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童話についてアレコレ  作者: 七瀬みる


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ヴァージンズ・プロミス

 大塚英志さんが『物語の体操』や『キャラクター小説の書き方』をかかれたころから、日本でも、従来のアヤフヤな与太話とは異なる、実用的な創作術が書かれるようになってきたと思いますが。

 そうした創作術のいちばんのベースになっているのは、(すべてをたしかめたわけではないので断言はできませんが)、やはり、ジョゼフ・キャンベル&ジョージ・ルーカスに由来する「ヒーローズジャーニー」の物語類型でしょうか?

 しかし、この「ヒーローズジャーニー」は、本当に、唯一の物語の類型なのか、疑問を呈する向きは以前からあったようで……

 ヒーローズジャーニーをハリウッド用の脚本術におとしこむ先鞭をつけたクリストファー・ボグラーにしてからが、キム・ハドソンの著書によせたまえがきで、次のように述べています。



――――(引用ここから)――――


 しかし、このアプローチには何かが不足している感が拭えない。ほんの少しだけだが、観点が男性寄りなのである。私は性別にとらわれず、できるだけ中立的な解釈を心がけているけれど、やはり「偏っていませんか」とのご指摘を頂く。そしてある時、私は気づいた。英雄という言葉からして男性寄りなのである。私の講義を聞く人も、英雄という言葉からアクション映画や戦隊もののヒーロー、軍人を想像しがちであるようだ。女性の方々は「男が何かを勝ち取りにいく話はわかったわ。じゃあ、女はどうなの?」とお思いになっているだろう。


(キム・ハドソン『新しい主人公の作り方――アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術』所収「序文 クリストファー・ボグラー」より)


――――(引用ここまで)――――



 そこで、というように、キム・ハドソンが提唱する物語類型が「ヴァージンの自己実現」です。

(※女性的な原型から模索が始まったヴァージンですが実際の主人公が女性である必要はありません(ヒーローズジャーニーの主人公が女性であってもよいように)。ハドソンの著書にはヴァージン類型の映画の実例がいくつもあげられていますが、そのうちのひとつ『リトル・ダンサー』などは、男性(少年)主人公です。こうしたヴァージンの男性版はプリンスと呼んでもいいそうです)


 ヒーローズジャーニーが、外界での旅をイメージするのに対して、ヴァージンの旅は内面への旅のイメージです。

 ヒーローは自己の狭い世界から旅立って外の広い世界を認識します。対してヴァージンは外の世界の雑音をシャットアウトして、他者に左右されないほんとうの自分を発見します。


 ヒーローズジャーニーは、キャンベル神話学の成長儀礼=イニシエーションの物語ですから、個人が成長して共同体の成員として受けいれられる構造を持ちます。成長≒変化するのは個人であり、共同体は不変です。そこに共同体の価値観の是非を問う視点はありません。

 対して、ヴァージン類型の物語においては(偽の自己から真の自己に脱皮するという意味での変化はありますが)ほんとうの自分を発見したあとは、その自分は不変です。自分をつらぬく個人に感化されて変化するのは、共同体のほうです。


 ヒーローズジャーニーは共同体への適応の物語。

 ヴァージン類型は共同体の変革の物語。

 ともいえるでしょうか。


 このヴァージンという類型が、ほんとうに、ヒーローに対置できるほど確固とした原型・類型なのか、については異論もあるかもしれません。内面への旅も旅なんだからヒーローズジャーニーの変形だとかナントカ。

 が、われわれの目的はヒーローズジャーニー理論の正しさを証明することではなくて、おもしろいオハナシを書くことですからして……ざっくりと既存の作品を分類するような、一種のプリコラージュツールとしては、便利で実用的な概念ではありえそうです。


 児童文学でいうならば、たとえば、バーネットなんかはどうでしょう。

 ヒーローは「行って・やって・帰ってくる」物語ですが、『小公子』も『秘密の花園』も、新天地に「行って」そこで定住します。帰る場所とかはありません。新天地があらたな故郷・ホーム・家庭になります。

 そこで主人公が何をするかといえば、硬く心を閉ざした祖父や叔父の心を変革し、家庭や領地といった共同体をよりよいかたちに再生させるわけです。

『秘密の~』は多少はわがまま娘の成長という側面もありますが(それも半分はムーアの気候風土のおかげですがw)、『小公子』は最初から完成された天使?であって、自分をつらぬく不変の個人が、共同体のほうを変化させるという意味で、上で紹介したヴァージンの類型のほうに、近いように思います。


 と、ここまで書いてきて……


 あれ?


