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前を向きました

 暗い部屋の壁をモニターがチラチラと照らす。

 壮大なBGMが流れるヘッドホン越しに聞こえるコントローラーのカチカチ音は我ながら乱暴だ。

 カーテンも扉も締め切った暗い部屋が心地よい。

 最近ゲームをする時にはいつも配信をしていたので、こうして一人でやるのはかなり久々だ。もっとも、戦ったりする気にはなれずRPGの街をただ走り回っているだけなのだが。

 不毛な時間といえばそうかもしれないが、3Dの街を観光するのは異世界に来た気がして現実逃避にはうってつけなのだ。

 落ち込んだ時に暗い部屋でこうしてゲームをするのは昔から変わらないな、俺。

 ははっと乾いた笑いが漏れる。

 人が死んだ。俺が守れなかった。

 今朝目が覚めた時に桃花に聞いた話によると、彼は部活の練習中に突然の心筋梗塞で亡くなったことになったらしい。それ以上のことは恐くて訊けなかった。

 訊けなかったくせに考えてしまう。

 彼女は何を覚えていて、何を思っているのだろう。

 男は何を背負わされて、今後どれほどの後悔の上に生きていくのだろう。

 全部俺が守れなかったせいだ。

 人の死は本人だけでなく周囲の人間の気持ちをも殺しにかかる。

 他人事なら簡単に立ち直れるかもしれない。しかし死んだ人間に近い関係であるほどそれが難しい。きっといつかは立ち直った風を装った振る舞いができるようになる。それでも心の傷が癒えることを許さぬようにその存在は留まり続け、呪いのように一生巣食うのだ。

 死人の意志も生者の意志も関係なく。

 俺は彼のことをほとんど知らない。歪物になった子の根源に触れて『彼女から見た彼の一面』を知ったくらいだ。

 それでもここまでの大きな後悔を抱える。人を守れる力を持つとはそういうものなのだとこうなってみて初めて気づいた。

 華々しいだけがヒーローやヒロインではない。考えてみれば当たり前のことだ。


「ああ、もうっ!」


 コントローラーを叩きつけるようにして机に置き、ゲームを閉じることもせずベッドに倒れ込んで頭までタオルケットを被る。

 現実逃避は失敗だ。何をしていても昨日のことが頭から離れない。

 スマホでVtuberの配信を開き、画面を見ずに目を閉じる――


「こんにちは、ひかりさん!」


 直後だった。部屋の扉が開いたのは。

 ノックくらいしてほしいものだが、相手は小学生だし美少女だから何も言うまい。花藤まなはいつもより上機嫌そうでありながら、いつも通り控えめな声で部屋に入ってきている。タオルケット越しだから表情までは読めない。

 ここは狸寝入りをキメよう。

 今はまなと遊ぶような気力はない。


「ね、寝てるの……?」


 ベッドに近づいてきている気配。まあこのまま寝ていると思ってくれれば出て行ってくれることだろう。


「それにしてもなんだか男の子みたいな部屋だなあ……。よく分からない大きい機械とかゲームとかたくさんあるし。本は男の子が好きそうな漫画ばっかり。ひかりちゃんかわいい感じだからちょっと意外かも」


 もしかしてまなって独り言多いタイプ?

 俺と同じじゃん。

 ……と、ベッドが少し揺れる。

 座った、だと……?

 俺が寝たふりをしている横にリアル小学生が座った。いつもなら幸せここに極まれりな状況だが、今日のテンションでそんな感じにはなれない。

 いや、幸せな状況であることには間違いないのだけれど。


「ねえ、寝てる?」


 まなはタオルケット越しに俺の肩を優しくさすさすしてくる。起こそうとしているというよりは寝ているのか確認している感じだ。


 ――ね、寝てるから早く帰ってくれ。


「ほ、ほんとに寝てるんだね」


 どんだけ熱心に確認するんだ。そんなに俺と遊びたかったのか?

 とすると光栄だし本当に申し訳ない。普段だったら俺とてまなと遊ぶのは大歓迎なんだが、今日だけは勘弁してほしい。

 またベッドが揺れる。

 ようやく帰ってくれる気になって立ったみたいだ。と、まなに聞こえない程度に小さく息を吐く。

 本当にごめんよ。

 なんて心の中で謝ったのだが――

 あれ、まなもしかして立ってなくない?

 それどころかタオルケットが少し捲れて――ふにっ。


 ふにっ、とは?


 俺の身体に温かくて柔らかいものがわずかに触れた。これはあれだ、目を開けなくても分かる。添い寝ってやつだ。


 え、なぜ?


