第7話:保温陣の設計者は、猫舌の観察者だった
読者の皆様、はろーはろー! お元気ですか? 皆様が毎日元気に過ごされていることを願っています。そして、貴重なお時間を割いてこの物語を読んでくださり、本当にありがとうございます!
翌朝、東寮の玄関先で、俺はセシリアに待ち伏せされた。
東寮は、築百年を超える古い石造りの建物だ。
豪華な上位者用の寮とは違い、廊下は軋むし、壁は薄い。
そんな場所に、公爵令嬢が朝の七時から立っている光景は、寮生たちの窓からの視線を、これでもかと集めていた。
制服の襟元はいつも通り完璧なのに、目の下の隈は、ごまかしようがなかった。
ポニーテールの先端が、ほんの少しだけ跳ねている。
徹夜明けの証拠だ。
彼女は、しゃんと背筋を伸ばしたまま、腕に抱えた包みを、俺の胸へ押しつけてきた。
「本日から、この弁当箱は新式ですわ。中を、ご覧なさい」
言われるまま蓋を開けて、俺は思わず息を呑んだ。
銀の内側に、髪の毛ほど細い線で、幾何学模様がびっしりと刻まれている。
三重の円が入れ子になり、その間を無数の小さな記号が、川の流れのようにつないでいる。
淡い橙色の光が、脈打つように点滅していた。
「……保温陣か」
「保温と、保存と、両方です。外周の第一層は熱の遮断。中間の第二層は、設定温度の維持。最内の第三層で、料理に含まれるマナの劣化を防いでいます」
「三層構造で、各層に別系統の魔力を回してるのか。……すごいな」
俺は、蓋の裏をじっと覗き込んだ。
魔導回路の設計図を読むのは、大好きだ。
線の一本ずつに、設計者の思考が透けて見える。
「第二層の維持陣、ここと、ここ。同じ働きの記号が二重になってる」
「そこは、安全余裕ですわ。万一の魔力の揺らぎに備えて」
「必要ない。第三層が揺らぎを吸収してるから、二層目は単純化できる。そうすれば、魔力の消費が、たぶん三割減る」
「なっ……!」
セシリアの目が、一瞬で見開かれた。
額に、くっきりと青筋が浮かぶ。
「わたくしが徹夜で組んだ術式に、いきなり、ダメ出しですって?」
「ダメ出しというか、改善案だ。基本設計は、ものすごく綺麗だと思う」
「綺麗……」
「ああ。無駄がないのに、機械的じゃない。使う人のことを、ちゃんと考えて作られてる。読んでて楽しい術式だ」
言い終えたとき、彼女は口を半開きにしたまま、固まっていた。
「あ、あの……?」
「……貴方、今、なんと」
「読んでて、楽しい」
「その前ですわ」
「使う人のことを、考えてる」
「……そう、ですか」
セシリアは、ゆっくりと視線を逸らした。
扇で顔を隠す仕草は、いつも通り。
けれど、いつもと違って、彼女の肩は小刻みに震えていた。
「わたくし、術式を褒められたのは……初めて、かもしれません」
「え? 序列二位だろ。褒められ慣れてるんじゃないのか」
「褒められるのは、常に数字です。指数の高さ、出力の大きさ。けれど、設計の中身を見て、『読んでて楽しい』などと言った人は、誰も」
声が、少しだけ、掠れていた。
俺には、どう返せばいいか分からなかった。
学院に来てから、数字で評価されることには慣れていた。
けれど、彼女の場合は、その数字の裏に、誰にも見てもらえなかった努力が、山ほど積まれているのだろう。
ただ、思ったままを口にするしかない。
「他の奴らの目が、節穴なんだろ。この術式、俺は好きだ」
「……っ、もう、結構ですわ! その、改善案とやらも、後で詳しく教えなさい! 昼休みに、討論いたします!」
彼女は早足で去っていった。
耳の先が、風に揺れる髪の隙間から、真っ赤に染まっているのが見えた。
***
その昼休み。
俺たちは、欅の下で一時間以上、術式の討論を続けた。
初めは険悪だったはずの議論が、いつの間にか、白熱した共同作業に変わっていた。
彼女は地面に木の枝で図面を描き、俺は指先の魔力で空中に立体図を浮かべる。
