第1話:最強のライバルは、俺の胃袋を狙っているらしい
こんにちは。大好きな読者の皆様、この物語を読むために時間を割いていただき、本当にありがとうございます。皆様にできるだけ心温まる(ほのぼのとした)お話をお届けできれば幸いです。
王立エーテルガード魔導学院、放課後の第四演習室。
黄昏時の静寂が支配するその場所で、俺、レナード・ヴァンスは死の淵を彷徨っていた。
……というのは多少の誇張を含むが、あながち嘘でもない。
視界は端から白く霞み、思考には雑音が混じる。
脳内では魔力循環を効率化する多重演算式が、壊れた時計のように無限ループを繰り返していた。
マナ、つまり魔力は魔法使いの生命線だ。
俺の魔力容量はこの学院の歴史でも類を見ないほど巨大で、しかも純粋らしい。
おかげで平民出身の身には分不相応な「学年一位」という称号まで押し付けられている。
だが、皮肉なものだ。
魂の器にどれほど莫大なエネルギーが満ちていようと、生き物としての肉体が必要とするのは、マナではなく炭水化物と脂質、そしてタンパク質なのだから。
「……はら、へった……」
喉から漏れたのは、幽霊の嘆きのような掠れた声。
魔導研究に没頭して、飲まず食わずで二十四時間。
魔力は満タン、胃袋は絶望的に空っぽだ。
学食はとっくに閉まっているだろう。
寮までの道のりは、今の俺には砂漠の旅にも等しい。
歴史に名を残す天才魔導師(候補)は、空腹というあまりに世俗的な理由で、演習室の床の上で息を引き取るのかもしれない。
薄れゆく意識の中で、俺はそんな阿呆らしい末路を夢想していた。
その時だった。
重厚なオーク材の扉が、物理衝撃魔法でも叩き込まれたような勢いで開け放たれた。
静寂が霧散し、鋭い足音が響く。
コツ、コツ、コツ。
一歩ごとに自信と気品があふれる、聞き慣れたリズム。
「見つけたわよ、レナード・ヴァンス! 今日こそは——」
凛として、鈴を転がすように澄んだ声。
だが、その言葉は途中で途切れた。
重い瞼を持ち上げると、夕闇を背負って立つ一輪の紅蓮がいた。
燃えるような深紅の髪が夕陽を浴びて輝き、鋭利な美しさをたたえた琥珀色の瞳がこちらを射抜く。
金糸の刺繍入りの制服は一分の隙もなく、胸元のリボンは完璧な角度で結ばれている。
公爵令嬢、セシリア・フォン・アストレア。
学年二位。
俺を勝手に、しかも執拗に宿敵と定める、この学院で最も美しく、最も厄介なお嬢様だ。
「……って、何よその、死にぞこないのトロールみたいな姿は!」
セシリアが叫びながら詰め寄ってくる。
甘く、それでいて凛とした香水の香りが鼻をくすぐった。
死にかけの脳が、その刺激で少しだけ覚醒する。
「ああ……セシリア、か……。悪い、今は決闘どころじゃ……」
「顔色が真っ青じゃない! 唇もガサガサですわ。
まさか、また食事も摂らずに魔導回路の効率化だの何だのに没頭していたの!?
貴方は、私がいつか正々堂々と叩き潰して、その座を奪い取るべき壁なんですのよ!
栄養失調なんて貧相な理由で消えられたら、アストレア家の、そして私のプライドに一生消えない泥を塗ることになりますわ!」
彼女は腰に手を当て、憤慨したように肩を震わせた。
だが、その瞳には、明らかな動揺と隠しきれない懸念が混じっている。
セシリアはふん、と鼻を鳴らすと、抱えていた上等なシルクの布包みを、俺の机に叩きつけるように置いた。
……正確には、置く瞬間にほんの少し手加減をしていたのを、俺は見逃さなかった。
「……これ、何だ?」
「見て分からないの?
ランチボックス、お弁当ですわ!
