根源に触れました
「またね、陽太君」
刹那、懐かしい声が聞こえた気がした。
俺からすれば彼は赤の他人だ。
それでもあまりに衝撃的だった。
驚きに目を見開いた彼の表情が変わることはもうない。
死とはそういうものだ。
それ以降誰も死人の表情の変化をまた見ることは出来ないし、声をまた聞くことも出来ない。
全ての「また」が消えてしまうのである。
そしてそれがあまりに唐突に訪れることも俺は知っている。
間に合わなかった。
彼はただ死んだのではない。愛し合った相手に殺されたのだ。
そして彼女は愛し合った相手を殺したのだ。
誰も悪くない。彼女は望んで歪んだわけではない。男が彼女を振ったのは優しさ故だ。誰も自分自身以外誰を責めることも出来ない。
きっと誰の中にも後悔が残る。
俺の中にもだ。彼を、彼女を、救うことが出来たのは俺だけだ。にも関わらず手間取ったばかりにこの有様だ。
何が魔法少女か。
人が死ぬのを阻止するのは当たり前だが、歪物を倒すということは「殺させない」という重い意味がある。化物になるほど好きなものを自分の手で壊すなんてこと、絶対にさせてはいけないのだ。
その重大さに思い至らなかった俺は馬鹿だ。
手を抜いたわけではない。全力でやった。きっとこうなったのは意識の問題ではない。
そんなことは分かっていたって、そんなことは言い訳にならないくらい俺の罪は重い。
――でも、だからこそ。
今は後悔している場合ではない。
歪物が殺そうとするのは彼だけではないはずだ。
こちらを向いた歪物の足取りは軽やかだ。
二振りの刀を構える。右足を前に出して足を開き、左は中段、右は上段。
濡れた靴底が体育館の床をキュキュっと鳴らす。
アニメで見た主人公の構えを見様見真似だ。普通ならアニメの真似なんてしたところで上手くいきっこないが、歪みがあれば話は違う。多少のファンタジーな動きならできるはずだ。
――一撃で砕く!
花びらを一気に粉砕してそのまま根源を破壊する。それが一番だ。しかし普通にやれば威力が足りない。ならばどうするか。
勢いをつけて威力を増強する!
単純だが俺にはそれくらいしか思いつかない。
もはや走るというより跳ぶような勢いで床に破裂音を鳴らす。
体育館の端から中心までは二十メートルくらいはありそうだが、俺の刀が届く間合いまでは2歩あれば余裕だろう。
と、ほとんど同時に歪物の黒い左頭が破裂する。あまりに突然。
「はっ!?」
それによって花びらが散る。散ると言っても朽ちて落ちるのとはわけが違う。爆散だ。
その硬さは経験済みだ。そして硬いだけじゃない。速い。直撃すればただじゃ済まない。なんでこう歪物の飛び道具ってやつはみんなむちゃくちゃな威力なんだろうか。
しかし前の風船の歪物と同じで俺を狙ってのものというよりは、散り散りに花びらは飛んでいる。だから動かなくたってそう何発も当たるものじゃない。
最初の着地点はちょうど元居た位置と歪物との中間辺り。そしてそのまま2歩目に踏み出せば直後に被弾する。警戒するべき花びらはそれだけだ。
だから1歩目を着地したところで単純に2歩目を踏み出すことは諦める。前に進もうとする勢いのままにその場で回転して花びらを打って弾き飛ばす。
それは上手くいった。悪くない。だがただ爆発しただけじゃ終わらない。左首のがくから無数の茎が生えてきた。そしてそのうちの何本かは鞭のようにしなって俺を狙ってくる。黒いそれらには棘が生えていて見ているだけで痛々しい。一本一本が触手のようにうねうねと動いていて気持ち悪さもある。
足払いのように打たれる茎は縄跳びの要領で躱して、上から叩きつけるようなものは右へ移動して回避。いずれにしても歪物へ向く足は止めざるを得なかった。歪物に近いほど触手の数は多い。これ以降は今までのように簡単には間合いを詰めさせてもらえそうにない。
ただ不幸中の幸い。根源があるであろう頭の数は減った。狙いが絞れたのは悪くない。
根源があるのは白い方の頭だ!
