第10話 18年前の7人
古い体育館。
円になって立つ、制服姿の7人。
その中央だけが、空いていた。
映像の右下には、白い数字で日付が表示されている。
《2008年8月15日》
「18年前……」
陽菜が呟く。
画面の中では、男子生徒の一人がカメラへ近づき、角度を調整していた。
映像は低い位置から体育館全体を映している。三脚へ固定されたカメラらしく、男子生徒は録画を確認すると、ほかの6人のもとへ駆け戻った。
「本当に7人いる」
梓が数える。
男子が3人。
女子が4人。
着ている制服は、鏡坂高校のものだろう。胸元には校章らしきものが縫いつけられている。
7人の動きには、見覚えがあった。
一人ずつ中央へ入り、決められた動きをしてから隣の位置へ移る。
輪の中で、全員の立ち位置が順番に入れ替わっていく。
「七替えダンス……」
陽菜がスクリーンへ近づく。
「今の振り付けと、ほとんど同じ」
「こっちが元なのかも」
澪が答えた。
「18年前の映像が、後から動画サイトへ流れた可能性はある」
音声はひどく荒れていた。
機械の駆動音と雑音の奥で、生徒たちが笑っている。
誰かが動きを間違えるたびに輪が崩れ、最初からやり直していた。
俺たちが体育館で踊った時と変わらない。
ただの高校生の遊びに見えた。
画面の左側にいた女子生徒が、髪を耳へ掛ける。
長い黒髪。
片側につけた、赤い花の髪飾り。
顔を上げた瞬間、俺は息を止めた。
「八重ちゃん……?」
陽菜も同時に気づいた。
スクリーンに映っている少女は、アプリの八重ちゃんと同じ顔をしていた。
髪型も、目元も、笑った時に少しだけ下がる眉も似ている。
服装は制服だが、別人とは思えなかった。
「映像を止めて」
澪が言う。
俺は映像デッキの前へ移動し、一時停止のボタンを押した。
画面がわずかに乱れ、黒髪の少女の顔で止まる。
「似てるってレベルじゃないよね」
梓が俺のスマホとスクリーンを見比べる。
「アプリのキャラクターは、この子をモデルにしたんじゃない?」
「18年前の事件を知ってる人が作ったってこと?」
陽菜が尋ねる。
「それなら、同じ顔でも説明はつく」
アプリの開発者が、昔の新聞や映像を見ていた可能性はある。
鏡坂高校にまつわる噂を利用して、案内役のキャラクターを作った。
そう考えれば、不可能な話ではなかった。
「八重ちゃんへ見せよう」
俺はスクリーンに映る少女を撮影した。
アプリを開く。
文机の奥に現れた八重ちゃんは、俺たちの会話を聞いていたらしい。
『映像にいた子の写真?』
「見えるのか?」
『まだ送ってもらってないから、詳しくは分からないよ』
俺は画像を送信した。
八重ちゃんの黒い瞳が、写真の中の少女へ向けられる。
自分と同じ顔を見ても、驚いた様子はなかった。
ただ、右手がゆっくり持ち上がり、自分の頬へ触れた。
「お前と同じ顔だ」
『同じ顔に見えるんだね』
「この子を知ってるのか?」
八重ちゃんは答えなかった。
写真へ顔を近づけ、少女の胸元を指差す。
『この子の名前は?』
「まだ分からない」
『名前が分かったら、教えて』
それだけ言うと、八重ちゃんは写真を見つめたまま黙り込んだ。
俺は映像を再生した。
画面の中の7人が、もう一度動き始める。
最初の一巡が終わった。
全員が元とは違う位置へ移動すると、カメラの近くにいた男子生徒が自分の胸を指した。
雑音に紛れ、名前までは聞き取れない。
隣の生徒が続く。
一人目。
二人目。
順番に自分の名前を口にしながら、手を上げていく。
6人目が名乗り終えると、全員が確認を終えたように動こうとした。
黒髪の少女だけが、順番から外れている。
少女は周囲を見回し、不安そうに自分の胸へ手を当てた。
「八重」
誰に尋ねられたわけでもないのに、自分の名前を口にした。
雑音の向こうからでも、確かに聞き取れた。
「この子が八重……」
陽菜が俺のスマホを見る。
画面の中の八重ちゃんは、顔を上げなかった。
映像では、2巡目の動きが始まっていた。
生徒たちは笑いながら、順番に中央を通っていく。
黒髪の八重が中央へ入る。
決められた動きを終え、隣の位置へ移ろうとした時だった。
八重の視線だけが、輪の外へ向いた。
体育館のステージ前。
赤い幕の脇に、白いものが映っている。
人の顔ほどの大きさをした、色のない輪郭。
目も、鼻も、口も見えない。
首から下は、ステージの影へ溶け込んでいた。
「止めて」
澪の声に、俺は一時停止を押した。
白い輪郭は、画面の端に残っている。
「いた」
梓が自分の口元を押さえる。
「最初から写ってた?」
「いや」
俺は少し巻き戻した。
1巡目の映像。
同じ場所には、赤い幕しかない。
もう一度再生する。
八重が中央へ入った瞬間だけ、白い顔のようなものが現れた。
「映像の乱れじゃない?」
陽菜が言う。
