11話 ヴィハーンの今
ガンガンガン!
暗闇の中、ユゥインが壁を拳で数度殴るように叩く。ハンマーで壁を殴るような音が大きく響いた。
「朝だよシャオ、起きな!」
突然の轟音に驚いて、シャオは飛び跳ねるように布団から起きる。
「ふがっ!? お、お婆ちゃん! ……あれ? まだ夜だよ?」
窓のない部屋ゆえに周囲は真っ暗闇。赤子の頃から陽の光に照らされて起きていた体は、今はまだ寝る時間だと認識しており、シャオの頭の中は夢に半身浴をしていた。
だがユゥインにそのようなシャオの事情は関係ない。
「何言ってるんだい。この部屋が暗いだけで外はもうお日様が出てるよ。雲一つない快晴さ。それにシャオは生身の体なんだ。朝は食事をしないと倒れちまうよ」
シャオを猫の子をつまむように服ごと持ち上げてベッドから遠ざけ、無理やり立たせる。
少女のふらつく体をインの腕が支えているうちに、ようやくシャオの頭がはっきりしてきた。
「あ、ここ外だ!」
「室内だよ…はあ」
シャオは楽園の外と言ったつもりだったが、そんなことを知らないインはあきれたようにため息をついた。
「ほら、これがシャオの食事さ。栄養バーというものでね。お遊びで作られていたものだけど、このメーカーの物は親父も褒めていた。これがあれば栄養失調にはならない。水も生体が飲めるものがあるからね」
「ほぉ~。これが栄養バー…。本で見たやつ!」
おとぎ話の食事が今、目の前にあるどころか自分の手で持っていることにシャオは目を輝かせる。飲める水とは何だろう。外には飲めない水がある事にも驚きである。何はともあれ、まずは食べることが先決だ。ユゥインがまだ説明しているのもろくに聞かず、さっそく入れ物の袋を破って齧りつく。
「ただし、人間には食べ方に注意があってだねぇ」
瞬間、シャオの視界が揺れるほどの衝撃がガツンと走った。
とても硬かった。歯が欠けていないことが奇跡なぐらい硬い。衝撃を受けた歯のあたりを手で押さえ、悲そうな顔をする。
「保存性をよくした結果、とんでもなく硬くなっている。ゆっくり削る様に食べるんだよ」
インのほうを見るとニヤリとしている。確信犯だった。
「もっと早く言ってよぉ!」
半泣きのシャオがインに訴えると、インはこらえられないとばかりに大笑いした。
「あーっはっはっは!前居た場所とは違うんだ。これからは初めて見るもんには気を付けな!」
「う、うぅう~!イン~!」
好奇心が強い割には警戒心が無いシャオを心配したのだろうが、それはそれ。
頬を膨らませてポコポコ怒るシャオの頭に笠を被せ、インは背中を震わせながら部屋を出て行った。
シャオが栄養バーを片手にインの後を追いかけ外に出ると、雨上がりの世界は眩しいほどに明るかった。空は突き抜けるように青く、すべてが輝いているように見える。村の青空とはまるで違う、透明感のある青空だった。
「すごい。空色、青色。天色もだっけ。どの言葉がこの空の色の名前なんだろ? 学者のおじさん、意地悪な人だと思ってたけど、空の事は嘘じゃなかったんだ……」
シャオはぬかるんだ地面を滑るように遊びながら進む。途中、少し深めの水たまりに飛び込んだ事で水が跳ね上がり、シャオに飛沫が掛かった。
シャオの衣服はそれらを転がすようにはじき、幸い汚れることなく日の光に照らされて輝いていた。
ユゥインを見失ったものの、足跡を辿った先には瓦礫の山を前にヴィハーンが立っていた。昨日は砕けていた頭部だが、今はその穴を補うように薄い被せ物が貼ってある。もちろん頭部以外の穴も全て中身が見えなくなっている。周辺には道具類がいくつか立てかけてあった。
「ヴィー、おはよう!何してるの?」
「どの程度動けるかの動作確認だ。想定よりも機体にガタが来ていた」
「ふーん。あとおはよう」
「……はいはい、おはようおはよう」
はいとおはようは1回までだよ!とぷんぷんしているシャオにヒラヒラと適当に手を振るヴィハーン。鉄の指の隙間から陽の光が反射して小さな光がチラチラシャオの目を刺激する。
だが同時に、手の動きに合わせて軋むような、砂が内部でこすれるような嫌な音がする。金属特有の光沢とは反対に、動くたびに昨日ほどではないとはいえ、砂の噛むような音が聞こえる。あまり良くないのでは?と聞くが、そういうものだと返されてしまった。
全くそうとは思えないシャオは、眉をしかめて口をへの字にしている。そのまま半目で眺めていると、背後から別の声が割り込んだ。
「ンなわけないだろ、ポンコツ」
振り向くと、歩くたびにガチャガチャと金属がぶつかる音がする、重そうな箱を抱えたユゥインが、あきれ顔で歩いてきた。
「イン。その箱は?今から何かするの?」
「するんじゃなくて、終わった後の片づけだよ。」
そう言うと、立てかけてあった道具類を拾い集めては次々と箱に放り込む。
「へ、終わったって、何してたの?」
「今のヴィハーンが何ができて、何ができないかの確認だよ」
