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童話についてアレコレ  作者: 七瀬みる


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「死」の童話

 いつまでつづくかわかりません。あるいは一過性かもしれませんが。

 なにか最近、「死」についての童話を書きたいなー、などと思ったり思わなかったりする今日この頃。


 そういうと、なにかブッソウみたいに聞こえるかもしれませんが……



――――(引用ここから)――――


一方、登場人物の「死」についていえば、児童文学が発生してからこのテーマが描かれなかった時代などなかったといっていい。このこともまたのちに詳述するが、一般に「児童文学にこんなことを書いていいのか」と首をかしげる人は、じつは児童文学をほんとうに読んだことがなく、「なんとなく」自分なりのイメージを抱いているにすぎないのである。

(川端有子『児童文学の教科書』より)


――――(引用ここまで)――――



 ……↑なんて、モノの本もあるわけで。


 いわれてみればというやつですが、あらためて「書きたい」などいうまでもなく、当方自身、処女作「おかあさんの桜」はおそらく死別の話かもしれませんし。最近作の「道しるべの花」はそのものずばり死者に会いに行く話ですし。

 一見、平和な「きんいろのどんぐり」でさえお祖母ちゃんはさいごにコッソリ仏壇のなかで笑ってたりしますし……

 介護ネタの「こもれびの道」なんかも、その方面の気配はただよってるというか、そもそも葬式とか遺影とかもでてきたよなあ、というぐあいですし。

 葬式といえば「雪迎え」はそのまんまですねえ……

 意図したわけではないんですが、わりと死屍累々ですよね、当方(汗


 なぜそうなるのか?


 創作作法として意識していたのは、キャンベル的な「行って・やって・帰ってくる」くらいなのですが……

 考えてみれば、それは、同時に「死と再生」のイニシエーションでもあるわけでして。

 最初っからインストールされてるんですよね>「死」。


 ユング的なセラピー体験においては、往々にして、回復に先立って「死」の疑似体験があるともいいますし……

 ユングの影響色濃いキャンベル的な儀式においても、演劇的に追体験されるのは「死」だったりするわけですし……

「死」といえば、五段階説のキューブラー・ロス。後年はだいぶ神秘的な傾向が強くなって、いわゆる臨死体験その他についても語りだしましたが、それは、やはり、人生観を一変させる、それこそ生まれ変わったような経験だとかなんとかですし……


 なにしろ、「死と再生」――いっぺん死んでよみがえる――というのですから、つまり一度は「あちら」に行っているわけで。

「行って・やって・帰ってくる」というときの、その行く先は、往々にして――というより、むしろ、比喩的な意味も含めてしまえば、つねに、「あの世」以外の場所ではない、ということにもなるのかもしれません。


 実際、キャンベル的な英雄神話は、わりとしばしば頻繁に、異界・他界の訪問譚であり、ときには端的に冥界探訪(キャンベル自身が例示してるところではイナンナとか?)だったりもするわけで……

 そもそも、よしんば、行く先が実際には現実世界のどこかでしかなかったとしても、共同体の外部というのは、比喩的というか、中心周縁論的なコスモロジーのなかでは、すでにそれだけで他界・異界と地続きというか、それそのものみたいなものでもあるわけでしょう。

 そういう意味では、物語の主人公は、出発したというただそれだけで、すでに「あの世」に足をふみいれているも「同然」ともいえるのかもしれません。


 つまるところ……


「物語」というものは、ただ「物語」であるというそれだけで、すでに、相当、「死」との親和性が高いものなのかもしれませんし、当方などがこころざす童話・児童文学なるジャンルも、例外ではないのかもしれません。

 それどころか――冒頭に引用した教科書のいいぐさが本当なら――むしろ、童話・児童文学こそが、ほかのどのジャンルよりも、本質的に「死」と親和的なジャンルなのではないかと……個人的にはそう思ったりしないこともありません。


 なんとなれば、河合隼雄にせよキャンベルにせよ、彼らが死と再生の追体験によって実現するといっているのは、イニシエーション≒成長儀礼なわけで……

 物語とは「成長」を必要とする世代にとってこそ、意味がある。とすれば、それは大人よりむしろ子どものためにあるべきものではないのか――などとも、思えるのです。


 実際、雑に児童文学を見渡しても、ノンちゃんの「雲の上」なんて「あっち」以外のどこだって話ですし。

 ネムリコやマリアンヌみたいな病気のときに見る夢なんてのも、すれすれで臨死体験。

 ルイスの『ナルニア』なんて、最終巻で、そのものズバリな展開になっちゃいますし。

 あるいは、アリソン・アトリーの『時の旅人』みたいに、過去の人たちとナカヨクなったりした場合、過去の歴史上の人物って、つまりとっくのむかしに死んだ人たちですよねえ……ですし。

 きつねのごんは救いがないし。

 すずかけ通りだって死んだ子どもに会う話ですし。同じ作者には逆に死んだ母親に手紙を届けてくれる郵便屋さんとかもでてきますし。

 あまんきみこ、安房直子、松谷みよ子……死との親和性が高い作家さんは枚挙に暇もありません。というか、松谷さんの民話収集、とある文庫本のタイトルなんかにいたっては『あの世からのことづて』だったりしたよなあ、というかナントイウカ。


 ほかにもあげていけばきりがなさそうです。


 当方、単なる外国みたいな「異世界」より、「異界」「他界」の手触りが好き、などと、この連載で何度かいっていますが。

 そうした指向?志向?嗜好?のよってきたるゆえんというのも、さかのぼれば、つまり"そういうこと"なのかもしれませんし……

 とすれば、他界の物語≒死の物語をこそ、書きたい、というのも、自然ななりゆきというべきでしょうか。


 まあ、どうやったら書けるのか――それもうまく書けるのか――それがモンダイなのですけどね(汗


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