「古いテープなら、前に録画したものが重なって見えることもあるでしょ」
「可能性はある」
澪は否定しなかった。
「でも、八重だけはあれを見てる」
映像を進める。
八重は輪へ戻らず、ステージ前を指差していた。
「誰かいる」
音声が途切れながらも、言葉だけは聞き取れた。
ほかの6人は笑っている。
八重の指す方向を見ようともしない。
「そこにいるよ」
八重がもう一度訴える。
一人の男子生徒が、早く戻れというように手招きした。
八重は納得していない様子で輪へ戻る。
次の一人が中央へ入った。
動きが一つ進むたびに、白い輪郭の位置も変わっていた。
ステージ前。
輪の後方。
生徒の肩越し。
全身が映ることはない。
白い顔のようなものだけが、少しずつ7人へ近づいていく。
2巡目が終わった。
生徒たちは止まらず、そのまま3巡目の動きを始める。
八重は何度も背後を確かめていた。
ほかの6人は、もう彼女が何を訴えているのか気にしていない。
生徒が中央へ入るたび、白い輪郭が別の場所へ現れる。
輪の外側。
八重の背後。
カメラのすぐ脇。
映像の端へ消えたかと思うと、次の瞬間には生徒たちの間から白い顔だけが覗いていた。
3巡目が終わった。
再び、名前を確認する声が始まる。
一人目。
二人目。
生徒たちは順番に返事をする。
最後まで聞いても、「八重」という名前は呼ばれなかった。
「今、6人分しか呼んでない」
俺が言うと、澪がうなずいた。
「八重が抜けてる」
画面の中では、八重が隣にいる女子へ話しかけていた。
女子は反応しない。
肩へ手を置こうとした八重の指が、制服へ触れる。
それでも女子は振り返らなかった。
八重が別の男子生徒の前へ回り込む。
男子生徒は、八重の横を通り過ぎた。
見えていないというより、そこに誰もいないと思い込んでいるようだった。
「私たちと同じ……」
陽菜が水色のブレスレットを握った。
菜々美の存在が消えた時。
俺以外の全員が、最初からいなかったと思い込んでいた。
八重にも、同じことが起きている。
画面の中の八重は、カメラへ走り寄った。
顔が大きく映る。
涙を浮かべ、何度も後ろを振り返っている。
「写真にして」
八重がカメラへ手を伸ばした。
「止めて見れば、写ってるから」
俺の手の中で、スマホが震えた。
画面を見る。
八重ちゃんが、文机へ両手をついていた。
『今映っているところを、写真にして見せて』
同じ言葉ではない。
それでも、背中へ冷たいものが伝った。
俺は映像を止め、八重の顔と、その背後が入るようにスクリーンを撮影した。
写真には、カメラへ近づく八重が写っている。
その背後。
輪へ戻った6人の間に、知らない生徒が立っていた。
制服姿。
腰近くまで垂れた黒い髪。
顔は、光が滲んだように白く潰れている。
身体の輪郭は6人と変わらない。
だが、誰の隣に立っているのか分からなかった。
見るたびに、位置が少しずつ違って感じられる。
「これで8人」
澪が数えた。
「八重を含めた生徒が7人。後ろにいるのが8人目」
俺は写真を八重ちゃんへ送った。
八重ちゃんは、白く潰れた顔を見ても名前をつけなかった。
『この写真、残しておいて』
「こいつが何なのか分かるか?」
『分からない』
「八重は?」
『その子の名前は、八重なんだね』
「お前と関係があるんじゃないのか?」
八重ちゃんは写真の中の八重を見つめる。
しばらくして、困ったように笑った。
『私も、八重ちゃんだよ』
答えになっていない。
俺がさらに尋ねようとした時、映像が勝手に動き始めた。
画面の中の八重が、カメラへ手を伸ばす。
指先がレンズへ触れる直前、映像が大きく乱れた。
暗転。
甲高い音。
何人もの声が重なり、誰かが転ぶような音が続く。
映像はそこで終わった。
白い画面へ戻ったプロジェクターが、低い駆動音を立てている。
誰もすぐには話さなかった。
「これが、18年前の事件?」
梓がスクリーンを見たまま尋ねる。
「多分」
澪は映像デッキへ近づき、挿入されているテープを確認した。
ケースには、黒いペンで文字が書かれている。
《夏季撮影 8月15日 体育館》
ケースの内側に、折り畳まれた紙が挟まっていた。
澪が慎重に広げる。
古い新聞記事の切り抜きだった。
《鏡坂高校で生徒7人が消息絶つ》
見出しの下には、事件の概要が記されている。
8月15日の夜、夏休み中の校内へ入った生徒7人が行方不明となった。
翌朝までに4人を校内で保護。
2人は校舎内で死亡しているのが見つかった。
残る一人は、捜索を続けても発見されなかった。
行方不明者の名前は、
《八重》
名字の部分だけ、黒い染みが広がって読めなくなっていた。
記事の脇には、小さな顔写真が載っている。
長い黒髪。
赤い花の髪飾り。
映像の中にいた少女と同じ顔だった。
「やっぱり、この子が八重なんだ」
