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第6話 写真を見せて

『見えないものも、写真なら見つけられるかもしれないから』


 八重ちゃんの言葉を聞きながら、俺は閉じた点検口を見上げた。


 蓮が引きずり込まれた天井には、もう何の動きもない。


「写真って、今撮ればいいのか?」


『うん。まずは天井を撮ってみて』


 俺はスマホのカメラを起動した。


 画面に映っているのは、染みの浮いた天井と、閉じた点検口だけだった。


 シャッターを押し、撮影した画像を八重ちゃんへ送る。


 画像を見た瞬間、八重ちゃんの表情が変わった。


『浩司くん。そこから離れて』


「何が写ってる?」


『早く』


 八重ちゃんが机から身を乗り出す。


 俺は反射的に後ろへ下がった。


「全員、階段から離れろ!」


 陽菜たちも俺の声に従い、踊り場から廊下へ移動する。


 最後に翔太が蓮のスマホを拾い、こちらへ走ってきた。


「何がいたんだよ」


「分からない。写真を撮って見せろって言われた」


 送信した画像を開く。


 点検口の隣。


 俺たちが立っていた場所の真上に、人の形をした黒い影が張りついていた。


 手足を天井に沿わせ、顔だけを下へ向けている。


 髪も、服も、目鼻も分からない。


 ただ、白い歯だけが並んでいた。


「こんなの、いなかったよね?」


 梓が天井と画面を交互に見る。


 肉眼では、何も見えない。


「レンズに汚れがついてたんじゃない?」


 菜々美が言う。


「人の形になる汚れなんてあるか?」


 翔太が返し、俺のスマホを覗き込んだ。


「画像の処理がおかしくなったとか。暗い場所で撮ると、輪郭が変になることもあるだろ」


 そう言いながら、翔太は何度も天井へ小型ライトを向けていた。


 暗い画像を補正した結果、実際にはない輪郭が浮かんだ可能性はある。


 だが、蓮が天井へ消えた直後に、それだけを信じて同じ場所へ立ち続ける気にはなれなかった。


 俺はカメラのレンズを服で拭き、天井から距離を取ってもう一枚撮影した。


 シャッター音が響く。


 新しい写真には、黒い影が写っていなかった。


「ほら」


 翔太が息を吐く。


「やっぱり撮影の失敗だったんだよ」


 画像の端に、白いものが見えた。


 拡大する。


 俺たちが逃げ込んだ廊下の天井。


 照明器具の陰から、白い指が何本も伸びていた。


 最初の写真に写った影が、俺たちの真上へ移動している。


「行くぞ」


 澪が低い声で言った。


「ここにいたら、また上から来る」


 全員が天井を見上げる。


 肉眼では、汚れた天井があるだけだった。


『浩司くん』


 八重ちゃんが呼びかけてくる。


『次に進む場所も、先に撮って』


「写真を撮りながら進めってことか?」


『私は、写真に写っているものしか分からないから』


「今いる場所が安全かどうかも?」


『撮ってくれたら、分かるかも』


 八重ちゃんは、それ以上の説明をしなかった。


 澪が俺のスマホを見つめる。


「このアプリを使うしかないと思う」


「信用するのか?」


 翔太が尋ねる。


「少なくとも、さっきの天井に何かいることは分かった」


「画像に変な影が出ただけかもしれない」


「なら、確認しながら進めばいい」


 澪は廊下の先へライトを向けた。


「写真と実際の景色を比べる。違いがあったら、そっちへは行かない」


「蓮はどうするの?」


 陽菜が階段を振り返る。


 菜々美の手を握っていた指が、白くなるほど力んでいた。


「まだ、天井の中にいるかもしれない」


「戻ったら、また襲われる」


 澪が答える。


「助けるにしても、今のままじゃ無理。まずは安全な場所を探さないと」


 陽菜は唇を噛んだ。


 納得したわけではないだろう。


 それでも、階段へ戻ろうとはしなかった。


「蓮のスマホは俺が持つ」


 翔太が拾った端末を掲げる。


「何か連絡が来るかもしれないし、動画も残ってる」


「分かった」


 俺は廊下の先へカメラを向けた。


 左右に教室が並び、突き当たりには下り階段の表示が見える。


