6.黒幕は味方
「あ、その、何を言いたいかと言いますと、ミイは私が育てるのが一番良いのだろうと判断しました。しかし、以前ヘンドリクス様がおっしゃったように、夫婦でないものが同居しているのは些か問題があるだろうと、それは良く理解しておりまして」
ミイを膝のうえで撫でながらミュリアは考えていたことを言葉にしているが、なんとなく暗記してきた文章を口にしているようで、いまひとつ感情が言葉に乗っていなかった。
いつものミュリアとは様子が違う。
それはこの部屋にいる誰もが感じたことだった。
何かあったのか、とヘンドリクスはミュリアを見つめ観察したが、とりあえずミュリアの言いたいことは全て吐き出させようと耳を傾けることにした。
そんな緊張感漂う執務室内だが、ミュリアは別の意味で緊張しているためそんなことには気づかない。
『ええと』と暗記した文章を捻り出すように、時々唸りながら言葉を口から出していく。
「ええと、あ、そうだった。オベル伯爵領でケリオン様のお子様の家庭教師をしても良いな、とは思いましたが、そうなると契約結婚だったことを伯爵家の皆様にお話することになるのかな、と思いまして、えーと、それは選択してはいけないことだと思いまして……思いましたので、小さな家を買ってそこに住むのが良いだろうと判断しました」
ところどころ言い直すのは、きっと暗記した文章ではなかったからだろう。
少し前に気がついたが、この部屋の中でメイド長だけが落ち着いている。ミュリアが何を言うのか最初から分かっているようなメイド長の姿に、きっとその文章を考えたのは、ミュリアの後ろに控えているメイド長だ、とヘンドリクスは思った。
ならばこの話は、ヘンドリクスに悪い結果にはならないはずだ。メイド長はヘンドリクスが生まれる前からオベル伯爵家に仕えていて、ヘンドリクスにも臆することなく注意を与える人間だ。
もしヘンドリクスにとって望まないことになるなら、その前に苦言を呈されていてもおかしくない。
ミュリアがメイド長に何かを相談し、その答えを今のミュリアはなぞっているのだろう。
しかし、その相談内容の答えがこの家を出なくてはいけないことなのが疑問だ。
ヘンドリクスはあらゆる方向から別居を提案する相談内容を考えたが、そもそもヘンドリクスの中に別居など想定にないので分からない。
それなのに目の前のミュリアは、これでどうだと言わんばかりに満足げだ。
「聞きたいことが色々あるが、質問は受け付けてもらえるだろうね」
「はい!もちろんです!」
ミュリアはきっと、想定問答集も頭に叩き込んでいるのであろう。ヘンドリクスには、『どんとこい』というミュリアの声が聞こえた気がした。
どんなことを想定して、どんな返事を用意したのか分からないが、分からないからこそヘンドリクスは直球でいくことにした。
「ミュリアは、この結婚に不満はあったのか?」
「え? 結婚に? ミイの話ではなく?」
「そう。ミュリアが、この結婚に対して、どう思っていたか、それを尋ねている」
ヘンドリクスにはド真ん中の質問だが、ミュリアは想定外だったらしく、視線が落ち着かない。
「ええと? ミイの生活環境ではなく?」
「ミュリアの気持ちだ」
「ええーと」
ミュリアの顔には、『なんて答えたら正解かしら』という困惑がしっかりと出ている。
背後のメイド長に正解を聞きたくても、この部屋に来る前にメイド長から、『奥様がご自分でお考えになったふりをしてください』とでも言われているのだろう。振り向きそうになるのを堪えているのが面白い。
そんなミュリアと反対に、メイド長は、『そう、それ』とでも言うように一度大きく頷いた。
領地経営の書類には、当然こんなことを書く欄はない。
いつもの書類をさばく時とは違い、オロオロしているミュリアが可愛らしく、ヘンドリクスの心がほんわかしてくる。
しかも、ヘンドリクスの質問は、どうやらメイド長にとっては合格だったらしい。
力強い味方を得たようで、ヘンドリクスは気持ちに余裕が出てきた。
しかしこのままだと合格のボーダーラインから落ちてしまう、と考えたヘンドリクスは、さらに勇気を持って一歩踏み込むことにした。
「私は、ミュリアとこのまま本当の夫婦になりたいと思っているが、ミュリアはそう言われたらどうする?」
離縁を撤回してもらうためにミイを保護することにし、それにより少なからずミュリアとの距離は近くなったと思っているが、それでもまだまだ足りないことをヘンドリクスは理解していた。
それでも距離が縮まったならこのまま少しずつ、と思っていた矢先別居宣言をされてしまったのだ。
これではいけない。ミュリアに逃げられないように囲い込まなければ、とヘンドリクスはここに来てやっと押していく決意をし、まずは口にしやすい言葉から伝えることにした。
