鏡を疎む4
自己像幻視。ドッペルゲンガーの原因だと言われている病気だ。症状は自己の姿の目撃で、精神病としては極めて重篤なものとされているが、必ずしもそうではないという説も存在する。肉体的疲労あるいは精神的疲労によって引き起こされるという報告もあるのだ。
ドッペルゲンガーは精神的な病気である、という所論は古今東西枚挙に遑がない。時に伝承の中ですら病気とされているのだ。例えば『奥州波奈志』に収録されている『影の病』が代表例として挙げられる。この話の主人公である勇治の家系には、当主は自分の姿を見て死ぬという曰くがある。それが「影の病」だ。あくまで病気なのだ。病気であるならば病理がある。
この話の真意はともかく、突如現れるもう一人の自分の認識は大昔から病なのである。
——と竜二はそんな話を海樹子に聞かせた。
自分でもこんな説明に意味があるとは思っていない。こんなことは海樹子だって知っているだろうし、ドッペルゲンガーを病気とすることに意味などない。そう断じたところで海樹子は納得しないだろう。それに彼女のドッペルゲンガーが消える訳でもないのである。怪異に幾ら説明をつけたところでそれを見ている人間を説明したことにはならない。
「なるほどね。竜二くんにとってのドッペルゲンガーって病気のことなんだね。私も色々調べたからそう言う話は知ってるよ。でもだから何だって言うの? ドッペルゲンガーはそこに居るじゃない」
「そうだな。居るのかもな。でも居るっつったって俺には見えない。ドッペルゲンガーってのは本人にしか見えないもんだ。そうだろ? 病気にしたって伝承にしたってそれは変わらない。本人以外とは口をきかないのさ。だったら俺が何の力になれるよ?」
そうだ。ドッペルゲンガーは本人以外には見えない。分身を題材にした小説ともなればそうとも限らないが、やはりドッペルゲンガーが現実に干渉すると言うイメージはあまりない。
「判んないじゃない、そんなの。エドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』では主人公の友人達の前に現れた。芥川の『歯車』だってそう。ドッペルゲンガーが本人以外には干渉しないなんてのは病気に限った話だよ。一つの怪異として見るなら、ドッペルゲンガーは本人以外にも干渉する。数ある創作物がそうさせたの。だからもしかしたら私のドッペルゲンガーも今頃竜二くんのお友達とお話しているかもしれない。悪さをしているかもしれない。
まあ何にしても、私のドッペルゲンガーの場合は本当に存在しているんだから伝承や創作の話なんて無意味だよ。それらを前例として扱うことは出来ない。創作は創作でしかないし、語られたものは嘘か本当か判らないんだから」
海樹子はドッペルゲンガーを完全に信じ切っているようだ。この七年間、それだけ脅かされてきたのだろう。これはドッペルゲンガーの存在を認めた上でで話を進めるしかない。そうでなければ進展しない。
「判った判った。判りましたよ。で、俺はどうすればいいんだ?」
一応理解を示す。示した振りをする。すると海樹子は、判ってくれてよかったと微笑んだ。
「まあ竜二くんがドッペルゲンガーを認めてくれるなら、見えている必要はないんだよ。さっきも言った通り、私が竜二くんの目にどう映っているか教えてほしい。それだけ。私のことが判るのは竜二くんだけだから。もう私は私が判らないから」
自己の喪失。ドッペルゲンガーが原因なのか、海樹子は自分とドッペルゲンガーの明確な差が判らなくなっているようだ。
「なるほどなあ……しかしどうと言われても困る。何せ七年ぶりだぜ? 俺もお前もそれなりに成長して、変わってるはずだ。時間による変化を考慮に入れるなら、俺とお前はほとんど初対面の人間って事になる。それじゃあ第一印象しか語れないだろ」
