↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/16

15. 違う道具

月面都市に滞在して三日目、アリスはエーテリウム研究所を訪れた。


 そこには、地上では見たことのない装置が並んでいた。


 巨大な分析機器。精密な加工設備。高いエネルギーを扱うための装置。そして、エーテリウムの性質を調べるための測定器。


 グランは一つずつ説明してくれた。


「こちらはエーテリウムの内部構造を調べる装置です」


「……こんなに大きいんですか」


「大きな結晶を測定する必要がありますからね」


 装置の中央には、握り拳ほどの黒い結晶が置かれていた。


 地上では、これほど大きな星晶を見たことがなかった。


 表面は、光を当てる角度によってわずかに青く見える。内部には細かな縞模様があり、ところどころに黒い筋が走っている。


「これ、切り出したものなんですか?」


 アリスが尋ねた。


「ええ。原鉱石から分離した後、測定用に形を整えています」


「すごいですね」


「そうでしょうか?」


「地上では、これだけの量があったら、研究所のみんなが大喜びすると思います」


 グランは笑った。


「それなら、帰るときにいくつか持っていっていただきましょう」


 アリスは目を丸くした。


「……いいんですか?」


「もちろん、持ち帰りの許可は必要ですが。研究用の試料くらいなら、それほど問題ないでしょう」


 アリスは、少し呆然とした。


 母が何十年も探し続けていた物質が、ここでは研究用の試料として普通に用意されている。


 そのことを、ようやく実感し始めていた。


     *


 次の部屋では、エーテリウムを加工するための装置が動いていた。


 細い光のようなものが結晶の表面へ当たり、少しずつ形を変えている。加工された部分からは、非常に細かな粒子が取り除かれていた。


 アリスは足を止めた。


「……何をしているんですか?」


「加工です。エーテリウムを必要な形に削っています」


「削る?」


「ええ」


 アリスは装置を覗き込んだ。


 加工されているのは、小さな黒い結晶だった。何かの部品に使うのだろうか。細い溝がいくつも彫られ、中央には非常に小さな穴が開いている。


「……ずいぶん大がかりですね」


 グランは苦笑した。


「そうなんです。エーテリウムの加工は、なかなか難しくて」


「どうしてですか?」


「私たちの精霊魔法が、あまりよく効かないんですよ」


 アリスは顔を上げた。


「精霊魔法?」


「ええ。地上の魔法金属なら、火と大地の精霊を利用して精製・加工できます。しかし、エーテリウムはそういう方法では扱いにくいんです」


 グランは加工装置を指差した。


「ですから、別の方法を開発する必要がありました」


 アリスは頷いた。


 アダマンタイト、ミスリル、オリハルコン。


 ドワーフたちは、それらを精霊魔法によって自在に加工していた。


 しかし、エーテリウムは地上に由来する金属ではない。大地の精霊を利用する技術では、十分に扱えなかったのだという。


 アリスは、しばらく加工装置を眺めていた。


「……それで、こういう装置を作ったんですね」


「ええ。星晶……失礼、地上ではそう呼ぶのでしたね」


 グランは笑った。


「エーテリウムの空間干渉を利用して、加工点へエネルギーを集中させています。材料自身の性質を利用するわけです」


「なるほど」


「ただし、これにも制約があります。大きな部品ならともかく、小さな形状を正確に仕上げるのは難しいんですよ」


 アリスは加工中の結晶を見た。


 非常に細い溝が、少しずつ彫られている。


 それを作るために、巨大な装置が動いていた。


「……石化加工は、使わないんですか?」


 グランは首を傾げた。


「石化加工?」


「はい。バジリスクを使う方法です」


「バジリスク?」


 グランは少し考えた。


「ああ。故郷の惑星にいる魔物ですね」


「そうです」


「それを、加工に使うんですか?」


「はい」


 アリスは、祖母の発見について説明した。


 魔法金属を石化させる。


 普通の石工道具で削る。


 必要なら、石化した粉末を溶かして固める。


 それから解呪する。


 そうすると、元の魔法金属へ戻る。


 グランは、興味深そうに話を聞いていた。


「……なるほど」


「地上では、今も使われている方法なんです」


「そうでしたか」


 グランは少し考えた。


「私たちは、バジリスクを工業利用したことがないんですよ」