チラリと見たメイド長は、ほんの少し顔をしかめる。どうやらこれでは言葉が足りないようだ。
もう少し気持ちに関して踏み込んだ発言をするべきか、と即座に言葉を追加しようとミュリアに視線を移す。
すると、今度はメイド長の表情とは逆に、好感触な反応を見せるミュリアが見えた。
これはどう捉えたら正解か。
ヘンドリクスは迷った。
なぜなら、目の前にいる二人の表情があまりにも違うからだ。
もっと言葉を尽くせ、と目で訴えるメイド長と、頬だけではなく首元まで赤く染め上げるミュリア。
ヘンドリクスは非常に迷った。
社交の場に出ると、見た目に吸い寄せられるように貴族の令嬢や夫人が近寄ってきたが、元婚約者の一件以降、恋愛などしたことがない。
恋の駆け引きなんてものは、騎士団内で話題にのぼっているのを聞くだけで、自分には無縁だと引いていた。
それが今、仇となって直面している。
他の騎士たちのように軽い気持ちで遊んでおくべきだったか、いやそれはミュリアが嫌いなタイプではなかろうか、などと考えても今更だ。
とにかく、今はメイド長の視線を受け流し、ミュリアだけに誠心誠意向き合おう、とヘンドリクスは決めた。しかし、多少はメイド長の合格ラインに到達した物言いをしたほうが、ミュリアに伝わりやすいはずだ。
冷静に目標を定めると、ヘンドリクスは使える武器は全て利用するべく、すっくと立ち上がると足早に移動し、ミュリアのすぐ隣に座った。
これでメイド長の目を気にせずミュリアだけに向き合える。
ヘンドリクスがミュリアを見ると、ミュリアは腰を浮かせ、ヘンドリクスから遠くに座る位置を移動させている。
少しずつ、少しずつ……だがそれに気がついたヘンドリクスも少しずつミュリアの近くに移動する。
結局肘掛け部分まで追い詰められ、ミュリアは自分が悪手を打ったことに俯く。
お互い恋愛初心者だ。しかし二十七歳にもなって、そんなことを声高に言うつもりはない。
別居の提案を取り消してもらうには、自分がミュリアに向ける気持ちが良い意味で下心ありだ、と理解してもらうのが早い。
ミュリアが冷静さを失っている今、押しまくるのが良いだろうとヘンドリクスはミュリアの頬に手をあて、顔が自分に向くよう優しく動かした。
「ミュリア、私はあなたを手放すのは嫌だと思っている。それはなぜか分かるか?」
「えっ、ええと?」
「三年前、あなたとの出会いは偶然だった。しかし私は、あの時あなたが道を間違えてくれたことに感謝している。あの時、ミュリアにオベル伯爵家での書類仕事を提案したね、あの時の自分の直感にも喝采をおくるよ。いや、そんな遠回りな言葉ではダメだな。きっと私はあの時、ミュリアに一目惚れしていたのだろう。だから仕事を与えると言ってオベル家に囲い込んだんだ」
「えっ? 一目惚れ? 囲い?」
「そう。三年あればミュリアが私を好きになるだろう、なんて思い上がっていたんだ。三年もあったのに、私はあなたに自分の気持ちを一度も伝えなかった。その結果がこれだ」
「うっそ……でしょ」
「ミュリアに嘘だと思わせるほど、何も伝えてこなかったのだ、今更だとミュリアが呆れても仕方がない」
ヘンドリクスがミュリアを見つめ、切なそうに声をしぼり出すと、ミュリアは大きく目を見開き、少しだけのけ反る。
それによりヘンドリクスの手のひらはミュリアの頬から離れたが、その手のひらはミュリアの後頭部に回った。
逃げることでさらに距離を縮められたミュリアは、とうとう後ろにいるメイド長に助けを求めようとしたのか、振り返るため首を動かそうと試みた。
「しばらく二人で話したいから、皆下がってくれないか」
「はい。失礼いたします」
ヘンドリクスがいち早く執務室内にいる使用人達を下がらせることで、ミュリアの望みの綱であるメイド長もあっさり部屋から出ていく。
「ミュリア」
「はっ、あい」
視線の先で、部屋にいた使用人達が退出してしまったのを確認したミュリアは、ひどく動揺したままヘンドリクスと向き合うことになった。
この状態を逃すまいと、ヘンドリクスはさらに追い打ちをかける。
ヘンドリクスは、室内は二人だけだ、多少恥ずかしい言葉を口にしても気にならない、と思うことにした。
恥ずかしいのは二人きりでも恥ずかしい。
しかしそれを自覚すると何も言葉にできない。だから早めに決着を迎えるよう、ただ自分の思いを伝えることだけを念頭にミュリアを見つめた。
「ミュリア」
「は……はい」
「ミュリアがオベル家に来てくれてから、私は毎日が楽しかった。庭でミュリアを探す声が聞こえると、今日は何処にいるのだろうか、と窓から庭を見下ろすなんてこともしていた」
「え? 恥ずかし」
「書類仕事は完璧、だけど仕事以外は隙が多いところも、かわいく思っていた」
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