強敵が現れました
真実の愛なんてものがある。
それは清く尊く美しい純愛。
永遠に変わることのない不滅の愛。
そして何より信じられること。
――愛を与えてくれる相手を、
――愛を受ける自分を、
――愛を与える自分を。
むしろそれだけができれば真実の愛は成立するはずだ。なぜなら永遠とか不滅とかそんなのは未来にしか分からないことだし、清いとか美しいとかそんなのは主観の問題でしかない。
だから無責任に、自分の愛はそれらに該当すると信じていればいい。
しかしそれだけのことが簡単ではない。
いや、本来なら難しい問題ではないのだろう。純粋な少女であればあるほど。
ではなぜそれができないのか――
眼前3センチにまで迫った黒い左拳を橙色に光る小太刀で受け止める。刃を突き立てているのに拳には一切の傷がつかない。まるで岩を叩いているような感覚だ。
そんな拳を受け流すように弾いて、次に迫りくる黒い右拳を受け流す。
次に飛んできたのもまた右拳。こちらは白い。
「それズル過ぎでしょ……!」
拳を止めていた刀を手放して腰を落とす。俺の体勢が変わったことで黒い拳は空を殴っただけに終わるが、もう一つ白い方の右拳が俺の顔面を捉えようとしている。
その拳を半身で避けて腕を掴む。そして身体を回転させながらの背負い投げ。
柔道は昔体育の授業でやったきりなので技術はまるでないが、歪みを利用した剛力で強引に投げる。
5メートルほど先に着地した彼女は俺を警戒してかすぐには反撃してこない。
「大丈夫ですか!?」
俺は背後で腰を抜かしているスーツの男に声を掛ける。若い男だ。大学生くらいだろうか。そんな若さに見合わずスーツは高級そうだが、大粒の雨のせいでびしょびしょだ。
「ぼ、僕は大丈夫、です。それよりあれは化物、ですか……?」
「……人間、とは言えないかもですね」
どう見たって今の彼女は化物だ。
頭が二つに腕が左右に二本ずつの四本。身長は160センチといったところだろうか。身体は細身でスタイルの良い女体のように見える。
今まで戦った歪物に比べれば人型に近いが、二つある首から上に顔はない。その代わりに左右それぞれ黒と白の薔薇が咲いている。四本の腕は骨格がどうなっているのかはよく分からないが、普通に肩から生えたもの加えて本来脇の下であろう部位から生えているようだ。左右共に上の腕は黒く、下の腕は白い。
肌は岩のように固く、体重もかなりある。どこをとってもまさに彫刻のようだ。さっき投げた際に俺の足がコンクリートの地面に一センチほどめり込んだ。
それでも男が彼女を素直に化物だと呼べないのは、きっと見てしまったのだろう。彼女が歪物に変化してしまう姿を。
俺が彼女の拳と男の間にかろうじて滑り込んだ時にはもう歪物になっていた。だからその前までの状況はよく分からないのだが、何にしても犠牲が出る前に間に合ったのは不幸中の幸いだった。
まながいればもっと早く気づくことができたかもしれないが、お盆休みで彼女は母親の実家に帰省中だ。
それをとやかく言うつもりはもちろんないが、今回の歪物は今までとは比べ物にならないくらい強そうだ。最高についてないかもしれない。
「彼女は人間に戻れるんですか……?」
「……はい、必ず」
男に背中で応えて歪物をキッと睨みつける。
風に煽られて、結われていない橙の髪とギンガムチェックのスカートが重たく揺れる。ブラウスも身体にぺったり張り付いてくる。
これ絶対透けてるよな……。
しかもさっきから激しい動きのせいで足元の水をバシャバシャ跳ねているため、泥水も浴びてしまっている。純白のブラウスが台無しなんてもんじゃない。
これ洗濯でちゃんと落ちるのかな。
「この服結構人気だったんだけどなあ……」
本当についてない。
だがあれを実践で初披露するにはちょうどいいのかもしれない。
ここ最近ずっと練習していたことだ。
「変身っ!」
歪みの膜で全身を包み込むようなイメージ。初めこそ難しく、一部欠損していたり穴だらけだったりする衣装しか作れなかった。
だが慣れてしまえばそこまで難しいことでもない。
パフスリーブが特徴的なオレンジと白のワンピース。ロリィタのようにフリルとリボンが豪華にあしらわれている。中でも胸と腰の大きなリボンはお気に入りで、動くとゆらゆら紐が揺れるのが可愛い。もっとも邪魔にならないようにかなり自嘲した部分も多いのだが。
それから一番のこだわりは髪である。
変身をする上で一番大切なのはイメージすることだ。だから実際に上手く結えなくても、これならば上手なツーサイドアップになる。太陽を象った髪飾りも自慢だ。