第一印象では正当な評価は出来ない。今の二人の関係は他人も同然だ。しかし海樹子の方はそう思っていない。
「竜二くんも私も変わってないよ。成長もしてない。ただ単に知識が付いただけ。ほら、紫鏡。ちゃんと覚えてるでしょ? 私たちは変われない。成長しないまま死んでいく」
覚えている。呪いの言葉はしっかりと竜二の脳に染み付いている。
「竜二くんはずっと私のことを考えていたんでしょう? だから『二つの手紙』だって読んだし、ドッペルゲンガーに着いての知識も付けた。竜二くんは私のことが気になってたはずなの」
反論出来ない。竜二が噂の伝播に着いての興味を持ったのは中学二年生の頃だったが、それまではずっと呪いとドッペルゲンガーに着いての文献を読み漁っていた。尤も、小学生の竜二にはまるで理解できないものだったが。ともあれ、入り口にあるのは海樹子との思い出である。だから反論出来ない。否定出来ない。
「まあ……そうかもな。俺は変わってない。いいだろ、認める。でもよ、海樹子の方はどうなんだよ。結局第一印象になっちまうけどよ、結構前と変わってるぜ、お前」
「あはっ。竜二くんに名前で呼ばれたのって始めてかも」
海樹子は無邪気に笑う。竜二はバツが悪そうに茶化すなよと言った。
同時に、なるほど真面目なときに茶化されるとこんな気持ちになるのかと少し反省する。
「竜二くんには私が以前とは違って見えるんだね」
「別人だな」
言い過ぎではないだろう。よく笑い、よく喋る。落ち込んだ表情も様になっていて、まるで普通の人間のようだ。
「そっか。うん、そうだよね。変わってるのかも。私は私のことが判らないんだから、私のことを私が勝手に決めちゃ駄目だよね。でも私は自分が変わってないって信じたい。まだ変わりたくない。今変わってしまったらドッペルゲンガーの思う壷だから」
そこで竜二は気付く。今の海樹子はまるで彼女自身のドッペルゲンガーのようだと。海樹子のドッペルゲンガーの性格に着いては話に聞いた情報しかない。しかし、よく笑いよく喋るという過去の海樹子からは考えられないような振る舞いは、話に聞く彼女自身のドッペルゲンガーの振る舞いと一致する。
竜二がそれを口にすると、海樹子は俯いて黙ってしまう。
「海樹子?」
「竜二くんに言われちゃったら否定出来ないじゃない……意地悪だなあ、竜二くんは」
「んなこと言われてもなあ」
自分の印象を語れと言ったのは海樹子の方だ。文句を言われても困る。
「でも私は今も変わらずお母さんのことが嫌いだよ。それだけははっきり言える……かも」
語尾が尻すぼみになっている。結局それすらも曖昧なのか。ならば海樹子がドッペルゲンガーの言い分を認めていると突き付ける為の質問をしてみるかと竜二は考える。しかし聞き難い。有り体に言えば恥ずかしい。竜二は海樹子から目を外すと、乙女のように顔を赤らめる。
「じゃあ、俺のことはどうなんだよ……」
顔から火が出て燃え尽きそうになる。
「好きだよ」
重い。勿論美人から言い寄られて悪い気はしないが、浪江に気のある竜二からすれば海樹子からの好意はただ重いだけだった。
「ほれみろ。お前、ドッペルゲンガーの言い分を認めてるじゃねえか」
「そう。だから判んなくなっちゃったんだよ。私が、私なのかドッペルゲンガーなのか」
どうやらそう言うことらしい。竜二への好意を認めたことで、海樹子は自分を見失ってしまった。ならばもう体は半分持っていかれているも同然ではないのか。否、どうだろう。そもそも海樹子の苦悩はそこにある訳ではないのかもしれない。海樹子が欲しているのは竜二からの了承と母親からの愛情。母親を嫌いだということすら言い淀むのはドッペルゲンガーの言うことが正しくて、しかし愛情を得る術が全く見当もつかないからではないか。とするならば言うべきことは一つか。
「提案がある」