すると突然、バンッと乾いた破裂音が響いた。火花が足元で弾け、焦げた匂いが立ち上る。
ヴィーの足首のあたりから煙が吹きあがっていた。
「わあああ!燃えてる!」
「焦げているだけだ」
そう言い残し、ヴィハーンはバランスを崩して倒れた。砂埃が舞い、地面に油染みがじわりと広がる。
「どっちにしろダメじゃん!誰か!お医者さんー!」
「こらこら。素手で触るんじゃないよ」
ユゥインはヴィハーンの隣にしゃがむと工具箱の蓋を開ける。手際よく部品を外し、原因の発火物を取り除く。その指先には迷いがない。
「ああ、衝撃を緩衝するところがイカレたんだね。こりゃダメだ。交換しようにも素材がない」
「ヴィーの足はどうなるの?」
金属のこすれる音が小さく小さく響いた。
「代わりのもん入れとくから歩けはするけど、激しい動きは無理だね。散歩程度さ」
「そうか。軽い戦闘は可能なんだな」
処置が終わってヴィハーンはゆっくりと立ち上がる。軽く足を動かすと、ぎし、とかすかに鳴いた。
ユゥインはため息をつき、仕方が無さそうに伝える。
「あんたね、本当に今は部品も素材も無いんだ。安物の代用品さえも切らしてる。……軽い戦闘って言ってもね、せいぜいが小走り程度さ。高所からの着地、重量物を蹴り飛ばしたりは絶対にやめておくれ」
「そうか」
ヴィハーンは短く返事をして沈黙した。
「何もかもが減る一方でね。補充しようにも、店を離れたら空き巣にでも入られかねない。出来ない事ばかりが増えていくよ」
ユゥインもため息をつく。気だるそうに髪をぐしゃりとかきあげるさまは、本当に疲れているようだった。
シャオは手の中の栄養バーを見つめた。歯を立てても容易には砕けない、なんとも言えない無機質な塊だ。楽園で食べていた、あの湯気を立てる柔らかな料理とは何もかもが違う。この硬さの向こうに、彼らの暮らす世界の厳しさを、少しだけ感じた。
「部品があれば、ヴィーの怪我は治るの? 私、頑張って探すよ。そうしたら……」
二人の様子を見てシャオが恐る恐る訊くと、ユゥインは苦笑を含ませながら肩をすくめる。
「シャオには無理だよ。ここでコイツの帰りを大人しく待つんだね。……なあに、その気持ちだけで十分さ」
「いや、シャオは連れていく」
その一言にユゥインは目を細め、ゆっくりとヴィハーンを見据えた。
「無理だろう。あんたの素材は都市部にしか──」
ユゥインの発言をヴィハーンが遮る。動作は静かだが、揺るがぬ強さがあった。
「最初から完璧を目指すわけじゃない。当然段階は踏む。近隣でとれる部品だけでも活動には十分だからな。ここらの機体は見たところほぼ全てが停止していた。稼働個体も石でもぶつければ壊れる程度のものだ」
「停止した機体ならまだしも、動いてるやつを襲うのは強盗だろう」
ヴィハーンは片膝をついて足首を確かめる。その動作だけで金属の軋みが響いた。
「襲い掛かってきた奴だけだ。それなら正当防衛になる。慰謝料として体を払ってもらうだけだ」
ユゥインは若干引いて、呆れたように「言い方…」とつぶやく。だが現状ではそれが最適解らしい。
「でもなんでシャオを連れて行く必要が?シャオは機体じゃなく肉体だ。メタルカブトムシにさえもボコボコにされちまうよ」
シャオは話についていけていない。「めたるかぶとむし…?」とポカンと空を見上げた。
「そんなに弱いのか……。ああ、いや。戦わせるわけじゃない。こいつは人間だ。正規の手段でデッドラインを越えることができる」
その言葉に、ユゥインの顔からすべての表情が抜け落ちた。
ユゥインもヴィハーンの機体を直したい思いはある。だが危険な場所にシャオを行かせようとする彼の考えは理解できなかった。脆い体のシャオを、連れて行かねばならない理由が。
「死にかけのあんたがデッドラインの外で休んでいる間に、肉体のこの子に部品を取りに行かせるってか? そうなら本気で軽蔑するよ?」
「いや」
否定のあと、ヴィハーンはしばらく俯き黙り込む。言うべきか、言わざるべきか。そのわずかな迷いが沈黙の中に漂う。ユゥインはその沈黙すら許さないと言わんばかりに、黙って見据えていた。そしてとうとう、彼は観念したように顔を上げた。
「……町の奴らには悪いが、今ここにいるのがお前だけでよかった」
やがて彼はゆっくりと手を伸ばし、シャオの細い手を取った。正確にはその指にはまった一つの指輪。
「通信機だ。——俺は、これに登録をしている」
シャオは事の重大さがわかっておらず、よくわからないまま指を動かしている。
ヴィハーンの指先がシャオの親指にはめられた金属の輪に軽く触れる。陽光が反射し、一瞬、刃のような鋭い光がユゥインの目に映る。それが何であるかを理解した瞬間、ユゥインの思考がわずかに止まった。
「……通信機? っ、は⁉︎、あんた、それは!」
光はすぐに目から外れる。一見、そこにあるのはただの簡素な指輪に過ぎない。
だが、アンドロイドにとってそれは単なる指輪ではなく、信頼の証といえる装置だった。