と、茎の1本がスーツの男の方へ向かうのを見逃さない。少しバックステップして茎に刀を振るう。これが意外なほど柔らかくあっさりと斬れる。
切れた触手が黒い靄を放ちながらもトカゲのしっぽのように床でうねうねしているのが気持ち悪い。
しかし手が多いうえに伸縮自在の触手が多数ときたか。面倒だな。
「背中は守りますから、全力でこの場から逃げてください!」
こうなると守りながら戦うのが困難なことは容易に想像できる。なので一旦攻めることを諦めて、体育館の入口へ後退する。
そもそも歪物のターゲットは俺じゃない。彼女は男を殺すのに邪魔だから俺を攻撃しているのだ。だから離れていてはただただ男が危ない。
入口で膝をついて呆然と生首を見ている男の前に立つ。
廊下は一本道なので俺が入口さえ守っていれば男に攻撃が及ぶことはないだろう。だから男が逃げられるまではひとまず防御に徹しよう。
茎の1本1本はそこまで硬くないしな。
「……逃げる」
しかし俺の言葉を繰り返した男が立ち上がる気配はない。生首を見つめる目の焦点が合っていない。
そりゃ知り合いが急に生首になっていればわけ分からなくもなるか……。
「これ以上彼女に大切なものを壊させないであげてください! あなたのことまで殺してしまったら彼女は――」
彼女はどうなるのだろうか。修正された女の子には歪物だった時の記憶が残っているのだろうか。
どうであれ殺したという事実は変えられない。そして二度と会えなくなるということもだ。こんなに残酷なことはない。
激しくなった茎の動き。何本ものそれが鞭のように、あるいは槍のように迫る。ほとんどがソニックブームを発生させるような速度だが、刀をぶんぶん振るって正確にそれらを刈り落とす。
アニメでもこの構えをするキャラクターは連撃が得意だった。それを真似している俺も連撃が得意だと言えるだろう。よく分からんけど。
ともあれ茎がどれだけ来ようと今の俺の反射神経なら余裕で捌ききれそうだ。むしろ一撃が重い分、殴りかかられた方が辛かったかもしれない。
「とにかく、今は逃げてください! 彼女のことは俺が責任をもって元に戻しますから!」
俺が怒鳴ると、虚ろだった男の目の焦点がようやく合ってくれた。ハッとしたように俺を見ている。
「僕の大切な人を僕自身が守れないというのは辛いものだな……」
「あなたが殺されないことが、彼女を守ることそのものですよ」
男はよろけながらも立ち上がると背中を向けて階段を下っていく。さすがに見送っている余裕はないが足音でなんとなくそれが分かる。
歪みは聴力まで上げてくれるから便利だ。
このままでは男を仕留めるチャンスは永遠に訪れないと理解したのだろう。茎による攻撃が完全に止む。
そして代わりに歪物本体がこちらへ全力疾走してくる。俺を跳ね除けて男を攻撃するつもりか。
だがこれは好都合だ。
俺は豪速球のような突進に合わせて一歩踏み出し、2本の小太刀をバッターのごとくフルスイング。白い薔薇にジャストミートだ。
敵のスピードも乗っているので激突の衝撃は凄まじいものだろう。
――キャイィィィン
そんな甲高い音が体育館にこだまする。まさに金属で石を叩く音そのものだ。
歪物は野球ボールよろしく体育館の反対側の壁まで見事に吹き飛ぶ。
白い花びらに深さ3センチほどの傷が入ったのが飛ばす直前に確認できた。
しかし残念ながらそれだけだ。頭を破壊するには至っていない。
それどころか、俺の刀は2本とも綺麗に折れてしまった。
普段ならまた創ればいい。そう思えるところだが、今回はそう上手くいかない事情があるのだ。
舞台の上の壁に掛けられたアナログ時計。それを砕きながら足を着いた歪物が文字盤を蹴ってこちらへ突進してくる。それはロケットか何かのようにすら見える。
刀を創っていては間に合わない。そもそも強度が足りないのなら花びらを砕ききれるわけがない。ではどうするか。今俺の持っている最高硬度のものは――
スイングの勢いを殺さず左足を軸にしたままその場で一回転、さらにもう一回転。スカートがぶわっと広がる。気分はバレリーナだ。おまけの三回転目で回転の速度を限界まで上げる。
そして、歪物の最接近に合わせて手を突き出す。拳ではなく開いたままの手だ。指と指の間は閉じて擬似的に手で槍を作る。
「突き指で終わりませんようにっ!」
全身全霊の歪みをこの手に!
服が弾け飛んでパンツ一丁になるが今は気にしない。てか歪みで創った魔法少女の衣装が消えるのは分かるけど元の服に戻るんじゃないの!?