 1枚撮影し、八重ちゃんへ送信する。


 八重ちゃんは画像の右側を見た。


『右の教室には入らないほうがいいよ』


「何がいる?」


『黒板に名前が書いてあるから』


「名前?」


 右側にある教室の扉は閉じている。


 廊下側の窓も埃で白く曇り、中の様子はほとんど見えなかった。


 送った写真を拡大すると、窓の奥に黒板の一部が写っている。


 白いチョークで、名前が一つだけ書かれていた。


《三枝美月》


「誰?」


 菜々美が尋ねる。


 誰も答えない。


 俺たちの中に、その名前を知っている人間はいなかった。


「昔の生徒じゃない?」


 梓が言う。


「閉校した学校なら、黒板に名前が残っててもおかしくないでしょ」


「6年間、消えずに?」


 澪が窓へ光を向ける。


 教室の中は見えない。


「入らなければいい」


 俺は言った。


「左側を通るぞ」


 俺たちは右の教室から距離を取り、廊下の左端を進んだ。


 教室の前を通り過ぎる時、中からチョークを動かす音が聞こえた。


 きっ、きっ、と、黒板の上を何かが滑っている。


 誰も教室を見なかった。


 廊下の角に差しかかるたびに、俺は写真を撮った。


 階段。


 曲がり角。


 閉じた教室。


 遠くに見える扉。


 撮影した画像を送るたび、八重ちゃんは写っている範囲だけを確認した。


『階段の下には、今は何もいないよ』


『左の扉は開けないで』


『その廊下、さっきより長くなってるね』


 安全だと断言することはなかった。


 何も写っていない。

 今はいない。

 通らない方がいい。


 八重ちゃんの答えは、いつも写真に写った瞬間だけを示していた。


「撮った後に動かれる可能性がある」


 澪が小声で言う。


「さっきの天井の影みたいに」


「写真を撮ったからって、安全が続くわけじゃないってことか」


「多分」


 澪は見取り図と廊下を見比べる。


「それに、校内の形も変わってる」


 見取り図では、俺たちの前には階段があるはずだった。


 だが実際には、廊下の突き当たりに両開きの扉がある。


 俺は少し前に撮影した画像を開いた。


 その写真では、突き当たりに階段が写っている。


 今、目の前にある扉は、どこにもなかった。


「さっきは階段だったよな」


 翔太が画像を確認する。


「違う場所まで来たんじゃないのか?」


「曲がってない」


 澪が即座に答えた。


「ずっと真っ直ぐ進んでる」


「じゃあ、この扉は何なんだよ」


 扉の上には、薄汚れた札が残っていた。


《特別教室棟》


 見取り図では、特別教室棟は反対側にある。


「戻ろう」


 俺が言った。


 振り返る。


 そこにも、同じ両開きの扉があった。


 俺たちは2つの扉に挟まれていた。


「いつの間に……」


 梓が後ずさる。


「落ち着いて」


 陽菜が梓の腕をつかんだ。


「写真を撮ればいいんでしょ。どっちが危ないか、八重ちゃんに見てもらおう」


 声は震えていた。


 それでも陽菜は、周囲を見回して全員の顔を確認する。


「浩司、お願い」


「分かった」


 まず前方の扉を撮影する。


 次に、後方の扉。


 2枚とも八重ちゃんへ送った。


 八重ちゃんは前方の写真を見たあと、後方を撮った写真へ視線を移す。


『どっちも開けないで』


「ほかに道がない」


『写真には、道があるよ』


「どこに?」


 八重ちゃんが後方の画像を指差した。


 扉の右側。


 肉眼では壁しか見えない場所に、細い通路が写っている。


「ここ、通れるの?」


 菜々美が壁へ近づく。


 手を伸ばすと、指先が壁へ触れる直前で止まった。


「何かある」


 菜々美が横へ手を動かす。


 壁だと思っていた場所に、扉の輪郭が浮かび上がった。


 取っ手も札もない、壁と同じ色に塗られた扉だった。


「こんなの、さっきまで見えなかったよね」


 梓が呟く。


「少なくとも、俺は気づかなかった」


 俺は扉を開ける前に、もう一度写真を撮った。


 窓から差す薄い光が、正面から俺たちの足元を照らしていた。


