第3話 先客
8月15日。
待ち合わせ場所のコンビニへ着いた頃には、西の空がオレンジ色に染まり始めていた。
昼間の熱気はまだアスファルトに残っている。背負ったリュックの中には、スマホ用の三脚、予備のモバイルバッテリー、LEDライト、飲み物が4本。
撮影機材のほとんどを俺が持たされている。
嫌な予感はしていた。
「コージ、遅い!」
駐車場の端で待っていた陽菜が、大きく手を振る。
白いノースリーブの上に薄手のシャツを羽織り、下は動きやすそうなショートパンツ。髪はいつもより高い位置で一つにまとめていた。
「集合時間の10分前だ」
「私たちは20分前に来てるから」
「前にも聞いたぞ、その理屈」
陽菜の隣では、菜々美がスマホをこちらへ向けていた。
「はい、遅れてきた浩司くんから一言どうぞ」
「遅れてない」
「面白いこと言って」
「無茶振りするな」
「使えないなあ」
菜々美は笑いながら撮影を止める。
「蓮は?」
「まだ買い物してる」
陽菜が答えた直後、コンビニから蓮が出てきた。
片手には菓子や軽食の入った大きな袋を提げ、もう片方の手にはアイスを持っている。
「浩司、ちゃんと虫よけ持ってきたか?」
「持ってきた」
「救急箱は?」
「消毒液と絆創膏くらいなら」
「さすが俺たちの保護者」
「今すぐ帰ってもいいんだぞ」
「冗談だって」
そう言いながら、蓮は俺のリュックを軽く叩いた。
完全に荷物係として扱われている。
「念のため、もう一度確認するけど」
俺は3人を順番に見る。
「撮影は校門の外だけ。立入禁止の看板より先には入らない。いいな?」
「コージ、まだ言ってるの?」
「お前が信用ならないからだ」
「ひど」
「じゃあ、こっち見て言え」
「分かりました。敷地には入りません」
陽菜は俺の目を見て、妙に丁寧な口調で繰り返した。
菜々美もうなずき、蓮はアイスを食べながら片手を上げる。
ひとまず約束は取った。
俺たちはコンビニを出て、鏡坂高校へ続く坂道を歩き始めた。
山の中腹にある学校まで、徒歩で30分ほどかかる。
最初は住宅が並んでいたものの、坂を上るにつれて家の数は減っていった。代わりに背の高い木が道の両側へ迫り、葉の隙間から鳴く蝉の声が頭上を埋める。
「暑っ。まだ着かないの?」
菜々美が額の汗を拭う。
「もう半分くらいじゃない?」
陽菜はスマホの地図を見ながら答えた。
「菜々美、荷物持つか?」
蓮が尋ねる。
「大丈夫。自分の分しか持ってないし」
「浩司は?」
「聞く順番が逆だろ」
俺の背中には、4人分の機材と飲み物がある。
蓮は笑いながら、俺のリュックから飲み物だけを引き取った。
荷物が少し軽くなった背中には、汗で湿ったシャツが張りついていた。
坂道の先に、錆びた道路標識が見えてきた。
《この先 鏡坂高等学校》
矢印の向いた細い道へ入る。
その途端、あれほど鳴いていた蝉の声が遠くなった。
木々は変わらず続いている。夕方になり、気温が下がったせいだろう。
そう思ったが、足元から聞こえる砂利の音まで、妙にはっきり耳へ届いた。
俺たちは4人で歩いている。
それなのに、後ろから足音がもう一つ重なっている気がした。
ざっ、ざっ、と、誰かが一定の距離を保ってついてくる。
振り返る。
細い坂道が、木々の間を下へ伸びているだけだった。
「どうしたの?」
陽菜が足を止める。
「何でもない。靴の音が反響しただけだ」
「山で?」
「両側に木があるからな」
「木って、そんなに音を反射するの?」
「知らないけど、ほかに誰もいないだろ」
菜々美が俺の背後を覗き込む。
「やめてよ、到着前からそういうの」
「俺は何も言ってない」
「顔が言ってる」
蓮が笑いながら先へ進む。
俺もそれ以上は気にしないことにした。
道が開けたのは、それから数分後だった。
木立の向こうに、黒ずんだ校舎が見える。
