安房直子さんの童話
当方にとって、あおげばとうとし勝手にココロのシショーなのは、佐藤さとるさんですが……
それにまさるともおとらない、好きな童話作家が、安房直子さん。
(「写経」のチョイスを見れば一目瞭然って気もしますね笑)
オコガマシクも童話を書こうなどと思い立ったのは、佐藤さんがきっかけですが、それをはるかにさかのぼり、いい歳して童話を読もうなどと、そもそも、思ったのは、小学校の教科書にのっていた安房さんの「きつねの窓」がなつかしくも忘れがたすぎたせいでした。
さいきん、その安房直子さんのエッセイを読んでいたら、『遠野物語』のことにふれていて、共感したというか、ネットスラング的にいうならかるく「おまおれ」でした。
――――(引用ここから)――――
『遠野物語』を読むのは二度目ですが、十年前に読んだときに感じたたいくつさが、今は少しもなく、ひとつひとつの話に、ぞくぞくするほどのリアリティーを感じることができるようになりました。私はそれを、とてもうれしく思っています。つまり、十年のあいだに、私は、日本の山と日本の民話の魅力に、だいぶ目ざめたのだと思います。この本を読んでいますと、山に棲む、さまざまの魑魅魍魎の息づかいが伝わってきます。『遠野物語』の中のひとつひとつは、完成されたストーリーではなく、いわば「断片」ですが、それが、私には、発掘された土器のかけらのように、魅力があります。
(安房直子「読むことと書くこと」より)
――――(引用ここまで)――――
当方の場合は十年どころか三十年かかりましたが(笑
いまはむかしの学生時代に、教養として読んだら、いまいち、たのしめなかった記憶があり……それがいつのまに、「これだ、これだ」と感じるほどに、なってしまっていたのだから、ふしぎなものです。
この連載でも、たびたび、本質的には「異国」とたいしてかわらない「異世界」より、ほんとうの意味でこの世のものではない「他界」に興味がある、というようなことを書いてきましたが……その他界というのが、日本においては、まさに遠野的な世界かもしれませんし、その魅力・磁力というのは、やはりこの連載でおりにふれて言及しているユング的無意識の世界と地続きであるようにも思えます。
それこそ柳田国男を論じて、昼の世界の秩序(父性原理)から排除され抑圧された、夜の世界(母性原理)の領域を云々していたのは、堀切直人の『迷子論』だったかと思いますが……
そういうシンプルな二元論が通用するなら、いったんは他界にまぎれこむにしても必ず現世に帰ってくる、キャンベル的なイニシエーションの物語は、あくまで昼の世界の秩序・父性原理に属するものであるのにたいして、『遠野物語』的な民話探求の底にひそむエートスには、夜の世界・母性秩序そのものに対する執着が多分にふくまれている気がします。
以前、この連載でも、谷川ゆに子にふれておきましたが……
https://ncode.syosetu.com/n7715ll/37/
つまるところが、安房直子さんの童話のかずかずにも、どこか、それと通じる、グレートマザーの呼び声を、感じるような気がしないでもないのです。
しばらく前にこの連載でこだわっていた『赤ずきん』が、母胎の外に出てくる話であり、それが父権的なイニシエーションの物語であるとするならば、以前に「写経」した安房直子さんの「野の音」のような、母胎の中にとりこまれておわる物語は、では、何なのか?
たんなるヒーローズジャーニーの失敗であり、敗北であり、バッドエンドでしかないのか……というと、そうとも言いきれない何かがのこる気がします。
母胎から出ていく/いかないが問題ではなく、そもそも母胎の中はどうなっているのか、何があるのか。何がそんなにキモチイイのか。また、オソロシイのか。
それをこそ表現しようとしているような、没入感こそ、真骨頂という気がしないでもありません。
しかし、どうすれば、そんなものを表現できるのか?
「うさぎ穴」のむこうがわに、たんなる異世界ではない他界・異界を現出せしめる、それこそ「魔法」のようなことばたち……
当方にとっての安房直子さんの童話の魅力は、どうも、そのあたりにあるのかもしれませんし、そうした魅力をなんとかガクシャ的に説明しようとして、モノノホンが、安房童話にはってみたりするレッテルが、たとえば「象徴童話」のような、わかったようなわからないようなアレなのかもしれません?
――――(引用ここから)――――
1 創作童話、象徴童話と呼ばれるような短編
昔話が子どものために再話され、その人気と魅力が証明されて以来、昔話のモチーフを使ったり昔話の構造を借りたりして、作者のいる「創作昔話」(ドイツでは「クンストメルヘン」、英語では「リテラリ・フェアリーテイル」と呼ばれ、日本ではしばしば「童話」と総称された)が描かれるようになる。(中略)日本では、小川未明(一九一三-一九六一)、宮沢賢治(一八九六-一九三三)、あまんきみこ(一九三一-)、安房直子(一九四三-九三)などの短編が相当する。
(川端有子『児童文学の教科書』より)
――――(引用ここまで)――――
そういえば、安房直子さん、先に引用したエッセイの中で、宮沢賢治への傾倒も語ってらっしゃいましたね……。
当方は、まだまだその域に達していないというか、(銀河鉄道などいくつかの作品を別格にして)、賢治童話、いまいち苦手なのですが(汗
そのうち、『遠野』みたいに、いつか、「開眼」しますかねえ……?
(ココロノシショーも、妙に「電信柱」がお好きな方だったりはしたみたいですしね…)




