7話 知り合い以上
時刻は昼をまわったあたり。雨は上がったものの、朝の薄曇りとは違い、空はまだどんよりと雲に覆われている。
廃墟の内部では、いまだに雨漏りの音が響いていた。
「……」
ヴィハーンは虚空を見つめ、何かに触れるような動作を繰り返す。少し停止し、今度は頭部を抱えて調整するように軽く左右に動かした。
それから再度腕を伸ばすが、思うようには出来なかったのだろうか。あきらめたように手を下す。
今度は座ったまま軽く足を何度か動かし、歩行機能に支障がないことを確認する。
キ……キギ……キ
動かし方によっては軋みが大きくなり、その都度動きを調整していた。
一通り確認を終えると、彼は傍らで丸まって眠る少女、シャオを見下ろす。埃っぽい布に包まれながら、彼女は外の世界の過酷さなど微塵も感じさせないほど安らかな寝息を立てている。
特に起こすことなく時間が過ぎ、数十分が経過した頃、少女は小さくうめき声をあげカーテンの中からのっそりと顔を覗かせた。
寝ぼけ眼で彼を見上げた次の瞬間ぱちりと目を開き、その口元が嬉しそうに綻んだ。
「おはよう、ヴィー!」
「……」
元気な声が室内に響き渡る。その声を背にヴィハーンは立ち上がり、ちらりと一瞥したあと出入り口に向かっていった。
「お・は・よ・う!」
ニコニコと笑顔のまま今度は一文字ずつ区切って呼びかける。身を起こしたシャオの張りのある声が再度大きく響き渡った。
ヴィハーンは少女と距離をとるように腕を突き出し、観念したように挨拶を返す。
「……わかった、おはよう。声を小さくしてくれ。聴き取りづらい」
「うん! わかった!」
もう片方の手で頭を抱えるその様子は、まるでひどい二日酔いの人のようだった。
ゴツ……ゴツ……ゴツ……
昨日通った道を少し戻った先の分岐。昨日は選ばなかった道を進むと今までの道とは違い、広い道に出た。地面も土ではなく、ヒビこそ入っているが、まっ平のダークグレーの道だ。音のない世界をヴィハーンの足音が重く響く。
「本では道路は黒かったけど、ここは違うんだね」
「……アスファルトか。お前の――いや。楽園の知識と文明のズレは何なんだ?」
「楽園だと知識じゃなくて、架空の設定扱いだったよ。設定の凝った物語って感じだったかな」
道端に生い茂る草花、多くの崩れた建築物。何よりも今歩いている地面。時々加熱しなくても食べられる野草を見つけるので、それらを摘み取っては齧っていた。それと昨日リエンからもらったゆで卵も。
「何を食べている。」
「今日の朝ごはんだよ。ゆで卵でしょ?これはジエップカーで、これはカンクア。これは……」
今食べているものをヴィハーンに説明するも、「わかっているならいい」と話を切られてしまった。しばらく歩きながら採取していたが、シャオはふと疑問をこぼした。
「あのさ。楽園のすぐ外の森はよくわかんなかったけど、ここら辺には私も知ってる植物ばかりあるね。しかも食べられるものばっかり。畑じゃないのになんでだろ?」
楽園では、畑以外でこんなにも特定の野菜が自生していることはまずない。そのことについて不思議に感じたのだ。
「……一応説明する。ここら一帯は、かつての食事を再現するための食材が栽培されていた。主に野草が中心だったが。14年前、その企業が倒産してからは周囲に放棄され、ほとんどが野生に還った。お前が知っている植物はそれだろう」
そう言われて思い返すと、確かに育てるのに手間がかかるものは全く見当たらないことに気が付く。シャオは手に持っていた葉をもう一口食べた。
「そうだったんだ。もう育ててる人はいないけど、その人たちのおかげで今、朝ごはんが食べられるんだね。じゃあヴィーは何を食べるの?」
「……俺はお前達とは違い飲食は必要ない。お前は楽園ではどんな生活をしていたんだ?」
「私の?」
シャオはきょとんとしてヴィハーンの言葉に聞き返す。
「ああ。楽園には侵入はおろか、観測も禁止されている。内部ではどんな世界が広がっているのかは全くの未知だった。お前が話せなくなる前に、今を生きる人間の記憶を聞きたい」
「えー? 忘れたりなんかしないよ! でも、……うん! 任せてよ、いっぱい教えてあげるね!」
ヴィハーンの言葉に、シャオは嬉しそうに笑いくるりと回る。持っていた食べ物を全て口に入れて飲み込むと、得意そうに村のこと。そして楽園の事を話していった。
「それでさ。茶葉に花の香りをつけて楽しんだりするんだ。砂糖とかミルクで飲みやすくしたりもするよ。先生は塩も入れてた。それと今の時期は桃の花があたり一面綺麗に咲いてすごいんだ。でも地域によって花が違うんだって。それで、ごはんもね、あ!ヴィー見て! あの建物風が吹くとキラキラ波打つよ。池みたい!」
「壁に鏡のような金属板が吊り下げられる様につけられているからだ」
数メートル先を歩くシャオが、振り返らずに先に進んでいく。おしゃべりしながらも周囲の疑問が尽きない少女の表情はコロコロと変わり、とても忙しい。たった今釘付けになっている目線の先には、道から外れた建物の壁が風が吹くたびに波打って煌めいていた。
「なんであんな、鱗みたいにつけてるの?」
「知らん」
「むむ。もうちょっと近くで見てくる!」
そう言い残してシャオがさらにヴィハーンから離れていく。
「……? なにが……」
ヴィハーンの視界に不自然にノイズが走る。そして二人の間に距離が生まれた瞬間。ヴィハーンの足が止まった。
