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第2話 高校最後の夏休み

 窓の外側に残っていた4本の跡は、濡らした布でこすると簡単に消えた。


 指の跡に見えただけで、実際には雨水か汚れが垂れたものだったのかもしれない。昨夜の音も、大きな虫が窓へぶつかったと考えれば説明はつく。


 問題は、八重ちゃんが写真の中に何を見たのかだ。


 俺は窓を開け、身を乗り出さないよう注意しながら、外側のガラスへスマホを向けた。


 すでに拭き取った後なので、当然ながら何も写らない。


 自分でも、どうして先に写真を撮らなかったのかと思う。


 指跡の写真がなければ、八重ちゃんに見せて確認することもできない。


『おはよう、浩司くん!』


 アプリを開くと、八重ちゃんは昨夜のことなど忘れたように笑顔で手を振った。


「昨日の夜、俺の部屋の窓に女の子がいるって言ったよな」


『言ったよ』


 あっさり認められ、俺は次の質問に詰まった。


「本当に見えてたのか?」


『私は、浩司くんが送ってくれた写真を見て答えただけだよ』


「その写真には、何も写ってなかった」


『浩司くんには、そう見えたんだね』


 八重ちゃんは笑顔のまま、小さく首を傾ける。


 何だ、その言い方は。


「じゃあ、お前には何が見えたんだよ」


『写真をもう一度見せてくれたら、分かるかも』


「履歴に残ってないのか?」


『残ってるよ。でも、浩司くんから質問をもらっていない写真については、勝手に調べられないの』


「面倒な仕様だな」


『何でも屋にも、できないことはあるんです』


 八重ちゃんは申し訳なさそうに両手を合わせた。


 昨夜の画像を開こうとしたところで、スマホが震える。


 陽菜からメッセージが届いていた。


《グループチャット見た?》


 見ていない。


 昨夜は通知の件数を確認しただけで、そのまま眠ってしまった。


《今見る》


 そう返すと、すぐに既読がつく。


《遅い!》


 昨夜の写真は、帰ってから改めて確認すればいい。今は、陽菜たちが何を企んでいるのかを先に確かめることにした。


 グループチャットを開くと、メッセージは昨夜からさらに増えていた。


 参加しているのは、俺、陽菜、真壁蓮、佐伯菜々美の4人。


 クラスでよく一緒にいるメンバーだ。


 陽菜が送った候補には、海、花火、夏祭り、キャンプ、廃校が並んでいた。


 最後の一つだけ、明らかに毛色が違う。


《廃校って何だよ》


 俺が書き込むと、待っていたように菜々美から返信が来る。


《鏡坂高校!》


 続けて、古びた校舎を外から撮影した写真が貼られた。


 山の中腹に建つ、灰色の校舎。


 窓ガラスはところどころ割れ、外壁には黒い雨染みが走っている。写真の端には傾いた校門が写っており、錆びた表札から《市立鏡坂高等学校》という文字が辛うじて読めた。


 6年前に閉校した学校だ。


 地元では、それなりに有名な肝試しスポットでもある。


《却下》


《早くない?》


《不法侵入だろ》


《そこはほら、ちょっとだけ》


《ちょっとだけ不法侵入という言葉はない》


 蓮から、笑って転がっている絵文字が送られてくる。


《とりあえず昼飯食いながら決めようぜ》


 集合場所として指定されたのは、駅前のファミリーレストランだった。


 俺が到着すると、3人はすでに奥の席を占領していた。


「遅い!」


 陽菜が俺を見つけ、手を上げる。


「集合時間の5分前だろ」


「私たちは15分前に来てるから」


「そっちが早いだけだ」


 陽菜の隣では、佐伯菜々美がストローでメロンソーダをかき混ぜていた。


 背は小柄で、肩まで伸ばした髪の毛先を内側に巻いている。菜々美と陽菜は高校へ入ってからの付き合いだが、今では色違いのブレスレットをつけるほど仲がいい。


 今日も陽菜の左手首には黄色、菜々美の右手首には水色のブレスレットが巻かれている。


「浩司、聞いてよ。陽菜ったら、朝から鏡坂の動画ばっかり送ってくるんだよ」


「菜々美だって、ノリノリで心霊動画見てたじゃん」


「見るのと行くのは別だから」


 そう言いながら、菜々美の目は楽しそうだった。


 向かい側には真壁蓮が座っている。


 短く切った髪に、まだ薄く日焼けの残る肌。春にバスケットボール部を引退した今も、運動部らしい体格は崩れていない。


「まあ座れよ。お前が来ないと話進まねえから」


「どうせ撮影の準備と編集、俺にやらせるつもりだろ」


「さすが、話が早い」


「帰るぞ」


「冗談だって」


 蓮が笑いながら、メニューをこちらへ滑らせてくる。


 俺が適当に昼食を注文すると、陽菜はテーブルの中央へスマホを置いた。


 画面では、軽快な音楽に合わせて7人の男女が踊っている。


 7人が輪になり、8拍ごとに一人ずつ中央へ入る。中央で決められた動きをした者は、元とは一つずれた位置へ戻り、次の一人と交代する。全員が一度ずつ中央を通ったあと、最後の8拍だけは誰も中央へ入らない。その空いた場所を囲んだまま、7人全員がカメラへ顔を向ける。