横に長い3階建ての建物。窓ガラスはところどころ割れ、外壁には蔦が這っている。右手には渡り廊下でつながった体育館、その奥には小さな部室棟があった。
写真で見るより、ずっと大きい。
「うわ、いい感じじゃん!」
陽菜がスマホを取り出す。
「何がいい感じなんだよ」
「廃校感。これ、外からでも十分映えるかも」
「最初からそう言ってる」
陽菜が校舎を背景に、菜々美と並んで動画を撮り始めた。
俺は校門へ視線を向ける。
錆びた鉄製の門は片側だけ開いていた。
門柱の脇には《関係者以外立入禁止》と書かれた看板があり、チェーンは地面へ垂れている。鍵が壊されたのか、最初から施錠されていなかったのかは分からない。
問題は、門が開いていることではなかった。
校門の前に、俺たち以外の人間がいる。
男女3人。
こちらと同じくらいの年齢に見える。
一人はスマホを取りつけた小型のジンバルを持つ男子。
もう一人は、明るい色のTシャツを着た女子。
その少し後ろには、黒に近い灰色の髪を肩まで伸ばした女子が立っていた。
3人とも、制服ではない。
「先客いるじゃん」
陽菜が声を弾ませる。
「喜ぶところか?」
俺たちに気づいた男子が、ジンバルをこちらへ向けた。
「お、そっちも肝試し?」
「違います。外で動画撮るだけです」
俺が先に答えると、男子は面白そうに笑った。
「めっちゃ警戒するじゃん。同い年くらいだろ?」
「知らない人にいきなり撮影されたら、普通は警戒する」
「ああ、ごめんごめん」
男子はジンバルを下げた。
「俺、木戸翔太。東雲高校の3年。動画投稿やってんだ」
「藤崎梓です。同じ学校」
隣の女子が軽く頭を下げた。
肩まで伸ばした髪を緩く巻き、笑うと目尻が下がる。初対面でも話しかけやすそうな雰囲気があった。
「こっちは御影澪。友達に無理やり連れてこられた人」
「余計な紹介しないで」
最後の女子が低い声で答える。
御影澪。
切れ長の目と整った顔立ちのせいか、表情を動かさないだけで近寄りがたい印象がある。
澪は俺たちを一度見回したあと、翔太へ冷たい視線を向けた。
「あと、勝手に他人を撮らないで。揉めても知らないから」
「消したって」
「まだ消してないでしょ」
「細かいなあ」
翔太は渋々、撮影したばかりの動画を削除した。
「私は成瀬陽菜。こっちは菜々美で、蓮で、コージ」
「コージだけ名前じゃないじゃん」
梓が笑う。
「高城浩司です」
「浩司くんね。よろしく」
陽菜と梓は、会って数分も経たないうちに互いの動画アカウントを見せ合い始めた。
陽菜が初対面の相手ともすぐ打ち解けるのは知っているが、梓も同じ種類らしい。
「そっちは本当に中へ入るつもりなのか?」
俺が尋ねると、翔太が開いた門を親指で示した。
「そのために来たからな。体育館と部室棟を回って、何か撮れたらラッキー」
「立入禁止って書いてあるけど」
「入口は開いてるぜ?」
「開いてることと、入っていいことは別だ」
「お前、思ったより真面目だな」
「普通のことを言ってるだけだ」
澪が小さく息を吐く。
「高城くんの言ってることが普通。ここ、市が管理してる土地だから」
「ほら、澪だって来てるじゃん」
梓が言う。
「私は止めるために来たの」
「鏡坂高校の昔の事件まで調べてきた人が?」
澪の眉がわずかに動いた。
「事件?」
陽菜が反応する。
澪は梓を睨んだが、隠し通すのを諦めたようにスマホを取り出した。
「18年前、夏休み中に生徒が校内へ入って、事故が起きてる。亡くなった人もいるし、一人は見つかってない」
画面には、古い新聞記事を撮影した画像が表示されていた。
小さな本文までは読めなかったが、見出しには《15日夜、校内で生徒遭難》とある。記事の日付は、8月16日だった。
「俺が調べた時には出なかったけど」
「ネットの記事じゃない。図書館に残ってた地方紙」