「そうなんですか?」


「ええ。アダマンタイトやミスリルなら、精霊魔法で加工できますから。危険な魔物を使う必要がありませんでした」


「なるほど」


「それに、宇宙へ移住するときも、わざわざバジリスクを連れてくる理由はなかったですし」


 グランは笑った。


「今では、こちらで生きた個体を見ることもありません」


 アリスは加工装置を見た。


 黒い結晶が、ゆっくりと削られている。


「……エーテリウムにも、効くんでしょうか」


 グランは少し驚いた顔をした。


「石化魔法が?」


「はい」


 彼は、しばらく考えた。


「……どうでしょうね」


「試したことは?」


「ありません」


 グランは腕を組んだ。


「ただ、エーテリウムは空間へ作用する性質を持っていますから、普通の物質とは違う反応を示すかもしれません」


「そうですよね」


「それに、仮に石化できたとしても、元へ戻したときに性質が保たれるかどうかは別問題です」


「はい」


 アリスは頷いた。


 それは、祖母が最初にミスリルを加工したときと同じだった。


 石化できるかどうか。


 削れるかどうか。


 解呪して、元へ戻るかどうか。


 一つずつ確かめなければならない。


「……でも、面白そうですね」


 グランが言った。


 アリスは顔を上げた。


「本当ですか?」


「ええ。特に、石化状態で溶融・接合できるという点が興味深いです」


 グランは加工装置を指差した。


「エーテリウムの加工費用は、決して安くありません。すべてを置き換えることはできなくても、一部の工程で利用できるかもしれません」


 アリスは頷いた。


「確かに、これだけ大きな装置が必要なら、小さな部品を作るのも大変そうですね」


「そうなんです」


 グランは、少し嬉しそうに笑った。


「小さな部品ほど、かえって難しいこともありますからね」


 アリスは、その言葉を聞いて笑った。


 祖母も、よく似たことを言っていた。


 巨大な機械を作るのも大変だが、小さな部品を正確に作るのは別の意味で難しい。


 ほんの小さな誤差が、機械全体の動きを悪くすることがある。


 どんなに丈夫な材料を使っても、形が正確でなければ役に立たない。


「……祖母が聞いたら、喜びそうです」


 アリスが言った。


「お祖母様が?」


「はい。最初に石化加工を考えたのは祖母なんです」


「そうでしたか」


 グランは頷いた。


「それは、ぜひお話を伺いたいですね」


「もうずいぶん年を取っていますけど、今でも工房で機械を見ています」


「素晴らしいことです」


 グランは加工装置を眺めた。


「もしよろしければ、石化加工についての資料を送っていただけませんか?」


「もちろんです」


「石化魔法の作用範囲や、解呪後の物性について、詳しいデータが欲しいですね」


「わかりました。地上の研究所にも相談してみます」


 グランは頷いた。


「ありがとうございます」


     *


 研究所の見学を終えた後、アリスはグランに一つの質問をした。


「……あの、エーテリウムって、どんなところで使われているんですか?」


 グランは少し考えた。


「いろいろありますよ。空間航行のための装置が最も大きな用途ですが、精密測定や位置制御にも利用されています」


「位置制御?」


「ええ。物体の位置や距離を非常に正確に制御するための装置です」


 グランは手元の表示装置を操作した。


 そこには、さまざまな機械の図が並んでいた。


 巨大な航路門。


 宇宙船の航法装置。


 精密な計測器。


 そして、小さな機械部品。


 アリスは、その中の一つを指差した。


「……これ、何ですか?」


「空間干渉を利用した微小位置補正装置です。精密機械の一部で使われています」


「どのくらい動かせるんですか?」


「用途によりますが、非常に小さな距離です。普通の機械では制御しにくい領域ですね」


 アリスは図面を眺めた。


 小さな部品だった。


 黒い結晶と、金属製の枠が組み合わされている。


「……これ、地上でも研究してるんです」


「そうなんですか?」


「はい。母の研究室で、星晶を使った精密測定装置を作っています」


 グランは嬉しそうに笑った。


「それは興味深いですね」


「まだ性能は全然違いますけど」


「構いませんよ」


 グランは頷いた。


「どんな方法を使っているのか、ぜひ見てみたいです」


 アリスは少し驚いた。


「……ドワーフの技術の方が、ずっと進んでいるのに?」


