第5話 真実の愛は証拠になりません
ミリア・フォン・エーレンフェルトは、泣くのが上手だった。
そう言うと意地悪に聞こえるかもしれないが、世には確かに、涙の扱いを心得ている者がいる。
声を荒らげず、まつ毛を伏せ、言葉を最後まで言い切らない。
すると周囲の者は、勝手に足りない部分を補ってくれる。
かわいそうに。
健気だ。
あの冷たい公爵令嬢に比べて、なんと柔らかな心だろう。
ミリアは、自分がそう見られていることを知っていた。
だが、それを悪事とは思っていない。
彼女にとって、弱く見えることは身を守る術であった。
男爵家の娘が王宮で生きるには、美貌だけでは足りない。
強すぎれば嫌われる。賢すぎれば警戒される。無知すぎれば嘲られる。
だから、少し震える。
少し泣く。
少し相手に委ねる。
そうすれば、誰かが手を差し伸べてくれる。
王太子アルベルトも、そうして彼女へ手を伸ばした一人だった。
その日、王宮の小庭園には、薄曇りの光が落ちていた。
ミリアは白い外套を羽織り、王太子府付きの侍女に付き添われて立っていた。
小庭園は私的な会話に用いられる場所で、王宮の中では比較的人目が少ない。
もっとも、宮廷に完全な密室などない。
植え込みの向こうに耳があり、噴水の水音の中に噂が混じる。
オーレリアは、定刻より少し遅れて現れた。
濃い灰紫のドレスを着ていた。
喪服ではない。
だが、華やかさを拒む色だった。
ミリアはそれを見て、無意識に自分の白い外套を握った。
オーレリアは礼をした。
「お待たせしました、エーレンフェルト嬢」
「いいえ。わたくしも、今来たところです」
「そう。では、二人とも時間に嘘をついたということで公平ね」
ミリアは言葉に詰まった。
オーレリアは、庭園の石椅子を示す。
「お座りなさい。立ったまま泣かれると、倒れた時に面倒です」
「泣くつもりはありません」
「それはよかった。王宮の噴水は足りています」
ミリアは頬を赤くした。
二人は向かい合って座った。
少し離れたところに、それぞれの侍女が控える。
オーレリアの侍女は無表情で、ミリア付きの侍女は不安げだった。
先に口を開いたのはミリアだった。
「オーレリア様。わたくしは、あなたを傷つけたいわけではありませんでした」
「結果的に傷つけた者は、たいていそう言います」
「本当です」
「本当という言葉は、最近ずいぶん安くなりましたね。殿下がまとめ買いでもなさったのかしら」
ミリアは唇を噛んだ。
「殿下は、苦しんでおられました」
「何に?」
「あなたとの婚約に」
「王太子妃教育を受けさせられたのは私ですが、苦しんだのは殿下。便利な構図ね」
「そういう言い方をなさるから、殿下は」
「私を嫌った」
オーレリアが引き取った。
「はい、その情報は昨夜、大広間で無料配布されました」
ミリアの目に涙が浮かんだ。
「わたくしは、ただ……殿下に笑ってほしかったのです」
「笑顔のために婚約を壊す。ずいぶん高価な娯楽ですね」
「愛し合っていない婚約なら、終わらせるべきではありませんか」
「終わらせることはできます」
オーレリアは即座に言った。
「手続きを踏み、条件を整え、双方の名誉と財産関係を整理し、有責の所在を確認してからなら」
「そんな……愛に、そんなものが必要なのですか」
「必要です。あなた方が壊したものは、詩ではなく契約ですから」
「でも、殿下は王太子です」
「それで?」
「王太子殿下が、ご自分の結婚相手を選ぶのは」
「自由だと?」
オーレリアは首を傾けた。
「自由には対価があります。あなた方はそれを支払う側です」
ミリアは黙った。
噴水の水音が、かすかに聞こえる。
白い石の上を流れる水は、晴れていれば光を返す。
今日は曇っているので、ただ冷たく落ちていた。
「わたくし、お金の話をしているのではありません」
「私はしています」
「愛を、お金で測るのですか」
「違います。責任を測るのです」
オーレリアは静かに言った。
「エーレンフェルト嬢。あなたが殿下を愛しているかどうかに、私は関心がありません。殿下があなたを愛しているかどうかにも、さほど関心はありません。問題は、婚約期間中に殿下があなたへ贈り物をし、私を公衆の面前で侮辱し、王家とクラウゼンベルク家の誓約を一方的に破ったことです」
