第12話 御代裏様
鈴の余韻が消える前に、俺は鉄の輪を引いた。
石の蓋は、見た目よりも重かった。
澪と2人で鉄の輪を引いた。石蓋は持ち上がらず、床を削りながら少しずつ横へずれた。陽菜も加わり、1人が通れるだけの隙間を開けた。
石と石が擦れる低い音が廊下へ広がり、開いた穴から冷たい空気が吹き上がってきた。
古い土と、濡れた木の匂いがする。
「階段がある」
陽菜がスマホの明かりを向けた。
石を削った細い階段が、床下へ続いている。壁も階段も、校舎に使われているコンクリートとは違っていた。表面は粗く削られ、ところどころ黒く濡れている。
学校が建てられるより前から、ここにあったものなのだろう。
俺は入口から階段の奥を撮影した。
写真には、7段目までが写っている。その先は暗く、何も見えなかった。
八重ちゃんへ送る。
《下には行かないで》
すぐに文章が表示された。
画面の中の八重ちゃんは、首を横へ振っている。
「文字は無視する」
俺が言うと、澪がうなずいた。
「八重ちゃん。下へ行ってもいいなら左手。行かない方がいいなら右手を上げて」
八重ちゃんは左手を上げた。
《右手を上げてるよ!》
「分かった」
俺はスマホを閉じず、片手で構えたまま階段へ足をかけた。
「俺が先に行く。陽菜、梓を頼む」
「コージこそ、1人で先に行きすぎないで」
「分かってる」
澪が最後に床板の破片を石蓋の下へ挟んだ。完全に閉じないことを確かめてから、4人で階段を下りる。
1段下りるたび、冷たさが靴底から上がってきた。
7段。
8段。
写真では見えなかった先にも、階段は続いている。
背後からは、音楽室の扉に何かがぶつかる音が聞こえていた。
だが、10段目を越えたところで、音が途切れた。
「止まった?」
梓が振り返る。
石蓋の向こうには、廊下の明かりが細く残っている。
音楽室が遠ざかったわけではない。それでも、上の音だけが石に吸い込まれたように消えていた。
「ここ、校舎の下だよね」
陽菜の声が小さく響く。
「多分」
澪が壁へ触れた。
「でも、学校の基礎にしては古すぎる」
階段は15段で終わった。
その先には、円形の石室があった。
天井は低く、俺が手を伸ばせば指先が届きそうだった。壁には等間隔に7つの窪みがあり、それぞれの前に平たい石が置かれている。
中央には、腰ほどの高さの台座があった。
その上に、白い布で包まれた細長いものが横たわっている。
「人形?」
梓が俺の背後から覗き込む。
「まだ触らないで」
俺は石室の入口から全体を撮影した。
4人の影が床へ伸びる。
写真の中でも、窪みは7つだった。
中央の台座に横たわる白い布の隙間から、木のような指先だけが覗いている。顔や胴体は見えない。
余分な人影は写っていなかった。
八重ちゃんへ写真を送る。
彼女は台座ではなく、壁際を指差した。
「向こうに何かある?」
八重ちゃんがうなずく。
画面には、別の文章が表示された。
《真ん中の人形を壊して》
八重ちゃんは勢いよく首を横へ振った。
「分かってる。触らない」
俺たちは中央の台座を避け、壁際へ進んだ。
八重ちゃんが指した窪みの1つに、木箱が置かれている。蓋には黒い墨で、かろうじて文字が残っていた。
《鏡坂村旧記》
箱の金具は赤く錆び、鍵はかかっていない。
澪がしゃがみ込む。
「開ける前に撮って」
「分かった」
写真を確認しても、箱の周囲に異常はない。
八重ちゃんは両手で本を開く仕草をした。
俺がうなずくと、澪がゆっくり蓋を持ち上げる。
木箱の内側には油紙が重ねられていた。中には、紐で綴じられた古い冊子と、何枚もの紙が入っている。黄ばんだ紙の間には、比較的新しい学校の資料も混じっていた。
「誰かが後から持ち込んだのかな」
陽菜が言った。
「そうかも。これだけ紙の色が違う」
澪は一番上の冊子を持ち上げた。
表紙には、縦書きで題名が記されている。
《御代裏様之事》
「おだいりさま……?」
