのか。
歳の差ゆえに嫌われていたわけではなさそうだが、可哀想な事をしてしまった。ピクニックに行くことに非常に混乱していたのはそのためか。
「では、これからはあまり近づき過ぎないように…」
「いえ!旦那様!奥様はこれからパーティなどで多くの男性と会いますから、男性に慣れるために一緒にいて下さいませ!」
「そうかな……」
前回出たパーティでは大丈夫そうだったが…以前はすぐ帰ったから大丈夫なだけだったのだろうか。
「でも、私だと気を使うだろう。他の男のお友達とでも……」
リカが変な顔をしている。そして言い訳を考えるように必死な顔をしていた。
「他の殿方で練習するなど、品がありません!旦那様が一番です」
「そうかもしれないが……」
まぁ、私は歳の離れた兄のようなものだから、私と大丈夫であれば好きな男性が他にできた時に困らないかもしれない。
「エミリアがそれで良いと言うのであれば、練習に付き合おう」
「絶対にいいと言うはずです!よろしくお願いします」
そう言って、リカはエミリアを木の後ろまで連れて行ったかと思うと思い切り揺さぶっていた。
……そんなに揺さぶったら気持ち悪くならないだろうか……