「第二層を廃して第一層に統合すると」
「それでは熱の逃げ場が」
「なら、逃がすのではなく循環させれば」
通りがかった生徒が、
「二人が何やら、ものすごい勢いで魔法陣を描いている」
と首をかしげ、そっと距離を取っていく。
地面には、いつの間にか、直径三メートルほどの巨大な図面が完成していた。
彼女は枝を持ったまま、瞳を輝かせて、
「ここを、こう繋ぐと」
と早口で語る。
普段の気取った言葉遣いが、途中から、すっかり素の調子になっていた。
夢中で言葉を重ねるうちに、弁当はすっかり食べ終わっていた。
「……あ」
気づけば、重箱の中身は空っぽだ。
しかも、食べている間の記憶が、曖昧だった。
「すまない。感想戦を、忘れてた」
「よろしいのです。今日は、特別に」
セシリアは、革のノートを閉じ、ふふ、と小さく笑った。
あんな穏やかな表情は、初めて見る気がした。
そのとき、彼女の鞄から、一枚の紙がひらりと落ちた。
俺は反射的に、魔力で宙に浮かべて、彼女の手元に戻そうとした。
だが、何気なく視界に入った文字に、目が止まる。
『レナード・ヴァンス嗜好記録。熱いものは、やや猫舌気味。魚料理を出した日は、食べる速度が二割上昇。卵料理には、口角が〇・五ミリ上がる』
「……俺、猫舌って言ったっけ」
「――っ!」
セシリアは、電光石火の速さで紙を奪い取った。
その頬は、みるみる赤く燃え上がる。
「こ、これは、被験体の観察記録ですわ! 保温陣の設定温度を最適化するための、極めて科学的な調査です!」
「口角が〇・五ミリ……」
「それは、たまたま測定できただけで!」
「すごいな。俺より、俺のことに詳しい」
「あああああっ!」
彼女は両手で顔を覆い、しゃがみ込んだ。
頭から湯気が出そうな勢いだ。
俺は、なぜそこまで恥ずかしがるのか分からず、ただ首をかしげていた。
***
……ちなみにその日の午後、俺は実験として、新しい弁当箱を研究棟の窓辺に、三時間放置した。
三時ちょうど。
窓の外から、こつ、こつ、と靴音が近づいてきた。
「実測に参りましたわ」
セシリアが、手に小さな魔力式の温度計を持って、研究棟の三階まで、息を切らして駆け上がってきたのだ。
「走ったのか」
「走っておりません! 優雅に、歩いて参りました!」
肩で息をしながら言われても、説得力はない。
彼女は温度計の針を、弁当の内側にそっと差し入れた。
じっと見つめる。
針が、ぴたりと止まる。
結果。
蓋を開けた瞬間、湯気が立ちのぼった。
食べ頃の温度、六十二度。
猫舌の俺にちょうどいい、絶妙な温度設定だった。
「六十二度、ちょうどですわ……!」
「猫舌向けだな」
「……その言い方は、やめなさい」
彼女は、温度計を抱きしめるようにして、頬を赤らめながらも、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
彼女が意気揚々と帰っていったあと、俺は改めて、弁当箱の湯気を眺めた。
「……完璧だ」
そう呟いた俺の机に、一通の封筒が、いつの間にか置かれていた。
『生徒会より通達。研究予算の使途について、確認したいことがございます。明日の放課後、生徒会室へ』
差出人は、生徒会副会長、ヴァレリー・セルウィン。
宛名は、俺と、そして「セシリア・フォン・アストレア」の連名だった。
予算の使途。
そういえば、彼女がこの前、ぽろりと漏らしていた。
ドラゴンスパイス三キロ、聖樹米二十キロ、風の香草を百束。
それらを、『マナ融和食材の基礎研究』という名目で、序列上位者の無制限の研究予算から、堂々と計上していると。
……嫌な予感しか、しなかった。
この先、一体どんな物語が展開していくのでしょうか? 私としては、皆様に次のチャプターを楽しみに待っていただけることを願っています!




