平和な一日でした
飯櫃神社の朝は早い。
6時頃に掃除機を持った桃花が部屋に入ってきて、その音で目が覚める。家中掃除して最後が俺の部屋らしい。
「自分の部屋は自分でやるのに……」
と眠い目をこすりながらつい本当に子供のようなことを言ってしまう。
「ついでですから。寝てていいですよ」
掃除機の騒音の中眠れるわけないだろう。などと思ったとしても、100パーセント善意でやってくれていることである上、居候の分際で部屋の掃除までしてもらってそんなこと言えるほど図太くはなれない。
むしろありがたい限りだ。
「……境内の掃除してきます」
「いつも助かります。ありがとうございます」
「いえ、居候ですからこのくらいは……」
と、うさ耳の着ぐるみパジャマのまま外へ出た。
夏とはいえ早朝は過ごしやすい。大きく息を吸うと澄んだ空気で肺が満たされるようで心地よい。早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。
街中なのに少し自然があるだけでこうもマイナスイオン的な何かを感じられるなんて素敵だ。
ほうきを持って境内を歩き回り、落ちている葉っぱや枝を集めるだけの簡単なお仕事。ほとんど毎日やっているので落ち葉の量も大したことはない。
「ひかりちゃん、今日もえらいわねえ」
チワワを連れたおばあさんがにこにこ顔で話しかけてくる。
「おはようございます」
「よかったらこれ食べて」
チョコレートを貰った。6個くらい入っていそうな箱で高そうなやつ。
「いつもいつも本当にありがとうございます」
「いいのよ。うちにたくさん余ってるしひかりちゃんいい子だから」
ちょっと掃除しているだけで褒められてご褒美まで貰える優しい世界。
「今日もベンチ借りるわね」
「はーい、ゆっくりしてってくださいね」
俺が掃除に戻るとおばあさんはベンチに座った。
そして数分もしないうちに、今度はパピヨンを連れた老夫婦が鳥居をくぐってきた。そして俺に挨拶するとおばあさんと合流して話し始めた。
それ以降も着々と老人が集まってきて、最終的には10人くらいの集会になる。
毎日集まって何話してるんだか。
まあでも健康そうで何よりだ。
彼らの井戸端会議が盛り上がりっているうちに掃除も終わり、
「今日は暑くなるみたいなので熱中症に注意してくださいね」
と、スマホの天気予報を確認して一声かけて家に戻る。
7時前だ。
「これ貰いました」
「ふふっ、すっかりマスコットですね」
両手いっぱいに抱えたお菓子をどさっとテーブルに置いた。
「ま、可愛いから仕方ないですけどね。ていうか看板娘の間違いですよね」
「そうとも言いますかね」
桃花とそんな言葉を交わして自室に戻る。
勢いよくベッドに飛び込んで即二度寝。圧倒的至福。
――ぴんぽーん
と、インターホンの音が鳴るのは決まって十時の五分前だ。
その音で俺は二度寝から覚める。
「おはようございまーす」
「はい、まなさん。おはようございます」
玄関で交わされるあいさつを聞くのも日課の一部である。
大人時代ではありえなかった圧倒的ベスト寝起きをキメた俺はベッドを飛び降りて、再び1階に降りる。
「おはようございます、ひかりさん。ご飯食べますか?」
「おはよう、ひかりさん。髪ボサボサだよ」
「ん、ごはん食べようかな。髪は……まあ出かけないしいいかな」
配信はしようと思っていたが、このパジャマでならまあ許されるだろう。
「ダメだよ。せっかくかわいいんだからちゃんとしないと。寝ぐせだけでも直しちゃお。なんならい、一緒に、お風呂でも、どうかな……?」
「? いいよ、シャワーだけで済ませるから」
まさかまなまで俺が一人で風呂に入れないと思ってるのか?
桃花だって朝のシャワーだけなら一人で浴びることを許してくれるようになったというのに。
「そっかぁ……」
まなはなぜか残念そうにため息を吐いた。
塩鮭とみそ汁、白米というザ・和な朝食をとって、シャワーを浴びる。出るとまなが髪を手入れしてくれた上いつものツーサイドアップに結ってくれた。
かくして幼女化した俺のモーニングルーティーンが完了となる。
たまにまなが来ないこともあるが、大体いつもこんな感じだ。
「それで、今日は何しようか」
こう連日顔を合わせていると特別することというのもないのだ。せっかく遊びに来てくれているのになんだか申し訳ないな。
まあまなが来るのは日中家に親がいないからで、俺がいなかった時からこのくらいの頻度で来ていたみたいだけれど。それはそれだ。
「こうしているだけでもわたしは楽しいよ」
小学生に気を使わせてしまった。
まなは余生を楽しむ老婆のように幸せそうな顔を本当にしているが、俺に遠慮してこう言ってくれているのだろう。多分。これは良くない。
そしてなんていい子なんだ、この子は。
「ゲ、ゲームとかする……?」
「あんまりやったことないよ」
「そっか、そうだよね」
それに女の子が楽しいようなソフトは持っていない。ていうか女子小学生って何したら楽しいの……?
