2-【人-間】
2-【人-間】
「次は、沢井〜、沢井〜」
快適で静かな車内に、時折聴こえるのは車輪がブレーキによって擦れる音。
流れ過ぎていく車窓からの風景は、数週間前に見た実家からの景色と然程変わりは無かった。
東京住みとは名ばかりで、現実はそう誇る方が恥を感じるほどだった。
私は見つけたバイト求人の面接を受けるため、電車で揺られている。
徒歩7分に事務所があるという、御嶽駅へと私は昼時前から足を運んでいた。
車内は座るどころか寝転がれるほど席が空いていていて、見渡して見える唯一の乗客は、旅行で来た様子のアメリカ系の男女。
金髪の2人はキャリーバッグを持って椅子に座り、喋りもせずにずっと見つめ合っている。
少なくとも2人がこれに乗った2駅前から。
――最寄りの駅から揺られて6駅。
青梅線から乗り換えもないし、景色もどこか実家を思い出すような自然が広がっていて、通う分には全然苦じゃないなと今は感じる。
…私は別に、やりたい仕事があるわけじゃない。
ある程度の対人能力はあるし、人と話すのだって嫌いじゃない。
バイトをするのもこれが3度目。なんなら4ヶ月ぽっちだけど一度社会経験も積んでる。
ご飯だって朝昼晩しっかり食べてるし、体もメンタルもそんなに弱くないし、力仕事だって筋トレだと思えば頑張れる。
(…ここで逃げたらこの先困るよ?)
…やかましいわ。逃げてない。
時間が無駄やと思ったから退いただけ。
次会ったら背中に「俺は馬鹿です」って大きく書いたるわ絶対。
今、何言っても言い訳に聞こえるのは悔しいけど。
「…問題は結局、人間関係やから」
過ぎ去る緑を眺めながら、そう私がぽつりと呟いた時、車内アナウンスが目的地到着を知らせた。
「次は〜、御嶽〜、御嶽〜」
痛々しい8月中旬の太陽は、ホームに降り立った私の肌を炙り、自然由来の涼しい風がそこを優しく撫でていく。
「…夏休みなのに全然人おらんやん」
ホームを見渡すも、ここで降りた人間は私以外おらず。
駅を囲んだ鳴り響くセミの声は、私が東京へ一人で来た、という事実を再度痛感させる。
またバイト求人の通知音が鳴り、画面を見たスマホの時刻は11時半前、現地気温は34度。
電車を降りてすぐ差した折りたたみの黒い日傘は、ものの数分で太陽の熱射を凄まじく吸収していた。
「面接は12時からやしな…」
とりあえず私は指定された場所へ少し遠回りしながら向かいつつ、人生で初めてやって来た【御嵩】という場所を散策した。
無人の改札口にスマホをかざして通り、駅を出る。
おみやげと書かれた旗と、山へと続く大きな橋がすぐ目に入った。
旗の後ろにはレトロな雰囲気を感じさせるカフェがあり、コーヒーの香りが「おいで」と私を誘っている。
「ここで野菜も売ってるんや…」
店頭には【地元野菜】と大きく書かれた紙が値札と一緒にボロボロの机に張られており、その上にキャベツや白菜、じゃがいも等が並んでいる。
値段はまあ、近所のスーパーの方が安いけどな。
おじさん2人の楽しそうな話し声が聞こえて、カフェを前にして振り返ると、駅の隣に観光案内所があることも知れた。
「…実家に帰ってきたみたいや」
しかしそう思うほど比例して、私の中のある不安が大きくなってきていた。
現地の人には言っちゃ悪いかもしれんけど…こんな田舎で稼げる仕事って、ほんまにあるんか。
運搬とか整備とか書いてたし、農作物関係だと…勝手に思ってるけど。
不安を胸に私は歩き、気温34度の中、面接会場となる事務所の前へと到着した。
「――じゃあ電話の後にメールで場所と時間送るからよろしくね。あぁ、ちょっと迷いやすいし相変わらず暑いと思うから、何かあったらこの番号にかけてくれてもいいからね」
――応募しようと電話をかけた時、電話に出たのは重く優しい声色をした男の人だった。
