↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/48

歩廊

第76章 歩廊



一歩進むたび、

世界が凛たちを飲み込んでいくようだった。


先ほど凛が放った札《鎮響》は確かに効いている。

衣擦れの音は消え、息は霧散し、

足裏が地面に触れる感覚でさえ、

音ではなく “記憶” としてしか存在しない。


だが――

それは安心ではなかった。


音がないということは、

自分が存在している感覚すら曖昧になる ということだった。


溝口は思わず自分の手を見た。

存在しているのに、そこに置き忘れられた道具のよう。

ふと気を抜けば、

指先から輪郭が溶けていきそうな錯覚。


(……これは、やばいな)


人間は、音でも「生」を維持しているのだと知る。

息をする音。

心臓の鼓動。

衣が擦れる、世界に触れる、微細な生活の音。

それらすべてが剥がれると――

自分が “世界に属している” という実感が消える。


「……意識を、強く」


凛の声が、

声ではなく、頭の中に直接落ちてきた。


視界の端で、

縛鎖刀が布の下でゆっくりと波打つように動いている。

刃が呼吸している。

鎖が脈打っている。


そう、あれは武器というより――

生き物 だった。


サラは前方を無駄なく歩く。

彼女の歩みは、地面を蹴らない。

ただ 置く。

まるでこの場所の空気と同質であるかのように。


(……やっぱり、経験の差がとんでもないな)


溝口は苦笑とも諦めともつかない吐息を心の中で流す。


歩廊は、塔の外縁に沿って円形に伸びている。

柵は無い。

下をのぞけば――

底の見えない闇 がゆっくりと蠢いていた。


風が吹いていないのに、

布が揺れるような気がする。

誰も喋っていないのに、

静けさがうるさい。


サラが足を止めた。


前方。

塔の壁の一部が、わずかにひらいている。


それは扉ではなく、

吸い込まれた影の形。


凛が、ほんのわずか顎を引いた。


「……中に、いる」


声ではなく、

確信だけが共有される。


溝口は喉を鳴らしそうになり、

寸前でこらえた。


(“音” が戻れば終わる。

 気配で見つかるのではない。

 息で殺される。)


サラはゆっくりと、

黒弦の剣の柄へ手を添える。

しかし、抜かない。


凛は縛鎖刀に触れない。

だが、刀は凛の呼吸に合わせて微妙に揺れていた。


溝口はただ、

自分の存在を、強く、忘れないようにする。


「入ろう」


サラが言葉ではなく、

まなざしで二人に伝えた。


凛が続く。

溝口が最後尾。

三人は扉のような影の裂け目に近づく。


そこで――


かすかに、“音” がした。


カツ、カツ、カツ、カツ――


それは足音に似ていた。

だが普通ではない。


一定ではなく、

わざと 不規則にずらされたリズム。


人が歩くときの音ではなく、

誰かが “歩く音の記憶” を再生している ような、

そんな奇妙な拍動。


サラが目を細める。


凛がほんのわずか肩越しに溝口を見る。

その視線は、

「まだ下がれ」の意思。


影は、まだ姿を見せない。


ただ音だけが、

歩廊の奥で確実にこちらへ向かってくる。


カツ。


……カツ。


カツ。


…………カツ。


凛が、札をひとつ、指先に挟んだ。


気配が、世界に沈む。



第77章 歩く音の主



カツ、カツ、カツ……


歩廊に満ちる足音は、

まるで 「歩くという概念」そのものを再生している かのようだった。


—人が歩く。

そのときに生まれる音。

ただの現象。


けれどそれは、

“本人が歩いている音” ではなかった。

音だけが先に存在し、

それに合わせて形が追いついてくる。


「……何か来る」


凛の声は、吐息一つ揺らさない。


歩廊の奥、

闇の奥底から、何かが 浮かび上がるように“形を得た”。


人型だった。

だが 顔が無い。

いや、正確には——


顔の輪郭はあるのに、表情が “描かれていない”。

まるで“思い出せない知人”を見たときのような、

視界の端で曖昧にぼけている存在。

それは 誰かの記憶が劣化した時の姿 によく似ていた。


サラが小さく息を吸う。


「……模造者《フェイント》。

 管理者が作る、記憶の端末だ」


歩廊の空気が震え、

模造者が口を開く。


だが 口は、存在しないはずなのに。


「ォ……ォォア……た……ただいま。


 た……だいま……」


声は、

「思い出されている最中の声」 だった。


誰の声なのか、

どの声なのか、

複数が重なり、剥がれ、滑っていく。


溝口は—直感した。


(これは、“誰か”ではない。

 これは、人が誰かを思い出せないときの影 だ)


模造者は、ゆっくりと頭を傾けた。


角度が人間の可動域を、

静かに、綺麗にはみ出す。


「しっている……

 いる……きた……器……」


そのときだった。


刀が、勝手に揺れた。

凛の腕は動かない。

凛の意志でもない。

縛鎖刀が、模造者の存在に反応している。


鎖が凛の手首から肘へ、

じわりと皮膚に沈み込むように巻きつく。


ザリ……ッ


その一瞬だけ、溝口にも確かに見えた。


刃に染み込んだ“声”。

鎖に絡まる無数の“記憶”。


模造者が、

はっきりと凛を見た。


いや、

縛鎖刀を見た。


「器……

 きみ……

 なか……にいる……もの……

 かえして」


溝口が息を呑む。


(……“何か”を要求している?

