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第16話 枢密会議

 メレン王国の枢密会議は、翌々日に開かれた。


 会議室は王宮の奥にある。

 窓は高く、外は見えない。

 壁には歴代国王の肖像が掛けられ、中央には長い卓が置かれている。

 ここでは戦争の方針も、税制の改定も、王族の婚姻も、時には人の首の行方も決められてきた。


 その卓に、今日は王太子アルベルトの名が載せられていた。


 議題は、王太子の資質。


 そう書かれている。


 だが実際には、王太子をどこまで切るか、という会議である。


 出席者は、国王、宰相、王宮法務官、軍務卿、司教座代理、有力貴族数名。クラウゼンベルク公も呼ばれていた。オーレリアは当事者として一部審議への出席を許された。王太子アルベルトとヨハンも、それぞれ弁明のために出席している。


 アレクサンデルは正式な出席者ではない。


 だが帝国特使として、隣室で待機している。

 その事実だけで、会議室の空気は十分に重かった。


 宰相が、まず経緯を読み上げた。


 薔薇夜会での婚約破棄。

 合意解消書の提示。

 司教座審問で確認された王家要請の記録。

 王太子妃教育費と婚姻準備費。

 慈善音楽会での王太子発言。

 パルマティア帝国皇帝レオンハルトの親書。


 読み上げが進むにつれ、アルベルトの表情は険しくなっていった。


 しかし、それは反省ではなかった。


 不満である。


 なぜ自分が責められているのか、まだ完全には理解していない顔だった。


 宰相が文書を置いた。


「以上を踏まえ、王太子殿下の外交署名権、王太子府人事権、ならびに王太子府予算執行権の一時停止を議題といたします」


 アルベルトが立ち上がった。


「ふざけるな!」


 国王が顔をしかめる。


「アルベルト」


「私は王太子です。婚約の問題で、なぜそこまで」


 軍務卿が低く言った。


「婚約の問題では済まなくなったからです、殿下」


「誰のせいだと思っている」


 アルベルトの目が、オーレリアに向いた。


「彼女が騒ぎ立てたからだ」


 会議室の空気がさらに冷えた。


 オーレリアは何も言わなかった。


 言う必要がなかった。


 司教座代理が静かに言う。


「王太子殿下。公衆の面前で婚約破棄を宣言されたのは、あなたです」


「だから、それは」


「合意解消書を作成させたのは、王太子府です」


 法務官が続ける。


「王家要請に基づく支出について、公爵家側の請求を不当とする根拠は薄い」


 宰相が重ねる。


「慈善音楽会での発言は、有力家臣家全体に不安を与えました」


 アルベルトは周囲を見回した。


 味方がいない。


 少なくとも、ここにはいない。


 ヨハンが静かに立ち上がった。


「発言をお許しください」


 国王が頷く。


「王太子殿下のご発言には、確かに軽率な点がございました。しかしながら、王太子府としては事態の拡大を避けるため、双方合意による解消を提案し、王家と公爵家双方の名誉を守ろうといたしました」


