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道のほとりのバザー

第73章 道のほとりのバザー



どれほど歩いたのか、時間も距離感も、すでに曖昧だった。


薄く霞む天蓋のような空の下、無音の廊道が長く続く。


「……あれ」


凛が立ち止まった。

先に見えるのは、道の脇にぽつりと広がる 小さな市のようなものだった。


屋台が数軒。

布で仕切っただけの簡素なテント。

仄暗い光に照らされた並びは、人が暮らす街というより、

旅の途中の者が立ち寄るためだけに置かれた 仮初の“市” だった。


しかし、そこに漂う空気は奇妙だった。


店主たちは動いている。

商品の並びもある。

客らしきものも、まばらに歩いている。


だが——


「……同じだ」


溝口は気づいた。


一人の男が、壊れたランタンを両手で磨いている。

その動きはぎこちなく、だが滑らかで——

まったく同じ動作が繰り返されている。


磨く → 息を吹きかける → 見つめる → 落胆する


磨く → 息を吹きかける → 見つめる → 落胆する


永遠に。


子どももいた。

転び、泣き、立ち上がり、また転ぶ。

それもまた止まらない。

まるで、記憶の断片が再生され続けているかのように。


「……これ、さっきも見た気がする」


溝口が呟くと、凛はわずかに目を伏せた。


「記憶のループ……ここも誰かの“残骸”だね」


凛は淡々と言うが、声の奥には微かな寂しさがあった。


サラは人々をよく見つめながら、静かに息を吸う。


「この人たちは——生きてはいない。

 でも、死んでもいない」


「記憶に縫いとめられている、ってことか」


「そうだね」


凛の声は、どこか疲れを滲ませ、しかし揺らがなかった。


屋台のひとつから、店主のような影がこちらを向いた。

だがその目は、焦点が合っていない。

それでも、口は自然な調子で動く。


「いらっしゃい……旅の……かた……

 ……今日も、いい……天気、で……」


言葉が途中で途切れ、そのまま同じ言葉が繰り返される。


いらっしゃい。


旅のかた。


今日も、いい天気で。


いらっしゃい。


旅のかた。


今日も——


「止まってるんじゃない」


溝口は喉の奥が乾くのを感じた。


「巻き戻ってるんだ」


その時。


道を進む三人の足取りに合わせて、

背後の市(いち)の景色が 音もなく、そっくりそのまま二人の前方に現れた。


「……戻ってる」


凛が低く答える。


「私たちが“記憶の中に入っている”」


溝口は息をのむ。

視界の端で、転ぶ子どもがまた、同じように泣き声を上げる。


だが——


今度は一瞬、泣き声が止まり、


子どもの顔がこちらを向いた。


そして。


笑った。


その笑顔は人間の皮をかぶった「何か」のようにひどく、

異様に、深い。


「……見られた」


凛が刀にそっと手をかける。

サラも弦を握る。


空気が、凍りついた。



第74章 ほつれ目



最初に崩れたのは“顔”だった。


人の形をしているはずのものが、目鼻口の位置だけを残して、

輪郭を自壊させながらこちらへ向かってくる。

骨と皮の間にある“何か”が裏返り、

皮膚の内側に、別の皮膚が生まれるように増殖して、

揺れながら歩く。いや、繰り返しながら 迫ってくる。


サラが剣を半身で構える。

黒い弦は、指先に軽くかかった状態。


凛は縛鎖刀の柄へ触れ、鎖の一節が衣の下で小さく鳴った。


溝口は背面を一瞥、逃げる線があるかを確認してから、二人の肩越しに前を見る。


「……来るぞ」


言葉と同時に、音が消えた。


あらゆる足音が、空間に吸い込まれていく。

代わりに聴こえたのは、自分たちの心臓の音――

そして、崩れた“人だったもの”の、再生音 だった。


ぶつり、ぶつり、ぶつり。


断ち切られたはずの形が、瞬きのたびに元の“人”に戻り、

また崩れ、歩き直し、こちらへ重ねて接近する。

ループが、敵の呼吸になっている。


「下がりながら、右へ抜ける!」


サラが言い、すぐ最初の個体へ刃を入れた。

金属音は鳴らない。

感触は――湿った布を裂くのに近い。

裂けた。だが、次の瞬間には 戻る。


サラはすぐ理解する。


(形は斬れても、“行為”が戻る)


