忌憚奇譚12
墓村夕子は考える。異常と異端は別物であると。
異常というのは病的だ。ハンニバル・レクター博士を始めとする異常者。それは人に害を加え、時に命を狙う。最近注目されているサイコパスというものも異常の一つだろう。
では異端とは。異端者は異常者とは違う。世間から爪弾きにされた者のことだ。つまりはいじめられっ子がそれに近い。何らかの理由で正統を欠いた者が異端者だ。
時に、異常な異端者というのも存在するのだろうが、必ずしも異端者が異常であるとは限らないのである。
誤解を恐れず言えば、異常は加害者、異端は被害者とも言えるのではないだろうかと夕子は考えた。
「飛躍し過ぎかな……」
「ん? 何? また宗教?」
乙香が反応した。
夕子は違うよと返す。しかし考え事をしていたのは確かなので、考えていたことを披露してみる。
「回りくどい割に結論が単純。そして短絡的」
「悪かったね」
むっとなって言い返す。
「夕子は考え事が好きだね。もう病気レベル」
反論したいが一度考え始めると病的なまでに思考に没頭してしまうのは夕子の悪い癖だ。その所為で勉強やギターの練習に差し障りが出ているのだから目も当てられない。
「困ったもんだよね。馬鹿の考え休むに似たりっていうでしょ?」
「下手の考えでしょ」
「でも夕子は下手っていうより馬鹿だし……」
困惑した表情を浮かべる乙香。馬鹿にされている。
「私は馬鹿じゃない!」
「果たしてそうかな?」
「そうだよ。私は普通だよ」
「そうだね。普通の馬鹿だね」
お決まりのやり取りだ。どこまでも同じである。この程度の罵倒では最早夕子を閉口させることは出来ない。初対面でこそ、その毒舌に面食らった夕子だが付き合いもそろそろ半年になる。約半年間、バラエティに富んだ悪口で角を削られたのだから馬鹿程度では引っ掛からない。これが丸くなるということか。
「夕子、メディアテーク寄っていい?」
乙香が提案する。二人はスーパーマーケットから出てぶらぶらと並木通りを散策していた。
「うん? いいけど」
乙香の提案に乗ってメディアテークの図書館へ足を運ぶ。三階へ上がる。乙香は民俗学の棚の方へ入って行った。夕子は適当に野球の参考書を手に取り、ソファーにかけてそれを流し読む。
「なるほど……右脇は少し開く……」
スポーツとは何をするにしても脇を締めろと言われる。朝子に空手の教えを説いて貰ったとき、随分と脇について指導されたものだ。
しかし野球のバッティングフォームは脇を締める必要がないらしい。
夕子はしばらく参考書を読んでいた。そしてなかなか野球というスポーツも面白そうであると思った。よく夕子の父親は野球を観戦しながら、詰まんねーなと呟くがどうも一度その考えを改めさせる必要があるかもしれない。
バッティングフォームにも種類が幾つかあり、それも面白い。体育の授業で役立つかもしれない。
「使える……」
「何が?」
顔を上げると、乙香が夕子の顔を覗き込んでいた。
「スタンダードなバッティングフォーム……何処かに殴り込むなら格闘技の参考書の方がいいんじゃない? 安易に武器に頼るのはよくないと思う。まずは闘う基本姿勢から学ばなきゃ」
「違うよ。殴り込みじゃないよ。体育の時間に野球やるでしょ?」
「やらない」
「あんたはね。でも私はやるの。その時にさ、こういうの覚えてると便利じゃん」
乙香は、団体競技の時間は何時も隅で霞を弄っている。個人競技の場合は夕子が誘うのだが直ぐに飽きて罵倒を始める。彼女は運動神経が死んでいるのだ。夕子の向上心が理解出来ないのも無理はない。
「ふうん。別にいいんじゃない」
「無感動だなあ。あんたも運動した方がいいよ? 太っちゃうでしょ?」
