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第三章 ⑥

誘拐なんてマネをしておいて目の前にいるので全員というのは少し考えにくい。外には見張り役なんかも――。

「考えるだけ無駄ですよ。助けなんて来ませんし、逃げ出すことも出来ませんから」

「…………」

聞く耳持たず。事態がどう転ぼうと、黙って身代金を渡すなんてあるはずがない。

ふふふっ、と肉壁の奥で顔が歪みそうになるのを必死にこらえていた男から。仕掛けたイタズラに誰かがかかるのを待っている時のような、つい漏れてしまったような笑い声。あまりの気味悪さに足だけ一歩後ずさるエイリス。

「断言しましょう。助けが来るころにはあなたはもうここにはいません」

「だから何で――」

目が合った。いつの間にかエイリスと男の距離は縮まっていて、男の瞳に映る自分の姿が見えてしまうほどに覗きこまれて。蛇を思わせるような口が半月に歪む。

「実は、電話なんてしていませんから」

「……え?」

唐突に告げられた真実はエイリスの脳の許容オーバー。耳に入ったはずの言葉はそのままエラーを起こして素通りしてしまう。

「聴こえませんでしたか? 私は、そもそもあなたの家に電話などしていないと言ったんですよ。ティーニエの令嬢は誘拐などされていないし、もちろん身代金も要求されていない。単に一人でいつものように街へ出かけて、たまたま帰りが遅くなっているだけ。世の中のだれもがそう思っているのです。 

「ね? 助けが来るはずないでしょう?」

「な、ならどうしてこんなことしてるのよ」

問い掛ける声が震えていなかったかどうか自信が持てない。初めからそう告げられてたならこうまで動揺することはなかっただろう。

そして、男の言葉に含まれていた微妙な引っかかりを聞き逃すことも。

どうにか自分一人で脱出する方法を見つけ出そうとしていたはずだ。

……安心してしまっていたのだ。心のどこかで。行動は控えめに、思考は他人を当てにして。安定からの『揺らぎ』は、振り幅が普段よりもずっと大きい。

「それを話す義理はありませんよ」

エイリスの反応に満足げに頷いて、男はスーツの後ろに戻っていこうとする。

その時。ピピピピッ……と、電子音が鳴り響いた。

――これって。

聞き覚えのあるそれは間違いなくデバイスのもの。音源は男のスーツの中。

「ほぉ……」

感心したような声は吐息交じりに。

「お友達からお電話ですよ、エイリス様」

歩みを止めて振り返った彼の手には、未だに着信音を鳴らし続けるエイリスのデバイスが握られていて。

表示名は――セフィア・モル。

この状況でエイリスの取るべき行動は一つ。なのに、不安が決断を鈍らせた。その逡巡が命運を分けた。迷っている間に着信は途切れてしまう。

「っ」

自分に対する落胆か、それとも嫌悪か。失望と言ってもいいかもしれない。デバイスの在り処がわかったのは収穫だが、それを取り返すための確実性は大きく損なわれてしまったのだ。

無謀を無謀でなくすチャンスの喪失。エイリスが俯いた先には一歩退いたままの脚があった。

「…………」

ピピピピッ……

自己嫌悪していたのはほんの数秒。デバイスが再び着信を告げた。

今度はもう迷わない。

「――水面に突き立て、《蒼穹の涙》」

具現化した魔装によって腕を縛っていたロープを切断し、エイリスが地を駆ける。黒服は迅速に主犯の男を引き寄せてかばう動作を見せるが、いくら鍛えていた所で所詮は魔力を持たぬ一般人。容赦なく魔力を解放するエイリスの敵ではない!

瞬く間に男たちは地面に伏すこととなって。

「ひっ……!」

短い悲鳴が耳に衝く。情けはない。相手の身体を貫くつもりで突きだした穂先は、しかし届くことはなかった。――横から現れた巨体の男のせいで。

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