「ふふ、ひかりちゃん動画見ながら寝ちゃったのかな?」


 ベッドもタオルケットも成人男性に合わせたサイズなので、女子小学生が二人入ってもスペース的には余裕だ。なのにわざわざまなは身体を寄せてくる。

 そして俺の頭を撫でるのだ。小さな手で優しく。

 その時俺は初めて知った。現実の世界にもバブみなるものが存在しているのだと……ってそうではなくて、何この状況。

 女子の距離感って近いなって昔から思ってたけどこんなになの?

 ていうか女子小学生とベッドとか俺いよいよ逮捕では?


「んふ、寝顔もかわいい……」


 こころなしか声も近づいてきてない。顔にミルクみたいな甘い香りの吐息がかかってる気がするんだけど気のせい、じゃないよね?


「……っ」


 ――って近っ! え、近くない? あと数センチでキスしそうな距離だけど。女の子の距離感ってこんなのもなの?


「へ……?」


 いや、そんな驚いたような困惑したような顔されましても。むしろそんな顔したいのは俺の方だが? なんならおんなじ顔してるが?


「は……?」


 ばっちりと目が合った。

 狸寝入りしていたはずなのに思わず目を開けてしまったらしい。


「ひ、ひかりちゃ、さん、お、起きてたんだね。お、おはよう」


 スマホに照らされた上、超至近距離なのでタオルケットの中でもよく見えるまなの顔は茹で上がるように下から上へ赤くなっていく。


「お、おはようございます……」


 ………………………

 …………………

 …………

 ……がばっ


 まながタオルケットごと勢いよく起き上がったので、俺も狸寝入りに戻るわけにいかなくなってしまった。


「ひ、ひかりさん、いつもみたく髪、やってあげるね」

「う、うん、お願いします」


 まなは勢いよく早口にそう言った。

 顔は真っ赤なままだが、事情の説明もなくいつも通りに戻ろうとしている。そんな姿を見るにやっぱり女の子ならこのくらいの距離はなんでもないことなのかもしれないな。赤くなってるのは暑さのせいだろう。

 エアコンが効いてるとは言え真夏に同じ布団に入っていたわけだからな。きっとそういうことだ。




「ひかりさん、お風呂入った後ちゃんと髪乾かした?」


 ベッドに正座して、同じくベッドの端に座った俺の髪を梳かしてくれるまなが背中から訊いてくる。


「ん、ちゃんと拭いたよ」

「ドライヤーは?」

「してない」


 昨日はお昼に歪物と戦った後気を失って、目が覚めたのは今朝だ。それでシャワーを浴びた。何もやる気が出ず必要最低限のこと以外はしていない。しかしなぜバレた……?


「もー、ダメだよ。せっかく、その、き、きれいな髪なんだから。ちゃんとお手入れしないと痛んじゃうよ」

「んー」


 風呂上がりにいつも桃花にも似たようなことを言われるが正直面倒くさい。だがこれも美少女の宿命だと我慢しなければならないのか……?


「ていうかまなさん帰ってたんだ」


 まなは昨日まで祖母の家に行っていたはずだ。


「うん、昨日の夜にね」


 まなはにこりと笑うとすぐに、


「ごめんね、もうちょっと早く帰って来れればよかったんだけど……」


 と声が少し暗くなり、俺の髪を梳かす手が止まる。


「……まなさんが気にすることじゃないよ」

「うん……。って、あ、ち、違うの。この話はしないつもりだったの。今日は楽しいことしよ」


 きっと昨日のことは桃花から聞いたのだろう。俺が落ち込んでいることも。

 気を使わせてしまったな、小学生に……。


「楽しいことって?」

「おでかけ、しよ……?」


 まなに手渡された手鏡を覗くと、綺麗なシンメトリーに結われたツーサイドアップの俺が映った。うん、今日もかわいい。まなからもらったクローバーの髪飾りも似合っている。


「おでかけねぇ、どこに?」


 ここまで気を使わせといて「気分が乗らないから今度ね」とはさすがに言えないだろう。


「そこの緑地とか」

「ああ、あそこか。いいんじゃないかな」


 緑地っていうと、ここから徒歩20分くらいのところにある公園のことだろう。駅も遠ければ山にあるので自転車も使えない。そんなアクセスの悪い場所にあるのだが、大学時代に俺も何度か遊びに行った。


「うん、それじゃあ行こっか」




「ここにはよく来るの?」


 昨日とは打って変わって太陽の光を遮る雲はほとんどない。真夏の陽気は立っているだけで汗ばむようだが、噴水広場は比較的涼しく過ごしやすい。それとまなのセーラー風Tシャツとミニスカートも涼し気でとても良い。