「小食だし、あんまり太らない体質だから」
「そんなにおっぱいあるのに?」
乙香は割と肉付きのいい体をしているように夕子には映る。
「夕子、公共の場だよ。死んだ方がいいよ」
「ぐっ……言い返せない。あんただって同じようなもんなのに……」
歯噛みする夕子。
「下の喫茶店行こ。図書館でお話しするのはお行儀が悪い」
ゴロツキに行儀を説かれてしまった。
しかし正論ではある。夕子は野球の参考書を棚に戻し、乙香の後に続いた。
エスカレーターで一階へ降りる。そして大きなホールへ移動し、コーヒーを注文してから席に着いた。
「ここのコーヒーって高いよね。学生の財布には優しくない」
「いや、あんたが誘ったんじゃない」
「そうだけど。でもブレンドコーヒー三百円はちょっと……」
注文した後で文句を言うとは面倒くさい客である。しかも味ではなく値段についてケチをつけているのだからまた一層に面倒くさい。
「あんまりそういうこと言わないでよ。居辛くなっちゃうでしょ」
「ごねる癖をつけておいた方がいいよ。色んなところで役に立つからね」
「不誠実!」
乙香に誠実さを求めるのも筋違いではあるが。
「冗談だよ」
「本当に?」
「本当……のよ?」
訳が分からない。
「もういいわ……で、今日は何借りたの?」
「トイレの怪についての本」
「あんたも結局気になってるんじゃん」
あれだけ樹を酷評していたというのに。
「話を聞いて思い立っただけだよ。樹ちゃんの人物像と七不思議は別物」
そういうことらしい。
トイレの怪。そういえばと夕子は思い出す。昨夕、宵太とそんなようなことを話した。
太郎くんについての話だったか。何となしにそのことを乙香に話してみる。
「へえ。夕子の周りにはオカルトな人が集まってくるね。誘蛾灯みたい」
「まあ私もそう思うけど、あんたもそのオカルトな人の一人なんだよ? 自分が蛾だって言ってるようなもんなんだよ?」
「誘蛾灯に集まってくるのは蛾だけじゃないよ。基本的なコンセプトは害虫を引き寄せるものだからね」
何の弁解にもなっていない。それどころかどんどん自分を貶めている。
まさか自虐もいける口とは思わなかったと及び腰になる夕子。乙香はそんな夕子に構うことなく話を続ける。
「ふうむ。それにしても、トイレの太郎くんか。確かにあんまり聞かないよね。まあ、私たちが女だから耳にしないだけかも知れないけれど。ああでも、花子さんは男の人でも普通に知っているものだから、やっぱり知名度は低いのかもね」
「知名度が低いって言うか、知ってはいるけど話題にならないって感じじゃない?」
太郎くんは花子さんとほとんど同一の、性別を変えただけの怪異だ。だから知名度はそこまで低いというわけではない。
「そうだね。知名度は低くないけれど語られてはいない。それはやっぱり荅川先輩の妹さんの言う通り、男の子が小心者だったり、個室の使用を制限されていたりしたからなんだろうね」
「うん。あ、じゃあ何で太郎くんは生まれて、知られるようになったんだろうね。面白半分で作られたお化けなら、それこそ知名度が低くなっちゃうだろうし」
語られないとは言え知られていないわけではないのなら、それは存在を望んだ集団があるということだ。
「まあ、知名度については花子さんの男子便所版ってことで、判りやすかったってのが理由になると思うよ。生まれは——それはきっと女の子の男の子に対する復讐じゃないかな」
どういうことと夕子は訊く。
「花子さんが本格的に流布したのは一九八〇年代。当時の女の子たちはトイレの花子さんという脅威に晒されているわけだよね。もしかしたらクラスの男の子に脅かされたりもしたのかも知れない。そこで女の子は思うわけ、私たちだけ怖い思いをするのは納得いかないって。だから女の子たちは太郎くんの噂を作って男の子たちに対抗したんじゃないかな」
