第三章 ⑦
両者の間に割って入ってきた乱入者は、転がっているスーツたちとは風体が違う。体格自体は転がっている者とそうは変わらないのに、纏っている空気は明らか異なっている。右手には脇差ほどの短い刀。左手には甲羅上の盾。エイリスの一撃を受け止めたのはその盾だ。
……魔装?
『あの、エイリス? ルーミックだけど……』
眉をひそめる彼女に、場に似つかわしくない切迫感に乏しい音声が、デバイスの向こう側から。
「!?」
「ちっ!」
エイリスに襲われそうになった拍子に男の手元が狂ってしまったのか、デバイスが通話状態になってしまったようだ。初めて見る機械の操作法に手間取って、男が電話を切るまでの間にタイムラグが生じる。
すぅと息を吸い込む音がした。
「助けてっ!!」
空気を震わせる大音響。その声がルーミックまで届いたかは際どいタイミングだ。巨体の男が右手を振り上げるのを視界にとらえて、エイリスは後ろに飛び退いた。
……幾分か生まれた心の余裕とともに、再度エイリスは対峙する大男を見据える。それぞれを片手扱う一対の剣と盾。微かに感じる魔力。何よりも決定的なのは襟元につけられた剣のエンブレム。それがレプリカでないとするならば、
「あなた、騎士なの?」
「だったらなんだ?」
「……誇りを捨てたのね」
「誇りじゃ飯は食えないからな。慈悲深いお嬢様なら、俺たちのために命くらいさし出してくれよ」
「おあいにく様。ゲスな人間にやさしさを振りまけるほど、人間出来てないのよね。あんたたちになんか、命どころか一文たりとも恵んであげる気はないわ」
「なんだと?」
「落ち着け、アンドレ」
頭に血が上りやすい性質なのか、これだけのやり取りでアンドレと呼ばれた男は怒りを滲ませ始めた。
「口論している時間がもったいない。さっきの電話のせいで、もしかすると外が動き始める可能性もある。大方、向こうもそれを期待して時間を稼ごうとしているんだろう。さっさと片付けろ」
――さすがにバレてるか……。
「OK。下がっててくれよ、すぐにケリをつけてやるから」
「そう簡単にいくかしら」
目一杯のはったりの笑みを浮かべてみるが、けれどもう、そんなものはアンドレにはお構いなし。紫スーツの方は見てさえいない。
試し切りとばかりに宙に一振り。
猛然と、アンドレはエイリスとの距離を詰める。振り下ろされた一撃は重い。武器の重量は軽いくせに、気を抜けば槍を落としてしまいそうになる威力だ。
槍と刀。両者の間合いが急接近している現状、長物を使うエイリスの方が不利ではあるが、彼女の類い稀な技術はその不利を感じさせずに対等に渡り合う。……加速度的な消耗と引き換えに。剣を受け止める衝撃がエイリスの手から感覚を奪っていく。回避を重視しようにも、見た目に反したアンドレの軽いフットワークがそれを許してはくれない。
「どうしたどうした!」
「……っ」
「もうついてこれないのか!?」
「くそぉ……」
エイリスとしてはどうにか長距離戦に持ち込みたいところ。ただ、目の前の男が『正騎士』である以上、彼女の手に余る相手であることはくつがえしようのない事実。
真っ向から挑んだのでは勝ちは薄い。だからこそ、一か八かの賭けがいる。
周囲から巻き上げた水が彼女の姿を覆い隠す。
アンドレが切り裂いたそこに、既にエイリスはいない。その遥か後方――
しなる水流は槍の延長……それはもはや手足そのもの。
どれだけ離れていようとも、一振りが全てを薙ぎ払う。
エイリスの魔装、《蒼穹の涙》の最大の特徴は、その貫通力ではなく射程範囲だ。
エイリスはその場から近づく必要がない。優雅に、舞うかの如く。
時に交錯し、時に押し寄せて。怒涛の水の奔流がアンドレを飲み込んでこの空間を満たしていく。
「これでどう!?」
槍を下段に構え上半身を捻る。捻りを解放する遠心力を利用して、半月を描いて得物を振り抜く。溢れる魔力が切っ先から放たれ、敵を切り裂く斬撃と化す!
「!!」
直撃だ。轟音とともに、今まで形を取っていた水が崩れて地面に落ちる。
「はぁはぁ……」
戦いが始まってまだ数分程度のはずなのに息切れが激しい。槍を地面に立ててつっかえ棒替わりにして体重を預ける。顔は上げたまま、緊張感を維持した状態で飛沫が収まるのを待つ。
――これで少しは。
正騎士をこれだけで倒せるとは思っていない。それでも、多少のダメージは与えられたんじゃないかと。手ごたえは十分にあった。心臓の鼓動は早く、柄を握る手に力が籠る。
そんな淡い期待は打ちのめされて。
平然と立っている男には傷一つなく。滴る水滴は微かにズボンの裾からのみ。
「ウソでしょ……?」
自分でも気付かないうちに、エイリスは後ずさっていた。水はフロア全体に広がって、あれだけに水量にもかかわらず深度はないに等しい。それが、彼女の後退に合わせて静かに揺れる。
「ここまでか?」
一歩、また一歩。ゆっくりとした歩調でアンドレがエイリスに近づいていく。
「…………」
「元々、学生ごときが俺に勝てるわけがねぇんだよ。こっちはテメェの技なんぞ全部知ってんだから」
「……私の技を?」
「これから攫おうってヤツの下調べもしてねぇとでも思ってんのか」
「ふっ……」
道理で。ただでさえの実力差に加えて、情報戦の段階でも負けていたのでは敵うはずがない。
心は折れてしまった。まだ諦めるには早いハズなのに、瞳には闘争心がない。
何をやっても勝てるビジョンが見えない。表情は絶望に染まり、最後に残った理性だけがエイリスをこの場に繋ぎ止めている。
そんな様子に、嗜虐的にアンドレの口元が吊り上る。
右手の刀を素振りするだけで獲物の身体が微かに震えるのが滑稽だ。
「おいアンドレ、さっさと片付けろ!」
柱の陰から姿を見せた男が叫んだ。
「はいはい……。ったく、アイツはせっかちでいけねぇな」
三者三様の原因で、頭上で何が起こっているかなんて誰も気にかけていなかったのだ。




