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童話についてアレコレ  作者: 七瀬みる


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ナルニアの陽のもとに

 以前、この連載で、たんなる「異国」とたいして変わらない「異世界」より、現世と根本的に異なる「異界」「他界」にひかれる……というような話をしましたが(※ep3「異世界の陽のもとに」参照)。


 そうした「異界」を感じさせてくれる児童文学のビッグネームとして、C.S.ルイスの『ナルニア国物語』シリーズをあげてみたいと思います。


 あの作品に登場する、ナルニアやアーケンやカロールメンといった国々自体は、当方的には、それこそ「異国」とたいして変わらない「異世界」であろうと思われます(カロールメンなんかはロコツにアラブ諸国というか中東というかイスラム圏ですしね)。

 それは、まあ、そういった国々にも、しゃべる動物とか、パンだフォーンだセントールだと、神話の生物が暮らしていたりもしますが、これら「異世界」の住人は、その水準では、文字通りの住「人」にすぎず、「キャラクター」としてはどこまでも人間と等価でしかないのではないでしょうか。姿かたちがちょっと個性的なだけのヒト。


 しかし、ナルニアシリーズの場合、そうした人界とはまた別に、「アスランの国」というのが存在し……これは生きた人間が住む場所ではない(実際、4巻の時点でシ者がごにょごにょしますし、最終巻でもアレするように)、文字通りの「異界」であり「他界」であろうかと思われ……

 その異界の存在が、人の住む現世にどうかかわってくるのか、という、神話的なコスモロジーみたいなものを感じさせてくれるというか。異界の存在に裏打ちされることで異世界も厚みを増すというか……

 そういう異界のフォークロアに由来する魅力が、あのシリーズにはあったような気がします(それがすべてでないのはもちろんとして)。


 ちなみに……


 比較するのもオコガマシイですが、一応、当方自作の「あっちがわシリーズ(仮)」というのも、複数のパラレルワールド≒「異世界」に対して、時間の裏側という共通の「異界」が存在するような構造になっているというか、できないものかと思っていたりはするわけで。

 そういえばナルニアにも、(6巻でポリーとディゴリーが目撃したように)、複数の異世界につながる林みたいのが登場しましたね。パラレルワールド共通の異界の一種かしら。


 また、そのあっちがわシリーズには、最近の第五話で、シャーマンみたいなものも登場したわけで……

 どうも、当方、北欧とかギリシアとかといった、エンタメの元ネタとしてメジャーな神話より、ネイティブアメリカンとかアボリジニとかといった、シャーマニズム方面の――日本のエンタメでは今一歩マイナーな――神話というのが、わりと好きみたいだと自覚した次第。

 こうした志向というか嗜好というかも、また、上でのべたような、当方の異界・他界趣味と、かかわっているかもしれません?


 といいますのも……


 ガクモン的にどれくらいコンセンサスのある解釈か存じませんが、佐々木宏幹あたりにいわせると、シャーマンとプリースト(祭司)には区別があるのだそうで。


 祭司プリーストというのが、教義・教典にのっとって儀式をとりしきるあくまで現世的な権威者・権力者であるのに対して、

 シャーマンというのは、個人的異能によって、(脱魂or憑霊の区別はあるけど)、直接的に異界と交渉する、霊的な媒介者だ、と。

 ……当方ごときの要約に厳密性をもとめられても困りますが、ざっくり、だいたい、そんな感じに違うのかな?というところ。

 なので、シャーマンにはあくまで個人的な「能力」がもとめられるのに対して、祭司にそんな能力は必要ない。あくまで教義とか教団の組織力にもとづく現世的権威・権力がキモ。


 したがって、祭司が組織化され社会的に高い地位についている西洋(教会)やインド(バラモン)のような社会の場合、シャーマン的な人物は魔女や呪い師といったイカガワシイ存在として低い地位に貶められるのだとか。

