第4話:決闘のメニューは、緊張の味がした
大好きな読者の皆様、今日も大切な時間をこの物語に分けてくださり、心から感謝します。皆様の毎日に、ほんの少しの温もりをプラスできるような、そんなお話になりますように。心を込めてお届けします。
翌日の放課後。
第三実習調理室の扉には、ヴェラ教官の几帳面な字で『使用中・立入禁止』の札が下がっていた。
中に入ると、俺は思わず足を止めた。
調理台がぴかぴかに磨かれている。
鍋も包丁も、整列した兵隊のように並んでいる。
その奥で、セシリアが腕を組んで立っていた。
制服の袖は肘までまくられ、深紅の髪は、いつもの優雅な半結いではなく、動きやすい高い位置のポニーテールにまとめられている。
「遅いですわよ、レナード・ヴァンス。
逃げたのかと思いました」
「逃げるのも面倒だったからな」
「その理由で来る人がありますか!
決闘とは本来、闘志を燃やして臨むものですわ!」
「闘志を燃やすと、腹が減るだろ」
「……その理屈は、認めないこともありませんけれど」
彼女の目の下に、うっすらと濃い影があるのに、俺は気づいた。
化粧では隠しきれていない。
徹夜でもしたのだろうか。
「ルールを確認します」
調理台の端で、ヴェラ教官が眼鏡を押し上げた。
鋭い視線で、俺たち二人を順番に射抜く。
「制限時間は三十分。
各自一品。
審査は味と、マナの扱い。
敗者は勝者の命令をひとつ聞く。
異論は認めません。
では、始め」
教官の合図と同時に、セシリアは流れるような動きで卵を割った。
迷いがない。
銀色のボウルの中で、黄身がきれいに溶けていく。
俺はしばらくその手つきに見とれてから、はっとして自分の材料に目を向けた。
さて。
俺は包丁の握り方すら知らない。
ならば、得意分野で攻めるしかない。
「効率化、開始」
指を鳴らすと、調理台の上の人参、玉ねぎ、じゃがいも、肉の塊が一斉に宙へ浮かんだ。
十数本の包丁が魔力で操られ、空中でシャキシャキと踊る。
皮が剥かれ、刻まれ、大きな鍋の中へ落ちていく。
所要時間は約四秒。
そこへ水と調味料を全部入れ、鍋に圧力術式を刻む。
加熱と煮込みを、まとめて一気に済ませてしまう作戦だ。
「……貴方、それは料理ではなく、工場ですわ」
「合理的だろ」
「合理的ですけれど!」
セシリアは呆れたように首を振ったが、その手は止めなかった。
銀の小さな重箱を三つ並べ、その一つ一つに、黄金色の卵焼き、艶やかな米、そして薄い氷の層が美しい苺のパフェを丁寧に詰めていく。
魔力の炎が、細く、鋭く、一定の高さで揺れていた。
***
三十分後。
ヴェラ教官が、二つの皿の前に座った。
「まず、ヴァンスから」
俺の鍋から取り分けられたスープは、なぜか、ほのかに光っていた。
「……ヴァンス。
貴方、何を入れたのです」
「野菜と肉と、あと水と塩と……魔力を少し」
「少し?」
教官は無言でひと口すすった。
眼鏡が、かすかに曇る。
「……栄養素の配分は、完璧です。
しかし、貴方の魔力が濃すぎて、味を感じる前に酔いそうになります。
これは料理ではなく、魔力の塊です」
「不合格か」
「不合格です」
即答だった。
俺は肩をすくめた。
セシリアの口元が、ほんの少しだけ緩んだのを、見逃さなかった。
「次、アストレア」
ヴェラ教官は自分の分の重箱を開け、卵焼きを小さく切って口に運んだ。
咀嚼するにつれて、厳しい表情がわずかに緩んでいく。
「……火加減は、完璧です。
ヴァンス、貴方も食べなさい。
審査員は私ですが、この料理は、貴方のために用意されたものですから」
セシリアが、重箱を俺の前にそっと置いた。
蓋を開けると、ふわりと湯気が立ちのぼる。
卵焼きは、断面が美しい層になっていた。
俺はフォークを手に取り、一口食べた。
——あれ。
最初に感じたのは、優しい甘みだった。
ふわふわで、舌の上でほどける。
それから、ほんのり温かいマナが、喉の奥へ静かに染み込んでいく。
