第9話
実のところ、俺が剣を取ったのは誰かを守りたいとかそんな御大層な理由じゃなく、ただそうしなければ生きていけなかったからに過ぎない。
使命感や理想なんてものはなかった。それどころか人類を味方とさえ思っちゃいなかったし、積極的に魔族を殺したいわけでもなかった。ただ当時はどっち付かずが許される状況じゃなかった。人類と魔族、両者を天秤にかけてまだ人類の方が自分にとってマシと、消去法で魔族に剣を向けたのだ。
勿論、敵には俺の事情や気持ちなんて関係ない。一度剣を向けた後は泥沼の争いに引きずり込まれ、ただただ夢中で魔族を殺しまわるはめになった。
手を抜く余裕なんてなかったし必死だった。生き残るために。疑われないために。自分の居場所を作るために。戦い、救い、善い人であろうと仮面を被り続けた。
そんな俺に好意を持ってくれる女もいたが、目を逸らして気づかぬフリをした。
自分は所詮、善人の皮を被った畜生で、人のフリをしたまがい物。彼女の隣に立つ資格などあろう筈がなかった。
剣を振るって、殺して、突いて、殺して、砕いて、殺して、裂いて、殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺──
不意に、何故こんなことをしているのだろうと我に返ることがあった。それはきっと良心などではなく、ただの気の迷い。自分に流れる血が見せる幻だ。
人類と魔族が殺し合わなくてすむ世界を夢見た。
その真ん中で笑う自分を夢に見た。
これだけ魔族を殺しまわった後で今更殺したくないなんて悪趣味にもほどがある。ジョークだとしてもあまりに醜悪で酷いセンスだった。
二度とこんな夢を見ないですむよう、血塗れの現実に耽溺し──そこで、光を見てしまう。
『一緒に行こう!』
アレンは俺にとって光そのものだった。最初はその眩しさに目を逸らし、苛立ちをぶつけたこともあった。光の当たる場所で生きてきたお前にいったい俺の何が分かると殺意を抱いたことだって一度や二度ではない。
けれどその光はいつしか俺にとってなくてはならない存在となっていた。
『諦めるなよ。夢物語でも妄想でも誰に間違ってるって言われたとしても、お前がそうしたいと願ったことだろう? そいつを諦めて、明日のお前は笑えるのか?』
全てを晒した俺を、アレンは受け入れてくれた。
『俺にも同じ夢を見させてくれよ。例え上手く行かなくたって、お前と一緒に見る明日はきっと綺麗だ』
だから勝手に思い込んでいた。
『アレンッ!!!』
『……ごめん。オフェーリアに、ごめん、て──』
この光は決して消えることなどないのだと──
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『…………』
無言で見つめ合うユーリとアレン。
墓地までユーリたちを案内してくれた村人のポップは二人のただならぬ雰囲気に気圧されてそそくさと立ち去って行った。
本音を言えばエランも一緒にこの場を離れたかったが、ユーリの侍従という立場がそれを許さない。彼は息を呑み、声と気配を殺してジッとその場に立ち尽くした。
「…………」
「…………」
長い沈黙の後、先に口を開いたのはアレンの方だった。
「何故こんなところに? お前は王都にいる筈じゃ──」
それは別段おかしな言葉ではない。王都にいる筈の息子が碌に護衛も連れずお忍びでこんな寒村にいるのだ。父親としてそれは当然の疑問だろう。
だがそんな当たり前の言葉でさえ、今のユーリを激昂させるには十分な刺激だった。
「──何故? それはこっちのセリフだよ。父さんこそ西の国境線から動けないんじゃなかったの……?」
頬と肺が震え、普段の丁寧な言葉遣いが崩れていた。
「それは──」
「今案内してくれた人が教えてくれたよ。父さん、毎月この村に来てるんだって? 家に帰る時間は作れなくても、墓参りは欠かさないんだね?」