 日本でもそうですね。僧侶や神主といった祭司プリーストに対して、口寄せ巫女やヨリマシ、拝み屋のたぐいは、イカガワシイ低位の存在と観念されることが多いかと。


 しかし、そうした職掌が未分化で、祭司が存在しないというか、シャーマンが祭司を兼務しているような社会では、シャーマンの地位は相対的に高くなるのだそうで……


 だとすれば、当然、それら二種類の社会によって語り継がれてきた神話・伝承というのも、やや性格を異にしている可能性はあるわけのものでしょう。

 そして、異界との直接交渉が当然視され、その能力が高く評価されるシャーマニズム的な社会の神話というのは、当方のような異界趣味のスキモノからしてみれば、なかなかに興味をそそるものでもあるわけです。


 なお、また。


 祭司的な社会においては、シャーマン的な存在は低く貶められるといっても、まったく存在しなくなるわけではなく、社会・文化の底流・基層として、存在しつづけるということも、当然、想定できるわけで……西洋にも、キリスト教以前の土俗のにおいのする民間伝承などは、ひそかにシブトク生き残っているかもしれません。


 それこそ『ナルニア』のC.S.ルイスなんかは、わりとそっち方面の専門家でもあったわけで、ギリシャや北欧のようなメジャーな神話伝説だけでなく、さまざまな(マイナーな)伝承などふくめて援用しつつ、雰囲気を盛り上げてくれているかもしれませんね。


 シリーズのなかでも、第三巻「朝びらき丸、東の海へ」などは、アスランの国をめざして航海がすすむにつれて、世界(≒異界含めたコスモロジー全体)の核心に近づいていくようなワクワク感を、当方など、感じるわけですが……その航海の途中で遭遇する場所や出来事など、すでに、いろいろなフォークロアが下敷きになっているのでしょう。

 そのすべての元ネタを指摘することなど当方ごときには不可能ですが……

 ただ一つだけ。

 先だって、たまたま読んだ本に、次のような記述を見つけて、ひざを打ったことがあったりはしないでもありません。



――――(引用ここから)――――


『マールドゥーンの航海』では船乗りたちが大西洋のとある海域に行く。そこはうすい雲のように海水が透明で、覗くと森やお屋敷や草をはむ家畜たちの美しい国があった。海底の世界への信仰心までもアイルランドの伝説に生きている。その住民は人魚ではなくわれわれと同じ人間である。漁師たちの網には時々、ヘザーの枝、じゃがいもの入った鍋、あるいは海底の子供もひっかかる。むろん子供はすぐに海に戻されるという。

(ジャックリー・シンプソン『ヨーロッパの神話伝説』青土社P70)


――――(引用ここまで)――――



 ルイスが直接この伝説を採用したのかまた別に類似のネタ元があるのかどうか知りませんが……「朝びらき丸~」の読者であれば、航海終盤のあのあたりの描写を、思いだすことはできるのではないでしょうかというかナントイウカ。


 キリスト教の世界観をベースにしているといわれる『ナルニア』ですが、教会の眠たいパンフレットみたいなものが、世界中の子どもを夢中にさせるはずはないわけで……傑作児童文学として成立している時点で、もっと普遍的無意識というか、文化(たんにキリスト教文化ではなく異教的なものも含めた西欧文化まるっと)の基層を成すような原初的な感覚にも届いているのではなかろうか、などと思うわけですが。


 その原初的な感覚というのも、異界との直接交渉を可能にする――すくなくとも欲求する――シャーマニスティックな感覚と、どこかで通底しているような気がしないでもありません。

 というか……

 第三巻フィナーレで、生身のままアスランの国へ行ってしまった(≒行くことができた)リーピチーフ――つまりは「異界との直接交渉」を成就させたあのネズミ紳士などは、それこそ、文字通りの意味で、一種のシャーマンでもあったのかもしれません?(キリスト教的には祭司=プリーストなのかもしれませんが……祭司とシャーマンの兼務というそれこそシャーマニスティックな社会への先祖返りかしら?)



あっちがわシリーズ(仮)

https://ncode.syosetu.com/n5910ll/

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