ならば、と弦を弾いた。

低く沈む一音。

通路の影が膨張し波打ち、崩れ人の“膝”の位置だけを重くする。

膝が折れ、動きが鈍り――でも、ループでまた歩き直す。


「効くけど、足りない!」


サラが舌打ちした。


凛は正面から踏み込み、縛鎖刀を斜めに引く。

切先は、形ではなく“動きの軌道”を斬る。

崩れ人の肩から腰にかけて、黒い線が走り、

次の瞬間、線が ひび に変わる。

そこだけ再生が一瞬遅れ――


「いま!」


サラが弦を重ね、ひび割れを“音”で押し拡げる。

崩れ人が崩れ直し、動線に隙間が生まれた。


三人は抜ける。


走る。


右へ。


通路の角を曲がる。


だが、角を曲がっても、同じ屋台の列 が待っていた。


壊れたランタンを磨く男。

転んで泣いて、笑って、また転ぶ子ども。

そして、崩れ人が 前方にも 立っている。


「ループに飲まれてる……」


溝口の声が低く落ちた。


「記録を、溝口さん」


凛は呼び捨てにも敬語にもならない声音で言う。


「繰り返しの“ずれ”を見て。どこか違う点があるはず」


溝口は息を荒げたまま、視界を走査する。


右から迫る崩れ人、左の屋台の紐、床の割れ目、灯りの揺らぎ――


(同じだ。同じだ。同じ……いや)