ガツン、と、シャオの背後から重い物を叩きつけるような音と共に、微かに軋むような音も聞こえた。思わずシャオは振り返る。
「………え」
そこにはヴィハーンが見えない何かに抑え込まれるようにして跪いていた。時折もがくように動くも、抜け出せないようだった。
「どうしたの⁉︎」
「来るな!」
突然の異常にシャオは急いで駆け寄ろうとするが、その一声で足を止める。
【認証エラー】
【あなたの在住申請及び滞在許可が確認できません】
【不自然な位置でのエラー認識・違法アンドロイドの可能性あり】
シャオにはわからないが、ヴィハーンの視界では多くの警告が現れ、それらにより身動きできないほど囲まれていた。
「……ここ二年、この区域は一般アンドロイドの通行は不可能となっている」
ヴィハーンはそういうが、シャオにとってここはまだ道路の真ん中。辺りを見渡すも道はまだ続いており、壁はおろか、標識さえもどこにも見当たらなかった。
「なんで? 今朝言ってたデッドラインの事? でもどこにも禁止みたいなこと書いてないよ!」
「……お前には見えない規制がある。俺たちはそれに逆らえない。ここもその一つだ」
そういうとヴィハーンはシャオと自身の間にまるで壁があるかのように手を伸ばすが、抑え込まれるようにガツンと地面に落ちる。
「お前の指輪に登録することで、それらは回避されたはずだった」
「それって昨日の……。でも今ダメってことは、もしかして、登録できてなかったって事!?」
シャオは焦ったようにおろおろする。今までの常識では考えもつかない条件が雨後の筍のように出てきたことで、彼女はかなり混乱していた。
「いや、それはない。先ほどまでもいくつか規制はあったが何の問題もなかった。……今の俺は見ての通り損傷が酷い。原因があるならば、俺だろう」
ヴィハーンは考え込むようにこめかみ辺りに指を置く。だがわからないのか「まずいな」と呟いた。
とうとう見えない何かによって頭部を地面に叩きつけられたヴィハーンに耐えられず、シャオが駆け寄る。
その直後、すべての警告が消え、拘束も解除された。機体の硬直が消えたことでヴィハーンの機体から力が抜ける。
「……っ……⁉︎……い」
「ヴィー? どうしたの? 足が痛くなっちゃった? 朝、軋んでたよね。もう一回登録しよう。そしたらきっと大丈夫だよ!」
ヴィハーンは自身の機体を確認し、認可にも問題がないことを確認できると「もう大丈夫だ」と、すぐに立ち上がった。
「……仮説だが、その登録は一定以内の距離でなければ効力を失うようだ」
「ようするに、一緒にいれば大丈夫って事?」
ヴィハーンが大丈夫になったことにひとまず安心するも、大丈夫になったその理由がわからない。シャオはわからないなりに何とか自身の解釈に落とし込もうとした。
間違いではないのでヴィハーンも特に訂正せずそのままにする。
「ああ、だからそばから離れ……」
「任せて! これからよろしくね、相棒!」
「は?」
想定外のシャオの言葉にヴィハーンは呆気にとられたように声を上げる。
「相棒? 何を言っているんだ?」
「だって、私だけだとわかんない事だらけで、ヴィーだけだと行けないところだらけなんでしょ?」
シャオはヴィハーンをまっすぐに見つめて笑いかけ、手を差し伸べる。
「だったらさ、私とヴィーの二人で協力すれば、なんだって出来るし、どこにだって行けるよ!」
ヴィハーンはしばらく無言だったが、顔面の一部のガラス面にノイズが入り、しばらくしたのち返事をした。
「俺はお前じゃなくても良いんだが」
「酷い!そんな冷たいこと言わないでよぉ!」
「ヤダー!」とジタバタするシャオの横をすり抜け歩くヴィハーン。
ショックを受けたようにカチコチに固まるシャオに振り返り、ヴィハーンはぼやく。
「どうした。協力するんだろう」
「……!うん!」
シャオは目を煌めくように見開かせ、弾むように後を追いかけた。
「ねえ、ヴィーはすぐに道を選んでるけどさ、もしかして目的地って決まってるの?」
ヴィハーンは分岐に遭遇するたびに足を一度も止めることなく進路を決める。迷いの欠片もないその動きがシャオには少しカッコよく見えていたのだ。
「ああ、無事ならあそこが一番便利だ。今日中にはつく。」
「へぇー。どんなところ?」
先程のトラブルの前とは違い、自身の前を歩くヴィハーンの背中を眺めながらシャオは小さく首をかしげる。
「修理屋だ。このままだと俺は一定以上の活動が不可能だからな」
「修理屋……。お店って事? ってことはさ、ヴィー以外のアンドロイドにも会えるって事!?」
新たな外の住人の可能性に気が付いたシャオの声が弾むような調子になる。今にも歌でも歌いそうな雰囲気だ。
ヴィハーンは気にする事無く淡々と答える。
「そうだ。あそこの店主は外見こそ任せるには不安だが、腕は確かだ。街にも多くのアンドロイドがいる」
「わ、わ、わ!早くあいたい!どんな人かな?みんなヴィーみたいに真っ黒とか、鎧を着てるの?」
シャオはそのまま歩きながらヴィハーンの周りをちょろちょろ動き回る。
「色々だ。おい、だから動きにくいと……」
「大丈夫だよ、歩くの邪魔しない様に距離空けてるから! 気持ちが溢れたら動きたくなっちゃうからね!」
「……そうか。鬱陶しいからやめろ。あとお前は話を聞いていないのか、失礼なのか、どっちなんだ?」
ヴィハーンはどこか遠くを見るように軽く顔を上げる。
妙に落ち着いた、諦めたような返事をおいて先に進んだ。




