第2話:万年二位の宣戦布告と、石のように硬い黒パン
今日も大切な時間をこの物語に分けてくださり、心から感謝します。皆様の毎日に、ほんの少しの温もりをプラスできるような、そんなお話になりますように。心を込めてお届けします。ゆっくりとお過ごしください。
翌朝、俺は生まれて初めて、目覚まし時計より先に目を覚ました。
体が軽い。
頭の中の靄が晴れている。
窓から差し込む朝日が、いつもより二割ほど眩しく見えた。
昨夜のお弁当の効果は恐ろしい。
あれは魔法というより、もはや薬だ。
それに、腹がきちんと空いている。
空腹という感覚を「不快な警報」ではなく「これから何かを食べる期待」として受け取ったのは、たぶん入学して以来、初めてのことだった。
「おい、レナード。お前、今日は死体みたいな顔してないな」
二段ベッドの下から、ルームメイトのブラム・ハルデンが顔を出した。
短く刈った赤茶の髪に、常にエネルギーが余っていそうな茶色の瞳。
この男は、学院で唯一、俺と同じ古い東寮に住んでいる「食い意地の張った友人」である。
「ああ。昨日、いいものを食べた」
「いいもの!?
どこで! 何を! 誰が作った!」
「後で話す」
面倒だったので、俺は詳しい説明を放棄した。
***
学院の中央ホールには、月に一度、巨大な掲示板が現れる。
序列掲示板。
魔力指数と実技点を合算した上位者の名前が、金色の魔法文字で浮かび上がる仕組みだ。
一位から十位までは専用の寮と、無制限の研究予算が与えられる。
もっとも、俺は豪華な寮の正装義務が嫌で辞退し、こうして古い東寮のままだが。
『一位 レナード・ヴァンス』
『二位 セシリア・フォン・アストレア』
『差 〇・四点』
集まった生徒たちが、待っていましたとばかりにざわめく。
十二ヶ月連続、同じ並びだ。
入学した月に俺が一位を取ってしまって以来、彼女はずっと二位のまま。
俺にとっては「ただの数字」でも、彼女にとっては毎月突きつけられる宣告なのだろう。
「今月の見出しは『万年二位、宣戦布告するも空振り』で決まりだな」
隣でノートに何かを書き込んでいるのは、友人のケイレン・ソーンだ。
明るい茶髪に鋭い榛色の瞳、革表紙のノートを手放さない情報屋気取りの男である。
「ケイレン。まだ何も起きてないぞ」
「起きるさ。
あの人が現れるんだからな」
「見つけましたわよ、レナード・ヴァンス!」
人垣が、モーセの海のように割れた。
扇を握りしめ、紅蓮の髪を揺らしてセシリアが歩いてくる。
今日も制服は一分の隙もない。
昨日、耳まで真っ赤にして逃げていったのと同一人物だとは思えなかった。
「差はたったの〇・四点。
今月こそ、貴方を追い抜いて差し上げますわ!
首を洗って待っていなさい!」
「ああ、うん。がんばれ」
「その気の抜けた返事をおやめなさい!」
周囲から「始まった」「月例行事だ」と囁きが聞こえる。
そのとき、後ろの一年生が抱えていた本の山を盛大に落としかけた。
俺は指を軽く払って、空中で全ての本を止め、ふわりと元の腕に戻した。
「あ、ありがとうございます、ヴァンス先輩!」
「魔法は怠惰のために使うものではありませんわ!
自分の足で拾わせるのも教育です!」
「今の、善行だろ」
「それはそれ、これはこれです!」
ケイレンが、ノートに何かを書き足した。
「本日のセシリア・フォン・アストレア、説教三回」
あとで何に使うつもりなのか、聞かないほうがよさそうだ。
***
そんな朝の定例行事を終えた、昼休み。
俺は中庭のベンチで、鞄から紙袋を取り出した。
中身は、三日前に買った黒パン。
水分を失いきって、殴れば人が倒せそうなほど硬い。
俺はそれを、魔力で強引にちぎって口に運んだ。
咀嚼の手間と栄養の摂取効率を考えれば、これが最も無駄のない昼食だ。
少なくとも、昨日までの俺はそう信じていた。
「……昨日のあれと比べるのが間違いだな」
味がしない。
というより、味を感じる余裕を昨日の弁当に全部使い果たした気分だった。
「おいレナード!
