忌憚奇譚11
夕日が影を作る。逢魔が刻というのはやはり不気味で、妖怪に会ってもおかしくはないような風情がある。
幽霊というのは夜に出没する。しかし妖怪は夕方に顕現するものである。あくまで六朗のイメージなのだが。
百鬼夜行絵巻を見ても判る通り、妖怪の闊歩している絵巻物は夜を描いたものなのだ。正しく夜行である。
しかし、それでも魔に出逢う時間帯というのが夕刻に設定されているのは確かで、魔という言葉の指しているのは幽霊ではなく妖怪だと六朗は思う。
幽霊は魔ではない。人だ。魔とは人が心の内から作り出すものであって、それは幽霊とは別物なのである。だから妖怪は夕刻に現れる。
昼間は人間の世界。昼間とは正反対の鏡移しである夜が幽霊の世界だ。そして夕刻は人から出た魔の世界である。
「うーん。こんがらがってきたぞ……」
幽霊が人であるというのは認めてもいいが、決して人そのものではない。
「いや、そうか。人じゃないから夜に現れるのか」
ならば幽霊とはなんだろう。やはり人に寄り添うものだろうか。考えても見れば、生き霊だって幽霊のカテゴリに入っているのである。そう考えれば。幽霊だって人として認められるべきだろう。
「しかし、全く同じというわけでもないからなあ」
独り言ちる。
六朗は一人だ。帰り道である。竜二とも雪乃とも別れた。
場所は五橋公園。考え事は座ってするに限る。考えだした六朗は思考の泥沼に嵌っていた。
「幽霊ってのはやっぱり人の延長だもんなあ。それでも抜け殻というわけではなくて——むしろ中身か。内臓みたいなモンかな? 気持ちわりい……」
完全に独り言である。しかもあらぬ方向、否、全く別方向に話が進んでいる。
「何処の器官なんだろう。心臓辺り? でも意識を司ってるのは脳だしなあ。脳から抜け出してくるのか……こう、脳からチュルンって。気持ちわりい……」
脱線しすぎて何が何やら判らない。
六朗は紛雑な思考を一度捨てる。
「もし、幽霊が人間の体から出た思念なんだとすると、それはやっぱり脳からの信号みたいなものなわけだ」
そうだとするならば、どうやって幽霊は思考しているのだろうか。幽霊自体には脳はない。信号なのだから。
否、だからこそ幽霊は枕元に立って思わせぶりなことを言うのか。死後に残った信号が受け手の方へと流れる。幽霊の持っている執着心というのはそういう説明が出来るのではないかと六朗は考えた。
「いやいや、無理があるって」
思考を打棄る。一部ではなく全てだ。もう考え事をして暇をつぶす必要はなくなった。
何故と言えば、公園の入り口から待ち合わせの相手が見えたからだ。
「こんばんは六朗さん」
「ああ、こんばんは直くん」
昼間に何やら思わせぶりなことを言っていた直である。そのことについて覗き根性が沸き上がった六朗は夕刻に五橋公園で会うことを約束したのだ。
相も変わらずの不謹慎ぶり。優等生の六朗は何処へ行ったのやら。
自分でも呆れ返るほどである。
「ちょっと遅くなったけど、時間大丈夫?」
「大丈夫です。お父さんは何時も帰りが遅いので」
六朗の隣に腰を下ろす直。
「ふうん。やっぱり何処のお父さんも忙しいんだね、今の時代は」
地方放送局に勤める六朗の父親も帰りが遅くなることがある。大人は総じて忙しい。きっと自分のように幽霊の存在について考えることもないのだろうと六朗は思う。
「そうかもしれませんね。お父さんたちは大変です」
「まあ母さんも母さんで大変そうではあるな。家事とかパートとか。全部こなさなきゃならないんだもんなー」
そう考えると何だか六朗としては申し訳ないような気分にもなってくる。何やら感情が泥のように喉の奥に詰まっているような。これが正しいものの感じ方というものなのだろうか。
「お母さんってどういうものなんですかね? 六朗さんのお母さんは優しいですか? 僕お母さんがいないので、よく判らないんですよ」
「おっと。地雷だったかな」
まさか父子家庭だったとは。
「いえ、気にしないでください。それより、お母さんがどういうものだか、知りたいです」
「お母さんねえ。まあ、優しいよ。男は母親の面影のある女性を求めるっていうじゃない? 何かそれも判る気がするような感じ」
恋心を解さぬ六朗ではあるが、これはこれで嘘を言っているわけではない。
「ねえ、直くんが自分を不健全だっていうのは、お母さんの不在にその原因があると思ってるわけ?」
何時ものように、ずけずけと人の内心へ侵入を試みる。
「まあ、そうですね。第一の原因はそうかもしれません。でも直接的ではないと思います」
直は顔色を変えずに淡々と言う。とは言うものの、顔の色は夕闇でほとんど見えていない。小さな肩と年不相応な能面だけが陰影を伴って寂し気に映っている。
「お母さんは妹が産まれた時に亡くなったんです。お父さんはそれがショックだったみたいで。あんまり妹を可愛がらないんですよね。始めは僕を贔屓して可愛がってくれましたけど、僕が妹に構い始めると、段々僕にも目を向けなくなったんです。僕に愛想を尽かされたのだと思ったんでしょうね。それからお父さんの愛情は飼い猫に向くようになっちゃって」
複雑過ぎる家庭環境だ。とても現実感に乏しい。しかし、家庭は千差万別。こういう機能不全に陥っている家庭も少なくはないのだろう。
もしかしたら六朗の友人の家庭だってそうなっているなのかも知れない。他人の家庭を覗き見る機会なんてそうそうあるものではない。だから安易に非日常の世界とは言い切れない。
「なるほどなるほど。それはお父さんに問題があると僕は思うな。君が不健全なんじゃなくて、お父さんが不健全なんだ」
「六朗さんは忌憚なく物を言いますね」
直は皮肉気に言う。
「無神経だと言ってくれていいよ」
「言いませんよ。僕だって勝手に喋ってるだけですから」
直は他人との線引きを明確に示す。全く子供らしからぬ。
本当に小学六年生とは思えない。小学生時代の自分に似ていると、先日は思った六朗だが流石にここまで無感動ではなかった。泣きはせずとも笑いはした。相手が何を怒っているのか察することも、子供故の無知で出来なかったりもした。しかし直にはそれがない。人は人、自分は自分。そうやって器用に立ち回っている。
「六朗さんは何で僕の話を聞くんですかね? カウンセリングでもしようってんですか?」
これまた皮肉。
「いいや、カウンセリングってのはもっと気を遣うものなんじゃないかな? 気を遣っていないとは言わないけれど、やっぱり僕はどちらかと言えば無神経だよ」
「じゃあ何で」
「それはね——」
六朗は語る。自分の無感動について。
鶴子に不器用と言われ、雪乃に胡散臭いと言われ、ひるまを激昂させた自分の恥部について。
夕闇が迫っていた。




