08. 鉱山の外側
星晶の発見から三年が経った。
王立材料研究所には、新しい建物が一棟増えていた。
星晶研究棟と呼ばれるその建物には、精密な測定装置が集められ、以前より多くの研究者が働いていた。物理学者、材料工学者、魔術研究者、数学者。研究対象が同じでも、使う道具も、考え方も違う人々だった。
セラは、その中で材料分析を担当していた。
研究が大きくなったこと自体は嬉しかったが、困ったこともあった。
会議が増えたのである。
「……また会議?」
朝、ニルが持ってきた予定表を見て、セラは顔をしかめた。
「今日は研究予算の審査です」
「先週もやったでしょう」
「先週のは設備予算です。今日は試料収集費用の方ですね」
「ああ……」
セラは溜息をついた。
「石を探すだけなのに、どうしてこんなに書類がいるんだろう」
「石を探すために、南の大陸へ調査隊を送る予定だからじゃないですか?」
「そうだったね」
セラは机の上の報告書を取り上げた。
星晶は、最初の発見以来、いくつかの隕石から確認されていた。しかし、その量は極めて少なかった。
大きな隕石をいくつも調べても、黒い結晶が一粒も見つからないことがある。
ようやく見つかっても、針の先ほどの大きさしかない。
試料の量が足りないため、分析の方法にも制約があった。
結晶を砕けば、化学組成や内部構造を詳しく調べられるかもしれない。しかし、砕いてしまえば、同じ試料を使った空間干渉の実験ができなくなる。
複数の結晶を組み合わせた試験も、まだほとんど行われていなかった。
セラは研究室の奥を見た。
そこには、手のひらほどの大きさの装置が置かれている。
星晶へ魔力を与え、周囲の微細な空間変化を測定するための装置だった。
最初のころと比べれば、ずいぶん精密になった。
しかし、作用の大きさは相変わらず非常に小さい。
研究者たちは、もっと大きな星晶があれば何が起きるのか知りたがっていた。
ところが、もっと大きな星晶が見つからないのである。
「……まずは、石を探さないとね」
セラは報告書を鞄へ入れた。
「行ってきます」
「頑張ってください」
ニルが笑った。
「予算、取ってきてくださいね」
*
「つまり、研究対象が足りないということですね」
審査委員の一人が言った。
「はい」
セラは頷いた。
「現在、研究所で保管している星晶は、ごく少量です。これ以上の実験を行うには、新しい試料を入手する必要があります」
「隕石から見つかるのでしょう?」
「そうです」
「では、隕石を集めればよいのでは?」
「そのための予算をお願いしています」
委員は書類を見た。
「しかし、かなりの金額ですね」
「広い地域を調査する必要がありますから」
「もっと近くでは見つからないのですか?」
「見つかる可能性はあります。ただ、隕石の落下場所がわからないことも多いので」
セラは地図を広げた。
これまでに星晶が確認された隕石の採取場所が、赤い点で示されている。
北方の山岳地帯。
西の砂漠。
南の高原。
どれも、人の少ない場所だった。
「こうした地域では、地表に落ちた隕石が比較的見つかりやすいんです。特に乾燥した地域では、長い間残っているものもあります」
「しかし、星晶が含まれている保証はないのでしょう?」
「ありません」
「それでは、莫大な費用をかけても、何も見つからないかもしれない」
「そうですね」
セラは頷いた。
委員は少し困った顔をした。
「……ずいぶん簡単に認めますね」
「保証できませんから」
「研究計画としては、もう少し見込みが必要ではありませんか?」
「見込みを調べるためにも、試料が必要なんです」
委員は黙った。
セラは地図を指差した。
「今わかっているのは、星晶が隕石に含まれていることです。どのような隕石に多いのか、宇宙のどこで形成されるのか、まだ十分にわかっていません。ですから、まずは採取例を増やしたいんです」
「なるほど」
「星晶そのものが見つからなくても、隕石の分類や組成の調査は役に立ちます」
別の委員が尋ねた。
「ところで、星晶は実用品になるのですか?」
セラは、少し考えた。
「まだ、わかりません」
「空間へ作用するというのは、興味深い現象ですが」
「はい」
「実際に何かを動かしたり、運んだりすることはできるのでしょうか」
「今のところ、測定できる程度の小さな変化しか起こせません」
「では、産業的な価値も不明ということですね」
「そうなります」
委員たちは顔を見合わせた。
セラは、少し困った。
星晶が何に使えるのかと尋ねられても、まだ答えられない。
そもそも、どんな性質を持っているのかを研究している最中なのだ。
それでも、セラには確かめたいことが山ほどあった。
星晶の大きさが変われば、空間への作用も変わるのか。
結晶の形状によって、作用する方向は変わるのか。
複数の結晶を配置すれば、効果を強めたり弱めたりできるのか。
別の材料と組み合わせれば、新しい現象が起きるのか。
それを調べるために、星晶が必要だった。
「……少なくとも」
セラは言った。
「今まで知られていなかった現象が起きていることは確かです。それを詳しく調べる価値は、あると思います」
委員たちは、また書類へ目を落とした。
結局、予算は希望額の半分だけ認められた。
南の大陸への大規模な調査隊は見送られ、まずは既存の隕石標本を収集することになった。
研究室へ戻ったセラが結果を伝えると、ニルは少し残念そうな顔をした。