なるほど、故に復讐か。
それが今でも男子を狙っているのだとすれば、細々とではあるが語られ、知られているのも納得出来る。
「はあん。それが太郎くんの生まれね。女の子から生まれたのかあ。まるで生命のようだ」
「いや、全部私の想像だから鵜呑みにされても困る」
乙香が窘めるが、夕子は生命の神秘に目を輝かせている。
「まさか喫茶店で便所を語るとは思わなかったな」
「いいじゃん。直接的な話はしてないし」
二人は夕刻まで喫茶店で話をした。本当はもう少し粘りたかったところだが、ブレンドコーヒー一杯では流石に限界があった。
乙香のそろそろ出ようという言に促されて席を離れる。
外に出ると熱気が体を包み込んだ。しかし夕子は不快には感じなかった。冷房に当たりっぱなしで冷えた体に外の熱気は程よく心地よいものだった。
「熱い……」
乙香はそうでもなかったようである。
「そう? やっぱりおっぱいのある人って寒さに強くて熱さに弱いものなんだね」
「どういう偏見よ」
「脂肪がついているからね」
「私は別に脂肪の多い方じゃないよ」
そうなのだろうか。
やはりそこには得心行かない夕子である。
「夕子が薄着過ぎるだけだよ」
夕子はデニムのショートパンツにティーシャツ。乙香はライムイエローのチノパンツにワイシャツ、その上からカーディガンを羽織っている。見れば確かに夕子の方が薄着である。
「ううん。私もカーディガンくらいは着てこようかな。おっぱいはどうにも出来ないし」
「そこに拘る理由は何なの?」
「宿命だよ」
二人は西公園に足を運んだ。特に目的地があったわけでもないし、それについて話し合ったわけでもない。ただ茫とそちらへ足が向いただけだ。無計画に無意義に過ごすが二人のお約束である。
西公園は樹木に囲まれた、半ば森林公園の様を呈している。その為、まだ夕刻にも関わらず西日はほとんどささない。
公園内は街灯の頼りない灯りがポツポツとあるだけで、人通りも全く見られない。静かで寂しい。すぐそこで聞こえる車の走る音も何だか遠く聞こえる。
「暗いなー。ねえ、駅の方行かない? ご飯でも食べよ」
暗闇は恐ろしい。女性にとって暗闇とは幽霊だとか妖怪変化だとかいうものへの恐怖だけではなく、暴漢や痴漢など、そういった現実の脅威を想像させるものでもあるのだ。夕子も例に漏れることなくそんな恐怖を想像した。
女子高生二人だけではどうにも心許ない。
乙香も察したのか夕子の提案を呑んだ。
とその乙香が公園の端、こけし塔の奥を指差して言った。
「あ、樹ちゃんだ」
夕子も暗闇に目を凝らす。
闇の中で何かが蠢いているのが見える。少し近寄ると、確かに樹がいるのが確認出来た。乙香は眼鏡をかけているから当然視力は正常より劣っている。よく発見出来たものである。光の辺り具合が乙香の立っている場所とは微妙に違うのだろうか。
樹は可愛らしいリュックサックを背負って、その場にしゃがみ込んでいる。楽しそうな笑顔を見るに、何かと戯れているようだ。
ジッと目を凝らすと、樹の目の前には一匹の猫がちょこんと座っていた。人慣れしているのか、逃げる気配はない。樹はおいでおいでと手を下から差し出している。
そして猫はとうとう樹にその身を許した。
暗闇の中で、何とも平和な光景だ。
いきなり声をかけると猫が逃げてしまうかも知れないので、夕子は気を遣い、樹が猫を抱き上げるまで待つことにした。
そうして数秒の後、短時間で随分と懐いた猫が遂に樹の腕の中へ体を預けた。
夕子は声をかける。
否、かけようとした。その瞬間である。
樹は猫の首を、その小さな手でもって捻り折った。