などと考えている余裕があるのは、予想を遥かに超えて俺の攻撃の威力が絶大だったからだ。
歪物の頭に俺の手が入っていく。俺は彼女の身体に一切触れていない。触れる前に花びらが捻切れて裂けていくのだ。
その傷口は刺突でも斬撃でもそうはならないような、文字通り捻って無理矢理にちぎったような歪んだものだ。
そして薔薇の中心あたりに手が到達すると、硬くて温かい何かに手が触れ――
「こいつ、俺の連れなんで」
私が彼を初めて意識したのはその時だった。忘れもしない中学一年生の夏。
その時はおかしくてつい笑ってしまったのだけれど。
ハチ公前は待ち合わせをする人で溢れかえっていた。そんな人混みを小走りで器用に抜けてきて、後藤くんは私の手を握った。
「君がこの子の彼氏なのかい?」
私の隣に立った男はからかうように言う。
「そ、そうだが。何か文句あるか?」
「……あはは、そうかい。からかって悪かったね。僕はナンパとかそういうのではないから安心してくれていいよ。嘘もつかなくていい」
後藤くんが睨みつけるのを意に介さず、男は朗らかに笑った。
「ほ、本当か……?」
今度は私に視線が向いたので苦笑いで頷いておく。
「彼は?」
「クラスメイトの後藤くんだよ」
後藤くんは解せないという顔ではあるが「うっす、勘違いしてさーせん」と小さく頭を下げた。
イケメンでスポーツマン。クラスの女子の間では大人気な後藤くんだが私はあまり話したことがなかった。
「あ、勘違いだったなら俺もう行くんで。それじゃ」
後藤くんはさっぱりとした性格らしい。軽く手を上げるとこの場から立ち去ろうとする。ので、半袖Tシャツの裾を掴んで引き留めて、耳元に口を寄せる。
「ありがとう。ちょっとかっこよかったよ」
許嫁の前で言うのはどうかとも思ったが、どうしても言いたくなってしまったのだから仕方ない。
お兄ちゃんはとても優しい人だ。
私を世界で一番幸せにしてくれる人。
私を世界で一番想ってくれる人。
私を世界で一番愛してくれる人。
いつだって私にたくさんのものをくれるのに、私は何もあげられていないのではないだろうか。
そんな話をしたら笑われた。
笑われること自体は解せないが、楽しそうで柔らかい表情が彼にはよく似合う。
「君は僕のあげたものを受け取って『くれる』じゃないか。それだけで僕は満足だよ」
「でも……」
「それに君は分かっていないようだけど、僕の方こそ返せないほどのものを君から貰っているよ。気持ちも家事も楽しい時間も全部君に貰ってる。嫁に来るのが今から楽しみだよ」
「お、お嫁さん……」
お兄ちゃんは恥ずかしげもなくそんなことを言う。素直でまっすぐで嘘がつけない。
私が始めた話題だけどこそばゆくなってきた。
「僕の人生は君と幸せになるためにあるんだ」
――あぁ、もう!
顔が熱い。言葉が出ない。
感情の捌け口が欲しくてお兄ちゃんの手をペチンと叩いた。
「君に永遠の愛を捧げるよ」
「俺と、付き合ってくれないか」
「私も愛してる」
「私も後藤くんのこと、大好き……」
「君の気持は本物だって、ずっと一緒にいた僕なら分かるから」
「お前は良くも悪くも素直だからな」
「君が幸せならいいよ、僕一人じゃなくても」
「……俺は、二番目だろうが三番目だろうがお前といられるならそれで……」
――ダメだよ、そんなの。
許されるわけがない。
でも気持ちはどっちも本物で、どっちかを選ぶなんて出来ない。二人は優しいから何も言わないけれど、良くは思っていないだろう。そんなの当たり前だ。
それでも――好き。
「僕は君のことが嫌いだ。もうこんな関係は解消しよう」
私が15歳の誕生日を迎えてから一月と少し。今日彼が別れ話を切り出した。
下手くそな嘘だ。ついさっきまで楽しく過ごしていたくせに、急に嫌いだなんて。
それに嫌いな人間に嫌いと告げる時に、そんなに苦しそうな顔をする人はいないよ……。
でも、嘘でも、あなたにだけは嫌いだなんて言って欲しくなかった。
言葉も返せず涙を隠そうとしゃがみ込んだ私に、彼は手を伸ばしかけて引っ込める。
「……僕はもう行くよ。父さん達には僕から話しておくから」
雨水越しで揺れる視界の向こう、お兄ちゃんの背中はゆっくりと離れていく。
そっか。あなたまで私は間違ってるって言うんだ。そんなこと私が一番分かってるのに。私が私を否定してもお兄ちゃんだけは私のことを絶対に肯定してくれると思ってたのに。
