5話 シャオのおしごと④
天井から姿を現したのは直径約一・五メートルもある、巨大な鋼鉄の大蜘蛛だった。
【メタルグモ:タイプ<ネット>】
クモ糸を生成することからタイプが<ワンダー>では無い事は分かっていたが、それにしてもやけに大きい。
「突然変異か」
本来虫型は殆どが大きくても手のひらぐらいまでだ。どのメタルシリーズにも変異種は存在するが、非常に稀である。
コレクターや突然変異を対象とした研究者も多く、かつては一獲千金の象徴だったが、今となっては厄介なだけで需要は無い。
大蜘蛛は机にあった金属のボトル缶を獲物と勘違いしたのか、延々と噛み続け粉々にしていく。その向こうには犠牲者であろう機体の外殻だけがバラバラになり、散らばっていた。
アレを工場に閉じこめたアンドロイドは仲間を犠牲にしたのだろう。
「英断だな」
ヴィハーンはそのことに関しては称賛はすれど、咎める気はない。正直どうでもいい。
それよりも付近に転がっている穴のあいたガロン缶やドラム缶に張られた薬品識別ラベルのほうが、見過ごすことが出来ない。
既に空なのだろう。大蜘蛛が飛び掛かったときの風圧で簡単に転がっていく。
『<高純度Spd溶液> 製造:アラクネ工業』
「飲んだのはアラクネ工業のSpd溶液のみとは。ウィンズバークとは気が合いそうな蜘蛛だ」
液体繊維専門の企業の商品だ。縦横無尽に張り巡らされ丈夫なクモ糸はあれを飲んだからだろう。高品質ゆえに、回収できれば追加報酬がもらえた可能性があっただけに惜しかったが、そうも言っていられない。
ボトル缶を噛み砕く音が止んだ瞬間に飛んできた糸をとっさに避ける。事前に機体に油を塗っておいたので粘着糸に囚われる事は無いが、この糸の役割はそれだけではない。
……ゴツ ……ゴツ ……ゴツ。
いくら慎重に歩こうと、ヴィハーンの重量級の機体が床を踏みしめるたびに必ず発生する振動が糸を震わせる。クモは振動の発生源に常にその機体を向け続けていた。
ネットタイプのメタルグモは影しか判別できない程度にしか視力が無い代わりに、糸の振動で空間を把握するのだ。
糸が当たれば自身の場所を知らせることになるし、今のように避けても糸が増えるだけで、そのあとの移動にどうしても糸に触れざるを得なくなってくる。
糸を避けた時にメタルグモは床ではなく、工場内に張り巡らされた糸の上に脚をのせていた。こちらが動くのを待っているのだろう。少しずつ糸を周囲に散らすことで、クモの支配するエリアが徐々に増えていく。
足元を見れば、床すれすれの位置には太い糸が張り巡らされている。こちらは粘着性が無い代わりに丈夫で、軽量タイプの機体では糸がちぎれずに躓くことは想像もたやすい。
動かなければ、ジリジリと糸の領域が広がり、やがて身動きさえもできなくなる。かといって迂闊に動けば、己の位置を知らせることになる。
一旦態勢を立て直すべく止まった瞬間、嫌な予感がし、すぐさま飛びのいた。
ガチン!
