04. もったいない粉
翌朝、エダは仕事を始める前に、切削屑の入った容器を机へ並べた。
全部で六つあった。
最初の実験で集めた少量の粉から、昨日削ったばかりのものまで、粒の大きさはさまざまだった。細かな粉末もあれば、砂粒ほどの欠片も混じっている。
エダは一つの容器を開け、指先で粉をつまんだ。
解呪すればミスリルになる。
しかし、粉は粉のままだ。
エダは昨日から、どうにかしてこれをまとめられないか考えていた。
最初に思いついたのは、石粉を押し固めることだった。
小さな鋳型へ粉を入れ、圧力をかける。水を少し加える。つなぎになる材料を混ぜる。
だが、押し固めたところで、解呪後にも一つの金属になっているとは限らない。つなぎの材料を使えば、金属の中に余計なものが混ざってしまう。
エダは容器を机へ戻した。
「……何か、いい方法ないかなあ」
隣で仕事をしていたロアンが顔を上げた。
「何の話だ?」
「この石粉です」
「ああ。ずいぶん溜まったな」
「捨てるのはもったいないんですけど、使い道がないんですよね」
「まあ、粉だからな」
「一つにまとめられたらいいんですけど」
ロアンは、しばらく考えた。
「押し固めるか?」
「それも考えました」
「焼いてみるとか」
「焼く?」
「煉瓦だって、焼けば固まるだろ」
エダは顔を上げた。
「……ああ」
ロアンは作業へ戻ろうとした。
しかし、エダはまだ何か考えていた。
石粉。
焼く。
固める。
煉瓦を焼くのとは少し違うが、硝子職人は砂や鉱物を炉で溶かし、別の形へ作り替えている。
石でも、種類によっては溶かせる。
そういえば、石化したミスリルは、普通の石と同じような性質だった。
では、あの石粉も溶けるのだろうか。
「……親方」
「今度は何だ?」
「硝子屋さんって、石を溶かしますよね?」
「そうだな」
「じゃあ、これも溶かせるんじゃないですか?」
ロアンは振り向いた。
「石粉をか?」
「はい」
「……なるほど」
エダは容器を持ち上げた。
「溶かして一つに固めてから解呪したら、ミスリルの塊になりませんかね?」
ロアンは少し考えた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「……試してみるか」
「はい!」
「硝子屋のノーラに聞いてみよう。あの人なら、どんな石が溶けるか詳しいはずだ」
エダは、早速容器を鞄へ入れた。
硝子職人のノーラは、エダの話を聞いてから、しばらく容器の中の粉を眺めていた。
「つまり、これがミスリルだったって?」
「はい」
「今は石なのね」
「そうです」
「で、これを溶かして、一つに固めたいと」
「はい!」
ノーラは容器を持ち上げ、粉を指先で擦り合わせた。白髪交じりの髪を後ろで束ね、厚い革の前掛けを着けた女性だった。王都で三十年以上、硝子器や実験器具を作っているという。
「面白いことを考えるねえ」
「できますか?」
「さあね。石っていっても色々あるから。温度を上げれば何でも溶けるってわけじゃないし、溶けたところで綺麗に固まるとも限らない」
ノーラは粉を少し摘まみ、光にかざした。
「そもそも、これが何の石なのかわからないんだろう?」
「はい。神殿の人も、石化したものはみんな似たような石になるって言ってました」
「みんな?」
「木でも、鉄でも、人間でも」
「へえ」
ノーラは少し考えた。
「人間を溶かすのは勘弁してほしいけどね」
「私も嫌です」
「まあ、粉ならやってみてもいいよ。ただし、うまく溶けなくても文句は言わないこと」
「もちろんです!」
エダは勢いよく頷いた。
ロアンは隣で腕を組んでいた。親方自身も、この実験がどうなるのか気になっているらしい。
「費用はどのくらいかかる?」
「これっぽっちの粉なら大したことないさ。炉はもともと動いてるんだ。ただ、容器を一つ潰すかもしれないから、その分はもらうよ」
「構わねえ」
「それと、妙なものを混ぜたおかげで、うちの炉が使えなくなるようなことはないだろうね?」
エダは少し困った。
「……たぶん、大丈夫だと思います」
「たぶんかい」
ノーラは笑った。
「まあ、最初はごく少量でやろう。何かおかしな反応があったら、そこでやめるよ」
*
硝子工房の奥には、大きな溶融炉があった。
耐火煉瓦で築かれた炉の内部では、赤く輝く熱が絶えず揺らいでいる。周囲には大小さまざまな坩堝が並び、職人たちが長い鉄棒を使って溶けた硝子を取り出していた。
ノーラは小さな耐火容器を持ってきた。
「これに入れてみよう」