あの日のお弁当と同じ。
いや、それ以上に繊細な火の制御だ。
けれど、何かが違った。
舌に触れた瞬間、不思議な景色が、ちらりと脳裏をかすめた。
夜更けの静かな調理室。
小さな炎の前で、真剣な顔をして卵を睨みつけている誰かの背中。
夜明けの薄い光が窓に差し込んでいる。
……これが、魔力の記憶とでもいうのだろうか。
一昨日の弁当は、完成された宝石のようだった。
この卵焼きは、もっと近い。
誰かが、一生懸命に手を動かした痕跡が、味の中に残っている。
「……なんだ、これ」
「な、何ですの。
まずいと言いたいのなら、はっきり」
「いや、違う。
あの弁当と、味が違う。
あれはもっと、整ってた。
これは……」
俺は考えながら、もう一口食べた。
米の粒が、一粒ずつ、まるで魔法陣の線みたいに整っている。
パフェの氷が、口の中でちょうどいい温度に溶ける。
「緊張してる味がする」
「……は?」
「必死に作った味だ。
焦げないように、失敗しないように、って。
手が、震えてるみたいな味がする」
セシリアの動きが、完全に止まった。
「き、緊張などしておりません!
わたくしが、貴方ごときの前で緊張など!」
「そうか?
でも、そういう味がする」
「味が!
勝手に!
喋らないでくださる!?」
ヴェラ教官が、小さく息を吐く。
「味覚同調ですね。
魔力の適合性が極めて高い者同士だけに起きる現象です。
作り手の魔力の質と、込められた感情の揺れまでが、味として伝わる」
「感情まで……?」
「ええ。
稀な例です」
俺は、空になった重箱を前に、ゆっくりとセシリアの方を向いた。
「お前が作ったんだな、これ」
「あ、あの弁当は、シェフが……!
これは、わたくしが……!」
「分かってる。
徹夜、したんだろ。
目の下、クマがある」
「なっ……!」
「うまいよ、セシリア。
前のより、こっちのほうが、俺は好き。
……ありがとう」
言い終えてから、俺は自分が何を言ったのか、遅れて気づいた。
けれどその頃には、彼女の顔は、すでに耳まで真っ赤に染まっていた。
「勝者、アストレア。
理由は二つ。
火の制御が精密であること。
そして、食べる人を思って作られていること。
料理として最も大切なほうを、貴女は今日、初めて理解しました」
ヴェラ教官が事務的に、けれどどこか満足そうに告げた。
それが、遠い世界の出来事のように聞こえる。
セシリアは扇で口元を隠したまま、震える声で言った。
「め、命令は……明日、改めて……申し渡しますわ!
今日は、その……まだ、考えが整っておりませんの!」
彼女はそれだけ叫ぶと、後片付けもそこそこに調理室を飛び出していった。
***
寮に戻ると、ブラムが待ち構えていた。
「どうだった!
決闘!
勝った!?」
「負けた」
「負けたのに、なんでそんな顔してるんだ、お前」
「そんな顔って、どんな顔だ」
「腹いっぱい食べた犬みたいな顔」
「犬……」
「……いや、待て。
お前、まさか、あのアストレアの手料理を食ったのか!?
食ったんだな!
何を食った!
味は!」
「うるさい。
寝る」
「せめて一口分けてくれ!」
***
その夜。
寮の天井を見上げながら、俺は考えていた。
「稀な例」と教官は言った。
俺の魔力は、あらゆる属性に馴染む無色透明だ。
そのせいで、他人の魔力の癖が見えすぎるのかもしれない。
もしそうなら、彼女の料理だけが特別に「うまい」わけではなく、彼女の魔力が、俺の魔力にちょうどよく噛み合っているだけ、ということになる。
……それでも、あの卵焼きの甘さを思い出すたび、理屈では説明しきれない何かが、胸に残った。
それにしても、あの命令は、いったい何なのだろう。
決闘に負けたのに、不思議と、悔しさはひとかけらもなかった。
胸の奥がまだ、卵焼きの甘さと一緒に、ぽかぽかと温かかった。
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