第8話 ずっと6人だった
6人いるはずなのに、白い枠は5つしか出なかった。
菜々美の顔にだけ、何も表示されていない。
「故障じゃない?」
菜々美が画面を覗き込みながら言った。
「暗いから、私の顔だけ認識できなかったとか」
「ほかの5人は認識してる」
「たまたまだよ。私、顔小さいし」
冗談めかして笑ったが、その声は乾いていた。
『浩司くん。その写真も送って』
八重ちゃんに言われ、俺は撮影したばかりの画像を送信した。
画像を受け取った八重ちゃんは、菜々美の顔と、その周囲を交互に見つめる。
『名前を呼びながら、菜々美ちゃんから離れないで』
「名前を呼んでれば大丈夫なんだな?」
『分からない』
「またそれかよ」
『でも、名前を呼ばないよりはいいと思う』
八重ちゃんは菜々美を見つめたまま答えた。
澪が教室の扉へ目を向ける。
「ここに留まり続ける方が危ない。さっきは何も写っていなかったけど、今も安全とは限らない」
「じゃあ、移動しながら名前を呼ぶ?」
梓が尋ねる。
「それしかないと思う」
俺は見取り図を持つ澪を見る。
「どこへ向かう?」
「この近くに職員室がある。窓が多いから安全とは言えないけど、校内放送や鍵が残っている可能性はある」
「警備室とかもありそうだな」
翔太が蓮のスマホをポケットへ入れる。
「外へ出る鍵が見つかるかもしれない」
空間そのものが変わっている以上、普通の鍵で出られるとは思えなかった。
それでも、ほかに目指せる場所はない。
俺は教室の扉を塞いでいた机をどかす前に、廊下を撮影した。
送った写真には、人影も足跡も写っていない。
『今は何もいないよ』
八重ちゃんが答える。
「行こう」
机を動かし、扉を開ける。
先頭を澪と翔太が歩き、その後ろに陽菜、菜々美、梓が続く。俺は最後尾についた。
陽菜は菜々美の手を握ったまま離さない。
「菜々美」
「うん」
「佐伯菜々美」
「いるよ」
数歩進むたびに、陽菜が名前を呼ぶ。
菜々美もそのたびに返事をした。
俺たちも順番に名前を繰り返す。
「高城浩司」
「成瀬陽菜」
「佐伯菜々美」
「木戸翔太」
「藤崎梓」
「御影澪」
6人分の声が、薄暗い廊下へ重なる。
少し遅れて、教室の中から小さな声が聞こえた。
「佐伯菜々美」
全員が立ち止まる。
今出てきたばかりの教室は、扉を開けたままだった。
スマホの明かりを向けても、机と椅子が並んでいるだけで、人の姿はない。
「反響したんじゃない?」
菜々美が言った。
「私たち、何度も同じ名前を呼んでるから」
廊下や教室で声が反響することはある。
反響だけなら説明はつく。
だが、今の校舎でそれを信じ切る気にはなれなかった。
何より、今聞こえたのは菜々美の声ではない。
誰の声だったのかと聞かれても、答えられなかった。
「先へ進むぞ」
翔太が教室から目を逸らした。
「立ち止まってる方がまずい」
俺たちは歩き始めた。
「佐伯菜々美」
陽菜がもう一度呼ぶ。
「うん。ここにいる」
菜々美が答える。
廊下の角に差しかかるたびに写真を撮り、八重ちゃんへ送る。
そのたびに人数も確認した。
6人。
全員いる。
職員室までは、見取り図上なら同じ階を真っ直ぐ進むだけだった。
だが、廊下には先ほどまでなかった曲がり角が増えている。
教室の札も、同じ番号が何度も繰り返されていた。
《2年1組》
《2年2組》
《2年3組》
その次も、
《2年1組》
だった。
「また同じところに戻ってる?」
梓が足を止める。
「床を見て」
澪がライトを下へ向けた。
埃の上には、俺たちの足跡が一方向にしか残っていない。
「戻ってはいない。同じ教室が続いてる」
「どっちも大差ないだろ」
翔太が吐き捨てるように言う。
俺は前方を撮影した。
画面の中では、廊下の突き当たりに《職員室》の札が見える。
肉眼では、まだ廊下が続いていた。
「写真には職員室が写ってる」
「また、見えてるものと違うの?」
陽菜がスマホを覗き込む。
「写真を見ながら進めば着けるかもしれない」
澪が言った。
「陽菜、菜々美の手を絶対に離さないで。ほかの人も、互いの位置を見失わないように」
