還りたい場所?
先だって「死」の童話を書きたいとかなんとかいいましたが。
そこでいう「死」とはおどろおどろしいものではなく、むしろ――キューブラー・ロスとまではいかないにしても――柳田国男の『先祖の話』的な裏山だったり、あるいは平田篤胤的ないまそこにある幽冥界だったり、のような、慕わしい、懐かしい、なにか、というつもりでしたが(だから「親和性」ともいったわけですが)。
共時性(笑)なのか何なのか、最近、たまたま衝動買いした新書本に、それこそ、
――――(引用ここから)――――
村の祖霊は、自己の子孫達の幸福とその発展を常に念頭において、これを愛護していること、常の親と何等変わりはない。(P62)
やはり人は、茫漠とした「死後の世界」ではなく、懐かしい「ふるさと」であるところの「あの世」に還って行きたいのではないでしょうか。(P97)
(谷川ゆに『「あの世」と「この世」のあいだ ――たましいのふるさとを探して』より)
――――(引用ここまで)――――
など、そのものズバリな感受性をかんじさせる記述があちこちに目について、ちょっと「ををっ」と思いました。
民俗学方面の学者(谷川健一の姪?)の著書、といっても、専門書ではなく、旅エッセイに近いもので……なかには佐藤さとるさんや、C.S.ルイスの『ナルニア』シリーズへの言及なんぞもあったりして、あげく、
――――(引用ここから)――――
理屈めいて説明してきた回もあったけれど、ようするに「生きていることはとてもさびしいから、懐かしくて安心できる場所に還り、抱かれていたい」という、ひどく単純でどこか幼い切実さがいつもあったのは間違いない。それは、幼子がよちよち歩いた先に飛び込んでいって眠る、お母さんの懐のような「魂のふるさと」である。(P193)
私は今なお、さながらベソをかいてうろつく迷子のような心持ちである。が、旅をしてみて一つ分かったのは、お母さんの懐探しにおいては、冷静な大人の態度や学者的な眼差しよりも、一見、頼りなさそうな幼児的感性の方がむしろ確かな道しるべになるということだった。(P194)
(谷川ゆに『「あの世」と「この世」のあいだ ――たましいのふるさとを探して』より)
――――(引用ここまで)――――
などというにおよんでは、もう、いわゆる「おまおれ」かと……(笑
佐藤さとるさんを勝手にココロの師匠と思い定めて、ナルニアを横目で見つつ、母恋い&迷子のオハナシから、童話を書きはじめたという当方には、なにげにささる内容でした。
なので、ちょっとシェアしておきたかったという……
今回はただそれだけだったわけです(汗
ま、前述のように、旅エッセイ・紀行文くらいの新書本で、もちろんそれなりに知的な面もありますが、書斎のさかしらではなく、それ以前に、まずは、考えるな、感じろ、な世界というか……ときにはだいぶポエムも入ってくる一冊だったかもしれませんが。
しかし、内心にそれくらいのポエジーがないと、退屈な事例の羅列に終わってしまいがちなのが、民俗学とかいうやつかもしれないわけで……
「学」以前の感性的な部分で、共感できる人はできるのではないでしょーか。というところ?かと。