「…………」
アレンは言い訳の言葉を呑み込む。どう言い繕ってもユーリを納得させることなどできそうにないし、爆発するのは目に見えていた。
だが黙っていればやり過ごせるなんて甘い話も当然ない。
「──アレンさん」
「!」
その名に込められたニュアンスと意味に父の身体がビクリと震える。
「ああ、父さんのことじゃないよ。さっき私たちを案内してくれた人の幼馴染の名前でさ──私に、瓜二つらしいんだ」
「…………」
父は何も言わない。ただ沙汰を待つように諦観の混じった表情でジッとユーリを見ていた。
そんな情けない彼の姿にユーリは奥歯を噛みしめる。
「もう亡くなってるそうだけど、本当によく似てるらしくて。ひょっとしてそのアレンさんの隠し子なんじゃないか、なんて言われちゃったよ」
「…………」
「その人は勇者隊に参加してたらしいから、ひょっとしたら父さんとも顔見知りだったかもしれないね──あ。もしかしてそのお墓がそのアレンさんのお墓だったりするのかな?」
そう言って、ユーリは父の背後の墓を睨む。ただその辺りの石を置いただけのような周囲のそれとは異なり、切り出され加工されたしっかりとした石造りの墓だ。
父は墓に刻まれた名を隠すようにそこから動かないが、ユーリはそれが『アレン』の墓だと既にポップから聞いて知っている。
「……黙ってないで何か言えよ」
押し殺すような低い声がユーリの喉から出た。
「その人が……私の、本当の父親なのか……?」
『本当』だなんて、これまでの関係を否定するような言葉を使うつもりはなかった。父に感謝はすれど、責めるつもりはこれっぽっちもなかったのだ。なのに、言葉が止まらない。
「そこにいるのが私の本当の父親で、父さんも母さんもずっと私を騙してきたのかって聞いてるんだ!! 答えろよ!?」
言ってしまった。ユーリは荒い息を吐く。
父が顔を苦し気に歪め拳を握りしめるのが見えた。
「ユーリ。俺は──」
この時アレンは完全に目の前のユーリに気をとられ、酷く狼狽していた。
魔族と何十年も戦い続けてきた彼は、どんな時でも決して警戒を緩めたことがない。食事中も排泄中も就寝中でさえ、脳のどこかが覚醒して周囲を警戒していた。
けれどこの瞬間、彼は十数年ぶりに無防備な姿を晒してしまう。
──ドシュッ!!
「ぐぅっ!?」
知覚外から高速で飛来した魔力の弾丸がアレンの右肩を貫き鮮血が噴き出る。その衝撃にアレンは膝をつき、腕に抱えていたフルフェイスの兜が地面を転がった。
「父さん!!?」
「来るな!!」
──ヒュドドドッ!!
悲鳴を上げて駆け寄ろうとしたユーリを、アレンは片手を上げて制止。次の瞬間、今度は複数の光弾がアレンのいた場所に放たれ、彼は地面を転がってそれを回避した。
何が起きたか分からず硬直するユーリとエラン。
「──完全に仕留めたと思ったが、急所は避けたか」
声が聞こえた方に振り返ると、5、6人の武装した男たちがこちらに向かって近づいてきていた。その顔には特有の紋様が浮かんでいる──魔族だ。
「だが、利き腕は奪った。何年も貴様を追い機会を窺ってきたが、とうとう隙を見せたな」
「……ストーカーかよ」
アレンが肩を押さえながら立ち上がる。
「休戦に反対する魔族のはねっかえりってとこか。ったく、覗き見程度なら見逃してやったのによ……」
そう言ってアレンは利き腕ではない左手で剣を抜く。
「片手を奪ったぐらいでのこのこ出てきやがって。この程度で俺に勝てるつもりか?」
アレンのその言葉はユーリたちには強がりにしか見えなかった。しかし魔族の襲撃者たちはそれを嗤わず、警戒を緩めない。
「いや。曲がりなりにも貴様は我が君を倒した男だ。手足の一本や二本奪ったところで殺せるなどとは己惚れておらんよ」
「?」
魔族の言葉にアレンの表情が訝しげに歪み──
「しかし、貴様以外はどうだろうな?」
その言葉の意味に気づくのが一瞬遅れる。
──ヒュン!