「わざわざ図書館まで行ったの?」
菜々美が目を丸くする。
「別に。近くへ行く用事があったから」
「澪、ホラー系になると急に行動力出るんだよ」
「梓」
「はいはい。黙ります」
澪は興味がなさそうな顔をしているが、スマホにはほかにも新聞記事や校舎の見取り図が保存されていた。
少なくとも、無理やり連れてこられただけではなさそうだ。
「詳しいなら、なおさら入らないほうがいいだろ」
俺が言うと、澪は一度だけうなずいた。
「同感」
「じゃあ澪は外で待ってれば?」
翔太が門の内側へ足を踏み入れる。
「俺と梓で行ってくるから」
「私も行くことになってるの?」
梓は困ったように笑いながらも、翔太の後へ続いた。
「ちょっと、勝手に決めないで」
澪も二人を追い、門をくぐる。
「コージ、どうする?」
陽菜が俺を見る。
「どうするも何も、俺たちは外で撮る約束だろ」
「でも、ちょうどいいかも」
陽菜は翔太たちの背中を見ながら、自分のスマホを掲げた。
「七替えダンス。あっちの3人を入れたら、7人で踊れるじゃん」
「知らない人をいきなり巻き込むな」
「聞くだけ聞いてみようよ」
「校門の外からな」
陽菜は返事をせず、開いた門へ近づいていく。
「陽菜」
「ちょっと話すだけ!」
門の内側から、梓が振り返った。
「どうしたの?」
「私たち、ここでダンス動画撮る予定なんだけどさ。3人も一緒にやらない?」
「ダンス?」
翔太が足を止める。
陽菜が《七替えダンス》の動画を見せると、翔太はすぐに笑った。
「知ってる。今、流行ってるやつだろ」
「私たちは4人用に変えるつもりだったんだけど、ちょうど7人いるし、最初の一本だけ一緒に撮らない?」
「いいじゃん。それ、俺のチャンネルにも上げていい?」
「もちろん。後でデータ送るよ」
話が早すぎる。
澪が横から動画を覗き込む。
「これ、7人いないと成立しないんじゃないの?」
「そう。本当は7人用」
陽菜がうなずく。
翔太が俺たちを指差しながら数え始めた。
「俺、梓、澪。そっちが4人。ちょうど7人じゃん」
数え終えた瞬間、校舎の奥から何かが落ちる音がした。
がたん、と、一度だけ。
全員が校舎を振り返る。
割れた窓が並ぶ校舎には、動くもの一つ見えない。
「何、今の?」
菜々美が陽菜の腕をつかむ。
「中に動物でもいるんじゃない?」
蓮が答える。
「猫とか?」
「猫なら、もっと小さい音だろ」
翔太はむしろ楽しそうにジンバルを構えた。
「撮れ高あるかも」
「行くなって」
澪が止めるより先に、翔太は校舎へ向かって歩き出した。
梓も慌てて追いかける。
「翔太、一人で先に行かないでよ!」
「私たちも行こう」
陽菜が門をくぐろうとする。
俺は腕をつかんで止めた。
「約束しただろ」
「止めに行くだけ。あの人、絶対一人で中まで行くよ」
「それは向こうの問題だ」
「でも、もし何かあったら後味悪いじゃん」
陽菜は俺の手から逃れず、まっすぐこちらを見た。
この顔をされると、長い付き合いの俺には分かる。
何を言っても、陽菜は行く。ここで力ずくで止めても、俺が手を離した瞬間に翔太たちを追いかけるだけだ。
一人で行かせるほうが危ない。
「……入口までだぞ」
「うん」
「体育館や教室には入らない。翔太たちを止めたら、すぐ戻る」
「分かってる」
陽菜は今度こそ素直にうなずいた。
菜々美と蓮も続く。
最後に残った俺は、開いた門の前で一度だけ振り返った。
木立の向こうへ沈みかけた太陽が、細い坂道を赤く照らしている。
帰るなら、今だった。
「コージ、早く!」
陽菜の声がする。
俺はため息をつき、門をくぐった。
砂利を踏む音が、前を歩く6人分、暗くなり始めた校庭へ重なっていく。
その後ろから、もう一つ。
俺たち7人のものではない足音が、ゆっくり校門を越えた。