その人は自らを店長とだけ名乗り、少し緊張していた私は、名前を聞き忘れたことを電話を切った後に気付いた。
定刻10分前に到着したのは、プレハブのような二階建ての事務所。
アサガオらしき植物のグリーンカーテンが、その1階部分の大半を覆い隠している。
「絶対あそこや」
御嵩駅から見える橋を渡り、道なりに進んだ先で脇道の舗装された道路の坂を登る。
登るとサッカーが出来るくらい広い広場があって、そのすぐ隣にある二階建ての倉庫みたいなのが事務所。
外に2階への階段がついてる。
送られてきた指定場所の説明は的確すぎるもので、文字通りに進めば迷うことなく辿り着けた。
「…あ、あの人っぽい」
少し遠目からでも、事務所の前で誰かが立ってこちらに手を振っているのが認識出来た。
めちゃくちゃ暑いし10分前に到着したのに外で待っててくれたなんて…むしろ心配。
プレハブの屋根の日陰から手を振ってくれていたのは案の定、店長さんだった。
「やあやあよく来たねえ。暑かったでしょ」
「は、はじめまして…応募した森崎です」
「うんうん、はじめましてだね。とりあえず暑いし中入ろうか」
私は日傘を閉じ、緑を迂回する店長さんの後に続く。
…にしても体デカくね?店長さん。
お相撲さんとはまたちょっと違う。
がっちりしすぎてないくらいの体つき。
手も腕も足も大きいし、身長も155cmの私と比べたら頭2つ分くらい高いし。
顔はちゃんと日本人ぽいのにそれ以外は洋画みたいだし。
…なんか、過去に1人2人殺したよとか言われても納得出来るわ。
歩く姿に効果音つけるならズンズンやな。
「おっと…ここ、頭ぶつけないようにね」
「…はい」
店長さんは1階の横開きのガラス戸を開くなり、その型枠をくぐるように少し屈んで中へ入っていった。
…店長さん、お気遣いありがたいんやけど、私の身長やと頭がまず全然届かんのや。
「…ここがミーティングルームだ。あるものは自由に使ってもらって構わないよ」
「あ…涼しい」
外のセミの鳴き声を遮断すると、心地よい冷風が一気に私の全身を吹き抜けた。
道中でかいた汗はすぐに冷え、それによってそれまで気にならなかった衣服のベタつく不快感が一気にやって来た。
「いやぁ外暑かったねぇ。何か飲む?コーヒーか…お茶くらいしかないけど」
「あ、いえお構いなく…お茶は持ってるので私」
「いいんだよぉ遠慮しなくて。こっちの方が冷たいし、熱中症になったら困るからさ、ほら」
「じゃあ、お茶を…」
「烏龍茶か緑茶!」
「緑茶お願いします」
「おっけー」
見渡した部屋の様子はいかにも事務所という感じだった。
部屋全体は白という印象。所々には観葉植物。
室内は私の住む部屋より少し広いくらいで、手前にはミーティング用らしき机と椅子何個かがあり、1番奥に大きな机と大きな椅子が置いてあった。
…絶対、店長用やなあれは。
書類等はどれもきっちりとファイルや棚に整頓されていて、店長さんの性格を物語っているように見える。
店長さんが入っていった、もう一つ奥の扉の先には、恐らくキッチンや冷蔵庫があると予測出来る。
「…はいはいお待たせ。そこの広い机座ってね」
「すみません…ありがとうございます」
冷たいお茶が注がれたタンブラーグラス。
店長さんは親切にコースターも合わせて持ってきてくれて、一瞬だが私は祖父祖母の家に遊びに来たような感覚も覚えた。
「じゃあさっそく本題に入りたいんだけど…」
店長さんはそのサイズの合っていない椅子に大きな腰を置くと、額の汗を拭いながらそう切り出した。
「今回は応募ありがとうねぇ。履歴書、メールで見せてもらったんだけど、ほんとについ最近東京に出てきたんだって?」
「…そうです。1回きりの人生だし、行けるとこまで行ってみようと思って…」
店長さんは自らのスマホを慣れない手つきで触り、目を細めてそのスマホを見ている。