竜二はこの場を収めるべく、意見を挙げる。
「何?」
「お前、ドッペルゲンガーの言うこと全部認めたら?」
「何を言ってるんだよ。そんなことをしたら私が私じゃなくなっちゃう」
「いいや、そんなことにはならない。認めた所で、お前がそれに対してどう出るかが問題なんだ。認めただけじゃ何も変わらない。って言うか、中途半端に認めてるから苦しいんじゃね? 母ちゃんのことも受け入れてやれば、幾分か楽だと思うけどな」
それなりに確執はあるのだろうが対話がなければ解決をみることはない。家族という絆に甘えているだけでは逃避にすらならない。ただ停滞しているだけだ。
「む、無理だよ。お母さんは私の話を聞かない。家での私の立場は腫れ物扱い所か失敗作扱いなんだから」
「けどそれしかないと思うぜ。解決方法は家族との会話だ。ドッペルゲンガーを追っかけることでも、殺すことでもない」
竜二がドッペルゲンガーに同意し始めたことがショックなのか、海樹子は口を閉ざしている。
「とりあえずだな。お前は少なくとも今の時点では母ちゃんのことが好きなんだ。それは認めろ。そんで認めた上で母ちゃんと話せ。まずそっからだ」
「お母さんと話すなんて……無理だよ」
海樹子は難色を示している。
「でもなあ……それ以外にいい方法は思いつかんぜ。やっぱ人間ってのは会話でしかものを伝えらんねえからな。面倒くせえときもあるけど、話さないことには進展しないことだってあるさ」
海樹子は頭を抱えてうんうんと唸っている。そして観念したかのように、判ったよと言った。
「お母さんと話してみる……けどあんまり期待はしない」
そう言うと海樹子は立ち上がり、伸びをする。
「ごめんね、引き止めて。私そろそろ帰るね。竜二くんはお祭り楽しんで」
無理矢理話を打ち切られた感触がある。失望されただろうか。
海樹子は寂しそうに笑っている。本当に表情豊かになったものだと思う。しかし、それはそれでこちらの心配が増える。今の海樹子はあまりに弱々しい。とてもではないが一人で生きて行ける人間には見えなかった。
竜二は考える。どうしたものかと。このまま見送ってしまうか、引き止めるか。
結局選んだのは後者だった。とは言え何か考えがある訳ではなかったので海樹子が振り返る直前に思考を巡らす羽目になったが。
「アドレス教えてくれ」
それが精一杯だった。励ましの言葉では白々しくなるだろうし、慰めでは何の役にも立つまい。それならば繋がりを残しておこうと思った。自分は提案者なのだ。報告を聞く責任がある。
赤外線がお互いのアドレスをお互いの端末に届ける。もうこの件からは逃げられない。竜二は海樹子を見捨てない。
何せ初恋の相手なのだから。竜二が海樹子に手を差し伸べる理由など、それくらいで充分なのかも知れなかった。ともすれば、端から見捨てる気などさらさらなく、この邂逅を自分は望んでいたのかも知れないと思う竜二だった。
*
海樹子と別れた竜二は祭りの会場へと戻っていた。浪江は神社の拝殿前で待っていると言っていたが、流石に待たせ過ぎたかもしれない。否、どう考えたって待たせ過ぎだ。大用であることを考慮に入れても三十分は長過ぎだろう。
神社の拝殿を覗き込む。誰もいない。
これは——
「愛想を尽かされたか!」
「誰にだ?」
「沙村さんにですよ……」
「ほう。荅川、お前、沙村と一緒に来ていたのか。なかなか隅に置けないじゃないか」
竜二は、うわっと飛び退く。いつの間にやら竜二の隣には髪を横手に束ね、甚兵衛を羽織った女性が立っていた。
「うわとはなんだ。失敬な」
「神出鬼没ですね、鶴子先輩」
何処からともなく現れた剣術サークル部長、剣崎鶴子。彼女は気付くとそこに居る。と言うのも存在感が薄いからで、近付かれただけでは他人との区別がつき辛いのだ。本人曰く、気配を感じさせないのでクラスでは孤立寸前らしい。一応友人はいるらしいが。
