グレートママン
童話一本書きました。
https://ncode.syosetu.com/n9395mg/
猫の臨死体験(笑
三途の川まで「行って・やって・帰ってくる」オハナシです?
先だってからいっている「死」の童話の……まあ、エスキスというか、かるいジャブみたいなものですかね。
しかしどうにもおもしろくならなくて困りました(汗
「死」がイヤだから、あらがうからこそ、ドラマ(≒葛藤)として成立するのであって、キューブラー・ロス的に死を「受容」してしまったら、ドラマ的には実はあんまり盛り上がらない……?
……などといってもイマサラで、書きはじめちゃったものは、はてさてどーすんだと悩みつつ、何度も読み返し、書きなおししていましたが(汗
そうこうするうちに、だんだん、教科書的なまでにユング心理学的な構造がうかびあがってきて、われながら無意識さんが仕事してくれてるなーとは、実感したわけです。
えーとですね。。
30年くらいまえに河合隼雄がプチ流行ったときに読んだ付け焼刃のうろ覚えですが……
ユング的な、母=太母=グレートマザーの原型というのは、なにせユングですから、両義的。
母は子どもを産み育て守る善き存在である、と同時に、母は子どもを甘やかし、守るといいつつ拘束し、成長を阻害し、かえってダメにしてしまう存在。ダメの究極は死。
今はどうだか知りませんが、そのむかし、母親のことを、俗に「おふくろ」ともいいましたが。袋というのは、包みこみ保護する存在でもあり、閉じ込め窒息させる存在でもある。あるいは、そこに入る・入れる存在でもあり、そこから出る・出す存在でもある。
母というのは、子どもを産み育てる「生」の側面と、子どもを飲みつくす「死」の側面がある。
善きグレートマザーが悪しきグレートマザーに「変貌」したわけではない。「包みこむ」という同じ機能の両側面。抱きしめ・抱きつぶす。だから「両義性」「両義的」。表裏一体分離不可能。
グリム童話の継母はもとは実母設定だったし、ドイツのホレおばさんも日本の山姥も、災厄と恩恵の両方をもたらす。記紀神話の太母・イザナミは、数々の子どもを産む生の女神であると同時に、一日千人をくびり殺す冥界の女神でもある。
出産は「この世」への出現。裏を返せば、胎内とは「この世」ではない。つまり「あの世」。出産の裏返し(≒胎内回帰)は、一種の黄泉路。
こうした母の機能に対して、ヘソの緒を「切断」し、母子密着を強制終了させる存在が、ユング的な父の原型。
盲目的に子どもを守ろうとする母=母胎からの(しばしば暴力的な)脱出、救出。
外界への出発≒社会化をうながす存在。
(父の元型にも当然両義性がありますがとりあえず今回は割愛)
こうした神話を再現したというキャンベル的な儀式において、重要な意味をもって登場するのが、母胎のメタファーとしての洞窟的な=四囲を囲まれた=包みこむ=袋的な空間。
儀礼の参加者は、その空間へ、行って・やって・帰ってくる。
この世ならぬ空間への進入と、そこからの帰還――
「あの世」への回帰(胎内回帰)と、「この世」への復帰(出産)――
いっぺん死んで、よみがえる(≒黄泉帰る)。
それがイニシエーション≒成長儀礼。
子どもから大人への脱皮≒生まれ変わりの象徴表現。
というのが、まあ、古典的な構図ですが……。
たとえば、グリムの『赤ずきん』のオオカミなんかも、フロイト的な解釈だったら、性的な誘惑者≒男性、とでもなるのかもしれませんが。
ユング的には、おばあちゃんの"代役"になったあげく、子どもを「飲みこむ」オオカミは、むしろ、悪しきグレートマザーにこそ相当するといえないことはなく。
オオカミのお腹を裂いて子どもをとりだす(≒帝王切開)猟師こそが、ヘソの緒を切断する父親(的存在)ということになる……みたいなしったか解釈は、むかしっからあったようななかったような気はします。グレートマザーによる死と、父による再生。まあ、俗流解釈かもですが。父ニアリガトウ、母ニサヨウナラ、子ドモタチニ「オメデタウ」。どっとはらい。
その文脈でいうなら、今回の童話の場合、「空き家」という四囲を囲まれた袋状空間が、母猫が子ねこを生み育てる場所であり、母胎のメタファーそのもの。
そこは包まれ、守られ、愛される、シアワセな場所。
しかし、いつまでもその場所にいつづけると、なにか、ひらひら飛んできて、三途の川まで連れていかれたりもするわけです。悪意じゃなくて愛ゆえに(汗
(※余談ですが、チョウを死者の魂と見る観念は古今東西のフォークロアにめずらしくないそうで……先だって朝ドラで一時的に話題になったラフカディオ・ハーンなんかにもチョウを魂とした奇談やエッセイがありますね。ハーンは二次創作なので、つまり、チョウを死者の魂と見る元ネタがそれだけ多数あるということ。俳句とかもけっこうあるって、ハーン集めてましたっけ? フォークロアどころか、わかき日のキューブラー・ロスが、現実に、ナチスの収容所で見たという無数のチョウの絵のエピソードなどは強烈)
その空き家≒母胎を取り壊し、タマを救出するのが、おとうさん、じゃなかった「さとうさん」。
破壊されるのがグレートマザー≒オオカミなら、これもあるいみ帝王切開。猟師さんとおんなじことをやってるわけで。
つまるところが、今回も、死の童話であると同時に、やっぱり誕生の童話でもある、というかナントイウカ……
なにかってえと「おぎゃあ」とかやらかしちゃう、
『さくらのてまりうた』https://ncode.syosetu.com/n8007ll/
『あっちがわの水』https://ncode.syosetu.com/n5910ll/2/
とかとかと、ある意味、結局、同工異曲?
当方、まいど同じことばっかりやってるかしら(汗
まあ、あえて、むりくり、前向きに考えるとすれば――当方の童話も、それだけ、古典的・教科書的・普遍的なユング的構造には、なっていないこともないようで、さすが無意識さんはイイ仕事しますねというところではあります?
だからって物語的におもしろいかどうかは別モンダイですが(泣
個人的には、構造がはっきりした段階で、だいぶ、スッキリはしたので……これはこれで、中間報告・成長記録。一応、完成・公開ということにしたわけです。
おもしろいかどうかは以後精進。
少数でもご感想・ご好評はマジありがとうござます。というところです。
※追記:
ちなみに……
出産てのは人生(ねこ生)のスタートラインにすぎないともいえるわけで、このあと、タマ、どうすんでしょうね?
あれこれ妄想してたら……なにかちょっと暴走しまして(笑
"すっかりボス猫の情婦化した姉さんと再会。それがもとでボス猫と敵対。ボスひきいるノラ軍団と、タマひきいる家猫集団の壮絶なバトルが~"
とかナントカ(笑
"仲間たちの助けを得て、ついにボス猫を倒すタマ。しかし、死に際のボスが「おまえの母は」とかなんとか意味深なことをいい残し……
母の死の真相を求めて、タマのあらたなる旅が始まるっ!
『流れ星伝説タマ』第一部邂逅篇完。第二部疾風篇につづく――"
なんてことになったりならなかったりしたとかしないとか?
童話というより昔の少年マンガですな。クマでも倒しに行くのかしら。それ猫ちがう。犬じゃん(笑
……というのは冗談にしても。
姉さん目線のスピンオフ短編くらいは、(ちゃんと「童話」として)、書いて書けないこともないような気がしてきましたw(←書くとはいってない)。