「たまに来るよ。友達とかと一緒に」


 遊具などはあまりないが、原っぱがあったり噴水があったり、有料だがプラネタリウムなんかもあったりする。だから子供が遊ぶにはうってつけの場所だろう。

 実際水遊びができるようになっている噴水の周囲では、たくさんの子供がはしゃいでいる。

 俺たちは足を水に入れて話しているだけだが。


「そっか」

「ひかりさんは? 来たことはあるみたいだけど」

「俺…じゃなくて、ひかりが最後に来たのは何年か前かな。プラネタリウムを見に来た」

「そっか。いい場所だよね。良いお天気だと気持ちいいし」


 まなはふぬぬ、と大きく伸びをする。


「そうだね。ちょっと気分も晴れたかも」

「……そう言ってくれると嬉しいかな」


 その言葉とは裏腹にまなは浮かない表情をしている。きっと俺も浮かない表情をしているせいだろう。


「…………」

「ねえ、もし辛かったら、魔法少女やめてもいいよ。わたしも桃花さんもいるから」


 違う。そうじゃない。

 おれは首を横に振る。


「やめないよ、続ける」


 辛いのは事実かもしれないが、魔法少女をやめたいわけではない。

 むしろ力を持っている以上魔法少女を続けなければならない。それも昨日のことで思い知らされた。


「……でも怖いんだ」

「歪物が?」

「いいや。多分、目の前で誰かが傷つくのが」


 人として当然の感情だろう。魔法少女なんてやっていなくたって身近で誰かが死んだり殺したりするなんて受け入れがたいことだ。ましてや誰かが愛する人を殺すような光景、見たい人はいないだろう。

 それに加えて歪みなんて持ってしまっているばかりに絶対に救わなければならないという責任感がのしかかってくる。

 きっとそれら全部が怖い。


「ちょっと分かるかも……。襲われる方だけじゃなくて歪物になっちゃった方も傷ついてるって思うと、どうしても怖いし辛いよね」


 忘れられない。まなと初めて会って歪物を倒した日、彼女は銃を構えて泣いていた。


「わたし最初は、助けるためだって分かってるのに歪物を攻撃するのが辛くて辛くて仕方なくて、全然戦えなかったんだ」


 まなはそう言うと立ち上がり、バシャバシャと水を跳ねながら歩きだした。そして少し離れたところでくるりと振り返ると、らしくない仕草で両手を腰に当てて小さな胸を張る。

 さらににやりと凛々しさを含んだ笑みを浮かべた。


「もう起こったことは悔やんでも取り消せない。目を逸らしてはいけないけれど、立ち止まることはもっと許されない。誰かが当たり前に迎えるはずで迎えられなかった明日を私たちは迎えたからこそ、これから誰かが迎えるはずの当たり前の明日を無くさせないために前を向かなければならない」


 と、やはりらしくないことを言った。

 すごいこと言うな。まなって本当に小学生か?

 実は俺みたいなおっさんなのでは?


「わたしの先輩魔法少女が戦う前にいつも言ってたの。先輩は桃花さんに言われたって言ってたけどね」


 まなはいつも通りの控えめな笑みを浮かべてこちらへ戻ってくる。

 今のは先輩とやらの真似だったのだろう。会ったことがないから似ているのかどうかも分からないが。

 それにしても桃花も昔は魔法少女やっていたらしいし、もしかしたら代々魔法少女に伝わっている言葉なのかもな。だとすると魔法少女はみんな似たようなことで悩むってことか。

 俺も例に漏れず。おっさんも少女も同じレベルのことで悩めるものなんだなあ。

 いや、むしろ少女が抱いていいレベルの悩みじゃないのか。


「前を向かなければならない……か」


 本物の女の子だって辛くても前を向いて戦っているのだ。


「わたし思うんだ。辛いことばっかり目立つけど、魔法少女をやってて嬉しいことってたくさんあるんだって。助けられなかった時間より助けられた時間の方がきっと多い」


 噴水の勢いが増して周囲の子供たちが歓声を上げている。まなと同い年か少し上くらいの子が声を上げて無邪気に水遊びをする姿はとても楽しげだ。


「……なんだかなあ」


 水に浸かった足を思い切り振り上げる。

 水しぶきが高く上がり、まなと俺に雨のように降りかかる。


「ひゃんっ」


 まなが短い悲鳴を上げた。


「あ、ごめん」


 今すぐ簡単に前を向くことなんてできないけれど、何にしたってやらなきゃいけないことなのだ。ならばいつまでも落ち込んで後ろ向きでいても仕方ないか。


「お返し!」

「はわっ」


 まなも手で水をすくってこちらへ飛ばしてくる。

 ま、今は考え込んでも仕方ないってことか。そして次は必ず全員救う。それが俺にできる唯一の償いなのだろう。まだ気持ちの整理は全然ついていないが、何かが吹っ切れた気がする。


「やったな!」


 俺は立ち上がって、大人げなくまなに向けて水を蹴り上げた。

 雲一つない空。水しぶきの中に虹が見えた気がした。




 びしょ濡れで帰宅したら桃花に笑われた。

 夕飯はハンバーグカレーだった。

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