 オーレリアは、目を伏せた。


 来た。


 ヨハンは、王太子を守るために自分の行動を美化し始めた。だが、この男は美化だけでは済まさない。必ず、責任を別のところへずらす。


「噂についても、王太子府が主導したものではございません。社交界が自発的に反応したものです」


 彼は滑らかに続けた。


「また、ミリア・フォン・エーレンフェルト嬢は、殿下の庇護を受けていたに過ぎず、今回の政治的混乱に関与する意思はありませんでした」


 つまり、王太子の責任を軽くし、ミリアを無知な被害者にし、噂を社交界の自然発生にする。


 美しい火消しである。


 ただし、燃え残りを調べられなければの話だ。


 オーレリアは手を挙げた。


「発言をお許しください」


 国王が、少し疲れた顔で頷いた。


「許す」


 オーレリアは立ち上がった。


「ライヒェナウ卿のご説明を補う資料がございます」


 ヨハンの視線が動いた。


 オーレリアは侍女から数枚の紙を受け取り、卓上へ置いた。


「第一に、王太子府内で作成された合意解消書の草案。こちらには、私が自発的に退いたものとする文言が含まれています」


「それは、双方の名誉を」


「第二に、南区の侯爵夫人の音楽会に先立ち、王太子府の侍従から同夫人の秘書へ送られた寄付者名簿の訂正指示」


 ヨハンの顔が、わずかに固まった。


「第三に、ミリア嬢を慈善音楽会で王太子殿下の隣に配置するよう求めた覚書」


「それは社交上の」


「第四に、私と帝国使節団との接触について、曖昧な噂を流すための文案」


 会議室がざわついた。


 ヨハンの部下の一人が、青ざめた。


 オーレリアは続ける。


「これらの写しは、王太子府下級書記の一人より、クラウゼンベルク家へ提出されました。原本の所在も確認済みです」


 ヨハンは、ゆっくりとオーレリアを見た。


「書記を買収されたのですか」


「いいえ」


「では、なぜ」


「彼は、噂の文案に自分の筆跡が残ることを恐れました。あなたは部下に仕事をさせすぎた」


「それは、正式な証拠とは」


 王宮法務官が紙を取り、確認した。


 顔色が変わる。


「ライヒェナウ卿。この筆跡は、王太子府文書課のものに見えます」


「確認が必要です」


「確認しましょう」


 オーレリアは即座に言った。


「確認は大切です。殿下方が最初からそれをなさっていれば、ここまで紙が増えずに済みました」


 国王が目を閉じた。


 ヨハンは沈黙した。


 沈黙は敗北ではない。

 彼はまだ、何かを考えている。

 だが少なくとも、今この場で自分の潔白を押し通すことはできない。


 アルベルトが叫んだ。


「ヨハン、お前が勝手にやったのか!」


 その声には、驚きと怒りと、そして救いを見つけたような響きがあった。


 オーレリアは、王太子を見た。


 自分の側近を盾にするのに、一瞬もためらわない男。


 ヨハンもそれを聞いた。


 彼の顔に、初めて明確な感情が浮かんだ。


 軽蔑だった。


 だが一瞬で消えた。


「殿下をお守りするために、王太子府として必要な処置を取りました」


 ヨハンは静かに言った。


「必要な処置?」


 オーレリアが問い返す。


「合意解消への偽装、噂の誘導、ミリア嬢の演出、帝国使節団との接触に関する風聞。ずいぶん多機能な忠誠ですこと」


「王家の威信を守るためです」


「王家の威信を守るために、王家の信用を削ったのですか」


 ヨハンは答えない。


「ライヒェナウ卿」


 オーレリアは、彼をまっすぐ見た。


「殿下が愚かであったことと、あなたが有能に隠蔽したことは、別々の罪です」


 会議室に、静かな衝撃が広がった。


 ヨハンは、しばらく黙っていた。


 そして、薄く笑った。


「あなたが王太子妃になっていれば、王国はもう少し長く持ったでしょうに……」


 それは皮肉だった。


 だが、半分は本音だった。


 オーレリアは表情を変えなかった。


 国王が重い声で言った。


「ヨハン・フォン・ライヒェナウ。そなたの職務を、当面停止する」


 ヨハンは頭を下げた。


「承知いたしました」


「王太子府文書課、会計課、侍従課についても調査を行う。王太子アルベルトの外交署名権、予算執行権、人事権を一時停止する」


 アルベルトが叫んだ。


「父上!」


「黙れ」


 国王の声は、初めて王らしかった。


 だが、その王らしさは遅すぎた。


 会議が終わると、ヨハンは廊下でオーレリアに追いついた。


 護衛はいない。だが少し離れたところに、クラウゼンベルク家の侍女が控えている。


「クラウゼンベルク嬢」


「ライヒェナウ卿。職務停止中にお声がけいただくとは、働き者ですね」


「あなたは勝ったつもりですか」


「いいえ。勝利というほど楽しいものではありませんでした」


「そうでしょうね」


 ヨハンは、窓の外を見た。


「王太子殿下は愚かです」


「今さら?」


「ですが、愚かな王太子でも、王太子であれば国は動かせる。動かす者がいれば」


「あなたが?」


「そのつもりでした」


「正直ですね」


「敗者の贅沢です」


 ヨハンは、オーレリアへ視線を戻した。


「あなたは、この国に残るべきでした」


「誰のために?」


「王国のために」


「王国は、私を残す努力をしましたか」


 ヨハンは黙った。


「あなた方は、私に沈黙を求め、署名を求め、噂に耐えることを求めた。王国のためという言葉で、私の名誉を包もうとした」


 オーレリアは静かに言った。


「都合のよい布は、もう足りません」


「帝国へ行く気ですか」


「まだ何も決めていません」


「皇弟殿下は、あなたを見ています」


「あなたも見ているでしょう」


「意味が違う」


「ええ。あなたは私を厄介な証人として見た。あの方は、たぶん厄介な人間として見ている」


「違いは大きいですか」


「ええ」


 オーレリアは少しだけ目を細めた。


「証人は使い終わればしまわれます。人間は、しまうと文句を言います」


 ヨハンは苦笑した。


「あなたらしい」


「私らしさを語れるほど、親しくした覚えはありません」


「失礼しました」


 彼は一礼した。


 その礼は、最後まで美しかった。


 オーレリアは彼の背を見送った。


 敵としては、悪くない男だった。

 だが、悪くない敵であることと、許せる相手であることは違う。


 その夜、王宮内には正式な通達が出た。


 王太子アルベルトの権限一部停止。

 王太子府の調査開始。

 ヨハン・フォン・ライヒェナウの職務停止。

 司教座審問の継続。

 オーレリア・フォン・クラウゼンベルクの名誉回復に向けた王家声明の準備。


 紙は静かに積まれていく。


 薔薇夜会の一言から始まった火は、ようやく王太子府そのものを焼き始めていた。

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― 新着の感想 ―
オレーリアも含めてそれなりに人材はいたのに肝心の王太子が愚かなのが王国の不幸だよな。でもこの王子を跡継ぎにし続けた国王の責任でもあるか。
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