第4話 本物が写ってるよ
校門を越えた翔太は、こちらを待つことなく校舎へ向かっていた。
スマホを取りつけたジンバルを前へ構え、校舎の窓や渡り廊下へカメラを向けている。さっき聞こえた物音を探しているのだろうが、本人に警戒している様子はまるでない。
「翔太、入口までだからね!」
梓が後ろから声をかける。
「分かってるって。ちょっと見るだけ」
「その台詞、信用できないんだけど」
澪が吐き捨てるように言い、翔太の後を追う。
俺たちも3人と少し距離を空けて歩いた。
校庭には、伸び放題になった雑草がところどころ固まって生えている。砂の上には靴の跡がいくつも残っており、俺たちより前にも誰かが入り込んでいたことが分かった。
肝試し目的の人間は珍しくないのだろう。
そう考えたところで、校庭を横切る足跡の一つが目に留まった。
裸足に見える。
細い指先と、丸みのある踵。爪先は体育館の方角を向いている。校門から入ってきたのではなく、正面玄関から出てきたように見えた。
「コージ、何見てるの?」
陽菜に呼ばれ、俺は足跡から目を離した。
「誰かが先に来てたみたいだ」
「翔太たちじゃなくて?」
「靴を履いてない」
「裸足で廃校を歩く人なんている?」
「さあな。靴底の模様が崩れて、そう見えるだけかもしれない」
長く雨風にさらされれば、足跡の形が崩れることもある。
そう考えることにした。
翔太は正面玄関へ向かわず、校舎の横へ回り込んでいく。さきほどの音は、体育館の辺りから聞こえたらしい。
渡り廊下の向こう側に、体育館の側面が見える。
外壁には雨の跡が黒い筋になって残り、その下に鉄製の扉があった。扉は完全には閉まっておらず、人が一人通れるほどの隙間が空いている。
「ほら、やっぱり開いてる」
翔太が扉へ手をかけた。
「待って」
澪が腕をつかむ。
「外から中を確認するだけにしなよ」
「これだけ開いてるんだから、ちょっと入っても同じだろ」
「同じじゃない」
「高城と同じこと言うじゃん」
「正しいことは、誰が言っても同じになるの」
翔太は面倒そうな顔をしたが、扉を大きく開けることはせず、隙間から中を覗いた。
俺も少し離れた場所から体育館の中を見る。
窓から入った夕暮れの光が、床の一部だけを照らしていた。ステージの赤い幕は閉じたまま。壁際には跳び箱やマットが重ねられ、天井から下がったバスケットゴールは上へ折り畳まれている。
人がいるようには見えない。
「誰もいないな」
翔太が扉を押し広げる。
金属の擦れる音が、体育館の中へ長く響いた。
「じゃあ、戻ろう」
俺が言うと、陽菜が扉の隙間から中を見つめたまま動かなかった。
「ねえ。ここで撮らない?」
「何を」
「七替えダンス。外より床が平らだし、背景も廃校っぽいじゃん」
「さっきの約束をもう忘れたのか?」
「忘れてないけど、入口からすぐだよ。撮ったら出るから」
「建物には入らないって言っただろ」
「でも、外だと地面が凸凹してるし、暗くなってきたら顔も映らないよ」
陽菜は俺を説得しながら、体育館の床とスマホの画面を交互に見せてくる。
ここへ入ること自体が駄目なのだ。
撮影しやすいかどうかは関係ない。
「俺は反対だからな」
「じゃあ、外で待ってる?」
翔太が笑いながら口を挟んだ。
「撮影が終わったら、ちゃんと全員連れて帰るからさ」
「お前に任せるのが一番不安なんだよ」
「ひどくない?」
その間にも、蓮は体育館の中へ入り、床を靴の裏で確かめていた。
「滑りもしないし、普通に踊れそうだぞ」
「蓮まで入るな」
「外で待つより、全員一緒にいた方が安全だろ。一曲撮ったらすぐ出ればいい」
「建物に入らないのが一番安全なんだよ」
菜々美も陽菜の背後から中を覗き込んでいる。
澪だけは扉の外に残っていたが、翔太と梓が体育館へ入ると、小さく舌打ちして後を追った。
「澪も来るの?」
梓が振り返る。
「あなたたちだけにしたら、何をするか分からないから」
「素直じゃないなあ」
「黙って」
結局、俺だけが扉の外に残った。
このまま帰れば、少なくとも俺は約束を守れる。
背後で、砂利を踏む音がした。
振り返る。
校舎の脇には誰もいない。夕暮れの校庭が、開いた校門まで続いているだけだった。
もう一度、足音がする。
今度は、さっきより近い。
「コージ、どうしたの?」
体育館の中から陽菜が呼ぶ。
外に一人で残るより、全員と一緒にいた方がまだ安全だ。少なくとも、その時の俺はそう判断した。
「本当に一曲だけだからな」
俺は側面の扉をくぐった。
「終わったら、全員すぐに出る」
「分かってるって!」
陽菜が嬉しそうに答える。