 最近、当方が書いた『パレアナ・プリズム』(https://ncode.syosetu.com/n0483lq/)も、もしかしたらヴァージン類型の物語だったんではあるまいか――などと思ってみました。おもしろいかどうかは別にして。

(まあ、キム・ハドソンやバーネットをおもしろがっている時点で、当方にも、そっち方面の素養はあるということかもしれませんしね…)


 キム・ハドソンによれば、ヴァージン類型の物語の前半のおおきな焦点のひとつに「秘密」というシーケンス(ビート?)があるようです。うろ覚えで恐縮ですが……


 共同体を変革するに先立って、ヴァージンは、真の自己発見・自己認識を達成しなければならない。それは「秘密」のうちに行われるというのです。まさに『秘密の花園』ですね。

 上であげたハリウッド映画の例でいえば『リトル・ダンサー』というのは(当方、映画自体は未視聴ですが、スポットCMとかは公開当時、流れているのを見たことありますし、だいたいのあらすじはハドソンの著書でも紹介されています)、肉体労働だったりボクシングだったりというマッチョな価値観をもつ男所帯にうまれた少年が、そのマッチョな価値観とはかけはなれたバレエ=ダンスにはまり、本当の自分(≒ダンサー)を発見していく物語。

 そのさい、その自己認識の深まりは、家族にかくれてこっそりダンスレッスンにかようという、「秘密」のうちに行われます。


 で、当方の『パレアナ・プリズム』も、小五男子らしからぬキラキラグッズにはまってしまった男の子が、同好の女の子と秘密裏に交流していくという展開で……

 短編ですから、ハドソンがいうような、その後の「発覚」からの共同体の変革なんて展開までは描くつもりはなかったのですが……それではどうもすわりが悪い気がして、ついつい書いてしまったのが、その先の展開。

 二人の秘密がクラスメイトにばれて、さんざんにからかわれたあと、それをひっくりかえして、最後はみんなでキラキラグッズをつくろう、というように、クラス(≒共同体)のほうが変化していくような話に……なり……ました……よね? あれ? そうでもないか?(まあ、そのへんは、当方の力量云々、ホットケヤゴルア)


 えーと、まあ、その、つまり。


 やはり物語の「類型」、ユング的「原型」の支配力というのは、相当なものがあるのかもしれません。


 というか、それをいうなら、当方の作品の参照元である、エレナ・ポーター『少女パレアナ』も、いわれてみれば(いうまでもなく?)、すでにしてヴァージン類型ですね。

 パレーおばさんやペンデルトン氏をはじめ、スノーおばさんその他、町の人々。ベルデングスヴィル全体が、パレアナの「喜びの遊び(よかったさがし)」で変革されるわけですし。

 パレアナは最初っからキャラが安定しているので「秘密」における成長というのはあまりないかもしれませんが、その人格を形成した父親(故人)との暮らしは、ベルディングスヴィルの住民はくわしく知らないわけですから、ある意味で秘密になっていますし……パレーおばさんにいたっては「遊び」の存在を知ったのは最後の最後ということで、それまでは秘密にされていたともいえますかね。


 あー、こういう流れでいうならエクトール・マロの『家なき娘』なんかも、祖父のハートと工場を改革するヴァージンの物語ですが……あれなんかも、ずっと正体をかくしている≒「秘密」にしているのでしたっけ。

 やっぱり便利ですね、この類型……


 べつにエラソーに創作論などぶちあげるつもりはさらさらないですが……

『小公子』も『パレアナ』も『家なき娘』も、ぜんぶ、昔、ハウス名作劇場でアニメ化されたことがありますから、してみると、この連載の第二回でふれた、佐藤さとるさんのいうおもしろさの種類にも、この、ヒーローとヴァージンという、類型の種別は、もしかすると関係してこないこともないのかしら?などと……

 ひとりでかってに面白がっていたりする今日この頃なのです。

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