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問い詰め

第205章:問い詰め


溝口は一度息を整え、紅茶の缶をテーブルに置いた。

「……それと、君についても聞きたいことが山ほどある」

声には、刑事としての鋭さと、人としての戸惑いが入り混じっていた。


視線をまっすぐに凜へ向ける。

「まず……そうだな。さっきの坂口の件だ。あれはいったい、どうやった?」


坂口の銃がはじけ飛び、意識を失った光景。

斬撃の音は響いたのに、血は一滴も出なかった。

その異様な瞬間が、溝口の脳裏にこびりついて離れない。


凜は缶を片手にくるくると回しながら、何でもないことのように微笑んだ。

その表情には隠す様子も、答える義務感もない。

ただ「愉快な秘密」を握っている者の余裕があった。


やや間を置き、首をかしげる。

「んー……刑事さん、それ聞きたいですか?」


まるで子供が遊びを引き延ばすかのような声音だった。


「当然だ。俺には理解できないことだらけだ。何を使った?どういう原理なんだ?」

言葉が強くなる。

だが凜は、その苛立ちすらも楽しむようにニヤリと笑った。


凜はくるくると缶を回していた手を止め、視線を溝口に向けた。

その瞳には、からかうような色と、どこか底知れぬ暗さが同居していた。


「別に大したことはしてませんよ。——ただ、影を裂いただけです」


その言葉は説明になっているようで、まるでなっていなかった。

影を裂く——比喩か、術か、あるいは凜にしか見えていない“何か”か。


彼の刑事としての直感は、今目の前の少女が人の理から外れた場所に足を踏み入れていると告げていた。


「……影を裂く、だと?」

繰り返した言葉が、エントランスの薄明かりに溶ける。

理解できないのは当然のはずなのに、その響きが妙に現実的で、否応なく真実味を帯びていた。


凜は紅茶を軽く一口含み、肩をすくめる。

「ふふ、信じなくてもいいですよ。刑事さんは今は“普通の世界”にいるんですから」


第206章:見えざる刃


「前にも刑事さんに憑いてた影を斬ったんですよ、…この刀でね」


凜は何も持っていないはずの右手を、スッと宙に構えた。

その動作は、確かに“何か”を手にしている者のそれだった。

指先の形、手首の角度、呼吸に合わせた微かな揺れ——まるで目には見えない刀を撫でるように。


その場に漂う空気が一瞬だけ張り詰め、溝口は思わず息を止めた。


何もないはずの空間に、わずかな圧が走った。

視覚では捉えられないのに、確かに「刃の存在」を感じる。

畳を踏むような低い振動が、溝口の足元から背筋へと這い上がってくる。


「俺には見えない……だが、ある……のか」

思わず口に出すと、凜は愉快そうに目を細めた。


「ん?なにか黒い霧のような………幻覚か? いや……違うな」

刑事として培った直感が、これはただの演技や錯覚ではないと告げていた。

だが説明はできない。

論理も証拠も通用しない、理の外の現象。


凜はそんな溝口の困惑を楽しむように、肩を小さくすくめて言った。

「だから言ったでしょう。影を裂いたんですよ。刑事さんには見えなくても、確かにあるんです」


その声は囁きのように柔らかく、しかし鋭い刃の切っ先のように心を抉った。


第207章:斬るということ


「……じゃあ、坂口はどういう状態なんだ?