陽菜が言う。
梓が記事の下へ指を滑らせた。
「2人が亡くなって、八重って子が行方不明。4人が助かった」
「合計で7人」
俺は記事を撮影し、八重ちゃんへ送った。
その間に、澪はケースへ残っていたもう一枚の切り抜きを広げる。
事件から数日後の記事らしい。
《生徒らの証言、食い違う》
保護された4人は、校内へ入った人数について、「6人だった」「7人だった」「途中から8人になった」と異なる証言をしていた。
記事では、暗闇と混乱による記憶違いとして処理されている。
「18年前も、人数が変わってる」
陽菜が呟く。
「八重を忘れた人は、6人だと思った」
澪が記事とスクリーンを見比べる。
「八重を覚えていた人は7人。あの白い顔まで数えた人は8人」
「じゃあ、八重があれを呼び出したの?」
梓が尋ねる。
「違うと思う」
澪はすぐに答えた。
「映像の中で、八重だけが8人目に気づいてた。ほかの人へ伝えようとして、写真にも残そうとしてる」
「原因だったら、止めようとはしない?」
「少なくとも、八重はあれと同じ側には見えない」
澪は俺のスマホへ視線を移した。
「18年前、あれに抗おうとしていた可能性が高い」
俺は2枚目の切り抜きも撮影し、八重ちゃんへ送った。
八重ちゃんは、送った記事の写真を読んでいた。
行方不明と書かれた部分を、指先で何度もなぞっている。
「八重ちゃん」
呼びかけると、ゆっくり顔を上げた。
『この写真も、私に預けてくれる?』
「2枚とも送った」
『うん。じゃあ、なくならないように持ってるね』
「お前は、この八重なのか?」
八重ちゃんは口を開いた。
だが、答えるより先に、映像デッキが再び動き始めた。
テープが巻き戻される。
停止ボタンを押しても反応しない。
巻き戻しが終わると、映像は最初から再生された。
古い体育館。
円になって立つ生徒たち。
「待って」
陽菜がスクリーンへ近づく。
「人数が違う」
画面にいる生徒は、6人だった。
黒髪の八重が立っていた位置には、誰もいない。
6人は不自然に広い間隔で円を作り、空いた場所を避けるように動いている。
俺は先ほど撮影した写真を開いた。
スマホの写真アプリでは、スクリーンに映っている生徒も6人になっていた。
八重の姿が消えている。
「写真まで変わった……」
だが、八重ちゃんへ送った履歴を開くと、そこには八重が残っていた。
カメラへ近づき、必死に何かを伝えようとする黒髪の少女。
背後には、顔の潰れた8人目。
「八重ちゃんへ送った写真だけは変わってない」
俺が言うと、澪が小さく息を吐いた。
「重要なものは、全部このアプリへ送った方がいい」
「アプリが消えたら?」
梓が尋ねる。
誰も答えられなかった。
「新聞は?」
陽菜が床へ置いた切り抜きを指差した。
澪が最初の記事を拾い上げる。
見出しは、さっきまでと違っていた。
《鏡坂高校で生徒6人が消息絶つ》
本文には、夏休み中の校内へ入った生徒6人が行方不明になったと書かれている。
翌朝までに4人が保護され、2人は校舎内で死亡しているのが見つかった。
記事はそこで終わっていた。
捜索を続けても発見されなかった一人について書かれた段落が、最初から存在しなかったように消えている。
八重の名前も、顔写真もない。
「八重が、最初からいなかったことになってる」
陽菜が掠れた声で言った。
澪が2枚目の切り抜きを開く。
こちらの記事も変わっていた。残っていたのは、「6人だった」「途中から7人になった」という2つの証言だけで、8人という数字はどこにもない。
俺は八重ちゃんへ送った記事の写真を開いた。
そちらには、まだ元の内容が残っている。
《鏡坂高校で生徒7人が消息絶つ》
《八重》
そして、現場にいた人数については、「6人だった」「7人だった」「途中から8人になった」という3つの証言が残っていた。
「過去の記事まで書き換わってる」
梓が自分の腕を抱いた。
「今、この場所で見つけたから?」
「分からない」
澪が答える。
「でも、八重の記録が消えたことだけは間違いない」
スクリーンの中では、6人の生徒が順番に名前を呼び合っていた。
最後まで、八重の名前は出てこない。
それでも、音声の奥にはもう一つ、小さな声が混じっていた。
「八重」
呼んでいるのか。
名乗っているのか。
判別できないほど小さな声だった。
八重ちゃんが、スクリーンの外へ視線を向ける。
その直後、アプリの画面下に新しい文章が表示された。
《音楽室を探して》
「音楽室?」
八重ちゃんは一瞬だけ目を伏せた。
自分の足元に現れた文章を、確かめるように見つめる。
続けて、もう一行が表示された。
《使えるものがあるかもしれないから》
八重ちゃんが顔を上げる。
いつもの笑顔だった。
《入口を見つけたら、開ける前に写真を見せてね》