と、この変身にかかった時間が0.5秒である。慣れればもっと早くなるらしい。現状スーパースローで見られたら裸が見えてしまいそうなものだが、歪みで謎の光を発生させる技術を覚えたので問題ない。最近は入浴もそれで乗り切っている。
「さて、ここからが本気だな」
変身を自分でできるようになってみて気づいたが、変身中は歪みの発生がスムーズになる。つまり平時に比べて意識しなくても歪みの力をより大きく発揮できるのだ。
まあ要するになんか強くなる。そういうことだ。
だから、俺が変身に使った0.5秒を隙と見て駆け寄ってきた歪物も目で追える。
いや、それにしても速い。まるで瞬間移動だ。
勢いに任せて振り下ろされた黒い腕を一度躱して横から斬る。さっきまでは歯が――いや、刃が立たなかったが今度は違う。
黒く固い外皮を鋭く裂き腕に食い込んでいく橙の刃。
よし、斬れ――――ない!?
骨だ。歪物にも骨がある。熊に骨がなかったから完全に失念していたが、自立している以上あっても不思議ではないのだ。
それでも腕の軌道を逸らすことはできたので及第点。
だが攻撃は止まない。
拍手するように左右から迫る白い手のひら。その間にあるのは俺の頭だ。
「技のレパートリーが豊富なことで」
中途半端に深く入ってしまったせいで咄嗟に抜けなかった小太刀を手放してしゃがむ。直後に頭上で銃声のような破裂音が上がった。
「ひぇ……」
これもし当たってたら俺の頭どうなってたんだろう。
想像しただけで肝が冷える。と、回避して油断したことを後悔させられるのに一瞬も要らない。
膝が、顎に――
こいつ足も使えんの……!?
突き上げられる凄まじい衝撃。気づいた時には俺の軽い身体は宙を舞っていた。
それでもただでは起きない。蹴られた力を利用したサマーソルトを仕返しに顎にお見舞いしてやる。顎と言っても黒薔薇のがくに当たる部分なのだが。
そのままなんとか着地すると、軽い眩暈に襲われるとともに少し足がふらつく。
脳震盪ってやつかな?
だが歪みのおかげで戦闘不能にはなっていない。
強めの瞬きを一回すると、もうコンディションはほぼ正常だ。顎は痛いけど。
一方薔薇の歪物はというとバランスを崩して倒れている。
「ざまあみろ」
歪みの根源を攻撃したわけではないのでダメージはないだろうがこれは好機だ。
まながいない以上根源は自力で地道に探すしかない。
根源は小さくてもソフトボールくらいはあるはずだ。
だから怪しい部位があるとすれば――胴体ならどこでもあり得そうだし、頭だって何重もの花びらに守られていていかにも弱点っぽい。ただ細すぎるが故に四肢にはないだろう。
実際右腕の傷はすっかり再生してしまっており、俺の小太刀も靄になって消えている。
根源に攻撃が掠りさえすればその部分の再生速度はかなり遅くなる。だから今はひたすら手数を増やす。
骨以外なら刃は通る。そしておそらく骨格は人間に近い。
ここまでは防戦一方だったがそこまで分かっていれば十分に反撃できる!
左右の手に小太刀をひと振りずつ創り出す。ぶっつけ本番だが二刀流でいく。
大丈夫。これからやることに剣術なんて必要ない。
歪物が起きようとしたタイミングで地面を蹴って距離を詰め、刀を突き刺す。狙いは左右の胸だ。左胸は特に人間なら心臓がある位置だし急所である可能性は大いにある……と思ったがハズレだ。
黒い靄が出てきて刺した傍から再生してく。探るように体内で軽く刃を動かしてみたが根源らしき固いものは見当たらない。
歪物は痛がる素振りすら見せずに拳を振るってくる。が、それはもう見切った。確かにアホみたいに速いパンチだが大振りだし慣れてしまえば隙だらけだ。
小太刀を手放してすぐにバックステップ。
それでも歪物は距離を詰めてきて4本の腕での乱打。
一発一発が当たれば即死級の威力だが当たらなければどうということはない。躱して、受け流して、そして隙を見て突く。
小太刀はいくらでも量産できる。
今度は腹部。ここもハズレだ。
一応蹴りも警戒していたが、脚の方はあまり得意ではないようで稀な上威力もそこまでではない。モロにくらった膝蹴りのダメージが致命的じゃなかったのもそのおかげだろう。
そんな繰り返しで胴体は粗方探っただろう。しかし根源は見つからない。
「じゃあ頭かもな」
と、今度は黒い方の薔薇の花びらを斬り上げる。さすがに骨とかは入ってないだろうし突きじゃなくても大丈夫だろう――なんて考えは甘かった。
弾、かれた、だと……?