 刀の中にいるものを?

 いや、違う——

 刀の中に“入っている記憶や魂” をだ)


そのとき、凛が小さく笑った。

感情のない、でも 確かな嘲笑。


「返す?返すものなんてありませんよ」


模造者の輪郭が 震えた。


「なら……」


そして——


音が、戻った。


サラが叫ぶ。


「構えろッ!!」


凛の足が一歩、前へ滑る。


刀が影を裂いた瞬間、

歩廊を満たしていた空気が 悲鳴のようにひしゃげた。


溝口は息を止めるしかできなかった。


凛の背中には、

羽でも翼でもない “黒い残像” が揺らいでいた。


その光景は、

人ではなかった。



第78章 影と記憶の斬撃



模造者《フェイント》が凛へ向かって滑るように迫った。


走る、ではない。

跳ぶ、でもない。


まるで 映像のコマが飛ぶように――

存在が前後に瞬いて、距離を詰める。


「ッ……くるぞ!」


サラが咄嗟に黒弦の剣を振り、

空間に“糸”のような振動が走る。


ギィィィィ……


耳で聞くのではない。

脳を直接かき乱すような音。


しかし模造者は止まらない。

剣が通り過ぎた空間——

まるで攻撃の“軌跡”そのものが、

遅れて斬られた風景として残っている。


影はその僅かな隙間を“記憶の再生”のように辿り、

なんの抵抗もなかったようにすり抜けてくる。


「サラさん、下がって!」


凛が一歩前に出る。

縛鎖刀が、まるで呼吸するように刃を震わせた。


ザラ…………ッ


鎖が空気に触れ、

波紋のように 重力の向きが反転した感覚 が走る。


模造者の輪郭が歪む。


「う……つ……かえ……で……ない……


 に……んげん……じゃ……ない……」


声は、

“存在しない誰か” の記憶の模造。


凛はため息をひとつ漏らす。


「そうですよ。

 私はもう“ただの人間”じゃない」


そして、踏み込む。


速い。

ただ速いのではない。

“時間の密度が、凛の周囲だけ濃くなっている”。


縛鎖刀の刃が、影へ吸い込まれるように走る。


——斬撃。


空気が裂け、

黒い残像が線となり、

模造者の胸元を深く断ち割る。

しかし、血はでない。

肉も裂けない。

代わりに “記憶の層” が剥がれ落ちた。

ぼろぼろと、

人の声の断片、

表情の欠片、

名前の影。


「……返……せ……


 かえ……セ……」


模造者が揺れる。

揺れながら、凛のほうへ、しがみつくように腕を伸ばす。


そこだ。


サラが叫ぶ。


「凛! 心を取られるな!!」


模造者の攻撃は肉体ではない。

奪うのは 心の形。


凛は瞬間、迷いなく刃を振るった。


ザンッッ!!


模造者の胸に刻まれた裂け目が大きく開いた。


「……返すもの、無いって言いましたよね」


模造者は、

崩れながらも凛を見た。


ではなく——

縛鎖刀の “中” を見た。


「なか……の……もの……


 まだ……いき……て……」


凛の眉が、ほんの僅か、震えた。


溝口はその一瞬を見逃さなかった。


(……“中に何かがいる”?

 この刀には、“誰かが閉じ込められている”?

 ……いや。

 何かを封じるために作られた刀……!)


そのとき、溝口の視界が 一瞬だけ白く染まった。


——視た。


凛の手。


縛鎖刀。


模造者の動き。


サラの呼吸。


それらが ひとつの絵のように繋がる。

溝口は思わず声にしていた。


「凛、左足。半歩下がれ」


凛は、反射で従った。

考えるより前に。


その瞬間、

模造者の伸ばした腕は、

凛の頸を掴む直前で空を切った。


凛の瞳が細くなる。


「……そういうことできるんですね。溝口さん」


「いや……ただ、なんとなく、だ」


「なんとなく、で命拾いしましたよ」


模造者が最後の形を支えられなくなり、

ゆっくりと 影の粉 となって崩れた。


音はない。

ただ消えた。


溝口は息を吐いた。

膝が笑うのを押しとどめる。


「……俺は、今、何をしたんだ?」


サラが横目で彼を見る。


「記録者《レコーダー》。

 “世界の形を、そのまま視てしまう”人間」


凛が刀を軽く払う。

黒い刃は何事もなかったかのように静かだ。


「行きましょう。

 管理者はここから、そう遠くない」


歩廊の奥、

白い光が細い筋となって落ちていた。

そこが 中心区画

管理者がいる場所へ通じる――


核心への道だった。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

楽しんで頂けたら幸いです。

いいね、ブクマ、コメント等も是非よろしくお願いします!




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。