マジで未知すぎる。
俺が小学生の頃は外に出れば砂場で穴掘って、家にいれば無限にゲームをしていた。それが一番楽しかった。
でも女子がそんなので盛り上がっていたところを見た記憶はないし、イメージもできない。
俺たちが頭悪そうな遊びをしていた間、彼女たちは何をしていたんだ?
謎だ。全く別の生物について考えているみたいだ。別の生物……。
「……宇宙人でも呼んでみる?」
「えっ?」
「あ、ごめん。なんでもない、忘れて」
何を言っているんだ俺は……。
そうだ! 昨日は何したっけ?
えっと、昨日は――いや、昨日もずっとこんな感じで雑談して一日過ごしたな。一昨日もだ。
俺はまなとこうして話せるだけで幸せだが、きっとまなは退屈なことこの上ないだろう。
「今日はいい天気だねぇ」
まなは窓の外を眺めている。これはもしや「お前といるより空眺めてた方が楽しいし、天気の話題くらいしか話すことねぇよwww」っていう意思表示なのでは!?
いや、まなはそんなひねくれた子じゃないはずだ、きっと。
じゃあ――
「も、もしかして外出たいとか?」
「うーん、暑いのはあんまり得意じゃないからなあ。あ、でもひかりさんが外で遊びたいなら全然それでもいいよ」
「あー、いや、俺……ひかりもインドア派」
「そうだよね。ひかりさんすごく白いもんね。漫画もたくさんあるし」
「漫画! もし気になるのあったら読んでいいよ。たくさんあるし本棚に入り切ってない分はベッドの下の収納にも入ってたりするから」
「うん、ありがとう」
まなは座ったまま、天井まである本棚を下から上へまじまじと見ている。
漫画だけでなくラノベなんかも並べているが、あんまり女子が好きそうなタイトルはないかも。オタク向けのやつばっかだし。
むしろラノベとかは教育に悪そう。まなが手に取ることはないと思うが。
………………
…………
……
流れる静寂。
まなの崩れない幸せそうな微笑みが逆に怖い。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる! あと飲み物とか取ってくる!」
と、客を残して席を立つ。
「はーい、ありがとう」
柔らかい口調を背に部屋を出てトイレへ駆け込み、ポケットから携帯を取り出してgoogleを開く。
困った時には先生に聞くのが一番だ。
――女子小学生 遊び
検索結果は思っていたよりたくさん出てくる。どうやら小学生の娘を持つママたちも悩んでいるらしい。いや、その悩みと俺の悩みを同レベルとして扱っていいのかどうかは微妙なところだが。
理由はどうあれ今は緊急だ。参考にさせてもらおう。
ふむ、ビーズ。持ってない。
アクセサリー作り。ビーズ含め材料がないな。
人形。フィギュアならいくらか持っているが全部実家だ。それにそういうのとはちょっと違うだろう。
ボードゲーム・カードゲーム……確かトランプがあったな。あと人生ゲーム。他にもいくらかあるが小学生とでも楽しめるのはそれくらいだろう。
ただそれだけあれば一日くらい余裕で過ごせそうだ。
よし、勝ったな。これは。
一度下の階に降り、麦茶を乗せたトレーを持って意気揚々と部屋に戻る。
「お待たせ!」
「っ!?」
こちらに背中を向けているまなが跳ねそうな勢いでビクッと全身を強ばらせた。
「あー、ごめん。急に声掛けちゃって」
「い、いえ、な、なななんでもないんですよ」
なんでもない? 何が? 別に何をしていたか訊いたわけでもないんだけど……。
ふむ、ベッドの下の引き出しが開けられてるな。
「漫画読んでたんだ?」
「う、うん。ベットの、下にも、たくさん、あって、すごいなあ」
なんでそんな歯切れ悪いの?
なんというかイタズラを隠しているような反応だ。気になるな。
破いたりしてしまったとかだろうか。だとしてもベッドの下の漫画は頻繁には読まないし、わざととかじゃないなら怒ったりしないのだけれど。
「何読んでたの?」
テーブルにトレーを置きがてら、上から覗き込んでみる――がまながありえない速さで部屋の角まで逃げてしまい確認できない。
漫画を持っているのであろう手を後ろに回して、気まずそうにこちらを見るまなの顔はペンキで塗りたくったように真っ赤だ。
今の動き絶対歪み使ってたよね?
