第十四話 ユメ
その晩、ホノカは夢を見た。
今から六年前――ホノカの髪がまだ黒色で、そして守られる側の弱い子供だった頃の夢だ。
そこは暗い帝都の下水道だった。
ランプの明かりだけがゆらゆらと頼りなく周囲を照らしている中、天井から水滴がポタリとホノカの頬に落ちる。
全身が痛くて顔を向ければ、自分の身体が縄で縛られていた。隣を見れば弟のヒノカも同じように縄で縛られ転がされている。
目を閉じたままのヒノカの顔色が悪くて、ホノカは焦って呼び掛ける。
「ヒノカ、ヒノカ! だいじょ」
「――――アァ、起きたのだね」
しかし、その呼び掛けに答えたのは別の人間だった。ねっとりと纏わりつくような不気味な男の声である。
背筋に冷たいものが走って反射的に声の方へ顔を向ける。するとそこには仮面で上半分の顔を隠した燕尾服の男がいて、ニタニタと笑っていた。
「だ、誰……」
ガチガチと震える声でホノカは問う。
その時、ふと視界に男の右手が目に入った。赤く染まった右手には大振りのナイフが握られていて、その刃から赤い血が滴り落ちていた。
「ひっ!?」
思わず小さく悲鳴が上がる。恐怖に目を見開くホノカの反応に、男は満足そうに頷いた。
「アァ、アァ、やはり良い。穢れていない子供達の眼差しは、とても、とても美しい!」
男は歓喜に身を震わせて両手を振り上げた。
その時、男の背後に血まみれの誰かが倒れている事に気が付いた。帝国守護隊の白い軍服を着た誰か。
ホノカはハッとした。
「お父さん!?」
「アァ、彼かい?」
男はニタニタ笑いながら、父の方へ身体を向ける。そして靴のつま先で軽く蹴った。すると父の口から微かな呻き声が漏れる。
「――――、――――ホノ……ヒノ……」
名を呼びかけて、ごふ、と父は地を吐いた。ヒュウフユと酷く不安定な呼吸音も聞こえてくる。
「彼はね、とても穢れているんだ。だからこうなった」
「けが、れ?」
「アァ、そうだとも。私の神聖な審判の時間をことごとく邪魔し、ドブネズミのように私の事を嗅ぎ回っていた。何と愚かで、汚らしく、醜い事か!」
男は芝居がかった調子で話しながら、片手でミハヤの頭を掴んで持ち上げた。
ミハヤの両腕はおかしな方向に曲がって、だらりと垂れている。足もそうだった。
男はくつくつ笑うと、もう片方の手に握っていたナイフをホノカに見せるように動かす。そして刃先をミハヤの喉元に当てた。
「やめ」
ホノカが静止の声を上げる前に、男はそのナイフを横に動かし、ミハヤの喉を掻き切った。
血が噴き出る。ミハヤの目から光が消える。
「あ、ああ、あああ……、お父さん、お父さん! やだ、いやだ、お父さんッ!」
男は動かなくなったミハヤを放り投げると、今度はホノカの方へと靴音を立てて近付いて来た。
そして目の前までくるとしゃがみ、ホノカの顔を両手で包む。ミハヤの血がべっとりとホノカの頬を濡らした。
「…………アァ、美しい、本当に美しい。穢れる前に、ちゃぁんと私が導いてあげなくちゃ……」
男がおぞましい事を口走った時、ヒノカが目を覚ました。
きっと状況は理解出来なかっただろう。しかしホノカの身が危険な事は察した。
ヒノカは歯を食いしばって自由を奪われた身体を起こすと、
「ホノカを放せッ!」
そう叫んで男に体当たりした。
予想外の攻撃だったようで、男はホノカから手を離し、後ろによろけた。
――だが、それだけだ。大したダメージにはなっていない。
仮面の隙間から音がキラリとヒノカを睨んだのが分かった。
「……穢れかけている。これはいけない、いけない……私が治してあげなくちゃなぁあぁ……」
男は不快そうに低い声で言うと、ナイフを振り上げてヒノカに近付く。
(駄目、駄目だ、このままだとヒノカまで)
胸が酷く痛む。身体が焼かれたように熱い。吐きそうになりながらホノカも必死で身体を起こす。
(――やめて)
男がついにヒノカの目の前まで辿り着いた。彼はナイフの切っ先をヒノカに向け、そして、
「やめて!!!」
ホノカは叫び、ヒノカの前に飛び出した。
男のナイフがホノカの右肩から背中にかけてを深き斬りつける。
ホノカの血が飛んだ、その時。
――傷口からホノカ自身の霊力が噴き出した。
「なッ!?」
それは眩い光を放ち、空気に触れたとたん。
けたたましい音を立てて爆発した。
◇ ◇ ◇ ◇
「――――ッ」
そこでホノカは飛び起きた。
目の前には薄暗い下水道ではなく、桜花寮の自室の天井がある。
(……またこの夢)
心臓がドクドクと波打ち、身体中が汗でびっしょりになっていた。
短く呼吸を繰り返しながらホノカは身体を起こす。
御桜ミハヤが死んでから、ホノカがずっと見続けている悪夢だ。
「父さん……」
ホノカは右手で顔を覆い、ぽつりと呟いたのだった。