多少歪みを強くしたってまるで斬れる気はしない。何重にもなった花びらの一枚すら傷つけられなかったのだ。
石なんて生易しい硬さじゃない。ダイヤモンドだ、これは。ダイヤモンドを斬ろうと思った経験はないけど。
顔面に貰いそうになったパンチをすんでのところで腕でガードする。
その勢いを借りて大きく後退。
「いってぇ」
歪みを集中させてガードしたのに腕がぴりぴりと痺れる。
しかしあの硬さ、根源はあそこにあると思って間違いなさそうだ。問題は二つあるうちの左右どちらか、ということだろうか。
数秒睨み合う。やつの目がどこだかはまるで分からないが。
ふむ、ともあれまずは刃が通らないことには左右もひったくれもないか。
などと考えていると――歪物が逃げた!?
こちらに背を向けて猛ダッシュだ。あっという間に角を曲がって姿が見えなくなってしまった。
走って追いつけるスピードではない。
咄嗟に高そうなスーツの男に振り返る。
「彼女はあなたを殺そうとしてたんじゃないんですかっ!?」
「あ、ああ……? 君も知っての通り僕が殺されそうになりましたが」
「そうじゃなくて……」
歪物はまず自分が歪んだ原因、すなわち悩みの種に最も近い人物かその障害になり得るものをまず殺す。それがいなければ目の前の人間を無差別に殺そうとする。他の目的なんてないのだから多少分が悪くなったくらいで撤退なんてまずしないはずなのだ。
今回の場合は俺の方が分が悪そうだが。
それこそ、歪みの原因が本当は他の誰かだったとか。いや、しかし俺も彼女がこの男を殺そうとしたのは見ている。
「たとえば、彼女があなた以外のことで悩んでいたとか……?」
「それなら心当たりがある。もしかして彼が危ないのかっ!?」
男は俺の肩をガシッと掴んでくる。痛い。
「その方がどこにいるか分かりますか」
「あ、ああ。そこの中学校の体育館だと思います。お盆休みは毎日部活の自主練だと言っていましたから。自由参加だから誰も来ないとも言っていましたが」
「案内してください。急を要します」
俺は男を抱え上げる。お姫様抱っこだ。
「あ、あの子が行った方向……そこの角を曲がって――」
「直線でどっち方向ですか!?」
「あ、あっちです」
男は民家の方を指さす。
「了解です。歯ァ食いしばって下さいね」
男を抱えたまま飛び上がる。一足飛びで民家の屋根の上だ。
走って追いつけないなら直線距離で詰める。それでも出遅れた分を取り戻せるかは分からないが。
「君、陽ノ下ひかりですよね。これはやっぱり夢なんだな……」
男は安心したようにふっと笑った。
「夢……まあそんなところです」
否定することもないだろう。俺が全部片付けて元の日常に戻れれば悪い夢を見たのとそう変わらないのだから。
しかしこの人、俺の事知ってるのか。俺も人気になってきたってことかな!