ていうかだとしてもよく座ったままそんな動きできるな……。急すぎてどんな動きしてたのか目で追えなかったけど。
「あ、あのあの、い、一冊借りていってもいいですか?」
「ん? 構わないけど」
「あ、ありがとうございます」
気になるけどまあいいや。
あとで抜けてるタイトル確認しとこ。
まなはそそくさと、かつ器用にこちらから隠しつつ漫画を自分のポーチの中へ入れた。
「あ、汚れちゃったりしても気にしなくていいからね」
「よ、汚さないよ……!」
最終形態だと思われたまなの紅潮はさらに進化し、噴火するようにぼふんっと煙を吹き始めた。目もなんかグルグルしてる気がする。漫画の表現みたいだ。
な、なんで!?
「だ、大丈夫……?」
「う、うん。らいじょーぶだよ」
もともと舌足らずなところのあるまなだが、いつにも増して呂律が回っていない。
も、もしかして熱中症!?
こんな急に!?
エアコンがついている部屋は涼しいとはいえ、季節は夏だ。部屋の中にいても油断できないってどこかで聞いた気がするし。
「お茶、お茶飲んで! そ、それからベッドで横になって!」
あたふたあたふた。
とりあえずベッドへ移動させようとまなの身体をひょいと抱き上げる。
「だ、だだだ大丈夫だから。ほんとーに!」
腕の中であわあわしているまなの体温は異様に上がっており、とても大丈夫な状態とは思えない。
「ま、まあひとまず休もう。そうしよう。お茶も飲もう」
熱中症について詳しいわけじゃないが、ぐったりとかはしていないしきっとこのくらいの症状ならまだ大したことはない。とまなをベッドにおろしてお茶を手渡す。
「……ひかりさん心配しすぎだよぅ」
ベッドに座らされて苦笑したまなの顔から赤さが徐々に引いていく。麦茶が効いたのかな……?
「心配はするよ。でもちょっと休めば大丈夫そうだし本当によかったよ」
「うーん、休まなくても大丈夫なんだけどな……」
「いいからいいから、ちょっと休もう。まだまだ遊ぶ時間はあるからさ」
子供は気づかず無理することがあるからな。ソースは俺。
本当に何もなかったのか、それとも処置が早かったのが良かったのか。
「ご飯ですよお〜」と桃花の呼ぶ声がした正午過ぎには、まなの体調はなんともなくなったようでケロッとしていた。
昼食はナポリタンだ。好き。
桃花の手料理は相変わらずなんでも美味しい。
「そんなに頬張らなくても逃げたりしませんよ。おかわりもありますからゆっくり食べてくださいね」
もはや神事か何かのようにすら思えるマヨネーズの山制作に励む巫女こと桃花にそんなことを言われてしまった。
大人なのにそんな指摘を受けるとは……。
最近はくつろぎすぎてすっかり家にいるような感覚になってしまう。いや、間違ってはいないが、大人としてもう少しお行儀良くしよう。一応人前だし。
「ひかりさんナポリタン好きなの?」
「うーん、まあまあかな」
「ふふっ、全然説得力ないよ」
まなは目を細めるとウェットティッシュで俺の口の周りを拭いくれる。
「つ、付いてた……?」
本当に大人として恥ずかしい。しかも相手は小学生。
でもそれ以上にまなの優しい手つきに母性が感じられる。これはあれだ。完全にママ。
まなの性格ってもしかしなくても桃花の影響受けてるよな。
桃花に目を向けると微笑ましげにこちらを見ている。
やっぱり似ている。
まあ学童保育に通う頻度でここに来ていればそうもなるか。
「桃花さん、今度わたしにお料理教えてよ」
「いいよお。私もそんなに得意ってわけじゃないけどね」
いや、これだけ美味しく作れてりゃ十分得意な部類だろ。
まあそれはさておき、まなの手料理か。食べたいな、ぜひ食べたい。
「ひかりは味見係をしますねぇ」
それならいち早くまなの作ったもの食べられるし。
「そ、それは失敗できないね……!」
「いや、練習なんだし失敗はしてもいいと思うけど」
美少女が、作った料理なら酷いできでもご褒美だ。むしろ伸びしろが嬉しいまである。知らんけど。
「そうですねえ。最初からはなかなか上手くできないかもしれないからね。気張らずにやろうね」
「は、はい、頑張りますっ!」
午後は桃花も交えてひたすらトランプをして過ごした。
一度見たカードを絶対に忘れないので神経衰弱では無類の強さを発揮したまなだったが、ババ抜きは豊かな表情のせいで奇跡的に弱かった。
一方桃花はというと、何のゲームをやっても上手くはないのにめちゃくちゃな運の良さで異様な強さを誇っていた。
そして日が沈む前に帰っていくまなをバス停まで見送り、家に帰る前に掃除用具入れから木刀を取り出して素振りをする。剣道なんてやったことないが、形を真似するくらいはYouTubeの動画を見ながらでもできる。
