2話 誰にも言えない悩み
あれからなんとなくお互いの顔を見ることもできず、目的地の集会所に到着するまでバオは変わらずシャオの手を掴んだまま放さなかった。
「おや、バオにシャオ。ちょうどよかった。今からお菓子を配ります。特別に自分達の好きなものを選んでからでかまいませんから、手伝ってくれませんか? 耳の早い君たちの事だから、きっと真っ先に来るとは思っていましたけどね」
笑いながら二人に声をかける穏やかそうな壮年の男性は、名をオドゲレル。この村の学び舎の唯一の先生だ。
オドゲレルの姿を認めるやいなや、バオはシャオの手を掴んだまま彼の元へ引きずっていった。
「っ、先生!こいつが、シャオが楽園から出るって……!」
突然のバオの密告にシャオは慌てふためき、手を放そうとぶんぶん振り回す。
「げ、バオ!あ、えっと、別に気になってるだけで、そんな……。というか、いい加減手を放してよ!このバカ!」
二人でやいのやいの言い合っていると、それを眺めていたオドゲレルはあごに手をあてて、「ふぅーん……」と考え込む。
無言のオドゲレルに見つめられているうちに、二人はだんだんと勢いをなくしていった。
「……はい、二人とも落ち着いたようですね。」
「はい。でもバオが悪いです」
「はい。でもシャオが悪いです」
オドゲレルがお菓子の入った籠をスッと片付け始める。
「バカって言ってごめんね!」
「俺も手を引っ張ってごめんね!」
現金なお子様二人はすぐに姿勢を改めて謝罪するも、オドゲレルは困ったような顔のままだ。
「先ほどの喧嘩の原因は解決していないようですが……。そうですね、君たちが早く来てくれたおかげで菓子配りまでまだ時間はあります。お茶でも飲みながら、少々お話をしましょう」
オドゲレルの後を追って、二人は集会所の一室に入っていった。
好きなお菓子を選んでいる間に、先生がお茶を淹れてくれた。
「どうぞ、私のとっておきのお茶です。砂糖も入っていて飲みやすいですよ。熱いのでゆっくり飲んでくださいね」
目の前に置かれたお茶から漂う花のような香りが部屋の空気を緩めていく。しばらく無言だったが、意を決してシャオが顔を上げた。
「先生、お話って?」
「……君たちは、橋の向こうのバケモノについて聞いたことがあるでしょう?」
肯定するように子ども達は頷く。
「シャオの親父が俺達ぐらいのころの話だっけ?昔話を聞くほど本当にシャオとそっくりだよな」
村の子供たちはみんな知っている。シャオの父が度胸試しで橋を渡り、霧の中から見たというバケモノの話。
『影は人の形にそっくりだけど、僕たちとは全然違う化け物がうろついていたんだ。あの霧の向こう側で、誰かが外に出る瞬間を、ずぅっと待ち構えているんだ』
呆れたようにバオがシャオを指さす。そのことにムッとしたシャオがその指を逆に曲げた。
オドゲレルはケンカしている二人の顔をじっと見つめ、一瞬、「あの子は……」と何かを言いかけて……。
「先生?」
バオの心配する言葉に我に返ると少し目を伏せ、クスリと笑って話し始めた。
「いえ、実はですね。私も見たことがあるのですよ。もうずっと昔、数十年も前の事ですがね」
お茶を注ぎながら何でもないように話すオドゲレルに、シャオとバオは「ええー!」と叫ぶ。
「いやあ。昔は度胸試しとして、いかに外と霧の境界の限界ギリギリまで行けるかを競う遊びがありましてね。男の子たちはこぞって参加していました」
「先生、それ危なくないの!?」
バオが思わずといった風に尋ねる。
「もちろん滅茶苦茶危ないです。私は直接見たわけではないのですが、実際にそのまま戻ってこなかった子もいたと聞きました。なので今はそういった遊びは禁止されています。シャオのお父さんは、それはもう村の総出で叱られていましたよ」
昔話の生き証人がここにいた。シャオは目を輝かせて見上げている。
「それで、先生が見たバケモノって、どんなのだった?」
オドゲレルは思い出すように目を閉じて、うーんと唸る。
「私が見たのは確か……。全身工具の化け物でした。私が霧から一歩外に出たとたん、ものすごい速さで向かってきましてね。慌てて戻りました」
「じゃあ、外は? どんな景色だったの!」
目を輝かせて机に乗り上げてせがむシャオ。それに対し、オドゲレルは酷く落胆したように話した。
「それはですね……。森、でした」
「森?」
「木々の管理をする人がいないのか荒れていました。それだけです。目新しい物もなく、ただバケモノがうろついてるだけでした」
茶を飲み干すと、オドゲレルはつまらなさそうな顔をした。
「物事には全てに始まりとその理由があります。とはいえ、楽園の始まりはあのバケモノがきっかけでしょう。あんなのがうろついていたら、トイレに行くのも諦めますよ」
ハァ~アとオーバーに肩をすくめながら茶器を片付ける。
「なーんか、おもったより普通そうな理由だったな」
バオはつまらなさそうにぼそっとつぶやき、安心したように体を伸ばした。
しかしシャオは一人、納得がいかず、机の下で手を握りしめる。
(なんでみんな、疑問に思わないんだろう?)
大図書館には多くの娯楽本がある。そのどれもこれもが事細かく設定の練りこまれた素晴らしいものだ。
そんな、存在しない物について記された数多の書物。
(でも、きっとおとぎ話じゃない、本当の事が混ざってるはずなんだよ)
今、手に食い込む指輪がその証拠だ。しかし、それを言った瞬間永遠に失われそうな気がして、誰にも言えなかった。