エダは持参した石粉を少しだけ取り分け、容器の底へ落とした。
「全部使わないんですか?」
「何が起きるかわからないからね。残りは取っておきな」
容器が炉に入れられた。
三人は、覗き窓からその様子を観察した。
最初は何も起こらなかった。灰色の粉が容器の底に積もったままで、見た目には変化がない。
しばらくすると、粉の一部がまとまり始めた。細かな粒の輪郭が崩れ、互いにくっつき始めている。やがて表面がわずかに光沢を帯び、粉末だったものが一つの小さな塊になった。
「溶け始めたね」
ノーラが言った。
さらに温度を上げると、塊はゆっくりと形を失った。表面が丸まり、容器の底に広がっていく。
ノーラは細い耐火棒を差し入れ、そっと触れてみた。
「おや」
「どうしました?」
「思ったより流れるねえ」
棒を引き上げると、灰色の粘った液体が細い糸を引いた。
「普通の岩石なら、こんなに素直に溶けないものも多いんだけどね。これなら鋳型へ流せそうだ」
「本当ですか!」
「まだわからないよ。冷やして割れたり、容器にくっついたりするかもしれない」
ノーラは慎重に容器を傾けた。溶けた石が、あらかじめ用意した小さな鋳型へ流れ込む。量が少ないので、鋳型の底に薄く広がる程度だった。
冷却を待って取り出すと、滑らかな灰色の薄片ができていた。表面には硝子に似た光沢があるが、透明ではない。
エダは、その薄片を指先で持ち上げた。
「……できた」
「溶けたのは確かだね」
ノーラは薄片を眺めた。
「それで、これを元に戻すんだろう?」
「はい」
「どうなると思う?」
「ミスリルになるはずです」
「粉に戻ったりしないのかい?」
エダは口を開き、それから閉じた。
「……そこは、わかりません」
ノーラは楽しそうに笑った。
「じゃあ、確かめないとね」
*
翌日、エダたちは神殿を訪れた。
ハロルドは灰色の薄片を見せられ、少し困った顔をした。
「……今度は何をなさったのですか?」
「石を溶かしました」
「石を?」
「はい。こないだ削ったミスリルの切り屑です」
エダは硝子工房で行った実験を説明した。細かな石粉を集め、炉で加熱し、一つの薄片へ固め直したのだという。
ハロルドは、手元の薄片を裏返した。
「なるほど。しかし、これを解呪すると、どうなるのでしょう?」
「それを確かめに来ました」
「……そうでしょうね」
ハロルドは溜息をついた。
もっとも、解呪自体は通常の試験として実施できる。石化した材料がごく少量で、危険な魔眼を開放する必要もなかったため、前回ほど大がかりな準備はいらなかった。
試験室の台座に薄片を置く。ハロルドが手をかざすと、淡い光が広がった。灰色の薄片がゆっくりと銀色へ変わり、やがて光が消えた。
台座には、小さな金属片が載っていた。
エダは、すぐに手を伸ばした。
「……一つになってる」
金属片は、鋳型の形をそのまま保っていた。元はばらばらの粉末だったはずなのに、継ぎ目らしいものは見当たらない。表面を指で擦っても、粒が落ちることはなかった。
ロアンが小さな金槌を取り出した。
「ちょっと貸してみろ」
金属片を受け取ると、作業台の上に置いて軽く叩いた。金属らしい澄んだ音がした。もう一度、少し強く叩く。金属片は割れなかった。
「……くっついてるな」
「はい!」
「本当に一つのミスリルになってるぞ」
ロアンは何度か金属片を裏返し、表面を調べた。
「……妙なもんだな。ミスリルなんて、炉で熱しても溶かせねえのに」
「石にしている間なら溶かせるんですね」
「そういうことだな」
エダは金属片を受け取り、光にかざした。
考えてみれば奇妙なことだった。鉄を鉄のまま加工する必要がないのと同じように、ミスリルをミスリルのまま溶かす必要もなかったのである。石になっている間に溶かし、固めてしまえばいい。そして解呪すれば、元の金属に戻る。
「親方、これなら切り屑も全部使えますね」
「ああ。無駄にしなくて済む」
「よかったあ」
エダは本当に安心した。ほんの少しとはいえ、せっかくのミスリルを削って捨てるのは、もったいないと思っていたのだ。
ロアンは金属片を見つめながら、しばらく黙っていた。
「……なあ、エダ」
「はい?」
「これ、もう削らなくてもいいんじゃねえか?」
「え?」
「溶かした石を鋳型に流せるんだろ?」
「はい」
「だったら、最初から欲しい形に流し込めばいいじゃねえか」
エダは瞬きをした。
ロアンは机の上の金属片を指差した。
「歯車だろうが、軸受だろうが、鋳型を作れば形にはなる。細かいところだけ後から削ればいい」