それにどの程度の意味があるのかは分からないが、先日のことを思い出すとわずかにでも強くなるための行動をせずにはいられない。
一時間ほどそんなことをしてから、汗だくで帰ると、「お疲れ様でした。お風呂入りますよね」と桃花が出迎えてくれて一緒に風呂に入る。
最近の入浴中は二人でカラオケ大会だ。世代が近いので流行した曲ならお互いに分かり、これがなかなか盛り上がる。
なにより自分の声が可愛いのが最高だ。
「そんでもって夕飯は生姜焼きでした。とまあそんな一日だったんですよ。最近は毎日こんな感じ」
無人島を開拓するゲームをまったりやりながら、今日の出来事を日記のように話す。
寝る準備を全部済ませた後には配信をする。それも日課だ。
『いいなあ』とか『俺も小学生になりたい』とか『そんなことよりひかりちゃん、僕と結婚しよう』とかそんなコメントが次々と流れていく。
全部に返事をするのは無理だがまだ全部読めるだけの余裕はある。
ちょっと前まで多くても2人くらいしかいなかったのに。
「いいでしょー。おっさんに戻りたくなくなっちゃうよね」
『ところで結局お友達が読んでた漫画ってなんだったの?』
「あー、そういえば確認してなかった。ちょっと待っててね」
一旦席を立ってベッドの下の引き出しを開く。
ぎっしり詰まった漫画の中で一冊抜けていればすぐに分かる……と一番端だ。
『お姉様との甘美な蜜会・下』の左隣。
きっと同タイトルの上巻。
ピンク色の背表紙には白い百合の花が描かれていて、おしゃれで可愛らしい雰囲気があると言えばある。
「…………」
黙って席について一息つく。
顔を上げると、真っ青になった俺の顔がカメラに映った。
「エ、エロ漫画貸しちゃった……小学生に」
タイトルを尋ねるようなコメントがたくさん流れてくる。
「お姉様との甘美な蜜会・上……」
『お姉様との甘美な蜜会』は学園を舞台に上級生と下級生が姉妹の契りを……という作品でいわゆる百合系のやつだ。ストーリーが素晴らしく、普段R-18作品は電子でしか買わない俺が紙媒体でも買ってしまったほどには気に入っている。
ストーリーがとても魅力的な作品なのだが、R-18方面では結構ハード。
『あー、あの漫画。女子小学生が読んだらトラウマになりそう』
『ひかりちゃんセンスいいね! そのお友達も!』
『てか性癖歪みそう』
主人公である初等部の『妹』が他の子に浮気しようとした高等部の『姉』を自分色に染め直すというのが話のメインの部分になっていくのだが、主人公がまなと同じくらいの歳ということでさらに性癖を歪ませてしまいそうである。
「どどどどうしよう」
ていうか昼間に熱っぽかったのってそのせい!?
そりゃ小学生があんなの読んだら煙出るわ!
隠さずに普通に並べておいたのが失敗だったかもしれない。一応ベッドの下といえばエロ本の隠し場所の定番ではあるけど……。
「しかもあれ読んだら絶対下巻読みたくなるよ。エッチシーン以上に話が面白いもん!」
正直読んでほしい気持ちすらある。さすがにそういうわけにもいかないけど。
『まあ、俺も小学生の時兄の部屋でエロ本読んでたし大丈夫だろ』
いや、確かにそういう面もあるかもしれないが、大人として子供に対する一定の責任ってものが――
『その漫画知らんけどひかりちゃんが読んでたなら大丈夫じゃね』
「そ、それもそうか……」
――うん、そうだな。
今どきネットもあるし漫画の一冊くらいどうってことないよな。
うん。
「ひかりしょうがくせいだからわかんなーい」
大人としての責任なんて知らない。なぜなら俺は小学生だから!
まなが自分で選んで読んでいるのならまあいいだろう。もう考えることをやめよう。
「時間もいい感じだし今日はこのくらいで終わりまーす。困ったことは先延ばし。大抵の事は寝れば解決する!」
と、配信を切る。
直後にコンコンと扉がノックされる。桃花にしては音が強い気がするな、なんて思いながら開くと他でもない桃花が立っている。
なんだかいつにも増して大きく見える。
そして優しい笑顔が怖い。いつもと同じ表情なのに不思議だ。
「な、何か御用でしょうか……?」
「配信見てました。ちょっと事情をお伺いしてもよろしいですか?」
「い、いや、俺は悪くな――」
「ひかりさんが悪いだなんて言ってませんけど、とりあえずお話をですね」
「は、はいぃ……」
この後、わざとじゃないので怒られはしなかったが、注意するようにというお説教を小一時間受けた。
ちなみに重い話にはなりません。多分。