『今は、何も写ってないよ』


 八重ちゃんが言う。


「今は、か」


『うん』


 俺たちは隠し扉を開け、細い廊下へ入った。


 翔太を先頭に、澪、陽菜、菜々美、梓の順で続く。


 俺は最後尾で、前方と背後を交互に撮影した。


 前方を撮った写真を確認した時、画面の端に伸びる影の数が多いように見えた。


「止まれ」


 俺の声に、全員が足を止める。


「どうしたの?」


 陽菜が振り返る。


「人数が分かるように、もう一枚撮る」


 俺はインカメラへ切り替え、全員に集まってもらった。


 スマホを頭上へ掲げ、6人の顔と足元が同時に収まるよう、広角にしてレンズを斜め下へ向ける。


 窓から差す薄い光が、俺たちの背後から足元を照らしていた。


 シャッターを押す。


 撮影した写真には、6人全員と、床へ伸びる7つの影が写っていた。


 ここにいるのは6人だ。


 それでも、影は7つある。


 余分な影は、菜々美の足元から伸びていた。


 菜々美が息を止める。


「後ろにいるの?」


 誰も答えない。


「動くな」


 俺はカメラを菜々美へ向けた。


 陽菜が菜々美の腕をつかみ、自分の方へ引き寄せる。


 撮影する。


 画像を開く。


 菜々美の背後に、黒髪の少女が立っていた。


 顔は髪に隠れている。


 少女の右手だけが菜々美の肩へ伸び、あと少しで触れそうになっていた。


「走れ!」


 俺が叫ぶ。


 全員が廊下の奥へ駆け出した。


 背後で、裸足が床を打つ音が重なる。


 6人分ではない。


 俺たちの足音の間へ、もう一つの軽い音が入り込んでいる。


 先頭の翔太が、窓の先にある角を曲がった。


 その直後、翔太のジンバルについた小型ライトが何度か明滅した。


「まずい、消える!」


「止まらないで!」


 陽菜が菜々美の手を引く。


 俺も走りながら後ろへスマホを向けた。


 画面の中には、黒い髪だけが大きく映っていた。


 近い。


 シャッターを押す余裕はなかった。


「こっち!」


 澪が廊下脇の扉を開けた。


 翔太、梓、陽菜、菜々美が次々と扉の向こうへ駆け込む。


 俺も後を追おうとしたが、足元に転がっていたバケツにつまずき、肩から壁へぶつかった。


「浩司!」


 扉をくぐりかけていた澪が、こちらへ戻ってくる。


「先に行け!」


「立って!」


 澪が俺の腕を引く。


 その間に、4人が通った扉がひとりでに閉じた。


 澪が取っ手へ手をかける。


 動かない。


 背後から、裸足の音が近づいていた。


 澪は周囲を見回し、すぐ横にある清掃用具庫の扉を開けた。


「入って」


 押し込まれるように中へ入る。


 澪も続いて身体を滑り込ませ、内側の取っ手を引いて、音を立てないよう扉を閉じた。


 清掃用具庫の中は、人が2人入れば身動きが取れないほど狭かった。


 壁際には箒やモップが立てかけられ、棚には古い洗剤の容器が並んでいる。


 澪の肩と俺の胸が触れていた。


 身体を動かせば、道具へ当たって音が出る。


 互いに息を殺すしかなかった。


 廊下を走る足音が、扉の前を通り過ぎる。


 軽い裸足の音。


 少し遅れて、別の足音が近づいてきた。


 靴を履いた人間の足音だった。


「浩司!」


 蓮の声がする。


 澪の身体が強張った。


「どこだ! 返事しろ!」


 扉のすぐ外を、蓮が歩いている。


 あり得ない。


 蓮は点検口の中へ引きずり込まれた。


 俺たちは全員、それを見ている。


「澪もいるんだろ?」


 蓮の声が、扉の前で止まった。


 どうして、ここにいる2人が分かる。


 澪が俺の服をつかむ。


 スマホの画面には、八重ちゃんが映っていた。


 八重ちゃんは口元へ人差し指を当てている。


 音を立てるな。


 そう言っているように見えた。


「なあ、開けてくれよ」


 蓮の声が少しだけ低くなる。


「俺、天井から降りられたんだ」


 扉の取っ手が、ゆっくり下がった。


「写真を見せてくれよ、浩司」

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