25話 記憶整理
目の前の黒髪の男の首を片手で掴み、宙に持ち上げる。
『なぜ、わからないのですか! ヴィハーン! なぜ!』
男は、苦しそうに首を締めあげるその腕にしがみついていた。困惑と悲愴が入り混じった表情でヴィハーンに手を伸ばし叫ぶ。そして自身はその問いに答えることなく、目の前の首をへし折るのだ。
「……ああ、そういうことか」
これは記録整理の真っ最中だと判断する。目の前の男は破壊済みで、既に存在しない。
この発言時には頭部の上半分はすでに破損。その上ヴィハーンの視界もノイズで大半がざらついていた。こんなに鮮明なわけがない。
自覚すると、先ほどまでの自分の視点から第三者としての立ち位置になる。
記録を後から確認しやすいように、調整が入ったのだ。
補正に加え、無駄な記録は削除し、短くまとめる。長く稼働する機体ほど必須の機能である。
サーバーに登録・常時接続しない、自身の記録のバックアップが存在しない機体は特に。
意識が落ちる直前の状況は最悪に近かった。早く復帰せねばと思うが、これに現実の時間は関係ない。焦っても、焦らなくても。目覚めの時は一緒だ。頭を振って、改めて目の前の男を見る。
彼の名はレイシン。噂通り、とても誠実な男だった。
ヴィハーンに協力を要請する理由と、その目的を隠さず話す姿に、彼の私利私欲は感じられない。
時折届く評判が正しいのなら、発言にも嘘偽りなどなかったのだろう。
『ネットワークが途絶え、多くの人々がサーバーの中で眠り続けています。あれでは牢獄と変わらない。ゆえに……』
偉ぶっても問題ない立場の男は、決してそのような態度は見せなかった。慕う存在が多いのも頷ける。
今のヴィハーンのように各地をただ放浪するだけの存在に命令することも無く、どうか助けてほしいと真摯に懇願する。
長ったらしい演説をお披露目するのかと思っていたら、こちらの様子を見るやいなや切り上げ、端的にわかりやすくまとめる。
『旧人類の肉体を、ヒューマノイドの新たな器として活用し、世界を立て直します。』
『そのためにもまずは、楽園を覆う〈多層境界遮断システム〉を停止、あるいは無効化させねばなりません。それには丈夫で高性能な機体の協力が必要なのです。』
なるほど。妙に誠実で……。
『せめて、旧人の脱走個体が一体でも確保できれば……。いえ、これは夢物語ですね。此処二十年近く確認できていません。』
『保護システムには干渉済みです。とはいえ応急的な上、確実性に欠けます。あくまでも保険に過ぎないのです』
……気味が悪かった。
この男は理屈だけで生きているのだろうか。そのくせに対話をしようとする。いや、対話のフリが上手いのだ。どこか人間の様な振る舞いをしており、たちが悪い。
何も知らなければ、目的なく放浪していた身。協力をしていただろう。気に食わなかったので断ったが。
『貴方の機体は日常生活において不必要に高性能です。これからも十全に発揮する機会はないでしょう。なので、不要な部位の提供だけでもお願いしたいのです』
引き留めるように腕を捕まれる。それが酷く不愉快で思い切り振り払ったことで、レイシンの機体が破損してしまった。
それがきっかけとなり、戦闘となったのは誤算だったが。
いくらヴィハーンが戦闘に特化した機体とは言え、所詮は量産型。
機体の癖を知り尽くしているレイシンには、まるで予知されたかのようにほとんど全ての動きに対応され、環境を利用した相打ちに持ち込むのが精一杯だった。
そして自身の逃走した先がデッドラインに囲まれた、逃げ場のない森の中。
何もせずに朽ちるのは癪に感じ、なんとなく救難信号を出したのだ。
まさか、それがきっかけでシャオと出会うことになるとは思いもよらなかったが。
あの時ばかりは、神という存在を信じそうになった。
無論、数百年も前に娯楽扱いとなった様々な宗教の神ではない。
シャオという少女を見守る神の事だ。
シャオは。あの無邪気な少女は知らないだろう。
楽園が人間にとって、どれだけ恵まれた場所なのかを。
楽園から出た人間の、本来の末路を。
楽園を出た日が一日でもずれていれば、お前という存在は消えていたことを。
そして、誰かの価値を上げる存在であることも。
……!ィー!……!!
遠く、微かにだがシャオの声が聞こえる。かなり焦っているようで、いつもの天真爛漫さはかけらも感じない。早く行かねば取り返しのつかない事態になりかねない。とはいえ――。
「まあ、元々が精々五、六年が限度だ」
彼女の予想耐用年数を呟く。外の世界は人間が住まうには適していない。それが幼い少女ならなおさらだ。これ以上の無理を重ねるか、どうするか。
と、不意に周囲の景色が酷い砂嵐に見舞われる。過去の記録がごちゃ混ぜになり、すべてが滅茶苦茶になった。
『お前はやんねえのか?』『エチケットですよ!』『いつになったら』『あなた』『ヴィハーン!』
老若男女、場面の区別なく、かつて自分に向けられた言葉が一度に襲い掛かる。ここ数日はなかったが、ずっとある不具合だ。
ひどく苦しく、先代店主もお手上げだった。機体もコアも、すべて真っ新にすれば何とかなるかもしれないが、その気にもなれずそのままにしてある。
「ここ数日は大人しかったんだが」
ふと、小さな影が視界の端を横切った。
『■■お■■』
小さな子供の呼び声が響き渡る。
まるで感覚が消失したかのように機体が固まり、ヴィハーンは指先一つ動かせなくなった。
背後に誰かがいる。その存在が、多くの感情を煮詰めたかのような声で呟いた。
「殺してやる」
その声と共に、背後から頭部を掴まれる。レイシンとの戦闘で燃え尽き、消滅したはずの皮膚や髪を引っ張られ、そのまま引き倒されると、そこには――。