「夢ならば少し話してもいいですか? 誰にも相談できなかったこと、彼女のことです」
「…………」
これは聞いてしまっていいものなのか分からず黙っておく。少し高く飛ぶと遠くの方に中学校が見えたので案内がなくても迷うことは無いだろう。
雨で足を滑らせないようにだけ注意する。
「彼女は僕の許嫁なんです」
勝手に話されたのなら俺は何も悪くない。うん、悪くない。
「僕の父と彼女の父親が幼馴染同士でして、酒の席で決まったらしいんです。初めは生まれたばかりの姿さえ見たことのある5個も年の離れた女の子なんてって思ったんですけどね、これがすごくいい子であっさり惚れてしまいました」
年上好きだったはずなんだけどなあ、なんて自嘲気味に笑った男はそれでも幸せそうだ。
「それで彼女も僕のことを気に入ってくれて、お兄ちゃんのことずっと死ぬまで大好きです。なんて言われた時は可愛くて可愛くて、それからしばらくは毎晩のように夢に見ました。僕がこの子のことを一生守ることが出来るんだって、それもまた嬉しかった。お互いの両親もそんな僕らを見て、来年彼女が16になる誕生日に籍を入れようなんて言い出しました」
ここまでの話を聞く限りでは歪物になるほど悩む要素があるようには思えないが。
「でもね、僕はついさっき彼女のことを振りました。そしてきっと目が覚めたらまた彼女のことを振りに行きます」
「……は?」
「実は彼女には僕以外に想い合っている人がいるんです」
浮気ってことか……。
「浮気じゃありませんよ。いや、世間的に見れば浮気なのかもしれませんけど彼女はそんな不誠実なことはしませんから……」
俺の心を見透かしたように男は言った。顔に出ていたのかそれともそう思われることは分かっていたのか。
「彼女は僕のことを心から愛してくれている。でも同時に同じだけ同級生の男の子を愛してしまったんです」
二股ってこと!?
え、それってなんかもっとダメなのでは?
「きっと多くの人はそんな形の愛を否定します。それでも当事者だからこそ分かる、ふたつあってもその両方が真実の愛なんだって」
クサいこと言っちゃってますね、と男は苦笑いを浮かべた。
ああ、そういうことか。
きっとこの男の言う通り女の子の愛はどちらも本物で、どちらのことも真剣に悩んでいたのだろう。だからこそ歪物になってしまった。
中途半端な想いであんなに強い歪物になるはずはないのだ。
「でもそれが分かっていながらあなたはなぜ――」
「僕が彼女を振ったのはいつか必ず来る選択の時を先延ばしするため、そして彼女自身に選択肢を作ってあげるためです。ほら、二股なんて関係は僕らが許したって世間は許してくれないですし、許嫁なんて関係の僕を振るのは普通の彼氏を振るよりずっと勇気がいるじゃないですか。15歳の少女にそんな人生の選択をさせるのは残酷ですからね」
男の目に歪みはない。きっとそんな瞳で少女と向き合っていたのだろう。
歪みとはなんだろうか。
きっと彼らの間にある愛に歪みなんて存在していない。しかし多くの人はそれを歪んでいると言うだろう。
時に誰かにとっての真実の愛は多くの人間にとっての歪な愛になり得るのだ。
そんな中で幼い少女が自分の抱いた感情を真実の愛だと信じきれるだろうか。きっと簡単ではないだろう……。
「それに僕は彼のことを気に入っているんです。まだ中学生ではありますが、彼なら僕なんかよりずっと彼女のことを幸せにしてくれますから」
男の目尻から落ちる水滴が雨水なのか涙なのか、俺には分からない。それでも確かなことはその彼とやらのこともしっかり救ってやらなければならないということだ。
「体育館はどこですか?」
「あの赤い屋根の建物の2階です」
気づけば学校は目の前だ。住宅街の中にあるちょっと古い普通の公立中学校である。
そうしようかと少し考えもしたが、さすがに窓を割って入るわけにはいかないので、フェンスを飛び越えて敷地内に一度着地して男を下ろす。そして指示された建物に入り階段を駆け上がる。
重たい鉄扉を横に引いて開ける――と同時にバレーボールくらいの何かが高速で飛んできたので首を傾けて回避。
体育館の中心辺りではバスケットボールがダムダムと力なくバウンドしており、そのすぐ横に歪物の姿と向かい合って立つ人影が見えた。歪物の無駄に多い腕で顔を確認できないがおそらくあれが先程男との話題に出てきた『彼』だろう。
――間に合った、か。
危機的状況ではあるがまだ彼は立っている。
ひとまず歪物を彼から遠ざけるためタックルでもしてやろうと足に力を籠める。
直後に背後で聞こえたぐしゃりという気味の悪い音。
それとほとんど同時に彼は膝から崩れ落ち、力なく倒れた。
それで初めて気づいた。
――彼にはもう首がついていない。
「後藤、君……?」
ゆっくりと、確認するように名前を呼んだのは、遅れて階段を上ってきたスーツの男だろう。
振り返るとあどけなさの残る短髪の少年の生首と、それに話しかける男の姿があった。
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