「さっきすれ違ったぞ。すれ違い様に目も合ったし、軽く挨拶もした」
「ええー、それは嘘でしょう。流石の俺も目が合えば気付きますって」
「別にいいけどな。こんなのは慣れっこだ」
とは言いつつも不満そうな鶴子。口を尖らせている。
鶴子は無意味に嘘を吐くような人間では無いし、存在感の薄い所は竜二も承知している。
一応フォローしておくかと適当に考える。
「まあまあそう言うのが役に立つこともありますって」
「例えばどんな?」
「……要人暗殺とか」
「私の目指す所とは少し違うな」
少しなのか。要人関係が違うのか、暗殺の方が違うのか。どちらにしろ剣呑である。
竜二が冷や汗をかいていると、鶴子は思い出したように、そうだと手を打った。
「荅川、お前に貸していたDVDなんだが、クラスのヤツに貸すから近いうちに返却してくれ」
「あ、はい。判りました」
「どうだった?」
「なかなか使えました」
使えるDVDと言えばアレである。
「そうだろう。私の選定に間違いはないのだ」
鶴子は嗜好や性格からその人物に合ったDVDを見繕ってくれる。そうしてそういったDVDの布教活動を趣味にしているのだ。完全に変人である。
やっぱり自分の周りは変人しか居ないのではないかと竜二は唸る。
「っつーか鶴子先輩もまだ未成年じゃないですか。よく買えますね」
「その辺の男とは度胸が違うよ」
「いや、そういう問題ではなくて、店側がよく売ってくれますねってことです」
「ああ、別に大丈夫だよ。店員にもよるけど、年齢確認は結構甘かったりするんだ」
飄々と言ってのけるが、あんまり宜しいこととは言えないのではないだろうか。しかし、彼女のお陰で多くの乙女心を捨てられぬ男子が救われていることも事実なので何も言わない。
「ううん、俺もそろそろ勇気を出すべきなのか……」
「それがいい。私も来年は居ない人間だ。そうなればもう見繕ってやることも出来ないんだしな」
感慨深く訳の判らない先輩風を吹かせている鶴子は、それでと襟を正す。
「沙村と一緒に来ていたのではないのか? 愛想を尽かされたとか言っていたが」
「そうだった! 沙村さん帰っちゃったのかな……」
「事情がありそうだな。私に話してみるといい」
鶴子は自信満々だ。きっとその自信に根拠はない。ないからこそ不安だ。しかし、他に宛もなければ一緒に祭りを周る相手もいない。ちょっとくらい話してみても罰は当たるまいと竜二は判断し、先刻の海樹子との邂逅を話して聞かせた。
話をしている間、鶴子は横やりを入れることなく聞いてくれていた。基本的にはいい先輩なのである。
そうして、なるほどと納得したように言うと、お前が悪いと続けた。
「ですよね……」
それはそうだ。流石に自分が悪い。それは認めねばならない。
「まあ沙村はそのことを知らないのだから、そこは後で謝っておけば問題ないだろう。しかし不味かったな。無理矢理付き合わされたとは言え、付いて行ったのは不味かった。何よりアドレスを交換してしまったのはすこぶる不味かった」
「仕方ないじゃないですか。それぐらいしか俺には出来ませんよ」
「お前は何もするべきではなかったよ。お化けに会ったからには逃げるべきだった。怪異譚よろしく無様に走って逃げるべきだったんだよ」
どういうことだろう。別に海樹子は幽霊ではないのだから怖がる必要はない。
「どうもその話を聴いていると『吉備津の釜』を思い出すよ」
「そんな悲惨な話で喩えられるんですか……」
「お前は磯良に取り殺される正太郎のようだ。しかし、決して沙村が袖のような遊女だとは言わんからそこは安心しろ」
言われた通り安心する竜二。
「でもあの話とは大分構造が違うと思うんですけど」
「執念のある女性に取り殺されるという点でそう感じるだけだ。あと結構悲惨な結末を迎えそうな所とか」