俺たちは写真の中にある職員室を目印に進んだ。
数歩ごとに撮影し、位置を確かめる。
写真の中では札が近づいてくる。
肉眼では、変わらない廊下が伸びている。
「佐伯菜々美」
俺は前を歩く菜々美の名前を呼んだ。
返事がない。
「菜々美?」
陽菜が隣を見る。
「どうしたの?」
菜々美は陽菜のすぐ横にいた。
「返事してくれ」
「したよ」
「聞こえなかった」
「ちゃんと、いるって言ったけど」
菜々美は不安そうに周囲を見る。
「私の声まで聞こえなくなってるの?」
「もう一度呼ぶ」
陽菜が菜々美の手を握り直す。
「菜々美」
「いるよ」
今度は聞こえた。
「佐伯菜々美」
「ここにいる」
俺たちは歩き続けた。
前方を撮影する。
職員室の札が、写真の中でさらに近づいている。
もう一度撮影する。
今度は職員室の扉が、画面いっぱいに写った。
「止まって」
澪が言う。
「目の前にあるはず」
肉眼では、廊下の先に何もない。
澪が慎重に手を伸ばす。
指先が空中で止まり、何かを探るように横へ動いた。
「ここに扉がある」
翔太も手を伸ばす。
「本当だ。見えないだけで触れる」
2人が扉の位置を探している間、俺は前を歩く3人を確認した。
陽菜。
菜々美。
梓。
全員いる。
さらに振り返り、背後の廊下にも何もいないことを確かめた。
澪が見えない取っ手をつかんだ。
「開けるよ」
「待って。中を撮る」
俺は扉があるはずの場所へスマホを向けた。
画面の中では、職員室の扉が少しだけ開いている。
隙間から、机や書類棚が見えた。
シャッターを押す。
その直後、翔太の小型ライトが消えた。
「またかよ!」
翔太が電源を押す。
暗闇の中で、俺たちのスマホだけが顔を照らした。
職員室の奥から、椅子を引く音が聞こえる。
ぎい、と、床を擦る長い音だった。
「全員いる?」
陽菜が声を上げる。
「いる」
梓が答える。
「俺もいる」
翔太。
「ここ」
澪。
「浩司もいる」
俺が答える。
陽菜が隣へ顔を向ける。
「菜々美?」
返事はなかった。
「菜々美」
陽菜のスマホが、空いている右手を照らした。
ついさっきまで握っていたはずの手は、どこにもない。
「菜々美?」
陽菜が周囲を見回す。
廊下には俺たち5人しかいなかった。
誰かが走り去った音も、悲鳴も聞こえていない。
菜々美が立っていた場所には、荷物もスマホも残されていなかった。
「どこ行った?」
俺は背後へライトを向けた。
長い廊下が続いている。
角も、開いた扉もない。
「誰が?」
翔太が尋ねる。
「菜々美だよ」
名前を口にした瞬間、自分の中で何かが薄く揺らいだ。
佐伯菜々美。
小柄で、髪の毛先を内側に巻いている。
陽菜の親友。
水色のブレスレット。
覚えている。
確かに、ここにいた。
「菜々美って誰?」
梓が本気で分からない顔をしていた。
「何言ってるんだよ。さっきまで一緒にいた」
「私たち、5人だったでしょ」
「違う。蓮がいなくなって、6人になった」
翔太が眉を寄せる。
「何の話してんだ?」
「廃校へ来たのは、俺、梓、澪、お前、陽菜、蓮の6人だろ」
翔太は一人ずつ指を向けた。
「蓮が連れていかれて、今は5人。それで合ってる」
「もう一人いた」
「誰が?」
「佐伯菜々美」
俺は陽菜を見る。
「お前の親友だろ」
陽菜は、俺を心配するような顔で見返した。
「私の親友?」
「高校に入ってからずっと一緒で、色違いのブレスレットをつけてた」
「何言ってるの、コージ」
「さっきまで名前を呼んでただろ」
「名前?」
「佐伯菜々美って、何度も」
澪が俺の顔を観察する。
「高城くん。一度落ち着いて」
「俺がおかしいと思ってるのか?」
「そうじゃない。でも、私もその名前に覚えがない」
梓も、翔太も同じだった。
全員が嘘をついているようには見えない。
俺は教室で撮影した6人の集合写真を開いた。
そこには5人しか写っていなかった。
陽菜。
翔太。
梓。
澪。
そして俺。
菜々美が立っていた場所には、何もない。
「そんな……」
菜々美を一人で撮影したはずの写真を開く。
白い壁しか写っていなかった。
写真を撮った時刻だけが残り、画面の中央には誰もいない。
「ほら」