「ごめん、拡大ってどうすればいいのかな」
「あ、えっと、2本指で…こう」
私は立ち上がり、店長さんのスマホに写った自分の履歴書を拡大して見せた。
「おー、見やすい。ありがとうありがとう」
店長さん…可愛い1面もあるんやね。
「いやー、すごいと思うね僕は。僕が19の時…こんな行動力は無かったからねぇ」
「いえ…ありがとうございます」
店長さんも一緒に自分用でコーヒーを持ってきたようだが、気付けば中身は氷だけになっていた。
「前の会社はなんで辞めちゃったの?」
私は一瞬だけドキッとした。
答えに自信が無いし、バイトの面接という場でクソ上司なんて言えない。
嘘はつきたくないし、やんわりと事実は伝えなきゃいけない。
「ちょっと、上司が…その、合わなくて」
「あぁ、上司がクソだったの」
「えっ、まぁ、はい…」
「はぁ…人間って地位を得るとすぐ調子に乗るからねぇ、まぁそこは仕方ないさ」
…この人とは気が合いそうやわ。
「東京での一人暮らしはどう?大阪とじゃ結構違うんじゃない?」
「…そもそも一人暮らしが初めてで、住む環境はそんなに変わらへんのですけど…やること多くて大変、ですね」
少し考えた後、店長さんは私の目を見て笑顔を作った。
「うんうん、大いに結構。挑戦しようと思い、それを実行出来てるだけでも、現段階じゃ満点以上だね」
「…!」
その一言で私の緊張は一気に解けた。
――上京を言い出した時、両親は私の行動に最後まで反対した。
8つ離れた妹が生まれてから、それまで私のことなんて全然気にかけてこなかったのに。
久々に人の温かさというのを感じた瞬間だった。
「…いえ、まだ結果が出せてないので」
「大丈夫。まだ始まったばっかりだからね」
その時、あいつの言葉がまた過ぎる。
(大丈夫。俺もちゃんとフォローするからな)
同じ「大丈夫」なのに、どうしてこんなにも違って受け取れるのだろうか。
「そういえば、バイトはいつから入れそう?初日は体験って感じでゆるくやってもらうつもりなんだけど」
「全然、明日からでも大丈夫です」
「よーし、話が早くて助かるね。じゃあ明日、朝9時にここへ来てもらえるかな。詳しい仕事内容も明日にしよう…言葉で説明するより実際やってもらった方が覚えるからね」
私はスマホを取りだし、スケジュールアプリの明日の欄にしっかりとメモを残した。
【9時事務所 15分前出勤】
――それから話が一通り終わり、店長さんはじっくりと私の履歴書を見ている様子だった。
「森崎ちゃんはさ、人間って聞いてどう思う?」
店長のタンブラーの氷が、カランと音を立てる。
「…え、人間ですか?なんでまた急に」
店長さんはスマホを机に置いて腕を組み、少し俯いて話し始めた。
「…少し前にバイトの男の子が突然辞めちゃってねぇ。キミと同い年くらいで、1年くらい働いてくれたんだけど」
「私と…同い年くらいですか」
「…そう。あまりに急だったから、他のバイトの子も驚いちゃってねぇ。それから自分が人間として何かだめだったのかなぁって思い始めてしまって…」
店長さんは右腕に出来たアザを擦りながら、虚ろげな表情を浮かべた。
「…ぶっちゃけ、8人だった頃ですらカツカツだったんだけどね」
私は思った。
この人の人柄がこんなに良いのなら、原因はきっと別だと。
業務内容か――、あるいは、
多分【人間関係】。
…仲間と見えんとこで喧嘩でもしたんかな。
「人間、ですか…」
「そう、キミはどう思う?」
…私はまだ希望を捨てない。それが、誰かから見れば立派な綺麗事だったとしても。
「人間は…手と手を取り合って、協力して助け合って生きていく生き物だと、うちは思います」
私のタンブラーの氷が、カランと音を立てた。
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