「悲惨ですか……そりゃあ俺が取り殺されるから悲惨ってことですよね」
「そうだな。不幸を一身に背負った女性に取り殺される訳だからな。それは悲惨だろう」
本当にやめてほしいと思う。そこまで判断を誤った覚えはない。自分にしては、上々とは言わずとも頑張った方だったのではないかと思っているのだ。
「あのな、お前が彼女に言ったことは正論なんだよ」
正論。道理にかなった正しい意見。それでは駄目なのだろうか。
「正論も正論だ。人間関係の悶着は話し合うことでしか解決をみない。全く間違っちゃいないよ。しかしね、それは一つの意見として間違ってない、ないし正しいというだけのことなんだ。人間関係に於いては正しいとか間違っているだとか、そんなものは概念にすらなり得ない。お前に相談をした彼女はきっと、母親との対話を諦めているからこそお前に相談を持ちかけたんだよ。それを判り切った正論で押しつぶすのは、私は間違いだと思うね」
そうか。そうだった。竜二は思い至る。そもそも七年前、そうやって失敗したのだった。理路整然と、大人ぶって、大言壮語を持ちかけて、そうして関係を瓦解させたのだった。
繰り返してしまった。またやってしまった。
「だから彼女にアドレスを教えたのは失策だった。きっと彼女はお前が力尽きるまで連絡を寄越してくる。丁度磯良がうらめしやと戸を叩くようにね」
自分は恨まれるのかと竜二は落胆する。
「俺、男の子なんですけど、泣いていいですか?」
「やめろ……」
鶴子は顔をしかめる。そして、まあと助け舟を出すかのように続ける。
「お前は精一杯やったんだから、そこは評価に値するだろう。結果が全てじゃないさ。それに連絡がつくなら次がある。力尽きる前に解決すればいいんだよ」
自分は失敗から学ばなかった。次は少しくらいまともにアドバイス出来るだろうか。
「そんなに落ち込んだ顔をするなよ。折角の祭りなんだ、楽しめ。さっき冴木を見かけたぞ。ヤツに相談してみるのもいいんじゃないか? お前たちは百年来の親友のようだからな。あいつなら私よりまともなことが言えるかもしれない」
鶴子は結構まともなことを言ったのだが、そんなことはどうでもいい。どうでもよくなってしまった。と言うか突っ込み所は沢山あるのだが——
冴木。冴木と言えば冴木六朗。
「え? 六朗が何処に来てるんですか?」
「さっき金魚すくいをやっているのを見た」
「ええー、嘘だー。あいつが祭りになんて来る訳ないじゃないですか」
「私は本当に信用がないんだな」
なんでかなあと悲しそうな顔をする鶴子。
「あ! ほらあそこに居るじゃないか」
鶴子の指の差す方を見ると、確かに居た。一番端の屋台で綿あめを買っている。なんて滑稽な絵面だろうか。
「ほら、行ってこい。私は射的をやってくる。最近は銃剣道が気になっているのでな」
銃剣道ってなんだろうと思った竜二だが、今は縁日に顔を出す六朗の方が気になった。そうですかと鶴子を見送ると六朗の方へと歩みを進める。
「おい、能面お化け」
「え?」
侮辱の言葉に振り向く六朗。一応そういう顔をしているという自覚はあるらしい。
「あ、竜二くんじゃないか。何その服装。コスプレ?」
「んな訳あるかよ。私服だ」
「幸せなの?」
「いや、今はどちらかと言えば不幸せかな」
「流石に今のはセンスなさ過ぎかな?」
「端からお前にセンスなんか期待しちゃいねえよ」
いきなりの軽口の応酬。確かにそこには友情らしきものがあるような気がしないでもない。
六朗の手には金魚すくいのオマケかと思われる一匹の金魚が入った袋と、綿あめが握られている。シュールだ。
「何でお前が祭りに顔出すんだ? 全然イメージと一致しない」
「ただの気紛れだよ。竜二くんこそ、沙村さんのこと誘うって言ってたじゃない。まさか怖じ気づいた?」
「ああん? 俺を舐めんなよ。誘ったんだよ。誘ったんだけど色々あってさあ……」