お前それ、パンじゃなくて石だろ!」
通りかかったブラムが叫んだ。
彼は俺の手の中の物体を見て、涙目になっている。
「食べ物を粗末にするな、って意味じゃない。
お前が粗末に扱われてるんだ、パンに!」
「よく分からないが、腹には入る」
「入る問題じゃない!
俺の魂が痛い!」
「……何を、していますの」
低い声が、ブラムの後ろから落ちてきた。
振り返ると、セシリアが立っていた。
手ぶらだ。
てっきり、また弁当の余りを持ってくるのかと思っていた俺は、少し意外な気持ちになった。
彼女の視線は、俺の手にある黒パンに、釘付けになっている。
「昼食。パン」
「それが……昼食ですって?」
彼女は無言で俺の手から黒パンを奪った。
ブラムが「ひっ」と悲鳴を上げる。
セシリアはパンを両手で包み込み、指先に淡い炎を灯した。
ぱち、と小さな火花が散る。
あっという間に、石だった黒パンから香ばしい匂いが立ちのぼった。
表面は薄く黄金色に焼け、湯気まで出ている。
「せめて火を通しなさい!
食べ物には、食べ頃というものがありますのよ!」
突き返されたパンを、俺は一口かじった。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
「パンって、焼くとうまくなるのか」
「そこからですの!?」
セシリアの肩が、がくりと落ちた。
ブラムが後ろで「聖女だ」と呟いている。
「聖女ではありません!
貴方も貴方です、ハルデン!
ルームメイトなら、どうしてこの男の食生活を放置していたのです!」
「い、いや、俺も何回か言ったんですよ!
食堂に行けって!
でもこいつ、『移動が非効率』とか言って……」
「非効率なのは貴方の栄養管理ですわ!」
二人がかりで責められて、俺は黙ってパンを食べ続けるしかなかった。
「……分かりましたわ。
貴方の生活は、私が思っていた以上に致命的です」
彼女は額に手を当て、深いため息をついた。
俺はパンを噛みしめながら、ふと昨日から考えていたことを口にした。
「そうだ、セシリア。
あの弁当を作ったシェフに、会わせてくれないか。
火のマナの乗せ方が、どうしても気になるんだ。
弟子入りしたいくらいだった」
ぴたり、と空気が止まった。
セシリアの琥珀色の瞳が、静かにこちらを向く。
さっきまでの呆れ顔が消え、代わりに、燃えるような何かが宿った。
「……そう。
貴方の中では、あれは『シェフの手柄』なのですわね」
ああ、そう言ったのは、お前だろ」
「ええ、言いましたわ。
確かに言いました。
ですけれど!」
彼女は扇をばちんと閉じ、俺の鼻先に突きつけた。
「決闘ですわ!
明日の放課後、第三実習調理室に来なさい。
料理で勝負です!
敗者は、勝者の命令をひとつ聞くこと!
逃げるなんて許しませんわよ!」
「料理?
俺は包丁を握ったことも、ほとんど……」
「言い訳は結構!
一位の座も、あのお弁当の評価も、まとめて私が取り返して差し上げます!」
嵐のように去っていく背中を見送りながら、俺は首をかしげた。
「なあブラム。
あいつ、なんで怒ったんだ」
「お前……それ、本気で言ってる?」
友人が、この世の終わりみたいな顔をしている。
よく分からない。
ただ、彼女の言葉が耳に残っていた。
『まとめて私が取り返す』。
一位の座はともかく、あの弁当の評価まで取り返すとは、どういう意味なのだろう。
あれは、彼女が持ってきてくれた料理だったはずなのに。
考えても答えは出そうになかった。
けれど、焼きたての黒パンは、驚くほどおいしかった。
明日の決闘が、少しだけ楽しみになっている自分がいることに、俺は気づかないふりをした。
最後までお読みいただき、心から感謝申し上げます。もしこの物語が皆様の日常の小さな癒やしや、今日のご飯を楽しみにするきっかけになっていれば幸せです。それでは、また次の話でお会いしましょう。