勘違いしないでちょうだい。
別に貴方のために用意したわけじゃありません。
うちのお抱えシェフが、私の好物を張り切って作りすぎたのよ。
捨てるのはアストレア家の家訓に反しますし、私が無理して食べるのも美しくありませんわ。
だから、そこのゴミ箱——いえ、ちょうどそこにいた空腹の『何か』に処分させてあげようと思っただけです!」
教科書に載せたいほど見事なツンデレ口上だった。
だが、布包みからは、俺の理性を粉々にする、暴力的なまでに芳醇な香りが漂い始めている。
震える手で包みを解くと、緻密な銀細工の施された、それ自体が美術品のような多段式のお重が現れた。
蓋を開けた瞬間、魔法のように温かな湯気が立ちのぼり、埃っぽい空気が一変する。
……いや、実際に魔法だ。
容器には最高級の保温・鮮度保持の術式が刻まれていた。
中身は「食の宝石箱」だった。
火のマナを帯びたドラゴンスパイスで黄金色にローストされた肉。
風の加護でシャキシャキの歯ごたえを保つ、極彩色の魔導野菜のラタトゥイユ。
真珠のように粒が立った、完璧な温度で蒸し上げられた聖樹の米。
素材の持つマナと料理人の技術が融合した、美食魔法の極致だ。
俺はもう、言葉を返す余裕もなかった。
銀のフォークを突き立て、まずは肉を一口。
口の中で旨味が爆発した。
噛むたびに溢れる肉汁と一緒に、精密に制御された温かなマナが体中の細胞へ染み渡っていく。
魔導回路の熱が冷め、疲弊した神経が優しく癒えていく。
消えかけた命の灯が、一気に再燃するような至福だった。
数分の沈黙のあと、空になった容器を前に、俺は深く息を吐いた。
身体の芯が温かい。
視界は隅々まで明瞭で、演算のノイズも消えている。
「当然ですわ!
最高の食材と最高の技術、そして……こほん。
とにかく、アストレア家の食卓に並ぶものが、まずいわけがありませんもの」
「いや、セシリア。
これ、ただの料理じゃないだろ。
味の調和も、マナの浸透率も……食べるだけで魔力回路が浄化されるみたいだった。
お前がこれを持ってきてくれなかったら、俺は今頃、本当に死んでたかもしれない。
ありがとう。
今まで食べたどんな高級料理よりも、これがうまかった」
顔を上げ、彼女の琥珀色の瞳を真っ直ぐに見て、心の底からの言葉を伝えた。
お世辞も含みもない、純然たる感謝と賞賛だ。
すると、腕を組んで勝ち誇っていたセシリアが、見えない衝撃波を浴びたようにぴたりと動きを止めた。
「な……っ!?
な、なな、何を馬鹿なことを!
貴方、脳までマナ欠乏で壊れたんじゃありませんの!?
た、ただの余り物ですわよ!
公爵令嬢たる私が、貴方なんかのために……っ!」
白い頬がみるみる、髪と同じ深紅に染まった。
赤みは耳の先まで広がり、琥珀色の瞳は激しく泳ぐ。
彼女は手にした扇をばさりと開いて顔の下半分を隠したが、動揺は全身からあふれていた。
普段の傲岸不遜な姿からは想像もできない、小動物のような初々しさ。
その破壊力に、今度は俺の心臓が少しだけ変なリズムを刻んだ。
「あーっ、もう!
本当に忌々しくて図々しい、恥知らずな男ですわね!
そんなに足りないなら、あ、明日も……その、どうしても食材が余って、捨てるのがもったいない状況になったら、持ってきてあげなくもないですわ!
貴方が健康を害して私の勝利にケチがついたら困りますもの。
いいえ、絶対困りますわ!
恩に着なさい、この平民!」
早口でまくし立てると、彼女は翻したスカートの裾で小さな突風を起こし、嵐のように去っていった。
残されたのは、清潔なシルクの香りと、空っぽの美術品みたいなお重。
そして胃の奥からじんわり広がる幸福感。
「……明日も、余るのかな」
沈みゆく夕陽を眺めながら、俺はぽつりとこぼした。
空腹は満ち、頭は冴え渡っている。
けれど、明日が待ち遠しいというこの感覚は、マナの充足だけが理由ではない気がした。
はーい、みんな元気?このお話でみんなをたくさんお腹空かせちゃえたらいいな(笑)。アドバイスや感想があれば、遠慮なく教えてね!




