第三章 ⑤
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「んっ……」
目を覚ましたエイリスは、まだ焦点の合わない眼で辺りを見渡した。
使われなくなってかなりの時間が経っているのだろう。打ちっぱなしのコンクリートは薄汚れて、至る所に亀裂が走っている。四方に窓はなく、陽の光の届かないその空間を照らすのはチカチカと点滅を繰り返すくたびれた電灯の明かりだけ。遠くを見ようにも闇が深すぎて奥がどこまで続いているのかさっぱりだ。
足は地面についているものの手首は頭上で縛れて天井から吊り下げられている。腕につけていたデバイスも取られてしまったようだ。
徐々に覚醒していく思考が直前の出来事を思いださせて、彼女は唇を噛んだ。全く抵抗出来ずにやられるなんて、情けないにもほどがある。少なくとも、彼女の知っている強者にああも容易く制圧される人はいない。
しかし、後悔はここまでだ。
大事なのは現状の把握。
おそらくは廃ビルか何かのワンフロアだろうが、そんなものはあの街の中でなくとも五万とある。意識を失っている間に移動させられている可能性を考えると具体的な場所の特定は不可能だ。
一時間か二時間か。あるいはもっと? 気絶していた自分の感覚など当てにはならない。
「ようやくお目覚めですかな?」
一体いつから?
背景に紛れてしまいそうな黒いスーツやサングラスに身を包んだ、セレクトショップで彼女を襲ったのと同じ格好の人間。どれもこれもがっしりとした身体つきで、壁のように横一列に並んで立っている。
聴こえた声はそんな彼らの背後から。
一回り以上も背の低い、紫のスーツを羽織った男のものだ。ただ、前の黒スーツが邪魔で見えるのは一部だけ。
「出来ればもうしばらく眠っていて頂きたかったところですが、まあ仕方ありません。これも良い機会です。貴族のお嬢様とお話しすることなど、私たち庶民にはそうそうありませんからねぇ」
神経を逆なでする高い声。
ねっとりと自分を舐め回すような視線に、エイリスは顔をしかめる。せっかくの休日が台無しだ。
「エイリス・フォン・ティーニエ。この国を代表する五大貴族の一角、ティーニエ家の御令嬢に相違ありませんね?」
「……何が目的よ」
「もちろんお金ですよ」
にらみつけてくる小娘の眼光など意にも介さず、紫スーツは揚々と語る。
「それ以外に何があるのかとお聞きしたいですな」
――苛つくな、私。
「たった今あなたの御実家にお電話させていただいたところです。こんな失態が世間に知られれば信用は失墜。今頃大慌てでしょうね」
「……こんなことして逃げられるとでも思っているのかしら? 無謀もいいところね」
「ご心配痛み入ります。ですがご安心を。その後のこともちゃんと考えております故。箱入り娘には思いもよらない方法をね」
言葉の一つ一つに相手を煽るような響きが含まれていて、顔ははっきりとは見えないけれど、さぞかし厭味ったらしい顔つきをしているのだろうと想像する。
スーツの男たちはおそらく金で雇われているのだろうが、自分だったらいくら積まれてもこんなヤツを守るなんて御免だ。ある意味で彼らのプロ根性に敬意を抱きながら。現実逃避はやめて、エイリスは口を開いた。
「どうやってあの店に忍び込んだの?」
「忍び込んでなどいませんよ。堂々と入口から入っただけです」
「そんなこと――」
「出来たからこうなっているのですが、ご理解いただけませんか?」
したりげな声色にエイリスはぐっと黙り込む。
――ダメだ。口じゃ勝てそうにない。
スーツの向こうからでも感じるいやらしい視線の不快感は一旦捨て置く。
ここから解放されたあとに記憶が飛ぶまで殴りつければ済む話だ。
短く息を吐いて頭を冷やす。目もようやく暗さに慣れてきた。
さっきも考えたようにここは廃ビル。掠れてしまっているけれど、地面に残っている白線は多分、駐車場の名残だ。地上に閉鎖空間の駐車場があるとは考えにくい。だとすれば、光が入らないのは地下だから。
ここまではいい。問題はその次、敵が何人いるか、だ。