「……あっ」
エダは金属片を見た。それからロアンを見た。
「……本当ですね」
「本当ですね、じゃねえよ」
ロアンは笑った。
「お前、削ることばっかり考えてたんだな」
「だって、最初は削りたかったんですもん」
「そうだったな」
エダも笑った。
石化して削る。石化して溶かす。どちらも、使う道具は普通の石工や鋳物師のものだった。
ただし、石化溶融による再凝固が大きな部品でも成立するかどうかは、まだわからない。今回の薄片は小さすぎて、強度を十分に調べることもできなかった。鋳型へ流すときの温度や、解呪後の寸法変化についても調査が必要だった。
それに、何より材料が足りない。
ロアンは机の上の薄片を指先で動かした。
「今度は、もうちょっと大きなものを作ってみるか」
「はい!」
「まずは、材料を買ってこなきゃな」
二人はしばらく黙った。
大きな魔法金属の塊。それは、どこで買えばよいのだろう。
*
工房へ戻ったのは、午後の遅い時間だった。
エダは机の上に新しい金属片を置き、最初に加工した円柱と並べた。
片方は削って作ったもの。
もう片方は、削り屑を溶かして作ったもの。
どちらも、普通の工具で加工できないはずのミスリルだった。
エダは手帳を開き、硝子工房で行った試験の記録を書き始めた。使った石粉の量、加熱時間、溶け始めたときの様子、冷却後の形状。
炉の温度はノーラに聞いて確認しなければならない。もっと大きな試料で強度試験も行いたかった。
そんなことを考えていると、工房の扉が開いた。
「エダさん!」
顔を上げると、フィンの助手が立っていた。
息を切らしている。
「どうしたんですか?」
「先生が、すぐ来てほしいって」
「フィンさんが?」
「はい。鉱石の研究室です」
エダは首を傾げた。
「何かあったんですか?」
「新しい試料ができたんです。今までよりずっと純度の高いミスリル粉末が取れたって」
「ああ!」
エダは机の上の薄片を見た。
それから、助手を見た。
「ちょうどよかった!」
「え?」
「私も、フィンさんに見せたいものがあるんです」
エダは薄片を布に包み、鞄へ入れた。
「親方、ちょっと技術院へ行ってきます!」
ロアンは作業台から顔を上げた。
「今度は何だ?」
「粉です!」
「……何だって?」
「粉が、何とかなりそうなんです!」
ロアンはしばらく考え、机の上に残った円柱を見た。
それから、大きな溜息をついた。
「……俺も行く」
*
鉱山研究部の実験室では、フィンが机の上に硝子瓶を並べていた。
瓶の底には、それぞれ細かな銀色の粉末が入っている。
エダが入ってくると、フィンは嬉しそうに立ち上がった。
「来ていただけましたか!」
「はい。粉ができたんですって?」
「ええ。見てください」
フィンは一本の瓶を持ち上げた。
「この試料は、北方の鉱石を三回石化粉砕して、解呪と選別を繰り返したものです。分析の結果、非常に高い割合でミスリルが含まれていることがわかりました」
「すごいですね!」
「ええ。ただ……」
フィンは瓶を置いた。
「まだ粉なんですよ」
エダは笑った。
「そうですね」
「金属としては取り出せている。しかし、これを一つの部材にする方法がない。いろいろ試しているんですが、なかなかうまくいきません」
エダは、鞄から包みを取り出した。
「それなんですけど」
「はい?」
「ちょっと、これを見てください」
布を開く。
そこには、小さなミスリルの薄片が載っていた。
フィンは首を傾げた。
「……これは?」
「ミスリルです」
「それはわかりますが、ずいぶん滑らかな形ですね。新しい加工法ですか?」
「はい。切り屑から作りました」
フィンは瞬きをした。
「切り屑?」
「石化したミスリルを削ると、石の粉が出るでしょう?」
「ええ」
「あれを溶かしたんです」
フィンは黙った。
エダは続けた。
「硝子屋さんの炉で溶かして、一つに固めました。それから解呪したら、こうなったんです」
フィンは薄片を手に取った。
表面を調べる。
裏返す。
爪で軽く擦ってみる。
「……粉末だったものが、一つの金属に?」
「はい」
「溶融して?」
「石のままですけど」
フィンは、しばらく何も言わなかった。
それから、机の上の硝子瓶を見た。
銀色の粉末。
高純度のミスリル。
エダも同じものを見ていた。
どちらが先に口を開いたのか、後になっても二人は覚えていなかった。
「……これも」
「……溶かせますよね」
フィンは硝子瓶を持ち上げた。
「石化して?」
「はい」
「それを溶かして固めて、解呪したら……」