そんな想いが胸の中でもやもやと広がっている。
ううん、本当は違う。お兄ちゃんは私の気持ちが間違っているなんて最後まで言わなかった。お兄ちゃんは私のためにこんな辛い思いをしてくれているんだ。それを理解しているのに。どうしたって被害妄想は収まってくれない。
お兄ちゃんが肯定していてくれたから、私はほんの少しだけ自分の気持ちが間違っていないのかもって思えてたんだ。
でもやっぱり二人の人を好きになるなんておかしいことなんだよね……。
とっくに分かっていたはずのことがなぜか今更になってずんとのしかかってくる。
辛い、辛いよ、私が好きになっちゃったから。こんなに辛いんだって知ってたら人を愛したりしなかった……いいや、知っていたってきっと私は二人のことを好きになっていたかな。
――ならいっそのこと、お兄ちゃんも後藤くんもいなければこんな想いしなくて済んだのかな。
歪みの根源が熱を持っていることを初めて知った。これまで素手では触らなかったから。
触れた瞬間に彼女の思い出と気持ちが自分のもののように流れ込んできた、
やはり彼女は二人のことが本気で好きだったんだ。それでいてそんなのはおかしいと自分自身を強く否定もしていた。
それで歪物に……。
悩む必要なんてそもそもなかったのに。そりゃ、正直俺には理解してあげられない部分があるけれど、後藤くんもお兄ちゃんと呼ばれていた男も君の気持を否定したりしないだろう。
ただ分かっている。当人たちの気持ちだけではどうにもならないことがあるんだって。そして15歳の女の子に賢く折り合いをつけるなんて簡単にできることではないのだろう。それはどこかで妥協して気持ちを諦めるってことだから。
俺は根源を優しく握り、歪みを込めて砕いた。
「どうか幸せになってください……」
願わくば後藤くんを手にかけたことを忘れていますように……。
歪物の全身からは黒い靄が噴き出し、すぐ傍にいた俺ごと彼女の身体を包み込んでしまった。そのせいで視界はほとんどなくなってしまったが、触れている彼女の身体が小さくなっていくのが分かる。きっと元の姿にも戻ろうとしているのだ。
そんな彼女が力なく倒れそうになったので肩を支えてゆっくりと床に寝かせてやる。
「終わりか……」
とりあえずこの場を去ろうと身を翻すと足がふらついて壁に手をつく。自力では歩けそうにないので壁に寄りかかるようにして前進。
靄を出るとぐにゃりと視界が歪んでいることに気づく。目が回るようだ。疲労感も凄まじい。
「歪みの使い過ぎか……?」
壁を伝って速やかに体育館を後にする。もしすぐに彼女が起きたりしたら関わらないわけにはいかなくなるだろうからな。
扉をくぐる前に少し振り返って、中心で倒れる後藤くんの身体に手を合わせた。
階段が辛い。一段降りる度に意識が落ちそうになるのを必死にこらえながら、なんとか最後の一段を降りたところでサングラスをかけた黒ずくめのマッチョ男と鉢合わせる。教師にしてはいささかいかつすぎる見た目だ。
「お疲れさまです、ひかり様」
野太い声。こんなやつ知り合いにいたか……?
……ダメだ、頭も回らない。
マッチョは深く頭を下げて挨拶してくると、自身のスーツの上着を脱いで俺に掛けてくれる。そういえば俺、上半身裸だったか。
「外で桃花様がお待ちです。事後処理はお任せを」
「事後処理……? まあいいや、任せます」
事後処理って何?
見た目とかそれっぽいしメンインブラック的な?
記憶消したりするの?
まあいいや、今はもう疲れた。
建物を出ると傘をさした桃花がいた。
「ひかりさん、ごくろうさまです。大変だったみたいですね」
こちらに傾けてくれた傘に一緒に入る。雨粒が傘に当たる音が少しうるさい。
「大変、でした……」
桃花が俺の目元を拭ってくれる。どうやら泣いてしまっていたらしい。
いつ以来だろう、涙を流して泣くのは。覚えている限りでは本物の小学三年生だった時が最後だ。もう十数年前になる。
「大丈夫です。あなたは悪くありませんよ」
俺の頭を撫でる桃花の手は温かい。しかもこの優しい声を聴いていると本当に全部許されるような気がしてくる。
でも――
「悪くないなんて――」
そんなわけない。そう言葉を繋ごうとして失敗する。
視界がぷつんと暗転し、全身の感覚が消えた。
眠るように、思考も落ちていく――。
いつもありがとうございます。