隙と判断した大蜘蛛が頭上から降ってきたのだ。仕留め損なったとみるや、そのまま音もたてずに糸を伝い上へと戻っていく。
既に大蜘蛛は、いくら移動をすれど、常に頭上に陣取っていた。
もちろん、目の前のクモをただ排除するだけならこのまま突撃すればいい。少々時間はかかるが可能だ。
なんならヴィハーンのような重量タイプでなくとも、相手を破壊するという一点なら武器を使うなり薬品を撒くなり、やりようはいくらでもある。
だが、そうもいかない理由がこの建物には存在していた。
見回せば棚には低品質とはいえSpd溶液が数多く残っている。また、他の薬品や消耗品の類も、積みあがったドラム缶、未開封のコンテナなどという形で数多く残されている。
他にも出荷されなかったであろう商品や、工場を動かすための燃料なども残されており、今回の依頼には関わらないとはいえ、物資の乏しい今、店一軒ぶんの蓄えを瓦礫の下に埋めるのは、あまりにも惜しい。
散らばっている外殻の持ち主もそういった考えだったのだろう。
室内はヴィハーンが来てからのほうがよっぽど荒れており、いかに彼らが丁寧に動いていたのかがよくわかる。
そんな丁寧さ、破壊されてしまうなら意味がないだろうに。
「ミイラ取りが……だったか。まあいい」
ヴィハーンは身じろぎ一つせず、所持していた石を、自分から離れた場所にある裁断機へと投げた。
コツン。
その小さな音に、メタルグモが弾かれたように反応する。
糸を伝い、音のした方へ一直線に飛びかかると裁断機に激しく衝突。機械を打ち壊し、周囲に部品を飛び散らせる。
当然クモ自身も全くの無傷とはならず、脚が数本ほど折れてしまった。
その隙にまぎれてすぐさま接近し、大蜘蛛を逃がさぬよう片手で脚を数本まとめてつかみ取る。
もう片方の手は破損した裁断機から分厚い刃を勢いよく引きずり出し、そのままクモを裁断すべく振り上げた。
だが、刃の鈍い光に気がついた大蜘蛛は掴まれていた脚が千切れることも厭わず抜け出した。
安全ではなくなった住処から、刃を照らした光の発生源である外へと逃げていく。振り下ろした刃は空を切った。
このまま見失えば、糸を撒き散らしながらまたどこかへ潜むのだろう。発見は困難だ。それ以前に。
外には、シャオがいる。
「シャオ! 逃げろ!」
糸を掻き分け、家具を跳ね飛ばし、ヴィハーンも外へと向かう。だが、どうしても屋内の動きは蜘蛛に劣っていた。
工場の最奥から漸く追いつき、明るさに目が慣れるより先にそれは見えた。
大蜘蛛の後ろ姿だ。巨体に隠れ、その先にあるものは見えない。ただ、何かに覆いかぶさるようにして脚を蠢かせ、それを夢中で貪っていた。
「——!」
思考が止まる。
考えるより先に体が動いていた。気づけば腕は、大蜘蛛の中心部を背後から切断していた。切断面から白みがかかった透明のどろりとしたSpd溶液が溢れ出る。
残った半分を押し退けると、そこにはボロボロにかみ砕かれた黒いゲペレペンゲのビロビロが落ちていた。
朝、シャオがもらった彼の機体の一部だ。
「あ、ヴィー。 おかえりなさーい」
脇から、間延びした明るい声がした。
見れば、入口から少し離れた壁際で、シャオが座ったままこちらを見上げている。建物に入る前と同じ場所だ。
突然の事に驚いたのか目を大きく見開いていたが、三つ編みも帽子もなんともない。
「すっごい音がして、急にでっかいの出てきたから、びっくりして……」
シャオはばつが悪そうにもにょもにょしている。
待っている間、暇つぶしにゲペレペンゲのビロビロを引っ張ったりして遊んでいたそうだ。
しばらくして突然大きな蜘蛛が真横の出入り口から飛び出してきたことに驚いたシャオは——。
「ゲペちゃんのやつ、投げちゃった」
メタルシリーズにとって、ゲペレペンゲのビロビロは我慢ならない不快の塊だ。外へ飛び出したメタルグモは、目の前に投げつけられたビロビロを獲物としてではなく排除すべき敵として認識し襲いかかり、シャオではなく、そのビロビロを夢中で噛み裂いていたのだった。
『あえて引き寄せたい時とかに、使うと良いよ』
ゲペレペンゲの『歩いているだけでも襲われる』というのはどうやら本当だったようだ。
「こんなに大きいのも来るなんて、ゲペちゃん大変なんだねえ」
「……そうだな」
手から力が抜け、握っていた刃が滑り落ち、地面と衝突する。
ヴィハーンは感じもしない疲労感を味わったような気分に陥っていた。
◆
すっかり荒れた薄暗い工場内にて、シャオはヴィハーンと共に一つずつ検分と登録を行っている。
「これは混ぜ物の割合が多すぎる。これは期限切れ。これは……『アラブネ工業』? 存在しない会社名だ。偽物だな」
ここにある物は同じ薬液でも製造会社はてんでバラバラで、中には品質どころか、本物かさえも怪しい物もある。
「これがSpd溶液なんだ。さっきの大きな蜘蛛から出てた液も?」
「そうだ。液体繊維の類は空気に触れた傍から固形化することもあって、開封済みの物は全て使い物にならない」
ウィンズバークが欲しがっていたSpd溶液以外にも、モルグが依頼したコアも工場内で獲得することが出来た。だが、ナルギレの欲しがってた幻惑リキッドだけは見つけることができず、本日の探索はここで終了となった。
そして翌日、最初の事故につながったのであった。