「灯りの影!」


思わず叫ぶ。


「屋台の布の影……毎回、半歩だけ短い」


サラが瞬時に反応した。


「影が、記憶の貼り直しに 間に合ってない!」


凛が踏む。


鎖が走る。


札が一枚、指から滑って宙に消え――


《影縫》


床の影が針の束のように立ち上がり、崩れ人の足首を貫いた。

肉ではなく、“足を運ぶという動作そのもの”を止める。


「溝口さん、あの屋台の影、倒して!」


「倒すってどうやって――」


「ぶつかれば倒れる!」


言い終えるより早く、溝口は肩から体当たりした。


ガラリ、と布の支柱が折れ、

吊るされたランタンが床を転がる――

影が伸び、位置がズレる。

ループの縫い目が、わずかにほつれた。


サラが弦を二度、三度、低く引き、

裂け目へ向かって 響きの楔 を打ち込む。

音は聞こえない。

だが空間がビリ、と震え、

膨張していた“同じ場面”が一歩だけ遠のいた。


そこへ凛の縛鎖刀が入る。

刃は空間の“連結”を狙い、

輪になっている行為の継ぎ目 を斬る。

キン――と、金属ではない“何か”の高い悲鳴。

目に見えない 綴じ糸 が弾けた感触。


「まだ足りない!」


サラが叫ぶ。


前後左右、崩れ人は増えている。

斬れば戻る、縫えばほどける、塞げば位置を変える。

ループそのものが敵だ。


「上!」


溝口が指差す。


天井――いや、上部の梁の“影”に、一度だけ 揺れが遅れる場所。

そこは、屋台の会話がループするたび、影の端が 半拍遅れる。


凛は鎖を上へ投げる。

鎖は梁の影に絡み、影ごと 引き下ろす。

重さはない。だが抵抗がある。


――“意味”の重さ。


凛は下から一閃。

影と梁の 結び目 を裂く。

空間が、きしむ。


サラが弦を強くはじき、黒弦の剣を地へ突き立てた。


「――――ッ」


無音の衝撃波。

床の影が波紋になって走り、崩れ人の膝、肩、首の動線を同時に止める。

止まった“行為”に、凛の刃が連続で印を刻む。

行為の再生点 へ、ひび印 を。


「溝口さん、左の子ども! 笑った瞬間、影が伸びる――その先を跨いで!」


「う、うぁっ――」


溝口は跳ぶ。

影の先端を踏まない。

踏めば、ループの 最初の位置 に戻される。

踏まないことで、連結の詰まりが一箇所に集中した。


凛はそこへ走り込む。

呼吸を整え、刃と鎖の両方を握り直す。


(ここ)


胸の奥で、鈍い鼓動。

鎖が応える。

刃が微かに脈打つ。


「―――ッ!」


凛は “形”ではなく “時間” を斬った。

縛鎖刀の切先が、空間に 透明な亀裂 を走らせる。


ぱきん、と薄氷が割れるような手応え。

見えない輪が、切断される音。


遅れて、世界が倒れ込んでくる。


音が戻った。


屋台の布が現実の重みで崩れ、ランタンが本当に割れ、

崩れ人の“歩き直す足”が 宙を踏み外す。


「いまだ、抜けるぞ!」


サラが凛の肩を押し、

溝口は転がるランタンを蹴散らして道を空ける。


三人は、ひびの走った空間の継ぎ目 を、

裂け目に身をよじるようにしてすり抜けた。


背後で、ループが崩壊する。

同じ台詞が、半分だけ発され、

笑い声が途中で切れ、

転んだ子どもが“立ち上がる前”で像を失う。


暗い通路へ落ちるように飛び込んだ三人は、

しばらく 息の仕方を思い出す ことに時間を使った。


「……げほっ……はぁ……」


溝口が壁に手をつき、肺に空気を押し戻す。


サラは振り返り、裂け目が ゆっくりと閉じていく のを確認する。

戻る気配はない。

こちら側へは もう繋がらない。


「やったのか……?」


溝口の声には、実感よりも疑いが勝っている。


凛は縛鎖刀をわずかに持ち直し、

刃先に残った “時間の粉塵” を振るうように、ひと振りした。

鎖がからん、と小さく鳴る。


「ループに傷を入れた。 もうこっちには戻ってこれない」


サラが頷く。


「見事だ。

 形ではなく、継ぎ目を斬る――それしかなかった」


凛は肩で息をしながらも、眼差しは静かだ。


「溝口さんが“ずれ”を見つけてくれなかったら、あぶなかった」


溝口は額の汗を手の甲で拭い、苦笑を一つ。


「凝視して周りを注視し続けるってのも、なかなか難儀だな」


短い沈黙。


三人の呼吸が、徐々に合ってくる。


通路の先は、暗い。

だが、さっきまでの 偽の灯り はもうない。

あるのは、冷たい本物の闇 と、そこへ続く一本の床だけ。


サラが剣を背にかけ直し、前を向く。


「行こう。

 管理者の施設は、この先のはずだ」


凛は無言で頷き、鎖を手首に巻き付け直す。

溝口は最後に振り返り、崩れ去った“市”の名残りを一度だけ記憶に刻む。


(繰り返されるものは、必ず弱点を持つ。

 見て、覚えて、継ぎ目を探す――)


灯りはない。

足音だけが、暗い床に淡く落ちる。


三人は、傷ついたループの向こう側 を、なお歩く。



第75章 鎮響



長く続く一本の道を抜けると、空気が変わった。


湿り気のある冷たい風が、肌をなでる。

闇は闇のままだが、どこか “均されている”。

地下の雑多な匂いや、記憶の残り香のようなものが、ほとんどない。


凛が足を止め、前方をじっと見つめる。

サラも自然と同じ方向に視線を合わせた。


そこには――広大な空間が広がっていた。


天井は高い。地上でいえば大型ドーム競技場ほど。

中心には、黒い塔のような構造物が数本、無言でそびえ立っている。

塔と塔を結ぶように、細い廊下 が空中を渡り、

それらをさらに取り囲むように、環状の歩廊が重層を描いていた。

まるで、

“耳”の内部構造 のようだった。


溝口は息を呑む。


「……なんだ、ここは。」


サラが、小さく、聞き取れるかぎりの声で答えた。


「監聴層(かんちょうそう)