本日二回目の説明。今度は六朗がいちいち補足を欲しがるものだから、ほとんどまるまる、竜二の過去まで洗いざらい話すことになった。
自分はこんなに人に弱味を吐露するような人間だっただろうかと竜二は考える。
「へえ、竜二くんって結構やるね。雄略天皇みたい」
一応その喩えには目を瞑る。自分も開口一番に能面お化けと声をかけたのだから。
「でも、そうだね。僕としてはその青木ヶ原さんが気になるかも」
やはりそこに食いつくか。
「青木ヶ原さんって自殺願望がある人なの?」
「いやいや何処をどう聞いたらそんな考えに行き着くんだよ」
「だって路線に飛び込んで行くなんて尋常じゃないよ」
この能面お化けは人の話を聴いていたのだろうか。
「飛び込んだんじゃなくて、落ちたんだよ」
「そうだね。でもさ、青木ヶ原さんのドッペルゲンガーって本心を代弁する存在なんでしょ? 話を聴いた限り、そんな印象がある」
確かにそうだ。竜二への好意や母親への愛情。ドッペルゲンガーは認めたくないものを認めさせようとしている。
「ならドッペルゲンガーが青木ヶ原さんを線路に落としたのって、自殺願望を代弁したってことにはならないかな?」
「まっさかー、そら考え過ぎだろ」
「そうかなあ」
六朗は特に不満もなさそうに綿あめを頬張る。
「それから、青木ヶ原さんを助け出した千石さん。その人も死にたかったんじゃないかな」
どういうことだろう。それは流石に故人に失礼ではないだろうか。しかし、そんなことを六郎に言ったところで反省するとは思えない。竜二は話を促す。
「電車がそこまで迫っていて、死ぬと判っていながら飛び込んで行ける人なんか居ないよ。それが人助けであろうとね」
「どうかね。日本は死をもってヒロイズムとする所があるぜ? だったらそういう行動もないとは言い切れないんじゃねえか」
「確かに言い切れはしない。けどさ、例えば竜二くんが同じ状況に立たされたらどう? 小学生くらいの子供が線路に落ちた。電車はすぐそこまで来てて、飛び込んで行ったら子供の方は救えても、まず自分は助からない。そんな状況で助けに行ける?」
「申し訳ないけど、無理だな」
助ける義理もなければ義務もない。その上助ければ自分が死ぬ。リスクとかリターンとか、そんなものは問題にならない。
「だよね。僕だって無理。って言うか普通の人には無理だよ。じゃあどんな人なら出来るか」
普通の人間に無理なら——
「そんなトチ狂ったことが出来るのは普通じゃない人だけだよ。とするなら、こんな想像ができる。その千石さんってのは自殺する為にホームに立って居た。そこに、線路に落ちた少女が一人。死ぬのは自分だったはずなのに、窮地に立たされた人間が現れる。千石さんは考える。自殺を邪魔された。どうすればこの状況で自然に死ねるのだろうか。そして導きだされた答えは一つ。少女を助けて死ぬ。最高に狂ってるし、理解し難いけど、それ以外に青木ヶ原さんを助けた理由なんて思いつかないね」
この冴木六朗と言う男は、自分のことを棚に上げて他人のことを狂っているなどと言う。狂っているのはそんな考え方が出来る六朗の方ではないか。
大体助ける必要なんてないのだ。誰が居ようと、飛び込んでしまえば死ねるのだから。竜二は辟易して溜め息を漏らす。
「まあ何にしても、誰にしても、自殺なんて詰まらないよ」
「やっぱお前は変人だわ」
狂っているとは言っても友人だ。表現はマイルドにしておく。
「何だよ。沙村さんに見捨てられたくせに」
「それは言うな……」
肩を落とす竜二。
「本当にショックだったんだね……まあいいじゃない。お祭りは僕と周ろうよ。竜二くんが沙村さんにフられてくれたおかげで僕が寂しくなくなると思えば安いもんだよ」
「全然安くないです。お前と沙村さんじゃ比べ物にならん。大体お前は一人でも寂しくないだろうが」