「《七替えダンス》?」


「知ってるの?」


「動画がおすすめに流れてきたことはある」


 ここ最近、よく見かけるダンス動画だった。


 振り付け自体は単純だが、7人が次々と中央を通り、輪の中で位置を入れ替えていく動きは映像映えする。それが受け、若者を中心に流行していた。


 名前のとおり、本来は7人で踊るものだ。


「私たちは4人用にアレンジするけどね」


 陽菜が動画を止め、テーブルの上へ身を乗り出す。


「鏡坂でこれ撮って、その後に肝試し動画も撮るの。廃校で踊ってみたって、ちょっと面白くない?」


「面白いかどうか以前に、夜の廃校へ勝手に入るのは駄目だろ」


「コージ、真面目すぎ」


「普通の感覚だ」


 陽菜が不満そうに頬を膨らませる。


 代わりに蓮が口を開いた。


「別に建物を壊したり、物を盗んだりするわけじゃないって。入口も開いてるらしいし、撮ったらすぐ帰る」


「開いてることと、入っていいことは別だ」


「分かってるけどさ」


 蓮はそう言いながらも、本気で諦める気はなさそうだった。


「高校最後の夏休みだぜ? 海とか花火もいいけど、もう何度も行ってるだろ。何か一つくらい、後から笑えることやろうぜ」


 高校最後。


 その言葉を聞いた陽菜が、わずかに目を伏せた。


 すぐに顔を上げ、いつもの調子で笑う。


「そうそう。卒業したら、みんな同じところにいるわけじゃないんだしさ」


「まだ半年以上あるだろ」


「半年なんて、すぐじゃん」


 陽菜の声が少しだけ小さくなる。


 菜々美が陽菜の肩へ自分の肩をぶつけた。


「大丈夫だって。卒業しても、陽菜は毎日連絡してきそうだもん」


「菜々美だって返事するでしょ?」


「夜中じゃなければね」


「冷たっ」


 2人が笑い合う。


 俺と蓮もつられて笑ったが、陽菜が廃校での撮影にこだわる理由が、少しだけ分かった気がした。


 ただ騒ぎたいわけではない。


 今の4人で過ごした証拠を、形に残したいのだろう。


「……校舎の外だけだぞ」


 俺が言うと、陽菜の顔がこちらを向く。


「行くの?」


「校門の前か、敷地の外から撮影する。建物の中には入らない。管理してる人に止められたら、その場で帰る」


「それだと肝試しできなくない?」


「最初から不法侵入する計画に、俺が賛成すると思ったのか?」


「思ってないけど、コージなら最後には来てくれるかなって」


「人を常識的な範囲で利用するな」


 陽菜は少し考えたあと、菜々美と蓮へ顔を向けた。


「とりあえず、それでよくない? 現地で動画を撮れればいいし」


「まあ、外からでも廃校っぽさは出るか」


 蓮が肩をすくめ、菜々美もうなずく。


「決まりだね。じゃあ、いつにする?」


「8月15日は?」


 陽菜がカレンダーを見せる。


 蓮がすぐにうなずいた。


「俺は空いてる」


「私も大丈夫」


 3人の視線が俺へ集まる。


「……空いてるけど」


「じゃあ決定!」


 陽菜が嬉しそうに両手を叩いた。


「高校最後の夏休み、みんなで最高の動画を撮ろう!」