「半分ですか」
「うん」
「調査隊は?」
「今回は無理だって」
「そうですか……」
セラは椅子へ座った。
「でも、博物館の標本を調べる予算は出たよ」
「それなら、まずはそっちですね」
「うん」
ニルは新しい紙を取り出した。
「では、各地の博物館へ照会しましょう」
「お願い」
セラは鞄から地図を取り出し、机に広げた。
赤い点は、まだ数えるほどしかなかった。
*
その年の秋、セラは中央天文台を訪れた。
目的は、隕石の落下軌道について調べるためだった。
天文台は王都から鉄道で二日ほどの山の上にあり、巨大な望遠鏡を備えていた。空気が澄んでいるため、晴れた夜には遠くの星々までよく見えるという。
案内してくれたのは、ミレンという天文学者だった。
背の高い、痩せた男性で、髪はいつも少し乱れている。隕石や小惑星の軌道を専門に研究していた。
「星晶の話は聞いていますよ」
ミレンは言った。
「ありがとうございます」
「面白い物質ですね。空間へ作用するというのは」
「はい。ただ、試料が少なくて困ってるんです」
「それで、隕石がどこから来るのかを調べたい、と」
「そうです」
ミレンは、大きな星図を机へ広げた。
そこには、太陽の周囲を回る惑星と、いくつもの小天体の軌道が描かれていた。
「隕石は、宇宙にある小さな天体の破片だと考えられています。多くは太陽の周囲を回っていますが、軌道が交差すると、地上へ落ちてくることがある」
「はい」
「ただし、地上で拾った隕石が、どの天体から来たのかを正確に特定するのは難しいんです」
ミレンは星図の一部を指差した。
「ここに小惑星がたくさんあります。こうした天体が衝突して破片になり、その一部が地上へ落ちてくる可能性があります」
セラは図を覗き込んだ。
「小惑星って、どんなものなんですか?」
「大きな岩石だと思ってください。小さいものは数十間ほど、大きなものは山や島ほどの大きさがあります」
「それが空にあるんですか」
「ええ」
「……すごいですね」
セラは少し笑った。
子どものころ、母と一緒に王立博物館へ行ったことを思い出した。
あのころは、道端で拾った石ころを鞄に詰めていた。
今では、空に浮かぶ石の話を聞いている。
「小惑星には、どんな鉱物があるんでしょう?」
セラが尋ねた。
「地上の岩石と似たものもあれば、ずいぶん違うものもあるでしょう。詳しいことは、まだわかっていません」
「星晶もあると思いますか?」
「可能性はあります」
ミレンは頷いた。
「少なくとも、隕石に含まれている以上、どこかの天体には存在するはずです」
「……そうですよね」
セラは、しばらく星図を眺めた。
地上の鉱山には、魔法金属がたくさんある。
アダマンタイトも、ミスリルも、オリハルコンも。
しかし、星晶だけは違う。
地上では、ほとんど見つからない。
隕石に含まれているということは、宇宙のどこかには存在している。
それなら。
「……あの」
セラは顔を上げた。
「こういう小惑星って、採掘できないんですか?」
ミレンは目を丸くした。
「採掘?」
「はい。鉱山みたいに」
ミレンは、しばらくセラを見ていた。
それから、ゆっくりと答えた。
「……まず、行かなければなりませんね」
「そうですね」
「非常に遠いですよ」
「どのくらいですか?」
ミレンは軌道図を指差した。
セラは、その距離を見て黙った。
地上のどんな鉱山よりも遠い。
鉄道で何日かかる、というような距離ではなかった。
「……遠いですねえ」
「ええ。とても」
ミレンは笑った。
「もっとも、月ならまだ近いですが」
「月?」
「ええ。月も大きな岩石の天体ですから。そこに星晶があるかどうかはわかりませんが」
セラは窓の外を見た。
夕方の空に、白い月が浮かんでいた。
「……月にも、鉱石があるんですか?」
「あるでしょう。地上と同じようなものかどうかは、わかりませんけどね」
セラは、もう一度月を眺めた。
あそこにも石がある。
鉱物がある。
もしかしたら、星晶もあるかもしれない。
それを確かめるには、実際に行って調べるしかないのだろうか。
「……行けたらいいですね」
セラが言った。
ミレンは笑った。
「ええ。本当に」
*
その日の夜、セラは天文台の望遠鏡を見せてもらった。
大きな筒が、夜空へ向けられている。
ミレンが装置を調整し、月へ向けた。
「どうぞ」
セラは接眼鏡を覗き込んだ。
目の前に、灰色の大地が広がっていた。
無数のクレーター。
山脈。
平らな盆地。
光の当たる場所と、深い影になっている場所。
肉眼では白い円盤にしか見えない月にも、こんなに複雑な地形があるのかと、セラは驚いた。
「……本当に、地面があるんですね」
ミレンが笑った。
「ありますよ」
「石も?」
「石もあるでしょうね」
「……そうですか」
セラは、しばらく月を眺めていた。
大きなクレーターの縁に、長い影が落ちている。
その内側には、いったいどんな岩石があるのだろう。
地上と同じ鉱物だろうか。
それとも、まったく違うものだろうか。
星晶は、そこにあるのだろうか。
セラは、望遠鏡から顔を離した。
「……ミレンさん」
「はい?」
「月の石って、どうすれば手に入るんでしょう」
ミレンは少し考えた。
「……今のところ、月まで行って取ってくるしかないでしょうね」
「そうですよね」
セラは頷いた。
それから、もう一度接眼鏡を覗いた。
月は、相変わらず静かに浮かんでいた。