梓が読んだ。
「雛人形の?」
「字が違う」
澪が表紙をライトで照らす。
「御代の裏……。後から当てた字かもしれないけど、形代や身代わりを指す呼び名なのかも」
俺は冊子を1ページずつ撮影した。
崩れた文字は多かったが、読める部分も残っている。
澪が指で行を追った。
「人に降りかかる災いを、形代へ移す……」
「形代って?」
「身代わりにする人形みたいなもの」
次の行を読む。
「7人で輪を作り、中央に御代裏様を置く。7人は互いの名を呼び、中央のものだけは呼んではならない」
俺は中央の台座を見た。
白い布の隙間から覗く指先は、さっきと同じ位置にある。
「人間は7人」
澪の声が石室へ響く。
「姿は8つあっても、中央の1つを人として数えてはいけない」
「写真に8人いると分かって、俺たちもあれを人間の1人として数えた」
体育館で撮った写真を思い出す。
俺たち7人と、輪の中央に立つ黒髪の少女。
八重ちゃんは、あの時こう言った。
『この写真、8人いるよ』
「8人目って」
陽菜が唇を湿らせる。
「私たちが、あれを人間の1人として数えたってこと?」
「多分」
澪がページをめくった。
次の紙には、3つの禁じ事が大きく記されている。
《顔を与えるべからず》
《人の名を与えるべからず》
《八人目と数えるべからず》
その下には、小さな文字が続いていた。
「顔も名も持たないから、人の代わりに災いを受けられる」
澪が読んでいく。
「もし人の顔や名を得れば、今度は人の暮らしを欲しがる……」
「顔を借りてた」
梓が自分の腕を抱いた。
「翔太の顔も、蓮の声も」
「菜々美の名前は奪われた」
陽菜の声が沈む。
俺は冊子の次のページを撮影した。
そこには、輪を囲む7人と、中央の台座に置かれた人形を描いた絵がある。
人形の顔には何も描かれていない。
周囲の7人は、1人ずつ輪の内側へ進み、人形の前で立ち止まる。そこから台座の背後を回り、隣の位置へ移るよう、矢印で結ばれていた。
誰が動く時も、人形の置かれた中央だけは空けたままだった。
「これ……」
陽菜が画面を覗き込む。
「七替えダンスに似てる」
絵を見た瞬間、体育館で踊った時の動きが頭に戻ってきた。
1人ずつ輪の内側へ入り、中央の人形を回って隣の位置へ移る。
最後まで、人形の置かれた中央には入らない。
「流行のダンスが、この儀式からできたってこと?」
「直接ではないと思う」
澪が木箱の中から、学校の名前が印刷された冊子を取り出した。
表紙には《鏡坂高校創立三十周年記念誌》とある。
ページの間に、古い白黒写真が挟まっていた。
校庭に並ぶ生徒たち。
7人が輪を作り、中央を空けたまま立っている。
裏面には、手書きの文字が残されていた。
《創立記念祭 輪替え演技》
「学校行事に残ってたんだ」
梓が写真を傾け、中央へライトを当てた。
「待って。ここ、最初から空いてたんじゃない」
輪の中央だけ、写真の表面がざらついている。何かが写っていた部分を、後から削り落としたように見えた。
「意味を知らないまま残ったんじゃなくて、誰かが消したのかも」
記念誌には、創立当時の校歌と、行事の説明が載っていた。
校歌には、こんな一節がある。
《七つの声を輪に結び 影を鏡の外へ送れ》
輪替え演技は、その歌に合わせて7人が場所を入れ替える行事だったらしい。古い写真では中央に何かが置かれていたが、年代が新しくなるにつれ、それは消えていた。
さらに後の説明では、互いの名前を呼ぶ部分までなくなっている。
残ったのは、7人が順番に中央付近を通り、最後に中央を空ける動きだけだった。台座と人形がなくなったことで、その動きは少しずつ中央そのものを通る形へ変わったらしい。
18年前の生徒たちは、その形を撮影した。
映像の一部が切り取られ、今の《七替えダンス》として広まった可能性がある。
「私たち、何も知らずに全部そろえたんだ」
陽菜が言った。