「全部突っ込んでくれてありがとう」
はあともう一度肩を落とすと、竜二の携帯電話が着信を告げる。着信メロディはビートルズのレットイットビーだ。
「竜二くん結構渋いね。ともすればミーハーと取られかねない選曲だよ」
「うるせえ。好きなんだよ」
端末を開くと、海樹子からメールが届いていた。溜息を一つ吐き、メールを開く。
そこには一言——『白い水晶』とあった。
解呪の言葉。どういう意味が込められているのか。決別か、恩赦か、解放か。何にしても、この言葉を受け取るのはまだ早い。まだ終わっていないのだから。
「竜二」
しんみりとしていた所に声をかけられる。
「うわ!」
「驚きすぎでしょ——ごめん、ちょっと外してたわ」
そこには浪江が立っていた。
「あ、誘ったの本当だったんだ」
六朗が呟く。信じていなかったのか。
「沙村さん! 一体何処に!?」
「青木ヶ原さんに会ってたの。あんたは会った? 何か竜二にも会いに行くって言ってたわよ?」
「え? 海樹子に? 沙村さんが? 会ったんですか?」
四連クエスチョンマークである。
「ええ。そこで待ってる時に声をかけられたの。竜二に会う次いでに私にも声をかけたらしいわ。でも今別れたばかりだからきっと会ってないわよね? 連れてくればよかったかしら?」
「いや、会ったよ。さっき会った。そんで三十分近く話してた」
「それで、帰ってきたら沙村さんが居なくてフられたと思ったんだよね」
六朗は妙な物言いで竜二の説明を補足する。
「三十分? そんな訳ないじゃない。私が声をかけられたのはあんたがトイレに行って十分くらい経ってからよ? あんたと別れてから大体四十五分。私が青木ヶ原さんが話していた時間が三十五分くらかしらね。だったら何処にあんたが青木ヶ原さんと三十分も話す時間があるのよ?」
理数が不得意な竜二は即座に数字に反応することが出来ない。
「お? お? 待て待て。俺の便所タイムが大体五分。そこから外に出て直ぐに海樹子に声をかけられたから……」
「その時点でおかしいね。竜二くんの方が五分早いけど、二人が青木ヶ原さんと会話していた時間を考えると、声をかけられたのは二人ともほぼ同時ってことになる」
沈黙。
「この問題を手っ取り早く解決する方法がある」
六朗が右手を挙げる。
何よ、と浪江。
「二人のうちのどちらかが、青木ヶ原さんのドッペルゲンガーに会ったのさ」
またしても沈黙。どう反応したものか判らない。それは浪江も同じだったようで、眉間を押さえて難しい顔をしている。
「ま、いいんじゃね? オカ研的に」
頭が考えるのを拒否しているようだった。円了気質と言われた竜二もこの現象に説明をつけることは諦めたらしい。
「私はオカ研じゃないわよ」
「まあまあ。深く考えないのが怪異とうまく付き合うコツだよ」
六朗は適当なことを言っている。
「そんなことより、二人ともあんまりお祭り楽しんでないでしょ? 僕は気を遣って鶴子先輩のとこに行くから、あとは若い者同士で頑張って」
六朗はどうやらドッペルゲンガーの話に興味を失ったようだった。適当に適当を重ねた台詞を吐いて去って行く。
「あいつ鶴子先輩に気付いてたのか」
全く侮れないと竜二は本気で感心した。
「ま、そうね。あんまり深く考えても仕方ないか」
浪江も受け入れることにしたらしい。
「竜二、焼きそば奢ってあげる。ほら、行くわよ」
「あいよー」
「青木ヶ原さんと何話したか聴かせてね」
また話さなければならないのか。
しかし、白い水晶の件もある。ここは相談に乗ってもらおうと思う竜二だった。やはり、竜二にとって誰より頼りになるのは浪江なのだ。好きだから頼るのではない。頼れるから好きになったのだ。
祭囃子は夜の街に響いている。提灯には集まるのは蛾ではなくお化け。不思議な夜は不条理に、全くご都合主義的な恋愛模様を映しながら過ぎて行った。