影を斬られたって、つまり……何がどうなってる?」


問いながらも、声には動揺が滲んでいた。

坂口は確かに倒れた。

しかし血は流れず、傷跡も見当たらなかった。

あの異様な光景を、刑事として合理的に説明することはできない。


凜は顎に手をあて、小さく「うーん」と唸った。

しばらく考えるふりをした後、肩を竦めて答える。


「そうですね……簡単な解釈で言えば——記憶を斬ったんです。

そんな感じ、ですかね」


わざと曖昧に表現しながら、楽しむように目を細める。


「記憶を……斬る?」

溝口は呟き、眉をひそめた。


「はい。だから、彼はしばらく“何も覚えていない状態”で倒れているんです。

体は生きていても、心の一部を切り落とされてる……そんなところでしょうか」


凜はわざと軽やかに、あたかも誰かの体調について話すかのような調子で告げる。

その一方で、その声音には冷たさと残酷さがにじんでいた。


「記憶を……斬る……」

その言葉はあまりに非現実的で、だが凜が見せた“目に見えない刀”の存在を思い出すと、冗談では済まされなかった。


現実の法や理屈では測れない力が、確かに目の前の少女には宿っている。

それを認めざるを得ない自分に、溝口は強い恐怖を覚えた。


第208章:変わってしまった口調


紅茶の缶を置いたまま、溝口は少し言葉を選ぶように口をつぐんだ。

そして、言いづらそうに視線を凜へ向ける。


「……その、君の友人にも話を聞いたんだが」

凜は首をかしげて、続きを待つ。


「性格が少し違うくらいだと言っていた。だが——俺が最初に君と会ってからも……その、なんだ……」

言葉を探しながら、重く続ける。

「あまりに口調も、変わったように感じているんだ」


凜はわずかに目を細め、肩を揺らす。

それは笑っているのか、ただ体を緩めただけなのか、判別しづらい。

だが、その仕草は答えをはぐらかすようでもあり、逆に肯定しているようにも見えた。


「……刑事さんはよく見てますね」

軽く、紅茶の缶を持ち上げて唇にあてがい、ニヤリと笑みを浮かべる。


確信を求めるはずの問いが、逆に自分を追い詰める。

目の前にいる少女は本当に“秋月凜”なのか、それとも……。

その答えを口にするのが怖くて、溝口は言葉を継げなかった。


第209章:塗り替えられる輪郭


溝口の視線を受け止めながら、凜はソファの背に肩を預け、缶を片手でくるくると回した。

「変わったんじゃなくて——戻っただけ、かもしれませんよ?」

吐息まじりにそう言って、いたずらっぽく片目を細める。遊んでいるのか、本気なのか、境目が見えない。


「戻った?」

溝口が低く反芻すると、凜は「うーん」と首を傾げ、言葉を選ぶふりをした。


「刑事さんが言っていた“記憶の空白”、あれをね、ちょっと——埋め直した、って感じですかね」

「埋め直す?」

「はい。この刀で」

凜は、また“何も持っていない”はずの右手をすっと持ち上げ、柄を撫でる仕草をする。空気が一瞬だけきしみ、見えない刃の存在が、影の密度となって際立った。


「これは“縛鎖刀”っていうんですど、記憶がね、膨大に封じ込められちゃってるんです」

凜の声はひどく軽い。だが言葉の背後に、深い井戸のような冷たさが覗いた。

「その中でも、とてつもなく“意思”が強いって言えばいいのかな——そういう人の記憶が、少しだけ私の空白に、塗り重ねられたのかもしれません」


ふざけた仕草、にじむ本音


言いながら凜は、わざとらしく肩をすくめてみせる。

「自分でも、ちょっと驚いてるんですけどね。ほら、色違いの絵の具を、乾く前のキャンバスに垂らしちゃった、みたいな。混ざるのか、混ざらないのか、塗りが勝つのか、下描きが浮いてくるのか——そんな感じ」


「誰の……記憶だ」

溝口が一歩踏み込む。凜は視線を斜め上に泳がせ、数秒だけ沈黙した。

「トモエ……そんな名を、名乗っていたような……」

舌先で確かめるように、その音を置く。

次の瞬間、彼女は自分でその言葉を茶化すように、唇の端を跳ね上げた。

「まぁ、でも“二重人格”とかじゃないですよ! 安心してくださいね、刑事さん。

 私は私です。——たぶん」


最後の一語に、薄い笑いが混じる。冗談めいているのに、笑いの底が冷たい。

溝口は紅茶の缶を握り直し、指先に汗がにじむのを自覚した。


「塗り替えられたのは、口調だけじゃない」

彼は自分の声が乾いているのを感じた。

「歩き方も、目の置き方も、呼吸の間合いも……さっき路地で見た斬り口——血の出ない傷なんて、常識の手の届くところにない」


凜は「ふふ」と喉で笑う。

「常識は、便利ですけどね。ときどき息苦しい。だから、少しだけ窓を開けたんです。影に風を通すみたいに」

言葉は比喩の衣をまとい、核心をすり抜ける。

だがすり抜けた後に残る空気は確かに重く、溝口の胸に沈んでいく。


「じゃあ、君は——誰だ」

気づけば問いは、ただ一つに収斂していた。

凜はわずかに首を横に振り、肩の力をほどく。

「秋月凜、ですよ。ほら、名を持ってるうちに、名乗っておかないと」

軽口。だがほんの刹那、瞳の奥で別の影が瞬いた。名を告げるたびに、彼女は自分を確かめ直しているようでもあった。


沈黙がやってくる。

外では風鈴がかすかに鳴り、廊下の先で板が乾いた音を立てて縮む。

些細な物音が、世界の輪郭を辛うじて支えている。


「つまり——君の中で、“誰かの意思”が、君の言葉を塗り替えた?」

「“借りてる”って言ったほうが、かわいいでしょ?」

凜は小指を立てておどけて見せる。

「でも、私の芯は、私です。トモエの記憶は、道具みたいなもの。縛鎖刀の鎖と一緒。巻きつくけど、歩くのはこの足。見るのはこの目。決めるのは——この頭」


その言い回しは奇妙に詩的で、だからこそ具体から遠い。

溝口は、掴みかけるたび粉になって指の間から零れ落ちる砂を、何度も掬い直している気分だった。


「……答えになってない」

思わず漏らすと、凜は素直に頷いた。

「はい。だって、答えは出せませんから」

「なぜ」

「私にも、全部はわからない。わからないことは、わからないまま抱えたほうが、たどり着ける場所があるんです。ね、刑事さん——“扉”も、そうだったでしょう?」


紅茶の缶が、テーブルの上で小さく鳴る。

溝口は眼を伏せ、呼吸を整えた。

疑問はふくらむばかりだ。

“縛鎖刀”に封じられた記憶、“トモエ”という名前、血の出ない斬撃、影を裂くという術。

彼の理は、音もなく静かにきしんできている。


凜は立ち上がり、薄い笑みを残した。

「続きは——また今度。影が濃くなる前に、今日は休みましょう」

そう言って振り返る横顔は、確かに“凜”で、しかしどこか“凜ではない何か”の輪郭が、淡い光の縁に重なっていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

楽しんで頂けたら幸いです。

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