「8月15日に、ここで7人で踊って、動画まで撮った」
「人形は置かなかった。でも、代わりにあれが中央へ入った」
澪が体育館で撮った写真へ目を落とす。
「名前を呼び合う部分が消えたまま、形だけを繰り返した」
記念誌の一部は、濡れたように黒く滲んでいた。
俺はもう一度、古い冊子へ戻った。
最後の数ページだけ、文字の色が違っている。
古い墨ではない。
黒いボールペンで、誰かが書き足した文章だった。
《御代裏様は、もはや災いを受けぬ》
《人の顔を借り、人の名を奪い、七人のうち一人を輪から外す》
《名も記録も失い、七人の一人として数えられなくなった者の席は空く》
《御代裏様は、その空いた席へ入り、七人の一人として校門の外へ出る》
《校門を越えるまでは、七人に紛れた御代裏様と見破られてはならぬ》
「これ、いつ書かれたんだろう」
梓が尋ねる。
「少なくとも、学校ができた後」
澪が紙の端を確かめる。
「18年前の事件を知っていた人かもしれない」
最後の行だけ、何度も書き直された跡があった。
《七人から抜け落ちた者の場所は、空く》
「ここに書かれてる7人って、今ここにいる人数のことじゃないよね」
梓が冊子と、壁に並ぶ7つの窪みを見比べた。
「最初に輪を作った7人のことだと思う」
澪が答える。
「私たちなら、体育館で一緒に踊った7人。それぞれに1つずつ席ができた」
陽菜が息を止めた。
誰の席が空いたのか、言われなくても分かった。
「蓮と翔太は姿を消した。でも、菜々美とは違う」
俺は口にした。
「俺たちは2人を覚えてる。名前も、顔も、まだ記録に残ってる」
「菜々美だけは違う」
澪が続けた。
「存在そのものを消された。写真も連絡先も変わって、私たちの記憶からも抜け落ちた」
陽菜が左手首を押さえる。
黄色のブレスレットの隣には、菜々美がつけていた水色のブレスレットが巻かれている。
「菜々美の席が、空いてるってこと?」
梓が小さく尋ねた。
誰もすぐには答えなかった。
俺は八重ちゃんへ、菜々美が残っている写真を開いて見せた。
「八重ちゃん。御代裏様が狙ってるのは、菜々美の席なのか?」
八重ちゃんは写真の中の菜々美へ触れた。
それから、ゆっくりとうなずく。
《違うよ》
画面には、反対の文章が表示された。
「やっぱり」
陽菜が水色のブレスレットを握る。
「菜々美として、外へ出るつもりなんだ」
その時、中央の台座から、布の擦れる音がした。
4人が同時に振り返る。
白い布の隙間が、さっきより広がっていた。
木の指先だけでなく、滑らかな額のような部分が覗いている。
顔には、まだ何も描かれていない。
俺は反射的にカメラを向けた。
シャッターを押す。
撮影した写真を開く。
白い布の中にある顔は、肉眼と同じく滑らかだった。
だが、その隣。
中央の台座を囲む7つの窪み。そのうち1つの前にある平たい石だけ、埃が消えている。
誰かが腰を下ろしたような半円と、その横に細い指の跡が残っていた。
「さっきはなかった」
澪が最初に撮った写真と見比べる。
「誰か、ここに座ったの?」
梓がライトを窪みへ向けた。
肉眼では、何も置かれていない石があるだけだった。
スマホの中で、八重ちゃんが立ち上がった。
声の出ない口を大きく動かし、石室の入口へ続く階段を指差している。
階段を見ろ。
そう伝えているように見えた。
階段の方から、音が聞こえた。
石蓋に挟んだ床板が、ずれただけかもしれない。
だが、同じ間隔でもう一度鳴った。
1段。
また1段。
これまで聞いた裸足の音とは違う。
靴底が石を踏む、硬い足音だった。
誰かが、ゆっくりとこちらへ下りてくる。
「誰?」
陽菜が問いかけた。
足音が止まる。
石室の入口より上は暗く、顔までは見えない。
それでも、聞こえてきた声は知っていた。
「陽菜」
忘れないように何度も名前を呼び、そのたびに返事を聞いた声だった。
「やっと見つけた」