体育館へ足を踏み入れると、乾いた埃の匂いが鼻にまとわりついた。床には白っぽい埃が薄く積もり、扉の周辺だけが靴で踏まれて乱れている。
持ってきたLEDライトを2台取り出し、三脚の左右へ置く。
翔太も自分の機材を広げた。俺たちのスマホと翔太のスマホをそれぞれ三脚へ固定し、同じダンスを正面と斜めから撮影するらしい。
「用意いいじゃん」
陽菜が感心すると、翔太は得意そうに胸を張った。
「動画投稿者だからな」
「その準備のよさを、安全対策にも使ってくれない?」
澪の言葉を無視して、翔太は三脚の高さを調整した。
俺たちはスマホの画面を確認しながら、立つ位置を決めていく。
体育館の中央へ小さな印を置き、その周囲を7人で囲む。元のダンスと同じ間隔を取るには、思っていたより広い場所が必要だった。
「コージ、もうちょい右」
「ここ?」
「行きすぎ。半歩戻って」
「注文が細かい」
「撮影と編集担当でしょ」
「今は踊る側だ」
陽菜が笑いながら、俺の肩を押して位置を直す。
最初の並びは、カメラから見て左から蓮、菜々美、陽菜、俺。反対側に澪、梓、翔太。
動画の開始時だけは、全員が横一列に並ぶ構成らしい。
「それ、本家と違わない?」
澪が指摘する。
「最初は並んでた方が顔見えるから。今はこういうアレンジが多いよ」
陽菜が動画を見せる。
澪は数秒間だけ画面を確認し、すぐに視線を逸らした。
「そう」
「詳しいと思った?」
「別に」
「澪、七替えダンスの元動画も保存してたよね」
梓が口を挟む。
「調べただけ」
「ホラー関係だけ行動力が違うんだよな」
翔太が笑うと、澪は無言で彼の足を踏んだ。
「痛っ!」
「早く始めて」
軽口を交わしながら、立ち位置の確認を続ける。
俺は三脚へ戻り、スマホのカメラを起動した。
画面には7人全員と、背後のステージが収まっている。
顔の明るさを調整しようと画面へ触れた時、誰もいないステージの前に、白い枠が一瞬だけ表示された。
顔を認識した時に出る枠だ。
俺は画面を見直す。
ステージの赤い幕と、薄暗い壁があるだけだった。
「何かあった?」
陽菜がこちらを見る。
「顔認識が誤作動した」
「幕の模様を顔と間違えたんじゃない?」
「多分な」
暗い場所では、カメラが物の形を顔だと認識することがある。
そう考えた途端、あの窓の写真が頭に浮かんだ。
背中を、冷たいものが走る。
「コージ?」
「何でもない。始めるぞ」
俺は撮影ボタンを押し、急いで自分の位置へ戻った。
陽菜のスマホから、《七替えダンス》の音源が流れ始める。
最初の8拍で、全員が横一列から中央の印を囲む位置へ移動する。
輪ができた次の8拍で、蓮が円の中央へ踏み込んだ。決められた動きをしてから隣の位置へ抜け、菜々美と入れ替わる。
菜々美、陽菜、俺。
順番に中央を通り、輪の位置を一つずつずらしていく。
何度も練習したわけではないため、動きが少し遅れたり、隣と肩がぶつかったりする。そのたびに誰かが笑い、音源へ混じって声が響いた。
続いて澪、梓、翔太。
翔太が中央から抜けると、全員が最初とは違う位置に並んだ。
最後の8拍。
円の中央には誰も入らない。
音に合わせ、7人全員が一斉にカメラへ顔を向ける。
その瞬間、中央の床に積もっていた埃が、ふわりと浮かび上がった。
誰かが足を置いたように。
音源が止まる。
「撮れた!」
陽菜が真っ先に三脚へ駆け寄った。
全員がスマホの周囲へ集まり、撮影した動画を確認する。
多少動きがずれている部分はあるが、最後まで誰も大きく間違えてはいなかった。体育館の古びた床と閉じたステージ幕も、狙っていた雰囲気には合っている。
「これ、結構よくない?」
菜々美が言う。
「最初にちょっとぶつかったけど、それも楽しそうに見えるし」
「編集で上手く切れば使えるな」
翔太もうなずく。
「もう一本、俺のカメラでも撮ろうぜ」
「一曲だけって約束だ」
「固いなあ」
「撮れたなら出るぞ」
俺は三脚からスマホを外した。
陽菜は不満そうだったが、さすがに撮り直したいとは言わなかった。
「じゃあ、この後どうする?」
翔太が尋ねる。
「俺たちは部室棟を見てくるけど、そっちは校舎?」
「俺たちは帰る」
「え、もう?」
「撮影が目的だったからな」
「肝試しは?」
「最初からやる気はない」
翔太は残念そうに肩を落とす。
一方で、澪は何も言わず、体育館の中央を見つめていた。
「澪?」
梓に呼ばれ、澪がゆっくり顔を向ける。
「今、中央に誰かいなかった?」
「誰かって?」
「分からない。動いたように見えただけ」
全員が体育館の中央を見る。