「それは、分野によるでしょう」


 グランは、当然のように答えた。


「私たちが使っていない方法を、そちらで考案しているかもしれませんから」


 アリスは、しばらく黙った。


 ドワーフたちは、地上の人類よりもはるかに高度な技術を持っている。


 巨大な宇宙船を作り、遠い星々を結び、エーテリウムを自在に利用している。


 しかし、彼らがすべての方法を知っているわけではない。


 それは、考えてみれば当然のことだった。


 地上の人類は、魔法金属を加工するために、石化魔法という別の方法を見つけた。


 ドワーフたちは、精霊魔法を利用していたため、その方法を使う必要がなかった。


 どちらも、同じ材料を扱うための技術だった。


 ただ、そこへ至る道が違っていたのである。


「……そうですね」


 アリスは頷いた。


「じゃあ、帰ったら、地上の研究資料を送ります」


「ありがとうございます」


 グランは笑った。


「こちらからも、公開可能な資料をお送りしますよ」


     *


 月面滞在を終える前日、アリスたちは再び宇宙港を訪れた。


 帰還船への合流に向けて、着陸機の点検を行う必要があったからだ。


 ヴァルドが案内してくれた整備施設には、見慣れない装置が並んでいた。


 その中に、人類の月面着陸機が置かれている。


 周囲の巨大な宇宙船と比べると、驚くほど小さく見えた。


「……何だか、おもちゃみたいですね」


 アリスが呟く。


 ヴァルドは笑った。


「そうでしょうか?」


「ここへ来るまでは、ずいぶん大きな宇宙船だと思っていたんです」


「なるほど」


 ヴァルドは機体を見上げた。


「でも、よくできていますよ」


「本当ですか?」


「ええ。限られた質量とエネルギーで月まで来られるよう、ずいぶん工夫されていますね」


 アリスは少し嬉しくなった。


「ありがとうございます」


 ヴァルドは着陸機の脚を指差した。


「特に、ここの衝撃吸収機構が面白いですね。材料をあえて変形させる構造になっている」


「ああ、それ、私が設計しました」


「そうでしたか」


「最初は魔法金属で作ろうと思ってたんですけど、硬すぎて駄目だったんです」


 アリスは笑った。


「だから、普通の金属に戻しました」


「なるほど。確かに、衝撃を吸収するには、適切に変形する材料が必要ですからね」


 ヴァルドは頷いた。


「いい判断だったと思います」


 アリスは、着陸機を見上げた。


 自分たちが何年もかけて作った機械だった。


 宇宙港に並ぶ船と比べれば、性能も規模も遠く及ばない。


 それでも、この船は地上から月まで飛んできた。


 そして、無事に着陸した。


 小さな故障はいくつかあったが、どれも修理できる範囲だった。


 帰りのための燃料も、予定どおり残っている。


「……じゃあ、帰りましょうか」


 アリスが言った。


 レナが頷いた。


「そうね」


 マラは少し残念そうな顔をした。


「……もう少し石を調べたかったな」


「また来ればいいじゃない」


 レナが笑った。


 マラは、窓の向こうに広がる巨大な宇宙港を見た。


「……そうね」


 そして、少し笑った。


「次は、もっと大きな船で来たいわ」


 アリスも頷いた。


 今度は、もっとたくさんの試料を持ち帰れるかもしれない。


 星晶。


 エーテリウム。


 二つの名前を持つ、同じ物質。


 地上の人類が隕石から発見し、長い年月をかけて研究してきた結晶が、ここでは普通の工業材料として使われている。


 それでも、地上で積み重ねてきた研究が無意味になったわけではない。


 グランたちも、石化加工に興味を持ってくれた。


 アリスは、着陸機の外壁へ手を触れた。


 少しざらついた、金属の感触だった。


 祖母が若いころ、初めてミスリルを削ったときも、こんな気持ちだったのだろうか。


 新しい方法が見つかった。


 それで、何ができるのかは、まだわからない。


 でも、試してみたいことは、いくらでもある。


 アリスは、少し笑った。


「……帰ったら、お母さんに話さないとね」


 レナが振り向いた。


「何を?」


「エーテリウムのこと」


 アリスは答えた。


「それから、ドワーフの研究者が、石化加工を試してみたいって言ってたこと」


 レナは頷いた。


「喜びそうね」


「うん」


 アリスは笑った。


「きっと、すごく」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。