「わたくしは、殿下に贈り物を求めたわけでは」
「受け取ったのでしょう」
「殿下のお気持ちを拒むなんて」
「受け取ったのでしょう」
同じ問いだった。
ミリアは、今度は答えられなかった。
オーレリアは、彼女の顔を見た。
若い。
美しい。
そして、無知である。
無知は罪ではない。
だが、無知のまま他人の人生に火を放てば、罪になる。
「あなたは、自分が何に加担しているか知らなかったのかもしれません」
ミリアは顔を上げた。
「では」
「知らなかったことは、あなたの罪を少し軽くします」
オーレリアは続けた。
「ただし、結果を消すほどではありません」
ミリアの瞳が揺れた。
「わたくしは、悪いことをしたのでしょうか」
「それを私に尋ねるのですか?」
「でも」
「あなたは殿下を愛しているのでしょう。ならば、殿下が何を壊したのか、愛した相手として見届けなさい。泣いて目を閉じるだけなら、恋ではなく昼寝です」
ミリアは小さく息を呑んだ。
そのとき、小庭園の入口に人影が現れた。
ヨハンだった。
彼は礼儀正しく立ち止まり、少し距離を置いて頭を下げた。
「お話中、失礼いたします」
「失礼だとわかって入ってくる方は珍しいですね」
オーレリアが言うと、ヨハンは微笑んだ。
「ミリア嬢をお迎えに参りました。殿下がお待ちです」
ミリアは立ち上がろうとした。だがその前に、オーレリアが言った。
「エーレンフェルト嬢」
ミリアが振り返る。
「次に人前で涙を見せる時は、誰のための涙か考えなさい。あなた自身のためか、殿下のためか、それともライヒェナウ卿のためか」
「ヨハン様の?」
ミリアは本当にわからない顔をした。
ヨハンの笑みが、わずかに固くなる。
オーレリアは扇を開いた。
「涙も、使い方によっては証言になります。もっとも、証拠能力は低いですが」
ミリアは何も言えず、ヨハンの方へ歩いていった。
彼女の背は小さかった。だが、その小ささが誰かを傷つけない理由にはならない。
ヨハンはミリアを下がらせると、オーレリアへ向き直った。
「ずいぶん厳しいお言葉です」
「優しく言えば理解する方でしたか」
「彼女は若い」
「私も、老女ではありません」
「あなたは強い」
「またそれですか。宮廷では、都合の悪い女を強いと呼べば、傷つけてよいことになるのですね」
ヨハンは一瞬、返答を失った。
その一瞬で十分だった。
オーレリアは立ち上がる。
「ライヒェナウ卿。あなたが何をなさろうとしているか、だいたいわかります。ミリア嬢を純愛の被害者にし、私を冷酷な公爵令嬢にする。殿下は恋に苦しんだ若者。王太子府は、それを穏便に処理しようとした善良な機関」
「物語としては、整っています」
「ええ。だから嫌いです」
「なぜ?」
「嘘は、きれいに整うほど腐臭が遅れてくる」
ヨハンは、今度は笑わなかった。
「あなたを敵に回すべきではなかった」
「昨夜、殿下に教えて差し上げるべきでしたね」
「教えました」
ヨハンの声は低かった。
「三度、書面で」
オーレリアは、初めて少しだけ興味を示した。
「それはお気の毒に」
「同情していただけますか……」
「まさか。無能な主を選んだのはあなたです」
「選んだわけではない。仕えているのです」
「同じです。署名欄の言い換えに過ぎません」
ヨハンは、わずかに目を伏せた。
「私は王国のために動いています」
「王国と王太子殿下を混同している時点で、治療は長引きそうですね」
ヨハンは顔を上げた。
「あなたは、本当に医者のように人を見る」
「病巣が喋って歩いていれば、誰でもそうなります」
風が吹いた。
庭の薔薇が揺れる。ここにも薔薇があった。王宮は、問題を薔薇で覆いたがる。花弁の下で、どれだけ土が腐っていても。
オーレリアは一礼した。
「では、失礼いたします。次は紙の上でお会いしましょう」
「審問で、という意味ですか」
「いいえ」
彼女は扇を閉じた。
「まずは噂の出所で」
ヨハンの表情が、ほんの一瞬だけ変わった。
オーレリアはそれを見逃さなかった。
その一瞬で、十分だった。