床に積もった埃が、薄く舞っているだけだった。
「さっき踊った時の埃じゃない?」
菜々美が言う。
「そうかも」
澪は納得していない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。
俺は撮影した動画をもう一度開く。
最後の場面で、全員がカメラへ顔を向ける瞬間を停止した。
集合写真はおすすめしないよ。
八重ちゃんの言葉が頭をよぎる。
ただ、これは最初から7人で撮影した動画だ。写真を撮るために並び直したわけでもない。誰が映っているかも、自分の目で確認している。
俺はそう言い聞かせ、静止画として保存した。
「八重ちゃんに送るの?」
陽菜が俺の手元を覗き込む。
「一応な」
「何を聞くの?」
正面から「何か変なものが写っていないか」と尋ねるのは、少し嫌だった。
俺は不安を隠すように、わざと軽い口調で言った。
「これがバズりそうか聞いてみる」
「そんなことまで分かるの?」
「何でも屋らしいから」
「また始まった」
陽菜が呆れたように笑う。
俺は《八重ちゃんの何でも屋》を開いた。
朱色の引き戸が左右に開き、文机の奥から八重ちゃんが現れる。
『いらっしゃいませ!』
いつもと同じ明るい声だった。
『今日は、お友達がたくさんいるね』
俺は画面上の画像添付アイコンを押し、先ほど保存した静止画を選んだ。スマホの電波は1本しか立っていなかったが、画像はすぐに送信された。
「さっき撮った動画なんだけど、これ、バズると思う?」
八重ちゃんが画像へ顔を近づける。
黒い瞳が左右へ動き、写っている全員を順番に確認しているようだった。
やがて、八重ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
『これはバズるかも! 本物が写ってるからね!』
「本物?」
陽菜たちも俺のスマホを覗き込む。
八重ちゃんは机から身を乗り出し、画像の中央を指差した。
『浩司くん。輪の中央を、もう一度撮ってみて』
「中央?」
『さっき、誰も入らなかった場所』
「何がいるんだよ」
『撮ってくれたら教えるよ』
八重ちゃんは笑っていた。
だが、画像を指す手だけが、わずかに震えている。
俺はスマホのカメラを起動し、体育館の中央へ向けた。
画面の中には、床に残った印と、薄く積もった埃が映っている。
誰もいない。
シャッターを押す。
撮影した写真を確認した瞬間、指が止まった。
円の中央。
さっきまで誰もいなかった場所に、黒い髪が写っている。
長い髪の隙間から、白い額と片方の目だけが覗いていた。足元は、床へ落ちた俺たちの影に隠れて見えない。
「誰だ、これ」
俺の声を聞き、全員がスマホへ集まる。
「え?」
陽菜が写真と体育館の中央を交互に見る。
「ずっとそこにいたの?」
「誰もいなかっただろ」
「澪の友達じゃないの?」
菜々美が尋ねる。
「違う」
澪は即座に否定した。
翔太が写真を拡大する。
「梓の知り合いとか?」
「こんなところに知り合いがいたら嫌なんだけど」
梓は笑おうとしたが、声が乾いていた。
「撮影の時からいたんじゃない?」
蓮が言う。
「誰かの連れだと思って、気にしてなかったとか」
一瞬だけ、それが正しいように思えた。
翔太たちと一緒に来た女子。
あるいは、陽菜たちが連れてきた友人。
誰かの知り合いだったはずだ。
そう考えた直後、頭の中で数が合わなくなる。
俺、陽菜、菜々美、蓮。翔太、梓、澪。
7人だ。
ほかには誰もいない。
俺は震えそうになる指で、今撮った写真を八重ちゃんへ送信した。
送信完了の表示が出た直後、八重ちゃんの声がする。
『浩司くん』
俺はアプリの画面へ戻る。
八重ちゃんは笑顔のまま、最初に送った静止画を指差していた。
『このままだと、みんなで帰れないかも』
「何を言ってるんだよ」
『この写真、8人いるよ』
静止画を拡大する。
最後の決めポーズを取る俺たち7人。
本来なら空いているはずの輪の中央に、黒髪の少女が立っていた。
長い髪に覆われた顔の一部と、床へ垂れた白い指先だけが見えている。
俺はゆっくり顔を上げる。
輪の中央に、誰かが立っている。
長い黒髪が、俯いた顔を隠していた。
その少女を見た瞬間、なぜか胸の奥に懐かしさが広がる。
知っている。
名前は思い出せないが、誰かの友人だった。
そう思った。
「……誰だっけ」
菜々美が小さく呟く。
少女の顔が、わずかに上がった。
LEDライトが、同時に消える。
薄暗い体育館の中央から、女の子の笑い声が聞こえた。
直後、俺たちが入ってきた鉄製の扉が、激しい音を立てて閉まった。