 ここから、音で記憶と行動が監視される」


溝口が眉をわずかに寄せる。


「……つまり、目ではなく、聞かれている ということだな」


「そう」


凛は喉の奥で息を細くする。


「話せば届く。 息を荒げても届く。

 足音も、衣擦れも――全部、聞かれてる」


溝口は、思わず深呼吸を止めた。

肺が痛むほど呼吸を浅くする。


が――サラが、そっと手で制した。


「落ち着け。

 “聞かれている” からといって、

 すぐに気づかれるわけではない。

 監視には“意図”が要る。

 向こうが探さなければ、声は音の海の中で紛れる」


凛は小さく頷いた。


縛鎖刀が、布の下でかすかに音もなく脈打つ。


「……少し、離れて様子を見よう」


三人は壁沿いを伝い、

黒い塔群が見下ろせる 断崖近くの岩影に身を潜めた。


ここからなら、施設の全体が視界に入る。

だが、距離は十分。

音も、ここまで直接は届かない。


サラは瞳を細め、塔を一つひとつ追う。

その視線は、戦士というより――追跡者 のものだった。


「塔の本数、十三。

 廊下は八方向。

 中心は――空洞か? いや、降下路(こうかろ)。

 “下に続いている”」


凛は記憶の奥底で、なにか硬いものが触れた気がした。

しかし、それはすぐに霧散する。


「管理者は……どこに?」


溝口の問いに、凛ははっきりとは答えない。

ただ、黒い塔の根元を焦点が合わない目で見つめていた。


「下。

 もっと、ずっと下」


サラが振り返る。


「なら、塔を正面から突破する必要はないな」


凛も頷いた。


「うん。

 目を欺くより、耳を欺く。

 音の流れを乱せば、監視は鈍る」


溝口は眉をひそめる。


「音を、乱す? どうやって――」


サラがわずかに微笑した。


凛は、一枚の札を指先に挟んでいた。


その札はいつも見せる攻撃用のそれではなく――

祈りを封じる札。


「“鎮響(ちんきょう)”」


凛が札の名を呟く。


「音を、沈める札。

 息の音も、衣擦れも、心臓の音さえも――薄くする」


溝口は息を呑んだ。


その説明は、まるで――本当に影の世界の術 だった。


凛は札を軽く掲げ、

三人の間に、ゆっくりと、そっと振り下ろす。


ひたり。


空気が、柔らかく沈んだ。

風の音が聞こえなくなる。

衣の擦れる気配が消える。

自分の呼吸でさえ、

“思い出せなければ聞こえないもの” になっていく。


溝口は思わず自分の胸元に手を当てた。


本当に――


自分の鼓動が、聞こえない。


「……これなら、塔の内部に入れる」


凛は静かに前を向く。


サラが確認するように言う。


「いいか。

 一歩でもつまずけば、音が戻る。

 音が戻れば、見つかる。

 見つかれば――」


凛とサラは同時に言った。


「戦いになる」


溝口はゆっくりと頷き、

自分の足元を見た。


影が、三人をひとつに重ねるように長く伸びている。

潜る者の影。


「……行こう」


凛が一歩、

サラが一歩、

溝口が一歩。


ほとんど 世界に触れない音 で、

三人は 監聴層 へと進み始めた。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

楽しんで頂けたら幸いです。

いいね、ブクマ、コメント等も是非よろしくお願いします!




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