魔族が放った光弾が、立ち尽くし硬直していたユーリに向けて放たれた。
「!?」
「ユーリ!!」
呆然としていたユーリはそれに反応できない。
アレンであっても、その位置とタイミングでは間に合わない。
光弾は無防備なユーリの胸に吸い込まれ──
「ぐっ!」
「エラン!?」
その寸前、飛び出してきたエランが盾となり、彼の身体が鮮血をまき散らして地面を転がった。我に返ったユーリがエランへと駆け寄る。
「エラン! しっかりしろ!!」
「う゛ぅ……」
息はある。衝撃で意識は朦朧としているが、辛うじて急所は外れていた。
魔族はそんなユーリとエランを見て鼻を鳴らし、視線でアレンを牽制する。
「動くな。そのガキが貴様の急所であることは理解している。動けば今度こそそのガキどもは──」
「────」
──パリッ
その瞬間、戦場に雷光が奔った。
──斬ッ!
「────は?」
魔族は突然肩から先が宙を舞った自分の右腕を見つめ、間の抜けた声を漏らす。
彼らの視界に映ったのは雷光を纏い、剣を振り抜いた体勢で制止する一人の剣士の姿──それはつい先ほどまで蹲っていた筈のユーリだ。
ユーリの突然の変貌に、魔族たちは混乱しながらも反射的に彼に攻撃を仕掛け──
『!?』
──斬斬斬斬斬ッ!
しかし文字通り目にもとまらぬ圧倒的な速度でユーリは彼らを斬り伏せる。
その光景に、かつて魔王と共に戦ったことのある魔族のリーダーは見覚えがあった。
「雷、神──!?」
かつて最も多く同胞を虐殺した魔族にとっての恐怖の象徴──その最悪のトラウマを想起させる光景に魔族は錯乱して周囲に無数の光弾をまき散らした。
「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
本来ならそんな雑な攻撃は無視しても大勢に影響はない。
──斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬ッ!
「──!??」
だが、雷光そのものと化したユーリは勢いのままその全てを叩き落とし消滅させてしまった。
「…………」
「終わりだ」
突然現れた理不尽な怪物を前に、恐怖に身体を震わせ立ち尽くす魔族。ユーリはそれに無造作に近づき──
──ガクン!?
「──!?」
「…………は?」
突然ユーリの全身を覆う雷光が消失し地面に膝をつく。一瞬遅れて魔族は彼に何が起きたかを理解した。
「は、はは……お、驚かせやがって! そりゃそうだ、いくらなんでもあんな馬鹿げた動きが続く筈がない! どうせ火事場の馬鹿力、後先考えず動いて魔力を使い果たしたか!」
「………っ」
魔族の言葉はユーリの現状を的確に言い当てていた。
親友を傷つけられたことによる激昂と覚醒。だが急すぎる覚醒と初めての実戦とでユーリの魔力はあっという間に底をつき、その身体は無茶な動きをした反動で立ち上がることもできなくなっていた。
魔族は恐怖を誤魔化すように哄笑を上げ、無防備なユーリに止めを刺そうと腕に魔力を集中させる。
「くたば──!」
──轟!!
だがその腕が振り下ろされることはなかった。魔族の身体は豪炎を纏った斬撃に薙ぎ払われ、灰も残さず一瞬でこの世から消失する。
その斬撃の主が誰であるかなど今更確認するまでもない。ユーリはゆっくりとそちらをふり返り──
「父さ──」
父の顔に浮かぶ魔族固有の紋様を見て、絶句した。
そして同時に。彼の頭の中で無数の点が繋がり一つの線となる。
「──そういう、ことか……」
「…………」
アレンは沙汰を待つように、無言でユーリを見つめていた。
「ずっと不思議だったんだ。私と父さんの血が繋がっていなかったとして、それを隠す理由は何だろうって。何でそんなことにセシル様たちは協力してるんだろうって」
セシルは嘘を吐いていなかった。それどころかルドガーもキルシュも、誰もユーリに嘘は吐いていなかった。
「何でこんな単純なことに気づかなかったんだろう。セシル様たちは、私の前で一度も貴方のことを『アレン』と呼んだことはなかった」
ユーリは16年間自分が父と呼んだ男の目を見て、その言葉を口にする。
「貴方はアレンじゃない──勇者アレンは、死んでいるんだね?」




