3話 募る憧れ
お祭りは太陽の動きに合わせるように形を変えていった。
昼間の活気は提灯の柔らかな色に溶けていき、村の雰囲気はがらりと変わる。
大人たちは日中には控えていた酒を浴びるように飲み始め、軽快に鳴り続けていた笛の音はいつしか、体の芯から震えるほどの重い太鼓の音にとって代わり、今では村のあちこちで夜の空気を震わせている。
そんな喧噪の裏で、子供たちは一足先に大役を終えていた。
昼間の出来事の後、しばらくして集会所に集まった子ども達で手分けして客寄せ菓子を観光客に配ったのちに、みんなで踊りの披露となったのだ。
今は大役を終えた解放感から急にどっと疲れが押し寄せたので、みんなで集会所の一室でだらだらしている。
「みんな上手だったよ、練習したかいがあったね!」
シャオが年長者として踊りの小道具の片付けをしながら皆を褒めていると、幼い少女がシャオのところまで駆け寄り、きゅっと抱き着いた。
「シャオおねえちゃんも、すっごく、くるくるしてすごかったよ。来年は私もくるくるしたいな」
「……ウーン。カティにはまだ、ちょ~っと早い、カナ?」
昼間のことが頭を離れず、踊りの最後にうっかり足をもつれさせてしまったシャオはバク転で最期を決めたのだが、四歳のカティ――本名をアチャラという少女は、そういう演出だったと信じ込み、目を輝かせている。
その真っ直ぐなカティの称賛にシャオはえへんと胸を張るが、憧れるような目の煌めきには耐えきれず、顔をそらしていた。なんとかごまかすように会話を繋いでいると、そこへリエンがやってきた。
「お疲れ様~。まだみんな残ってるかしら?」
リエンは両手で大きなお櫃を抱えていて、その蓋の上には数枚の皿が重なっている。
食欲をそそる香辛料の匂いを振りまきながら、お櫃が机に置かれた。蓋を横にどけると、そこには溢れんばかりの炒飯が詰め込まれていた。
「みんなすっごく素敵だったんだからあ! おばさん感動しちゃったわあ~! ささ、お腹空いてるでしょ?みんないっぱい食べてね!」
「わー! かーちゃん盛りすぎだって! 自分でやるよ!」
突然の母親の乱入。
次々と皿に山盛りに盛りだした自身の母親にバオは顔を真っ赤にしてやめさせようとするが、みなぎる母親パワーには全く持って歯が立たず。
「ほら、バオも手伝いなさいな! モテる男子は今が見せ場よ!」
「……バオ、おとなしくいう事聞いたほうがかく恥もすくないぜ」
同じ経験があるのだろう、一個下のジェンがどこか遠い目をしながら諭すようにバオの肩に手を置いた。
「リエンさん、こっち盛り付け終わったよ!」
「んもー! シャオちゃんたら気が利くんだから! でも座ってていいのよ? シャオちゃん今日たくさん動いていたもの。特に……最後の大回転!すごかったわ!いっぱい練習頑張ったのね!」
「うぐっ……。ふ、ふふん、みんなのお姉ちゃんだからね、一番の座は渡さないよ!」
みんなでどんちゃん騒ぎの中、賑やかな笑い声に包まれながら、お祭りの日の夜が過ぎていった。
――しかし。
集会所で風呂を済ませて帰宅すると、家には明かりがついていなかった。
「おばあちゃん! ただい、ま……」
家に入り提灯に火を灯すと、室内がぼんやりと浮かび上がる。
早めに就寝したのだろうと祖母の姿を探したが、どこにも見当たらない。
村の騒がしい声が遠くから聞こえてくる。あの中に祖母もいるのだろう。
かといってあの中に入ろうとなると、子どもは寝る時間だからと混じるのは禁止されている。
朝の時間とは正反対のがらんとした空間を見渡し、シャオは少しだけ目を伏せた。
いつもだったら夕食の準備をしている祖母がいないということは、リエンさんが集会所に食事を持っていったのを知って、必要ないと出かけたのだろう。
椅子に掛けぼんやりとしているうちに、周囲の暗さとは正反対に、頭の中では昼間の出来事がぐっと鮮明に蘇った。
父の話。オドゲレル先生の話。もしそのどちらも真実なのだとしたら、外とはなんと魅力のない場所なのだろう。
寝室に行き、朝落ちた小箱から古びた手帳を取り出す。その中身は殆どが読めない代物だったが、思いを馳せるように一ページずつ目を通していた。
「……きみは、何を見てたのかな?」
二年前の地震で大図書館の本が散乱し、村人総出で片付けに追われていた時だった。
奥の部屋にあった本棚の二重底からこの手帳を見つけたその瞬間、シャオの憧れの先は外を指し示したまま戻らなくなってしまったのだろう。
手帳には、つらい思いは一言も書いていなかった。虫食いだらけの掠れた文字のから感じ取れるのは、ただ、切なくなるほどの「外」への想い。
『大■なクジ◆が海をは■て、水しぶきが……』
『お隣さんの■ンドロ◆◆の……』
ここではないどこか、エメラルドブルーの空の向こうにある、楽園の外への憧れ。
『もう二度と見れない。寂しい』
かつての誰かを感じさせるほどの想いがこもった手記。それに記されていた、確かにここにいた人が求めていた楽園の外。
一緒に見つけた指輪はシャオの宝物となり、その指輪を感じるたびに外への思いを募らせていた。
「外はきっと凄いところなんだよ。そりゃ、危ないことも本当にあるんだろうけど――」
その時、指輪に提灯の灯りがキラリと反射した。
「……! そうだ!」
そこで何か思い至ったように顔を上げると手帳を戻し、バタバタと家を抜け出した。
つっかえる自宅の扉も中途半端に閉めたままで飛び出していく。
足が向くのは、賑やかな広場ではない。
村の中心から離れるほど光は少しずつかすれていき、足を進めるほど周囲を暗闇がじわじわと浸食していく。提灯の光が届く範囲はとっくに超えていた。
この様子をバオが見たら、血相を変えて止めただろう。
だが、ここにいるのはシャオ一人のみ。
今の彼女の耳に届くものは何もない。向かい風は全てを押し返すように吹きつけるが、少女の歩みにはなんの影響もなかった。
提灯の照らす優しい楽園を後にして、少女は夜の暗闇に吸い込まれていく。
目指す先は、世界の最果て。大人たちからは近づくことも禁止された、外の世界へと続く唯一の手段だった。
草をかき分けながら踏みつける音が響く。
一見わからないが、橋までの道は石畳になっている。かつては立派な舗装道だったのだろう。
だが隙間という隙間から生い茂った草が生死を繰り返すことで、今では柔らかい腐葉土の地面のようになっている。
シャオは息を切らしながらも足を動かす力は緩めることなく進み続ける。
いつもなら心地よく感じる腐葉土の柔らかく沈み込む感覚がまどろっこしい。
いつもは握りしめないと意識もしない指輪の感覚が、今は強く感じた。
そして不自然なほどくっきりと壁のように立ち込める霧が目の前に現れる。
息を切らしてたどり着いた先。そこには、霧の中へと突き刺さるように伸びる石橋があった。