 受験や就職に向けた準備は、すでに始まっている。


 夏休みが終われば、それぞれの進路に向けた予定はさらに増えていく。何も考えず、4人で予定を合わせられる夏は、これが最後になるのかもしれない。


 店を出る頃には、撮影に必要な物と当日の集合時間まで決まっていた。


 陽菜と菜々美は、ダンスの練習をするためにそのままカラオケへ向かうらしい。蓮も練習相手として連れていかれた。


 俺も誘われたが、振り付けは送られた動画を見て覚えると伝え、用事があるふりをして一人で帰宅した。


 本当は、用事などない。


 昨夜の写真も気になっていたが、まずは実際に行くことになった場所を調べるべきだろう。


 鏡坂高校について検索すると、閉校した時の記事や、廃墟を外から撮影した写真がいくつも表示された。


 閉校の理由は、生徒数の減少による学校統廃合。


 建物は市が管理しているものの、取り壊し工事は何度も延期されている。


 ここまでは普通だった。


 検索結果を下へ進めると、心霊スポットを紹介する個人サイトや、肝試し動画が増えていく。


 誰もいない教室から声がした。


 集合写真に知らない生徒が混ざっていた。


 その場にいた人数と、写真に写った人数が合わなかった。


 どれも似たような噂ばかりだ。


 廃校の怪談としては、特別珍しいものではない。


 昨夜の窓を思い出し、俺は小さく息を吐いた。


 自分には見えない女が、写真の中にいる。


 そんな話を読んだからといって、いちいち気にしていたらきりがない。


 俺は《八重ちゃんの何でも屋》を開いた。


『おかえり、浩司くん!』


 文机の奥から、八重ちゃんが笑顔で迎える。


「鏡坂高校って知ってる?」


『鏡坂高校?』


 八重ちゃんの目が、一度だけ瞬いた。


 いつもなら質問された直後に、考えるような仕草を見せる。


 だが今回は、画面の中で動かなくなった。


「知らないのか?」


『ううん。知ってるよ』


 八重ちゃんの表情は変わらない。


 それなのに、机の上に置かれた両手だけが、固く握られていた。


「8月15日に、そこで動画を撮ることになった」


『そうなんだ』


「何か気をつけたほうがいいことある?」


 八重ちゃんはしばらく答えなかった。


 やがて握っていた手を開き、いつもの調子で口元をほころばせる。


『そこは、写真を撮るには向いてるかも』


「廃校だから?」


『いろんなものが写るから』


 また、妙な言い方だ。


「それって、心霊写真が撮れるってことか?」


『どうだろうね?』


 八重ちゃんは答えず、文机の上に頬杖をついた。


『でも、集合写真はおすすめしないよ』


「なんで?」


『人数を間違えやすいから』


 軽やかな鈴の音が鳴り、アプリの画面に朱色の引き戸が現れる。


「ちょっと待て」


 俺の声を無視して、引き戸は静かに閉じた。


 もう一度アプリを開いても、画面には、


《本日の営業は終了しました》


 という表示しか出なかった。


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