翔太が写真を覗き込む。
「最初から5人じゃん」
「違う」
俺は連絡先を検索した。
《佐伯菜々美》
該当する連絡先はありません。
4人で使っていたグループチャットを開く。
参加者は、俺、陽菜、蓮の3人になっていた。
廃校の写真を送ってきたのも、陽菜になっている。
記憶だけではない。
記録まで、菜々美が最初から存在しなかった形へ書き換えられていた。
「八重ちゃん」
俺はアプリを開いた。
朱色の引き戸が開く。
八重ちゃんは、文机の上に何枚もの写真を広げていた。
『忘れちゃ駄目』
「菜々美を覚えてるのか?」
『うん』
八重ちゃんが一枚の写真を持ち上げる。
教室の白い壁を背に、菜々美が一人で立っていた。
さっき送った写真だ。
通常の写真アプリでは、誰も写っていなかった画像。
八重ちゃんの手元には、菜々美の姿が残っている。
「どうして、その写真だけ」
『浩司くんが私に見せてくれたから』
「送った写真は変わらないのか?」
『今のところは』
八重ちゃんは写真を抱き締めた。
『私が覚えてる間は、ここにいるよ』
俺は画面を全員へ向ける。
「見ろ。菜々美だ」
翔太たちが写真を覗き込む。
「この子、俺たちと一緒にいたのか?」
翔太が言った。
「そうだ」
「でも、俺は知らないぞ」
梓も困ったように首を振る。
「この子も一緒に来たの?」
「そうだ」
陽菜だけが、画面から目を離せずにいた。
「水色……」
小さく呟く。
「何?」
陽菜は自分の右手首を見た。
水色の細いブレスレットが巻かれている。
左手首には、陽菜がいつもつけている黄色のブレスレット。
両方とも、同じ形をしていた。
「これ、誰の?」
陽菜が水色のブレスレットへ触れる。
「私、こんなの買ったっけ」
「菜々美のだ」
俺は八重ちゃんが持つ写真を指差した。
写真の中の菜々美は、右手首に水色のブレスレットをつけている。
「お前と菜々美が、海で買った色違いのブレスレットだ」
「海……」
陽菜の顔から表情が消える。
黄色と水色。
2つのブレスレットを見比べる。
「去年の夏」
陽菜が掠れた声を出した。
「お店で、どっちの色にするか迷って……」
額へ手を当てる。
「菜々美が、水色の方が私に似合うって言ってくれた。でも、私が黄色を選んだら、笑って水色を自分の腕につけて……」
言葉が途切れる。
陽菜の膝が崩れた。
「陽菜!」
俺が腕を支える。
陽菜は床へ座り込み、写真の中の菜々美を見つめた。
「高校の入学式で、最初に話しかけてくれた」
次々に涙がこぼれる。
「文化祭の準備で、2人だけ最後まで残って……。私が失敗した時も、ずっと隣にいてくれた」
水色のブレスレットを握りしめる。
「菜々美」
名前を呼んだ瞬間、陽菜は声を上げて泣いた。
「私、忘れてた」
俺の腕をつかむ。
「菜々美のこと、いなかったって思ってた」
「陽菜のせいじゃない」
「でも、絶対に忘れないって言ったのに」
「まだ間に合う」
確証はなかった。
菜々美がどこにいるのかも、生きているのかも分からない。
それでも、忘れたままにすることだけは避けなければならない。
「名前を呼ぼう」
俺は陽菜の前へしゃがんだ。
「菜々美だけじゃない。ここへ来た全員の名前を、何度でも確認する」
陽菜は涙を拭い、ゆっくりうなずいた。
「高城浩司」
俺の名前を呼ぶ。
「成瀬陽菜」
自分の名前。
「真壁蓮」
天井へ消えた蓮。
「佐伯菜々美」
水色のブレスレットを握る。
「木戸翔太」
「藤崎梓」
「御影澪」
陽菜は7人の名前を最後まで言い切った。
翔太と梓はまだ菜々美を思い出せていない。
澪も、写真の中の少女を見つめながら黙っていた。
それでも、陽菜はもう一度、最初から名前を呼び始める。
俺はインカメラへ切り替え、現在の5人が収まるように腕を伸ばした。
今ここにいる人間を、八重ちゃんへ残すために。
画面の中へ、5人の顔が並ぶ。
カメラが顔を認識し、白い枠を表示した。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
その直後。
陽菜の隣にある空間へ、6つ目の白い枠が一瞬だけ浮かんだ。