「インゴットになりますね」
二人は顔を見合わせた。
フィンは突然、椅子から立ち上がった。
「炉です!」
「はい?」
「炉を借りましょう! 技術院の実験炉なら、すぐ使えます!」
「石化の申請は?」
「研究用の枠が残っています。すぐに確認します!」
フィンは助手に向かって声を上げた。
「試料の一部を取っておいてください! 残りを石化します!」
助手は驚いて振り向いた。
「先生、何をするんですか?」
「インゴットを作るんです!」
実験室が、一瞬静かになった。
それから、何人かが一斉に動き始めた。
フィンは書類を探し、助手たちは試料を秤に載せ、エダは石化後の溶融条件を説明した。
ロアンは、しばらくその様子を眺めていた。
そして、少し呆れたように言った。
「……お前ら、まだ本当にできるかもわかってねえんだろ?」
「はい!」
エダが答える。
フィンも頷いた。
「だから、試すんです」
ロアンは笑った。
「そうだったな」
*
最初の鋳造試験は、翌日の午後に行われた。
石化したミスリル粉末を小さな耐火容器へ入れ、実験炉で加熱する。ノーラの硝子工房で使ったのと同じような温度条件から始め、慎重に様子を確認した。
粉末は、やがて一つにまとまり始めた。
さらに加熱すると、流動性を持つ灰色の塊になった。
「……溶けていますね」
フィンが言った。
「はい」
エダは頷いた。
ノーラの実験と同じだった。
ただし、今回は材料が違う。
ドワーフ製のミスリルを削った粉ではない。
地上の鉱石から、人類が自分たちで取り出したミスリルの粉末だった。
溶けた石を小さな鋳型へ流し込み、冷却する。
やがて、指ほどの太さの灰色の棒ができた。
エダは、それを慎重に取り出した。
表面には、わずかな凹凸が残っている。
しかし、形は保たれていた。
「……あとは解呪ですね」
フィンが言った。
エダは頷いた。
神官が台座へ近づく。
灰色の棒が、淡い光に包まれた。
しばらくして、色が変わり始める。
銀色。
少し青みを帯びた金属光沢。
光が消えた。
台座の上には、小さな金属の棒が置かれていた。
誰も、すぐには手を伸ばさなかった。
フィンが、ゆっくりと近づいた。
棒を持ち上げる。
表面を確かめる。
秤に載せる。
それから、作業台へ戻した。
「……ミスリルです」
助手が尋ねた。
「本当ですか?」
「ええ。少なくとも、見た目と重量は一致しています。詳しい分析は必要ですが……」
フィンは、そこで言葉を切った。
もう一度、金属棒を見た。
「……できましたね」
エダは頷いた。
「はい」
ロアンが横から覗き込んだ。
「これ、鉱石から作ったんだよな?」
「そうです」
「ドワーフのインゴットじゃねえんだな?」
「はい」
ロアンは金属棒を受け取った。
軽い。
硬い。
淡い銀灰色の金属光沢。
工房の棚に何十年も置かれていた、あのミスリルとよく似ている。
ただし、これは違う。
地上の鉱石から、人類が初めて作った金属塊だった。
フィンは、突然笑い出した。
笑いながら、椅子へ座り込んだ。
「……十五年ですよ」
エダが振り向く。
「何がですか?」
「私は十五年、この鉱石をどうやって砕けばいいか考えてきたんです」
フィンは金属棒を指差した。
「それが、砕けるようになったと思ったら、今度は溶かせるようになって……」
言葉が続かなかった。
エダは少し笑った。
「よかったですね」
「ええ」
フィンは大きく頷いた。
「本当に」
ロアンは、二人を見比べた。
「……まあ、まだ小さいけどな」
フィンは笑った。
「そうですね」
「しかも、これだけ作るのに、ずいぶん金がかかっただろう」
「ええ。信じられないくらい」
「じゃあ、次は安く作らねえとな」
ロアンは棒を机に置いた。
エダが言った。
「それに、もっと大きいのも作りたいです」
「まずは、ちゃんと強度を調べてからだ」
「はい!」
実験室には、まだたくさんの試料が残っていた。
石化した鉱石。
解呪した粉末。
選別しきれなかった不純物。
そして、小さなミスリルの棒。
フィンは手帳を開き、試験結果を書き始めた。
エダも、自分の手帳へ溶融条件を記録した。
何度か計算を確かめ、試験の手順を書き直す。今度は、もう少し大きな試料を使ってみたい。
作業台の上には、人類が初めて鉱石から製造した魔法金属のインゴットが置かれていた。
フィンは、それをもう一度手に取った。
「……さて」
彼は笑った。
「これで、ようやく金属が作れますね」
エダは頷いた。
「はい。今度は、何を作りましょうか」




